8-11 笹笠ささら
本日もよろしくお願いします。
「メリークリスマス」
テーブルに並んだチキンにお寿司、そして、どこかはにかんだようでもある無表情な母親のそのセリフ。父親がすかさずそんな母親の頬をこしょこしょと人差し指でくすぐって、顔を赤らめた母親がその指をぐぐぅっと逆エビにして痛めつけている風景。
それがささらの一番古い記憶であった。
まるで映画館のような場所で、今より10歳ほど若い両親のイチャコラをささらは一人で見ていた。
思考は定まらず、ふとすれば映画館の席に座る自分をさらに俯瞰している状況にもなる。
夢であるのは間違いないのだが、心地良い眠りの中にあるささらはそれすらも気づけない。
場面は切り替わり、風見町で一番大きな菊池デパートの中でのことだ。
「お母さんお母さん、お姫さま! ■■ちゃん、お姫さまだよ!」
「だーうー」
「だーうーじゃないよ。お姫さま!」
母親と手を繋ぐささらを指さして、女の子がふぉおおおとした顔で自分の母親とベビーカーに乗った弟か妹に報告した。
その子は、続いてささらママへ視線を向けて、ほえーと口を開けた。
「わぁ、妖精の女王陛下や……ひかえおりょうだ……」
アニメかなにかのキャラクターと重ねたのか、そう言いながら指遊びを始める女の子は、母親に軽く頭を引っ叩かれる。母親はささらママに謝って、その家族はその場を去っていった。
自分の母親が顔をほんのり赤くしているのを見上げる小さなささらは、嬉しいんだと思った。そして、母親が女王さまのように綺麗だと思われて、ささらは凄く嬉しかった。
それがきっかけだった。
ささらママもささらパパも、ささらに淑女たれなんて教育はしてこなかった。
ささらは、自分でお姫さまっぽいことを学び、町外の小学校へ通う頃には、「ですわ」と口にするベタなお嬢さまができあがっていた。
小さなささらは、そうすればまた母親が褒められると思ったのだ。
そんな映像をぼんやりと見つめるささらは、自分が淑女を目指した原点なんてとうの昔に忘れていた。けれど、淑女たれという想いだけがささらの心に残り続けるのだった。
時は進み、小学校一年生の映像が流れ始める。
ささらの両親は淑女教育こそしなかったが、良い教育はさせたかった。なので、ささらは町外の私立女子小学校へお受験して入ることになった。
そこでささらは小学校デビューを盛大に失敗する。
映画館の椅子に座るささらは、ぼんやりとその映像を眺める。
けれど今までのふわふわした記憶と違い、その時の光景は鮮明に覚えており、現実で何度も思い出していた。
「ワタクシ、ゲームなんて子供っぽいことしませんの」
入学して間もなく、仲良くなりそうな気配があった子に対して、ささらは胸に手を置いてドヤ顔を決めてそう言った。
自分のことを知ってもらいたくてそう口にしたのだが、勇気を出してささらへ話しかけ、動物さんとのスローライフなゲームのお話をしたかった幼女からしたらしゅんである。せっかくお受験を頑張ったご褒美に買ってもらったのに。
大人しいその子は、チャイムと同時にトボトボと自分の席に戻っていった。
翌日、ささらはその子ともっと仲良くなるために、自分の好きな絵本や子供用の詩集を持って登校したのだが、その子は違う子と仲良くなって、楽しそうにゲームの話をして笑っていた。
その一連の光景を、ささらは何度も思い出して生きてきた。
自分の発言のなにがいけなかったのか考え、二度と同じセリフは言わなかった。
そもそも、両親は別にゲームやアニメを否定する人ではなかったのに、なんでそんなセリフを言ってしまったのか、ささらには今でもわからなかった。
ささらはすっかり忘れてしまっていたが、それはテレビのコメンテーターが言っていたセリフだった。幼いささらは真に受けて、大人ぶって口にしたのだった。
それでもまだ小学校は始まったばかりなので、いくらでもチャンスはありそうなものだが、一つの問題があった。
ささらは自分でも気づかなかったのだが、人見知りが激しかったのだ。
