8-20 青い世界
本日もよろしくお願いします。
遅れて申し訳ありません!
巨大猫を撃退し、全員が精も根も尽きて、雪とも霜ともつかない氷の結晶に膝をついた。
血を流す者もいる。氷柱が突き刺さったままの者もいる。全員がまさに満身創痍だった。
しかし、部屋中を覆っていたその氷の屑が、巨大猫を撃退した場所へ集まっていく。
その氷の結晶はあっという間に香箱座りをした猫に変わった。
「じょ、冗談だろ?」
藤堂が思わず声を漏らす。
ほとんどのメンバーの魔力はもう残り少ない。同じ規模のボスならば、詰みだ。
「ふぬぅううう!」
そんな藤堂のセリフを打ち消すように、命子たちは気合で立ち上がり、武器を構える。
命子が叫んだ。
「オトヒュミアさん! 誰かのポイントを使って、この場の全員を全回復するのは願える!?」
その言葉に、藤堂は目を見開く。
命子たちは諦めず、活路を見出そうとしている。それに比べて自分はどうか。
気力を振り絞り、気合で立ち上がろうとする藤堂だったが、その途中でオトヒュミアが言う。
『あらあら、まだ戦うつもりですか? もう試練は終わっているようですよ?』
「ふぇええ、紛らわしいよ!」
命子はキレ、その場に膝をついた。
仲間たちも似たようなものだ。
藤堂に至っては無理やり気合を入れたせいで、もはや立ち上がるのが無理なレベルまでテンションゲージが空になった。リアルorzである。
そんな命子たちに、どこからともなく声がかかる。
それはこの中で命子にだけわからない言語、キスミア語であった。
『見事にゃ。僕の試練を乗り越えた君たちに、氷と風の祝福を与えるにゃ!』
ルルとメリスが、慌てて両手で頭にネコ耳を作った。メリスは痛いのを我慢して、猫の耳と人の耳で計四つのお耳、そしてルルは四つの猫耳と二つの人のお耳。
「「にゃっ!」」
「「「わっ!?」」」
ルルとメリス、そしてこの施設にいる全ての人の体を吹雪が駆け抜けていく。
そんな中で、ルルとメリスにだけ言葉がかかる。
『僕は常にお前らとともにあるにゃ。良きマナ進化をするにゃ!』
吹雪とともに強大な気配は去っていった。
ささらたちはなにがどう変わったのかわからなかった。言葉がそもそもわからなかった命子に至っては、いきなり吹雪をぶっかけられた形になっている。
そして、ルルとメリスは体を震わせ、自分の中で膨れ上がったものを感じ取っていた。
『まあまあまあ、みなさんいいものを貰いましたね』
命子の背後でオトヒュミアが言う。
「も、貰った? 吹雪をぶっかけられたんじゃなくて?」
命子は特になにもついていない髪の毛を払いながら、尋ねた。
『はい。ですが、これは……情報料が必要です』
オトヒュミアは投げキッスするように口を塞いだ。
そんな命子とオトヒュミアの周りに全員が続々とやってくる。
ささらやメリス、馬場、滝沢、そして外で戦っていた自衛官のうち数名が負傷しており、仲間に支えられている。
「メリス! 大丈夫!?」
「みゃー、メーコ。刺さったデスワよ……」
メリスの太ももには、氷柱が突き刺さっていた。
ささらとルルはそれが凄く心配なのか、泣きそうだ。
「すぐに抜いて、すぐに回復薬を飲もう。メリス、魔力はあるよね?」
「ニャウ。まだ残ってるデスワよ……」
「いや、待ってくれ。俺の報酬を使おう」
命子たちのやり取りを聞いて、藤堂が言った。
「オトヒュミアさん。報酬を貰えるということですが、俺の報酬を使って全員を回復していただきたい」
藤堂の言葉に対して、オトヒュミアはそれを手で制し、にこやかに微笑んだ。
『まずは報酬の説明をさせてください。すでに小龍姫さんには差し上げていますが、この場に辿り着いた者はここに着くまでに溜めた攻略ポイントを使い、報酬が貰えます』
命子と教授、藤堂以外の全員が驚く。
『ただし、攻略ポイントを超過している報酬、私が与えられないものを求めた場合、AorBのように大きな願いと小さな願いを一緒に含ませた願い方、このいずれかに該当する場合は「攻略ポイントを超過している」という返答が報酬となります』
全員が首を傾げる中、紫蓮と教授だけが頷いた。
「それは当然」
「情報が欲しい場合、質問の仕方によっては報酬を使わずにいろいろ推測できてしまうからな」
