8-13 氷の魔物たち
本日もよろしくお願いします。
「どうなっている!?」
外で待機していた藤堂が部屋の中へやってきて問うた。
「おそらくフニャルーが介入しました。すぐに撤退しましょう」
「了解」
馬場の提案はすぐに承認されたが、命子は確信めいたものがあった。普通には帰れないと。
命子の予感を肯定するように、風もないのに、いきなり室内に小さなつむじ風が出現した。
それは霜を巻きこみ、パキパキと音を鳴らして踊り始める。
「むっ、これ魔法ですね。でもこれ、マナを使ってるみたいです」
【龍眼】を使った命子が、この現象を看破する。
命子は今まで二通りの力を使った魔法を見てきた。魔力を使った魔法と、マナを使った魔法だ。前者は自分由来の紫色の力を使い、後者は周りから集めた緑色の力を使う。そして、マナを使った魔法は精霊がたまに使う。精霊は、萌々子や教授のような術者の魔力を使用して魔法を使うが、どうやらマナを使用する魔法も使えるようなのだ。
目の前の現象は、霜を巻き込んで白いつむじ風になっているが、マナの力が使われているようだった。そして、その術者は、この部屋でもう一つ氷漬けになったカプセルの中にいる存在だとわかった。
「撤退しましょう」
もう一度馬場が言う。最後まで見ている必要もない。そう判断してのことだ。
外に出ると、藤堂が残した残りの隊員が廊下を警戒しながら、窓の外の様子を気にしていた。
命子たちも窓の外を見てみると、海中にはたくさんのクジラが魚影のような大群を作っていたり、半身を海面に出して潮を吹いていたりしている。
「海ってこんななんデスワよ!?」
海をついさっき初めて間近で見たメリスは、盛大に勘違いして驚きの声を上げる。
「いえ、これはさすがに……」とささらが説明する一方で、紫蓮がガクブルした。
「ぴゃぅうう、なにこの絶望」
「うぉおお……これは紫蓮ちゃんじゃなくても怖いな」
四千メートル級の水深がざらにある太平洋上で、こんなにたくさんのクジラに詰め寄られたら絶望するしかない。そして、今まさにこの施設の下では海上自衛隊の船がそんな状態になっていた。
「な、なにが起こってるの……?」
この光景に、馬場もしばし呆然としてしまう。というよりも、馬場はこの時、あまりにも超常的な海と大変な状況の船を見て、反射的に自衛官として鍛えられた常識が頭を占めてしまった。
自分たちは船で帰るのに、これでは帰れないではないかと。
これは、モノリスの部屋の転送装置を使っていないささらとメリスが陥った心境と同じだった。一方、教授だけはいつものように冷静に、この事態の原因がなんなのか考えている。
「馬場さん、行きましょう」
「え? あっ、ええ。行きましょう」
だがそれも一瞬である。命子に行動を促されたことで、馬場は本来の冷静さを取り戻す。
命子たちは階段へ向けて走った。
しかし、階段に続く壁が氷漬けにされており、触れても開かない。
「あの氷、魔法が使われています。これもマナを使った魔法……?」
「これは俺にもわかるな」
自衛官が盾や棒で砕こうとするのを見ながら命子が言うと、目を紫色に光らせた藤堂も相槌を打つ。
「ダメです」
とてもではないが氷は砕けなかった。
試しに藤堂も炎を使って溶かしてみようとしたが、やはり溶けない。
「ダメだな。仕方ない別ルートで行こう」
藤堂の判断で一行は別ルート、つまりゲートから移動することにした。
再び走り出した一行は、そこで気づく。
今まで3分と待たずに攻めてきていたバネ風船がぴたりと現れなくなったのだ。
その代わりに、廊下に時折、霜を巻き込んだつむじ風を見るようになった。
「ルル、子猫の試練ってなんなの?」
走りながら命子が尋ねる。
「キスミア猫の親猫は、子猫をメモケットに放置するデス」
「メモケット? 地名? メリスの名字だよね?」
「拙者の家はシティ派デスワよ。遠いご先祖さまがメモケットが好きだったんだと思うデスワよ」
「なるほど、つまり猫田さんみたいなもんか。それでメモケットってどんな場所?」
「猫じゃらしが生い茂ったすり鉢状の谷デス。子猫たちはそこに落とされて、にゃーにゃー言いながら仲間と力を合わせて脱出するんデス!」
クワッとしたルルの背景に、ピシャゴーンと雷が見えた命子。
