8-3 教授の冒険
本日もよろしくお願いします。
謎の建造物に教授はワクテカした。
その表情は命子とお喋りしている時のように口角が上がり、その命子が宝箱を前にして見せるように目をキラキラさせている。
教授は頭上を見上げて光源が特にないことに気づき、手のひらを水平にして、どのように影が落ちているのかを調べる。
床に膝をついてトントンと叩いていると、埃が積もっていないことを発見する。
深海に面した壁を軽く叩いたり、スマホで光を当てて、どれほどの厚さになっているのか調べると、恐ろしいことに10センチに満たない薄い素材でできていることに気づいた。
教授はその場から移動せず、子供みたいに目を輝かせてそんなことを続ける。
その近くではアイが教授の真似をして、一つの行動が終わるたびにミニチュア手帳にラクガキという名のメモを取って、満足したようにふむと頷く。
「光源が見当たらないのに物体を視認できるのはダンジョンの構造に似ている。しかし、そうなるとバネ風船が私を攻撃しなかったのが謎だ。むっ、噂をすれば……」
廊下の向こうからバネ風船がやってきたので、教授はアイを回収しつつ廊下の片側に退いた。
最近の教授はジョブを『見習い精霊使い』にしているので、アイさえいればすぐにバネ風船程度なら一撃で葬れる魔法を放つことができた。
バネ風船は教授の前をスーッと通り、廊下の奥へと消えていった。
教授はこの奇妙なバネ風船に攻撃を加えなかった。
その理由は二つある。
まず、この建造物内の魔物がバネ風船だけとは限らない。どうしてかわからないが現状でこちらを攻撃してこない以上は、攻撃対象にされるトリガーを引くのは愚策だ。
そしてもう一つは、これが自分の知っているバネ風船ではない可能性を考えてのことだ。
RPGには色違いの魔物が出るのはよくあるし、色違いは格段に強くなる場合だってままある。
「あるいは……」
教授は想像を発展させる。
ダンジョンの魔物の中には、人の創作が由来だと判明している種類が相当な数存在する。その創作物の根源には、異世界から流れてきた概念が関わっているらしい。以前、命子たちが持ち帰った情報によれば、天狗にもジョカ人というモデルがいるのだとか。
教授は、このオリジナルとなっている異世界の生物たちは、地球にあるダンジョンに存在するものよりも遥かに強いのではないかと考えていた。
なにせ、地球さんが言うところの『先輩のお星さま』でマナ進化というものをずっと続けてきた生物たちだ。かつて最弱だった命子のみならずファンタジー1年生である我々が簡単に倒せるとは思えなかった。
おそらくダンジョンにいる全ての魔物は、我々地球上の生物のために意図的に弱く設定されているのではないかと教授は思うのだ。それは彼のバネ風船も例外なく。そして、現状でまったく太刀打ちできない天狗ですらも弱体化しているかもしれない。
「まあいずれにせよ攻撃はできんな。探索を続けよう。アイ、行こうか」
「っ!」
教授の言葉に、アイはふむと頷いた。
「そういえば、ウサギは一緒に飛ばされなかったのか?」
教授はウサギの謀反で転倒した際にびっくりして目を瞑っており、その後は転移の衝撃で気を失っていたので、ウサギがどうなっているのか知らなかった。
「まあいい。一緒に来ているにしてもウサギはダンジョンに強いからな」
全世界的にウサギが虹色の渦のダンジョンにぶち込まれたが、その全てでウサギは生還している。戦う気が一切なかったので魔物の標的にされなかったのだ。ここがダンジョンかどうかはわからないが、臆病ゆえに生存率が非常に高い生物であった。
教授はアイを連れて、探索を始めた。
教授がもともといた部屋は廊下の片側にあった。特に入り口らしい構造はしていないのだが、青い枠で縁取られており、それが片側の壁にかなりの数が並んでいた。
教授は試しに一つの青枠に触れてみる。
すると壁に線が現れて、そこからカシャンと開いた。
「ううむ……」
教授が触れる前の壁には継ぎ目が存在しなかった。凄まじく高度な技術が扉一つに使われているのが窺えた。
「むっ、やはり魔力が1点減っている。壁を開けるのに魔力を使ったのか」
この施設の由来が科学ではないと推測した教授は、ステータスを見てこの施設が魔導文明のものなのだと理解する。あるいはC級などの未探索ダンジョンはこういう仕組みがあるのかもしれない。
開けた扉の先は、教授がいた部屋と同じでベッドと机セット、戸棚が一つあるだけだった。
戸棚を開けるがなにも入っていない。
「居住区なのだろうか。しかしそうなるとなにを目的にしていたのか」
その後も青い枠の先にある部屋を回り、教授の中でダンジョン説からシークレットイベント説に傾いていく。
そんな独り言を拾って、アイが大真面目な顔でコクコクと頷いてラクガキとして残しておく。特に意味はない。
「もしくは、地球ではない別の世界に来てしまったのか。むっ、むむぅ!」