『はい、その通りです。その代わり、攻略ポイントが余るものを求めた場合は、軽くサービスいたします。小龍姫さんにしたようにですね』
命子はなんとなく理解でき、危なかったと思った。
『さて、それを踏まえたうえでみなさんのお願いを聞きましょう』
オトヒュミアはそう言って、一行を見回した。
すぐに藤堂が口を開く。
「俺のお願いは、先ほどと同じです」
『あなたの攻略ポイントを使い、この場の全員を回復するというお願いですね?』
「待った!」
藤堂が返事をしようとした瞬間、教授がそれを止めた。
「藤堂二等陸尉。それはダメです。全員ではなく回復できる分だけにしてください」
教授の言葉に、藤堂はハッとさせられた。
「では、俺の攻略ポイントで可能な人数分だけお願いします。最優先はこの二人です」
藤堂はメリスとささらの回復を優先した。
『それでよろしいですね?』
「はい」
『では、こちらをどうぞ』
オトヒュミアが手を振ると、一本の瓶と三つの丸薬が藤堂の前に現れた。
『瓶の液体は魔力回復薬です。丸薬のほうは中級回復薬です』
藤堂は予想と違う展開に驚いた。回復魔法をかけてもらえると思ったのだ。
しかし、ささらと教授は違った。
「魂の繋がり……?」
今回の戦いの前に他者へバフを与えるスキルを得たささら。女子高生が就いた『音楽団』を調査した教授。二人はオトヒュミアが回復魔法を使わない理由に意味を見出す。
回復魔法が存在しないということはないと思える。
なぜなら、ささらは以前、謎の全回復を経験しているからだ。三頭龍にコテンパンにされたあと、次元龍あるいは地球さんか……とにかく何者かに瞬時に全回復してもらったのだ。
これらのことから、魂の繋がりがなければ、回復魔法をかけるのは無理なのではないかと二人は考えた。
「すまん。メリス嬢ちゃん。結局痛いことになりそうだ」
「ワタシの報酬で痛みを消す薬を貰うデス!」
「ルル、ダメデスワよ!」
メリスはルルの提案を拒否し、中級回復薬を服用した。
そして、ルルがなにかを言う前に一気に氷柱を引き抜いた。
「みゃぅううう……!」
メリスは悲鳴を押し殺す。
冷えて血管が縮まっているのか、血はあまり出ていない。
「みゃー、メリスゥ! にゃにしてるデス……!」
ネコミミをぺたんとさせたルルがメリスを抱きしめる。
メリスは励ますルルの背中に爪を立てるようにして抱きしめ返した。メリスはルルの服の裾を噛み、冷や汗を流す。
幸いにして中級回復薬がすぐに効き始め、痛みは和らいでいった。
「ささらさんも早く」
「は、はい」
メリスを見て目を潤ませていたささらは、支えてくれている紫蓮に促され、藤堂から魔力回復薬と中級回復薬を貰う。
ささらは魔力が空になってしまっているので、まずは魔力回復薬を飲んだ。
すると、魔力が100点回復する。それを確認してから、中級回復薬を服用した。
ささらは見た目にはかすり傷が多いが、実際は目に見えない骨や筋肉にダメージが大きかった。それらがみるみる回復していく。
外で戦っていた盾職の自衛官がもう一度同じお願いをして、報酬の中から一本の魔力回復薬を服用する。
馬場や滝沢は、魔力が残っているので装備品の中級回復薬で回復し、藤堂に至っては、この場での回復を見送った。ケガは三十分もすれば低級回復薬である程度治療できるからだ。
それよりも攻略報酬のほうが重要だと考えた。彼らはそういう人たちだった。
痛みが消え、メリスたちが落ち着いたところで作戦会議に入った。
「それで命子君はなにをどう願ったんだい?」
「えーっと、強い武器を願いました。巨大猫に効果的な魔導書をくださいみたいな感じで」
「なるほど。確実に報酬を得たいのなら、攻略ポイント内で一番いい武具を貰えるように求めればいいわけだね」
「そうなりますね。ちなみに私たちのポイントはあまり高くなくて、その中でも私のポイントが一番高かったみたいです」
命子は、鬼ごっこをせずに撃退して攻略したからだろうと自分の考察を告げた。
「ふむ。そうなると捕まった大勢を解放した君の攻略ポイントが一番高いのは、頷ける話だ」
教授は目を細めて考えた。
命子は、まだ発見されていない『変化の魔導書』と1500ギニーで買える火の魔導書、さらにかなり大きなヒントを貰った。