「キスミア猫はメモケットで仲間の大切さを覚え、社会性を学ぶデス。そして、それを理解し、みんなと協力してメモケットから出てきた子猫だけが育てられるデス」
「野生の掟!」
「ニャウ。まあこっそり人間が手を貸すから野生かっこワロスなんデスけどね。ちなみにキスミア人がよく使うウィンシタ映えスポットになってるデス」
ライオン以外で群れを作る非常に珍しい習性をもつ猫科の動物キスミア猫。
キスミア盆地という閉ざされた世界において、人と暮らすことが一番効率が良かったためにそう進化したと言われているが、とにかく彼らは高い社会性を持っていた。
そんなキスミア猫は、子猫の頃にルルが言うような試練を受けることになる。
それが子猫の試練である。
愛猫が生んだこれまた可愛い子猫がにゃーにゃー言いながら一生懸命試練を越えようとするさまは、飼い主にとって果てしなくドストライクだ。なので、メモケットの中には専用のカメラがいくつも設置されており、日本人にとっての七五三のごとく、その録画映像は飼い主に売られていたりもする。
メモケットという名字も根本はこれと同じで、子猫が健気に試練をする姿が好きすぎてこの名字が誕生した経緯がある。ちなみに、キスミアにはメモケットさんが結構いる。
そんな説明を受けているうちに、あっさりとゲート前にやってきた。
しかし、ゲートはこれまた氷漬けにされていた。
「まさか閉じ込められたのか?」
藤堂が難しい顔をする。
すると、紫蓮がちょんちょんと命子の袖を引っ張って、言った。
「反対側にも階段があるかも」
「私もそう思ってた。藤堂さん、反対側にも階段があるかもしれないです」
紫蓮が、「ホントに?」と言うように顔を覗き込んでくるが、命子は気づいていたのだ……っ!
実際には、紫蓮に言われて初めて気づいたわけだが、この発言は命子なりに年上としてのものだった。これで無駄足だったら、あるいは誰かが大怪我、最悪一人でも死ぬような事態になったら、紫蓮はしゅんとしてしまう。なので、命子は自分もその案は賛成だというスタンスを取ったのである。
「たしかにあり得るな。よし、行ってみるか」
「藤堂二等陸尉、待ちたまえ。ここが凍結しているということは他が気になる」
教授が言った。
それはもっともなので、ゲートの間にある見取り図を出現させた。
すると、ゲートフロアにいたはずの隊員たちは誰もおらず、2階と3階、そして1階のモノリスの部屋に分散されていた。
「むっ、移動している?」
作戦上、GF確保班は基本的にゲートフロアから動かない。探索班が撤退する際、ゲートフロアが要石となるからだ。魔力の関係などでその場を維持できなくなったらその限りではないが、彼らはなぜか2階層目に入っているようだった。動きからして、一つずつ部屋を探索しているようである。
「もしかして、この氷と霜は施設全体に及んでいるんでしょうか?」
滝沢が不安気に言う。
「そうなるんだろうね。しかし、そうなると……迷宮化しているかもしれないな」
砕けない氷となると、それはもう壁だ。階段とゲートを組み合わせることで、迷路にすることが可能である。実際に、命子たちはルートを限定されてしまっているが、逆に言えば、命子たちのいる場所はスタート地点ではなく、別視点で考えれば行き止まりに当たったとも考えられた。
考えていても仕方がないので、一行は行動を再開する。
すると、残りの廊下もあと半分というところでつむじ風に変化が起きた。
つむじ風が霧散し、生物を模した氷のオブジェが現れたのだ。
長い触手と足のような根っこを持つ、花のオブジェだ。
そして、世界がファンタジー化した今、そのオブジェが動かぬ氷像のはずがない。
「うぉっ!」
ビュンとしなった氷の触手を藤堂がロングソードで防ぐ。
氷の触手はロングソードに触れた瞬間、ビキリッと音を鳴らしてロングソードに巻きついた。そして、藤堂の左手からロングソードを奪い取る。
「しま……っ!」
焦った藤堂だが、二刀流からすぐに右手のロングソードを両手持ちして扱い始める。
「倒せない敵ではなさそうです!」
【龍眼】を使って魔力情報を見た命子はそう言いながら、リュックから火と土の魔導書を出して、二冊の水の魔導書と入れ替える。
「後ろからも来たデス!」
ルルの鋭い声に、命子たちは自衛隊に背を向ける形で構える。