幼稚園では友達がいたささらだが、相手から話しかけてくれなければ、どうやって輪に入れるのかわからなかった。そもそも、幼稚園の友達も先生が仲介して話していたような気がする。
最初の子と仲良くなるのを失敗してしまったささらはすっかり自信をなくし、クラス替えが行われる3年生まで特別仲良くなる子ができないまま、過ごすことになる。
容姿が綺麗なささらは、基本的に人が集まりやすい得な体質の子だった。新しい出会いの季節と呼ばれるような時期になると、ささらは必ずと言っていいほど友達候補ができた。これは3年生のクラス替えの時も同じだった。
でも、ささらはもう一つ問題があった。
ささらは、同世代向けのボキャブラリーが非常に少ない子だったのだ。子供でもわかる詩や昔話、小説などの知識は豊富だが、お笑いやアニメ、ゲームなどの他のクラスメイトがするような話のストックは壊滅的だった。仲良くなりたくて集まってくる子たちをずっと引き留めておく引き出しが、ささらにはなかったのだ。
でも、ささらは勉強や家庭科などが非常にできたうえに、目つきが鋭い「ですわ」お嬢さまという変な人物だったので、親しい友達はいないけどクラスで一目置かれるという変な立場になっていた。
次のクラス替えである5年生になる頃には、ささらも自分のなにがいけないのか気づき、少しばかり漫画の知識を仕入れたりもした。けれど、その頃には笹笠さんはそういうのは見ない生粋のお嬢さま、という評判になっていた。授業参観に来るささらママは、スーパー厳しい女王陛下みたいな見た目だし。
お友達は欲しいけど見栄だって人並みにあったささらは、そういう評価をされると漫画デビューした報告ができなくなり、やっぱり一目置かれながらも、親しい友達はできないまま、エスカレーター式で中学校へ上がる。
映画館の椅子に座り、ささらは計9年間を過ごした学校生活を思い出していく。
母親譲りの鋭い目つきのお嬢さまは、いつも友達を求めていた。
家に帰ると鏡に向かって笑顔の練習をして、布団に潜れば誰かを笑わせる凄いトークをする自分の姿を想像したり、小説で語られるような言葉を交わさずともそばにいるだけで心落ち着ける友達との出会いを夢見て眠ったり。
夏休みの前には遊びの誘いが来ないかドキドキし、遠足の前にはひょんなことから親友ができないかと楽しみにし。
けれど、いざお友達になっても、みんな他に親しい友達を作って、いつの間にか事務的な会話しかしなくなる——そんな現実的な、いや、実際に何度も経験した記憶を思い出して眠れない夜を過ごしたり……。
「笹笠さんもぜひ書いて」
中学の卒業式の日。
クラスメイトが、寄せ書きの色紙を持ってやってきた。
ささらは一人で練習してきた笑顔を見せて、『みなさんの活躍をお祈りしています』と書いた。
気づけば映画館からささらの姿は消え、懐かしい教室に佇むささらと重なっていた。
誰もいなくなった教室で、ささらは校庭を眺める。
そこでは友達同士で抱きしめ合って泣いている子たちや、部活動の後輩から花束を貰って泣いている子など、たくさんのお別れがあった。
「あの子は……」
その中には小学校に入学してすぐにささらと友達になろうとしてくれた女の子の姿があった。中学3年生では漫画研究部の部長になっており、たくさんの友達に恵まれていた。
多くの後輩に囲まれ、一緒に卒業する親友と号泣する少女。
「あの中に、ワタクシがいる世界もあったのでしょうか?」
なんであんなことを言ってしまったのだろうと、この学校に通っている間、ささらはずっと悔やんで生きてきた。
小学4年生くらいの頃からだろうか。その後悔の気持ちの中に、自分の愚かな一言で、あの子が人間関係に臆病にならなくて良かったとも思うようにもなった。今、あそこでたくさんの仲間たちと青春をしている彼女を、ささらは心から祝福していた。
ささらは、綺麗に並んだ机の三列目、一番後ろの席に座った。
——しゃしゃがしゃしゃんは、えとえと、あのあの、ゲームとかしましゅか?