一方の藤堂は、これも未発見だった魔力回復薬1本と1000ギニーで買える中級回復薬1セット、ヒントはなにもなし。つづく盾職自衛官も藤堂と同じだった。
精鋭自衛官で、この二人を超えるポイントを持つ者はいないだろう。
命子たちは話し合い、教授がそれをまとめていく。
教授はその一覧を見て頷くと、想定した攻略ポイントをもとに報酬を貰う順番を決めていく。報酬ゲットをミスった場合は、それ以降の報酬を変更しなければならない。
まずは命子からだ。
命子はすでに報酬を貰っていたが、報酬ではなく普通にお話をしてもらえる可能性を考えた。
「私たちはゴールしたわけですが、このあとってどうなるんでしょうか?」
『この場まで来たら、帰りは転移で移動しますね。もう小龍姫さんは帰れますが、帰りますか?』
「いえいえ! まだ帰らないです!」
あぶねぇと命子は手を振って拒否した。
必要事項だったのかすんなりと教えてくれた。しかし、これは割と重要な情報だ。もう命子たちは捕まっている人たちを直接解放できないのである。
この質問によって、方針は決まった。
さっそく精鋭自衛官の一人が願う。
「現在、この施設内で捕まっている人を可能な限りこの場に転移していただきたい」
本当は、「転移が無理な場合は解放だけお願いします」と付け加えたいが、これは願いの中に保険を掛けるAorBの方式になるので無理だ。
この願いは分の悪い賭けに思えたが、予想外にもオトヒュミアはあっさり受け入れた。
『はい。構いませんよ。では』
オトヒュミアは手を動かした。
すると、しばらくしてからその場に五人の自衛官が現れた。
さらに、ほかの精鋭自衛官が同じお願いをする。
オトヒュミアはにっこりと笑い、言った。
『攻略ポイントを超過していますね』
これは二つ目の条件である「私が与えられないものを求めた場合」だったようだ。つまり一度の願いで全員が解放されたことになる。
状況を理解していない五人の自衛官たちに、教授が説明をする。
そして、彼らに頼みごとをした。
今転移してきた自衛官がオトヒュミアに願う。
「先ほど彼らが得たフニャルーの祝福についてどんな些細なことでも構いませんので教えてください」
『攻略ポイントを超過していますね』
オトヒュミアの答えに、命子は教授に言う。
「やっぱり転移で連れてこられた人はポイントがゼロになるんですね」
「まあそこまで美味い話はないだろう」
しかも、このイベントは一度しか参加できない。
命子たちはあまりポイントを稼げなかったが、これが稼げるほど強い人が運悪く捕まってしまったパターンだと、ぶん殴られてもおかしくない最悪な願いとなるだろう。
「では、地球人類が知っておいたほうがいいことを、ポイントの範囲内で教えていただけますか?」
報酬で解放された精鋭自衛官ではなく、命子たちが解放した高山隊長が問うた。
『あらあら、とてもいい質問ですね』
『未知の未知』という言葉がある。
知らないことすら知らないという意味で、あらゆる人にとって最悪な状態だと言われている。知らないので備えようという考えにもならず、気づいた時には無防備な状態で受け身になる。
命子たちが暮らすこの新時代はまだ一年も経っておらず、まさにそんな未知の未知のバーゲンセールであった。
未知の未知が最悪な点は今回にも及んでいる。『オトヒュミアに情報を貰えるチャンスを得たのに、なにを質問していいのかわからない』という状態になるのだ。
そう、教授ですら真に必要な質問がなんなのかわからないのだ。
もちろん教授は聞きたいことが山ほどある。攻略ポイントの制限がないのなら、さまざまなことを聞いただろう。
だからこそ、「地球人類が知っておいたほうがいいことを、ポイントの範囲内で教えていただけますか?」なんて相手任せな球を投げるしかなかった。
幸いにして、オトヒュミアはこの球を受けてくれた。
『では丁度面白いことが始まりましたので、あなたの願いでこのことについてお教えしましょうか』
オトヒュミアはそう言うと、手を振った。
すると、どこか無機質な印象だった室内の全ての壁、天井、床にまで、外の光景が映し出された。
「うわっ!?」
「「にゃ!?」」
「ひぇええ!?」
床が抜けたと誤認した命子が咄嗟に魔導書を足元へ移動させ、ルルとメリスが同時にささらの体に飛びついた。紫蓮が命子の体に飛びつく。
馬場がムラッとした。きっと戦いのあとだからだろう。
