8-5 三保の松原と海上調査
本日もよろしくお願いします。
「め、命子ちゃん!? 嘘だろ!?」
「うぉおおお、生ささらさまだ!」
「今、突然現れたぞ?」
羊谷家から三保の松原まで強制的に転移させられた命子たちをたくさんの人たちが目撃していた。
しかし、大騒ぎな周囲に反して、命子たちの注意は緑色の魔物に注がれていた。
その魔物の二足立ちした体高は50センチほどか。綺麗な緑色の毛並みをしており、シャープな顔立ちで額に赤い宝石がついているのが特徴的だ。
今は二足立ちして顔をカシカシと掻いたり、見つめる命子たちへ向けてコテンと首を傾げたりと愛嬌を振りまいていた。
「みんな、油断しないで! こいつ、凄まじい魔力を持ってる!」
【龍眼】で魔物を見た命子は、すぐにこの小さな魔物の異常さを見抜いた。
命子が【龍眼】を得てから見た魔物の中で一番の強さを持っていたのは、鎌倉ダンジョンのヘイケガニだ。あれはボスだけあって自分たちの何倍も魔力を有していたが、その使い方はそこまで凄いものとは思えなかった。事実、命子たちでも苦労せずに倒せるのだから、命子の見立ては合っているだろう。
しかし、目の前の魔物はヘイケガニに匹敵する魔力を小さな体に有しているうえに、見たことのない魔力の使い方をしていた。
わかるところだけで言えばルルに似た敏捷性を高める魔力の使い方をしているが、これはルルを超えた完成度を持っている。
さらに現在進行形で魔力が回復している様子で、それはつまりパーティで挑むボスを超える魔力を持っていることを意味していた。
全員が命子の言葉の通りに心の戦闘スイッチを入れる。
そんな中で馬場だけが他とは少しだけ違う行動を取った。腕時計を操作し、針を調整するネジであるリューズを引き抜く。それが引き金となり、命子たちの緊急事態と位置情報が送信された。
「弱点はおそらく赤い宝石だよ。私の角みたいに魔力を上手く操る器官みたい」
命子はさらに続ける。
しかし、そんな命子たちの緊張とは裏腹に、緑色の魔物は首を傾げる。
「みょるん? みょるん!」
変な鳴き声をした緑色の魔物は、二足立ちになって前足を上げて挨拶した。愛嬌たっぷりだ。
だが、今の命子たちは修羅モード。
かつて無限鳥居でウサギさんやたぬきさんをぶっ殺して周った時と同じ命をかけた真剣なモードだ。この程度の愛嬌では惑わされない。
命子はなるべく大きな動きをしないようにして武器ケースのカギを開けていき、ささらたちはすぐに魔法を発動できるように気構える。
そんな緊張した場面で、片手を上げた魔物にアイがぴゅーんと飛んで近づいてその手にハイタッチした。
可愛い耐性の低いささらとルルとメリスと馬場が唇をギュッと噛む。
一方、修羅度が高い命子は特になにも感じない。必要なら斬る所存だが、教授の手掛かりになりそうなので対処に困っていた。
紫蓮は転移の謎について考えて、可愛い鳴き声はドスルーだ。
「羊谷命子。目が普通の魔物と違う」
紫蓮の指摘に、命子は頷く。
この魔物は可愛らしい円らな黒い瞳をしていた。キラキラと輝いておる。
「うん。天狗たちと同じかもしれない」
魔物の目は二種類ある。キレキレな赤い目か、それ以外か。
この二つで、後者の魔物を目撃した人は、必ず彼我の力の差に震え上がることになる。ほぼ難易度変化級ダンジョンでの目撃例しかないが、魔力を感知できない者でも本能で絶対に勝てないとわからされてしまう。
この緑色の魔物にそこまでの脅威は感じないが、勝てない可能性は十二分にあり得た。
命子たちが警戒していると、アイが命子のリュックの中に飛び込んで、お菓子を持って出てきた。
教授の顔をしたアイが、命子の眼前で一口サイズのチョコを両手で持って、首を傾げる。命子は萌えた。