「やらないですわ。でも、興味がありますわ。どんなゲームがあるんですの? もし良かったらワタクシもぜひ一緒に遊びたいですわ」
9年前のあの日、この位置の席で、ささらが失敗した一つの出会い。
ささらがそう答えると、幼いその子は花が咲いたように笑った。
そして、幼いささらが女の子と楽しそうにお喋りを始める光景が、遠い彼方に消えていく。
それは何度も想像したIFの物語。
また教室で一人になったささらの首に、長い腕が優しく回された。ふわりと自分と同じ石鹸の香りがささらの鼻腔をくすぐる。
ささらがその腕を撫でると、頬に温かい頬が重なって、猫が甘えるみたいにすりすりとされた。ささらはその頬の持ち主の頭へ手を伸ばし、自分も頬をすりつける。
ささらの膝に、頭を乗っける年下の子がいる。
――お話が合うだけが友達ではありませんわ。お話が合わなくても、一緒にいて落ちつけたり、支え合ったりする関係もあるはずですわ。ですから、ゆっくりワタクシたちの付き合い方を探していきましょう?
この子にそう言ったのは出会って間もないダンジョンの中でのことだった。
それはささらが小・中学生とずっと求めていた友達との付き合い方。この友人も自分と同じように、リードしてくれる人がいなければダメそうな子だから、自分の人生を棚に上げてそう言ったのだ。
それから、この子はリラックスして付き合ってくれるようになった。
ピロンとスマホが鳴った。
スマホを見てみれば、遠き地で出会った友人から平仮名が多い日本語のメールで今日あったことの報告が来ていた。
ささらは彼女の国の言葉で、同じように今日あったことを報告したり、取り留めのないことを話したりする。
そうしていると、頼りになる自衛隊のお姉さんや、自分を慕ってくれる青空修行道場の人たちが集まってくる。
そして、ささらの目の前に女の子が立った。
ささらはその女の子の顔を眩しそうに見つめた。
「命子さん。全部、命子さんが運んできてくれたものですわ。ありがとう」
「あはははっ、違うよ。全部、ささらが頑張ったからできた友達だよ。ささらの優しい心にみんな惹かれて集まってきたんだよ」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。みんな、ささらのことが大好きなんだよ」
命子はそう言って、太陽のように眩しく笑った。
気づけば、ささらと仲間たちは河川敷にいた。
けれど、いつもと違い草も川も遠くの山々も緑色の光に満たされていた。
「ささらは、なにを望む? どんな自分になりたい?」
命子の問いかけに、ささらは一拍目を閉じた。
そして、母親譲りの鋭い目つきでキリリとして答えた。
「ワタクシは、友を守れる力が欲しいですわ!」
「うむぅ! それでこそ淑女なりにけり!」
命子がうむぅと大仰に頷く。
――もうそろそろだよ。笹笠ささら。君の優しい魂が花開く時がくるよ。
ぶわりと大きななにかがささらの心の中を駆け抜けていく中、ほっぺにムチューとした感触がした。
「るるるるルルさん!? み、みなさんの前ですわよ!?」
ささらは、チューされたほっぺを押さえて真っ赤な顔で言った。
「なに言ってるデス? ここはシャーラのお家のお風呂デス? 二人っきりデスよ?」
「え、あ、あら?」
たしかにそこはささらの家のお風呂だった。二人ともいつもお風呂に入る時と同じで裸である。
「そんなことより早く洗いっこするデス!」
「え、ええ。そうですわね」
そうして湯船から立ち上がって洗い場に出たささらは――盛大に吐いた。
「ゴホォ、ゴホゴホ!」
喉の奥から液体が流れ出てきたささらは、目を白黒させて混乱した。
「な、なにが……ハッ、そうでしたわ」
何かとても温かい夢を見ていた気がするが、液体を吐き出した謎の気持ち良さと、押し寄せてきた記憶の波に流されて消えていく。
「ワタクシはバネ風船に……というか、ここは……ひゃっ」
自分がいる個室を見回していると、全方位から温風が吹き付けてくる。
ひゃーんとささらはすっかり乾かされて、しばらくすると転移した。
「シャーラァアアあんあんあん!」
「ささら無事!?」
転移した瞬間にルルが飛びついてきたので、ささらは慌てて抱きとめる。服を着てる!