フニャルーが去ったことで外の雪雲が晴れ、綺麗な夜空が見えている。
命子たちはこの施設ですでに一晩を過ごし、さらに夜を迎えていた。
龍宮から零れている光で、近海はわずかに明るい。そこには大量のクジラが蠢いていた。紫蓮でなくともゾッとする光景だ。
そして、近海に満ちる甲高くも低く重い謎の音。
「こ、これはクジラの声か?」
教授が言うように、それは多くのクジラが奏でる合唱だった。
すでに龍宮近海からは船が撤退しており、遠方で複数の船が光をつけていた。命子たちには知る由もないが、それは日本籍船だけでなく、複数国の外国籍船も混じっていた。相当な大事になっていた。
「このクジラはいったいなんなんですか?」
命子の質問に対して、先ほどの質問に関連しているからか、オトヒュミアは答えてくれる。
『地球さんは人間だけのためにあるわけではありません。動物たちもまたシークレットイベントを起こす権利があります。そして、今、多くの動物たちがその血に宿った古の伝承を思い出しつつあります』
命子たちは驚愕した。
しかし、ルルとメリスだけはうんうんと頷く。キスミア猫にその予兆を感じていたのかもしれない。
「まさか、外のクジラと私たちのイベントは別口!?」
『間接的には関与しています。「龍の石が浮かぶ時、僕たちの歌が神さまに届く。さあ、一緒に大空に帰ろう」彼らはそう歌っています。つまり、クジラさんが合唱することが彼らのシークレットイベントの発動条件です』
「つまり、この施設には二段階のシークレットイベントがあったってこと?」
オトヒュミアは命子の呟きに答えず、海の彼方を見つめて真面目な顔で言った。
『始まりますよ』
その言葉とともに、海が空色に輝いた。
直下から照らされたことで、無数の魚影がくっきりと浮かび上がる。
『プォオオオオオオオオオオオオオオ!』
まるで歓喜するかのようにクジラたちが一斉に鳴いた。
海を満たす空色がまるで餅を膨らませたかのように海面上で膨れ上がる。
海面下のクジラがそのままなところを見ると、それはマナや魔力といった現象なのだろう。
次の瞬間、近海全体を範囲に入れるほど巨大な光の奔流が、天に向かって爆発するように伸びた。
「っ!?」
命子は息をするのも忘れて両腕で顔を守る。
だが、好奇心が旺盛な命子は、その腕の隙間から光の奔流を覗き込んだ。
空色に輝く光に包まれて、自分以外の誰の姿も見えない。
悲鳴も音もなく。
空色の世界の中で、銀色に輝くたくさんの光が天に向かって飛んでいく光景がそこにあった。
「わぁ……」
まるで空を飛んでいるように思えて、命子は気づけば顔を守っていた腕を下ろし、青と星屑の世界を見回していた。
気持ちがいい。
命子はこういう光景に出会った時、冒険をしていて本当に良かったと思えた。
と、そう思ったのもつかの間、下からやってきた巨大な目玉が命子の前で止まり、じっと見つめてきた。
『小さき星がおる』
その言葉に、気持ちがいいと思っていた命子の体がぴしりと凍りつく。次元龍のような存在だと魂が理解したのだ。あわわと命子は指遊びを始めた。
まるでなんとか反抗してやるというように、二つの角がピカピカと弱弱しく光る。
そんな命子の様子を見て、巨大な目玉がスッと細まった。
『その命を燃やし、黎明の空を美しく彩れよ』
そう言うと、巨大な目玉は天空に昇っていった。
その目玉が……いや、この大きすぎる空色の光自体が巨大なクジラの魂だとわかったのは、目玉が遥か彼方に去ったあとだった。
空色のクジラは夜空に昇ると、まるで空に水面があるかのように水色の大きな波紋を作って消えていった。
その姿を見送った命子は、ガクリと膝をつく。
「うぅうう、なにが……え? 命子さん!?」
「羊谷命子!」
光の奔流が去って、顔を上げたささらや紫蓮が悲鳴を上げる。
膝をつきながら夜空を見上げ続ける命子の視界が、ぐるぐると回り始めた。
『あらあらあら、さすが始まりの子にして偉業持ち。いろいろな神獣から注目されちゃいますね? とても勉強になります!』
興奮した様子でそう言うオトヒュミアの言葉を遠くで聞きながら、命子はその場に倒れ、気を失った。
そんな命子の手には、いつの間にか空色の小さな笛が握られていた。
読んでくださりありがとうございます!