アイはそのまま魔物の下へ行くと、チョコの包装を取って魔物に差し出す。
魔物はチョコの匂いを嗅いでから両手で受け取ると、口の中に放り込んで、みょるんと嬉しそうに鳴いた。
アイはふむと頷き、魔物をちらちらと見ながらミニ手帳に書き書きする。
「どうやら危ない魔物ではないみたいだね」
その一連のやりとりに、命子たちはすっかり毒気を抜かれてしまった。
「本当に魔物デス?」
ルルの指摘にささらがたしかに一理あると思った。
「そうですわね。普通の動物がマナ進化した可能性もなくはありませんか」
「でもさっきの転移は凄い。マナ進化したばかりの動物が使える魔法とは思えない」
命子よりも前にマナ進化したということはあり得ない。つまりここひと月あまりでマナ進化したことになるが、普通の動物よりもちょっと強くなった程度の生物が転移という凄まじい力を持っているのも不思議に思える。
「それとも我らが思っているよりも転移は難易度が低い?」
「さすがにそれは……」
「精霊が力を貸しているかもデスワよ?」
紫蓮たちは転移系の魔法に一番近いところにいる命子へ、意見を言ってほしそうに視線を向ける。しかし、命子の関心はすでに魔物になかった。
「アイ。教授はどこに行ったの?」
命子の質問に、アイはミニ手帳を開いて見せた。
命子はアイのミニ手帳がラクガキしか書かれていないとわかっているので、それをスルーして質問する。
「教授は生きてるの?」
「っ!」
アイはふむと頷いた。
その答えを見た命子はホッと息を吐き、そして同じく馬場が涙ぐんだ目を袖で拭った。
「アイ。私たちを教授の所まで運べる?」
命子の質問に、アイは首を傾げ、緑色の魔物の下へ飛んでいき、顔を突き合わせてなにやらコミュニケーションを取り始める。
「こいつはなんなんだろう?」
「カーバンクル」
「紫蓮ちゃん、私も同じ名前を勝手に想像した」
命子と紫蓮は同じ名前を付けていた。
なので、一行はこの魔物をカーバンクルと呼ぶことにした。
しばらくすると、アイが命子の眼前に飛んできた。
「教授の所に私たちを運べそう?」
再びした命子の質問に、アイは腕組みしてふーむとはっきりしない態度。そして、ミニ手帳をバッと広げて見せてきた。
命子はここに来て怪訝に思った。
「ちょっと見せてね」
ミニ手帳を受け取った命子は、目を凝らして細かなラクガキを見た。
アイのラクガキは、幼稚園児が色ペンで描いたような絵だ。違う点として、幼児が太いペンを使うのに対して、アイは精霊に合わせた小さなペンを使っている。必然的に線が非常に細い。
以前、命子が見た時はぐちゃぐちゃした線描で何が描かれているのかまるでわからなかったのだが、これはすでに何冊目かのミニ手帳で、最初のページからある程度なにを描いているのかわかる程度に描写力があった。
アイの手帳には、『教授』『教授とよく一緒にいる研究者』『ウサギ』『よくわからない二本の棒と丸』『変な模様』がほとんどだ。『二本の縦線と丸』についてはタカギ柱だろうと教授は言っていた。
後半に行くと、それらの絵に変化が訪れた。
「んー、これはなんだろう。人? 教授? 寝てる教授?」
命子は前のページに同じような描写があったことを思い出す。
基本的に、アイはその時見ているものしか描かない。つまりこの時間帯の教授は寝ていたのだろう。
「これは魚? こっちは……バネ風船? いや、バネ風船ってなんで? そう見えるだけか?」
最後の方のページに描かれている絵を見た命子は首を傾げた。
さらにページを進めると、よれよれの枠に収まった謎の生き物がたくさん描写されていた。
そして、教授がニコニコ笑っている顔も描かれている。
「教授がどこにいるのかさっぱりわからない件。でも馬場さん、教授はめっちゃ楽しんでいるみたいです」