そのそばでは抱きつきたいけどルルのせいで抱きつくスペースがない命子が、無事? 無事か? と手をうろうろさせている。
「みなさん、助けに来てくれたんですのね?」
「ニャウ! 無事で良かったデシュ! みゃうぅう……っ!」
泣きじゃくるルルの背中をささらは撫でた。
「ささら、体に異常は?」
「いえ、ありませんわ。むしろ信じられないほど空気が美味しいですわ」
「それは教授も言ってたよ」
「そうなんですの? いえ、それよりも命子さん、メリスさんは?」
「どうやら捕まっちゃったようなんだけど、それがまだ見つかってないんだよ。ささらは絆の指輪があったからすぐに居場所がわかったんだ」
「絆の指輪……そうですの……紫蓮さんありがとうございます」
ささらは指ぬき手袋の下にある指輪を撫でた。萌々子やメリスにも渡そうという話をしていた矢先にこの出来事が起こったため、メリスには渡していなかった。
「でも捕まるってどういうことですの?」
「そうか、それも説明しないとね」
「命子ちゃん、話はほどほどにしてくれ! どうやら廊下も湧くようだ!」
「マジか!」
部屋の外から藤堂が声を張って言った。焦った声を上げる命子だが、声色とは裏腹に心底楽しそうである。
その直後に別の自衛官の雄叫びが上がり、戦いの音が響き始める。
「もしやあのバネ風船と戦っているんですの!?」
「うん。4人くらいで辛うじてって感じ。ささらも期待しているよ」
命子の言葉に、ささらはハッとしてから収まる剣がない鞘を撫でて、俯いた。
「ですが、ワタクシは剣が……」
「どっかいっちゃったデス?」
「いえ、壊されてしまいました……」
「そっか。じゃあ、ひとまずこれを使って」
「ありがとうございますわ」
命子は自分のサーベルをささらに貸した。滅多に使わないがいつもカッコ良いから二振り持っているので、問題ない。
「じゃあメリスを助けに行こう!」
「うん」
「ニャウ!」
「はいですわ!」
元気に返事をする少女たちを見つめる教授は、その中でもささらとルルについて考えた。
このカプセルは入っているだけで自動的にマナ進化を誘発できるが、おそらくとても効率が悪い。命子がわずか半年足らずでマナ進化できたことを考えれば、簡単にわかることだ。
教授は地球さんがレベルアップしてから、研究ばかりしていたわけではない。『見習い魔導書士』『研究者』『修行者』をマスターし、今では『見習い精霊使い』になっている。
それを踏まえたうえで、自分は13年もかけなければマナ進化しないと測定されたのに、ささらはあと20日でマナ進化すると測定された。
「つまり、通常のマナ因子の蓄積方法ならば、いつマナ進化してもおかしくないのか?」
教授は、まったく同じタイミングから鍛えに鍛えてきた二人の少女を見て、密かにウキウキするのだった。
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、感想、評価、大変励みになっております。
誤字報告も助かっています。ありがとうございます。
ちょっと師匠が町中で四輪ドリフトするレベルで師走が極まってるので、感想返しが遅れています。申し訳ありません!