「滝沢、お前は命子ちゃんたちと協力して後ろを頼む!」
「はい!」
藤堂の指示で、前後に分かれて戦闘が開始される。
命子たちが相手をするのは氷でできたオオカミだった。どちらかというとこちらのほうが強そうだが、藤堂は命子たちに対して高い評価をして信頼しているため、背中は任せる。
命子たちは、滝沢とささらの二枚壁だ。その後ろに紫蓮とルルとメリス。命子と馬場は遊撃である。
そして、命子以外の全員が紫のオーラを体の各所から放出させている。
「強化火弾!」
唯一オーラを出していない命子だが、それはオーラを溢れさせずに魔力を扱えるからだ。頭上に浮かべた魔導書から魔力を上乗せした火弾を放つ。こうすることで、割り増しの威力の強化火弾となる。
強化火弾がささらたちの頭の上を通過して、氷のオオカミに飛んでいく。時速140km程度の魔本の魔法で驚いていた頃の命子では絶対に見えないような速度にも拘らず、オオカミは突進しながら横に飛んで回避する。
「風弾!」
鞭技・マジックフックで天井に貼り付いていた馬場が、回避した直後のオオカミに向けて風弾を放つ。
『ガァアアアアア!』
しかし、風弾はオオカミの咆哮によってかき消された。咆哮は霜を巻き上げながら、前衛のささらと滝沢に向かってくる。
「「はぁっ! スラッシュソード!」」
咆哮の衝撃波を盾でかき消しながら、ささらと滝沢が同時にスラッシュソードを放つ。
三頭龍戦をお互いに体験したからか、かなり息のあった踏み込みだ。まるでVの字を刻むように、二つの斬撃がオオカミに向かっていく。
覚醒したスラッシュソードは、振り切った瞬間には3メートル先の対象が斬られるほどの速度なので、出たのを見た後では回避は不可能だ。
しかし、オオカミは振り始めを見切り、動いた。
バキン!
Vの字の間を飛び越えるように回避行動を取ったオオカミだが、後ろ足にささらのスラッシュソードがヒットする。
普通の生き物だったら足を失う斬撃に、しかし、オオカミは錐もみ状態になるだけだった。
だが、空中でバランスを崩す姿は新時代を生きる女子たちにとって、とてつもなく大きな隙だ。
「強打!」
瞬く間に距離を詰めた紫蓮が龍命雷を下から上に振り上げる。
龍命雷の刃がオオカミの腹部を的確に捉え、その体を凄まじい勢いで天井に叩きつけた。
「土弾!」
命子が土弾を放った。
それは天井にいるオオカミに向かわず、ささらたちよりも前に出た紫蓮に向かってくる氷の塊を迎撃する。
砕けた氷のクズが四方に飛び散る戦場を、ささらとルルと馬場が駆け抜ける。
その目指す先には、紫蓮を狙った存在がいた。氷でできたマネキンのような存在だ。どうやら魔法タイプのようで、氷弾を連発してくる。
氷弾をささらが盾で弾き、囮となってルルと馬場を守る。それでも流れ弾はあり、さらに後方の、視線をオオカミから外せない命子たちに向かってくる氷弾を滝沢がガードする。
反撃で風弾を放つ馬場は鞭の射程に入ると、すかさずマネキンの腕に鞭を巻き付けて引き倒そうとした。しかし、マネキンは踏ん張ってそれに耐える。
片手の自由を奪われたマネキンにルルが肉薄する。マネキンは氷の杖でルルを打ち据えるが、そのルルの姿が霞のように消えていく。
「ニンニン!」
残像の術で背後を取ったルルが蹴りを食らわせると、馬場の鞭の力も手伝って、マネキンはついに倒れた。
ルルはすかさずマネキンの背中に飛び乗り、鎌と忍者刀、そして体の捻りを巧みに使い、首を砕き折った。
一方、命子たちとオオカミの戦いも佳境を迎えていた。
「はぁっ!」
落下してくるオオカミに紫蓮がグルンと回した龍命雷を叩きつける。恐るべきことにオオカミはこの攻撃を前足の爪でガードし、紫蓮は龍命雷を弾かれるようにしてノックバックさせられる。
しかし、オオカミも無事ではなく、今度は水平に飛ばされて壁に叩きつけられた。
オオカミの口が大きく開く。
「にゃふしゅ! にゃにゃにゃーっ!」
その口にメリスがすかさず二刀小太刀を突き入れた。自分自身はジャンプし、小太刀を口に突っ込んだまま空中で天地逆さまになりながら、身を捻る。自然、突き入れられた二本の小太刀は立体的な動きになり、オオカミは天を仰ぐように向けた口内を蹂躙される。