命子は馬場にミニ手帳を渡して見せた。
目を細めてそれを見た馬場は、ハッと鼻で笑う。
「いい気なもんね」
皮肉げにそう言う馬場だが、心底嬉しそうであった。
「だけど、問題はどこに居て、どうやって迎えに行けばいいのか……」
先ほど自分がやるべきことじゃないと判断した命子だが、すでに状況は変わった。教授は無事であり、なんらかの方法で救助に行ける目がある。ならば全力で考えるべきだろう。
「それとも教授は自力で戻ってこれるのかな? アイはわかる?」
命子の質問に、アイは首を傾げた。わからないようだ。
「羊谷命子、これ見て」
いつの間にか馬場からミニ手帳を借りていた紫蓮が、命子に言う。
それは最後のほうにあるページであった。
「これは木かな?」
「松っぽい」
命子は『松』というキーワードから、なんの気なしに松林に視線を向ける。
浜辺にはたくさんの人だかりができており、遠目に命子たちを見ていた。
彼らはカーバンクルライダー精霊がこの地で休憩していた情報をキャッチして、近隣の市町村から来た人たちだった。羽衣伝説があるこの地でファンタジー生物が休憩したということが、彼らの好奇心を刺激したのだ。
だから、ぶっちゃけ、凄く命子たちと情報を共有したかった。
対する命子たちは、ダンジョン探索に行ったりすると入り口で同じように多くの人から注目を集めるので、すでにこういう状況に慣れてしまっていた。
そして、彼らの背景にある松林を【龍眼】で見た命子は、冷や汗を流した。
「お、おうふ……。ねえ、ささら。ここはなんで観光地になってるの?」
「三保の松原は富士山が美しく見える名所として大昔から有名ですが、特筆すべきは『羽衣の松』という天女の羽衣が松に掛かっていたという伝説があることですわね」
「な、なるほどね。たぶん、その伝説はシークレットイベントかなんかに関係があるよ」
命子が告げた言葉に、全員がギョッとした。
特に宮仕えの馬場が顔を青ざめて問いただす。
「なにが見えるの!?」
「松林全体が光ってて、その光が海の向こう、あっちの方角へ光の橋を作って伸びています」
命子は橋と言ったが、見る人によってはトンネルとかスロープと言っただろう。とにかくアーチ状の光の筒が海の彼方に向けて伸びていた。
命子が光の橋が伸びる方へ指を真っすぐに向ける。
命子たちは知らないが、その方角を地図上に線引きすると、とある謎生物が爆走したルートと完全に重なり合っていた。
「海へ向けてかかる光の橋……アイが描いた魚……偶然?」
紫蓮の呟きに、命子が反応する。
「じゃあ教授は海の中にいるってこと? も、もしかして海の中のダンジョン?」
「ダンジョンとは限らない。海の中にシークレットイベントがあってもおかしくない。海底神殿みたいな」
紫蓮の想像に、好奇心が命子の背筋をすすぅっと撫でていく。
「それは確かに。馬場さん、海底探索艇とか使えないですか?」
「人が入るタイプは無理ね。今の海はダンジョンができてなにが起こるかわからないから、無人機しか使えないわ」
「ぬぅ……。ん?」
悔しがる命子は、こちらにヘリコプターが向かってきていることに気づいた。
「私が出動要請したのよ」
先ほどの緊急事態の合図を受けて、近くの基地からやってきたのだ。ささらたちはそんな素振りを一切見せなかった馬場に感心した。
そんな中で命子はヘリコプターを見て、閃いた。
「馬場さん。お願いが一つあります」
命子たちは今、ヘリコプターに乗って海上を移動していた。
陸地はすでにはるか後方で輪郭が見える程度の彼方にある。
「海……サメ……」
紫蓮がポツリと言う。なにかがあって海に投げ出されたらどうしようとビビッていた。