ギャリギャリギャリと氷が削られるえげつない音が鳴った。どうやら普通の生物と同じように、内部は脆い構造なのかもしれない。
「ここだ!」
メリスがジャンプしたことで現れた射線に、命子がすかさず強化火弾を放つ。四足獣が戦闘中に見せることなど滅多にない腹部に、命子の火弾が炸裂した。
炎が体を舐める中、空中で天地逆さまになったメリスの小太刀が左右に振りきられ、オオカミの顔が砕け散った。
炎が霧散する中に、メリスは小太刀を握った手を左右に広げながらシュタッと降り立ち、それによって炎がさらに散っていく。
命子と紫蓮はカッコ良く決まったメリスに嫉妬しつつ、すぐに背後に向き直って自衛隊の戦況を確認する。
こちらでも二体の敵がやってきていたようで、たったいま、二刀流に戻った藤堂も必殺技の焔の牙で決着をつけたところだった。
怪我人もなく完勝である。「ふひゃー、超楽しい!」と命子は内心で思った。
「メリス強くなったね」
「ニャウ。頑張ったデスワよ」
メリスは胸を張って言った。
だが、すぐにしゅんとする。
「でも、まだスキルが覚醒してないデスワよ」
「まあ、こればっかりはなぁ。私たちは始めたのが早かったし。これからだよ」
「ニャウ。すぐに追いつくデスワよ」
メリスは前向きにそう言って、口角を上げて笑った。
そんな中で、教授がふむと頷く。
「いまの氷の花の魔物だが、見覚えがある」
「どこかのダンジョンの敵ですか?」
「いや、この施設のカプセルに保管されている生物にあれと同じフォルムがいた。もちろん、あっちは生物としての色を持っていたがね」
「ふむふむ。じゃあフニャルーはここの生物を氷で再現しているってことでしょうか?」
「確証はないが、一応、猫の形をした敵が出てきたら一段と注意したほうがいいだろう」
「たしかにフニャルーだし、猫科の魔物にたくさん力を与えそうですね」
命子の言葉に教授は頷きながら、もう一つ気になっていたことがあった。
あのマネキンである。命子の言うように、カプセルの生物を模しているのならあれは捕まっている自衛隊を模しているのだろうか。それとも、別の何かなのか。
「それよりも、ワタクシは氷の魔物が殺気を放っていたのが気になりますわ」
ささらが言う。
それはたしかにみんな気になったことだった。先ほどまでの鬼ごっこでは、バネ風船は殺気を放たなかったのだ。つまり、イベントの内容が変わり、死ぬ可能性が出てきたということではないかとささらは考えているのだ。
「子猫の試練は、過酷なものデスワよ」
メリスが言うとルルも大きく頷いた。
「大昔の子猫の試練は、生存率9割と言われていたデス」
割と高いな、と命子は思った。
話しながら戦闘後の魔力確認などをしていると、近くの部屋の扉が唐突に開いた。いや、内部から開かれたのだ。
そして、そこから頭にネコミミをつけたバネ風船が出てきた。ネコミミのさらに上に、アイコンが出現する。
「=^_^=」
それが戦闘の合図だった。
「は? お前も参加するのかよ!?」
自衛隊チームがすぐさま猛攻撃を捌き始める中、どこからともなく、ガガガッ、ガガガッ、ガガガッ! と音が聞こえてくる。
なんの音だと、バネ風船との戦闘に参加していない命子たちは廊下を警戒する。
「にゃっ、来たデス!」
蹄を鳴らして廊下を走ってきたのは、氷の馬だった。足は6本あり、頭には牛のような角が生えている。そして、その背には先ほど戦った氷のマネキンを乗せている。
湾曲している廊下なのでそこまでのスピードは出ていないが、バネ風船との戦いに集中している自衛隊は躱せない速度だろう。
「土弾! 強化火弾!」
氷のマネキンが放った氷弾を命子の土弾が迎撃し、直後に放たれた強化火弾が二体の敵の体を火で包みこむ。
「スネイクバインド!」
馬場の鞭が炎をかき分けるようにして姿を現した馬の足に絡み、大きく転倒させた。
氷のマネキンは転倒を想定していたのか、大きく飛びあがると、空中で氷弾を放って牽制してきた。
「さあ、気張っていくよ!」
命子のかけ声に、一行がすでに放出していた紫のオーラが、どこか鋭さを宿したように収縮した。
子猫の試練は、激しさを増していく。
読んでくださりありがとうございます。
1月7日からニコニコ静画さんにて、マンガの連載が始まります。
よかったら見てください!