一方、ルルとメリスは海をあまり見たことがないので感動しており、カーバンクルを抱えたささらはあまり窓に触らないでほしくてハラハラだ。
アイを頭に乗っけた命子は馬場と一緒に窓の外を眺めて、例の光の橋の行方を追っていた。
「まだ終点は見えないの?」
「はい。ずっと先まで続いてます。ちなみにこの辺りの海の深さはどのくらいなんでしょうか?」
「水深4000メートル前後ですね」
命子の質問に、同行する空自の隊長が答えた。
「ひぅうう、羊谷命子……」
深すぎる深度を聞いた紫蓮が、ビビッて命子の腕に抱きつく。
サメが苦手な紫蓮だが、実は違った。自分では気づかないが紫蓮は海洋恐怖症なのだ。真っ暗な海の中に自分が沈んでいく姿を想像して、怖くて仕方なかった。
命子はそんな紫蓮の背中を抱いて、そのまま自分の太ももの上に頭を乗っけるように促す。そしてよしよしと頭を撫でてあやした。紫蓮は命子の腰に抱き着きつつ太ももの付け根に顔をピットイン。すぐに大人しくなった。
「もうそろそろ帰還を考えてください」
パイロットから連絡を受けた隊長が馬場と命子に言う。
航行距離的にまだまだいけるが、乗せている人が人なので、あまり陸地から離れるのは無理だった。今だって、もしものために二機のヘリコプターが追随しているくらいだ。
そう告げられて五分後。
馬場が帰還を促そうと口を開きかけたその時、命子が声を上げた。
「あそこです!」
命子がそう言って指示を出す。
命子の目には光の柱が海面下に伸びているのが見えていた。
しかし、命子以外に光の柱は見えず、他の場所と変わらず波打つ水面しか認識できない。
「アイ。教授はこの真下にいるの?」
命子の質問に、アイはふむと頷いた。
「すぐに海自へこのポイントを知らせてください」
馬場の指示で隊長はデータを送信する。
「命子ちゃん。ここから先は海上自衛隊に任せましょう。海の中は専門家じゃなければ無理だわ」
「はい……」
命子は紫蓮の頭をなでなでしながらしょんぼりと海を見つめた。
しかし、ふと命子は異変に気付く。
ブクブクと大量の泡が海面に浮かび上がっているのだ。
「あっ、見て馬場さん。なにかブクブクしてる!」
「すぐにこの場から離れてください!」
命子の発見を聞いた馬場がすぐさま反応して指示を出す。
命子は泣きそうな顔で馬場を見るが、親友の安否よりも自分たちのことを一番に考えてくれている人に文句は言えなかった。
海域から離れるヘリコプターの窓にかぶりつく命子は次なる異変に気付く。
光の橋の角度がちょっとずつ上に向かっているのだ。
それは命子にしかわからないことだったが、続く光景に全員が息を呑むことになった。
ザザザザザザザザザァアアアアアアア!
海上のど真ん中では聞けないようなけたたましい水の音。
「きょ、教授……あ、あわ……嘘やろ」
白波を立てて真っ白な巨大な何かが海面に姿を現し始めた。
それはどんどん海面上に姿を現していき、どこかで止まるだろうという常識的な予想をあざ笑うかのように、やがて海面を飛び越えて空へ浮上し、ヘリコプターの高度すらも超えて天に昇っていく。
完全に姿を現したそれは、空に浮かぶ白い建造物であった。
「教授ぅうううう! 超面白いことに首ツッコんでんじゃんよぉおおおお!」
大興奮の命子の叫びが上がる中、マナを視ることができないパイロットが事態の異常性に動揺して光の橋の中を一瞬だけ通過する。
「みにゃーっ!?」
その瞬間、ルルの悲鳴があがった。
「シャ、シャーラとメリスがいなくなっちゃったデスぅ!」
カーバンクルを抱っこしていたささらと、その隣に座っていたメリスがヘリコプターの中から消失していた。
読んでくださりありがとうございます!
ブクマ、感想、評価、大変励みになっております。
誤字報告も助かっています。ありがとうございます!