何個目かの部屋から廊下へ出た教授は、テンションが猛烈に上がる場面に遭遇した。
廊下の少し先で、バネ風船がその丸い手から光り輝く光線を床に向かって放っているのだ。床には黒くて丸いものがいくつか落ちており、光線を受けたそれは見る見るうちに光になって消えていく。
「おーっ、見たまえアイ。やはりバネ風船ではないようだぞ」
「っっ!」
バネ風船は世界でもトップクラスで狩られている魔物だが、その攻撃手段はバネを伸ばすパンチとジタバタパンチのみ。魔法や高度な戦闘技術を使ったという報告は一件もない。もちろんドローンなどで観察もされているが、人が見ていないところで実は魔法を使っているなんてこともない。
「しかし、ふむ。あれはウサギの……。やつもここに来ているのか」
自分が寝ている間に部屋を抜け出したのか、ウサギはすでに探索を始めているようだった。
「ふっ、賢いウサギだとは思っていたがやるじゃないか」
これは負けてられないぞ、と教授は探索を再開する。
それから廊下に連なる部屋を探索してまわるが、全ての部屋で人が暮らしていた痕跡はなかった。
バネ風船がウサギの粗相を処理していたし、彼らが整えているのかもしれない。
廊下は緩やかなカーブになっており、ほどなくして初見の物を見つけた。
青と赤の水面のようなものが張られたゲートが一つずつ壁にあるのだ。二つのゲートの間には、この建造物の見取り図が飾られていた。
「ふわわぁー、10層もあるのか!」
教授の口からワクワク物質が具現化する。
思わず見取り図に触れると、見取り図がブンッと音を立てて立体図となって廊下に浮かび上がった。
「魔導文明はこんなに進んでいるのか?」
教授はすぐにステータスをチェックすると、魔力が3点減っていた。
教授の魔力は180ほどもあるのでまだまだ余裕だが、少し心配になってきた。これが魔導の粋を極めた文明が作った物だとすれば、魔力量180というのは赤子以下の可能性もあるのだ。起動できない装置が出てくるかもしれない。
改めて見取り図を見る。
この施設はCの字を描くような造りをしており、Cの字の開いた場所の先には巨大な岩があることを表記していた。
「この施設はこの岩に関わりがあるのか?」
見取り図にわざわざ表記するということは、重要なものなのだろう。
それと同時に、教授はキスミアのフニャルーを思い出す。この岩もまたそういうものの類かもしれない。
教授は漆黒の闇が広がる深海を見つめるが、岩の存在は見えない。岩はとても大きいと見て取れるが、見取り図が正確なら2、3kmは離れているのでさすがに無理はない。
教授は見取り図をしっかりと覚えてから今度はゲートを見た。
「青と赤のゲートか」
それはダンジョンのそれと同じだ。ただこちらのゲートは地面にある渦ではなく起立した水面という違いがある。
「まあ残念だが、なにをおいても脱出してこの場所のことを報告しなければなるまい」
教授は学者として世の中に伝えることを優先して考えた。なので選んだのは赤いゲートだ。
しかし、赤いゲートには入ることができなかった。
「ダンジョンと同じ仕組みではないのか。そもそもゲートではないのか」
続いて教授は青いゲートに向かった。ダンジョンなら次の階層に行く色だ。
こちらは赤いゲートと違ってすんなりと教授を通過させる。
ゲートを越えた先は、たくさんのゲートがあるラウンジだった。
自分が出てきたのは赤いゲートだったこともあり、教授は仕組みをなんとなく理解する。
「赤いゲートは出口専用なのか」
試しにいま出てきた赤いゲートに入ろうとするが、やはり入ることができなかった。
「魔力は……20点も使用したのか。しかし、その程度で転移が可能とも言えるか」
ゲートの上部にはそれぞれ文字が刻まれていた。文字は読めないがそれが階層を意味していることを教授は知っていた。先ほどの見取り図の各階層に同じ文字が割り振られていたのを記憶していたのだ。
「ふふっ、異世界の数字を取得したぞ。さて、これからどうするか……ひとまず一層目から見て回るか」
転移ゲートなんてことが可能である以上は、帰還する方法はどの階層にあっても不思議ではない。地球上だったら大体が1階か屋上のどちらかが出口だろうが、この場所はそういう常識が当てはまらないのだ。
教授はラウンジを歩いて1層目のゲートを見つけ、青いゲートへ入った。
「こ、これは……っ!」
1層目に移動して適当な扉に入ってみると、そこにはたくさんのカプセルが設置されていた。
カプセルの中は培養液で満たされており、そしてその中で動物や植物が浮かんでいた。
「ここは生体研究をしていたのか? いや、いやいやいや、なんだこの生物は!」
教授はカプセルの中の生物を見て、テンションを猛烈に上げた。
甲羅が飛行機の翼のように変化した亀、触手を持った哺乳類、フサポヨによく似ているが大きな口がついた球体生物、ミキサーのようなブレードが備わった捕虫袋を持つウツボカズラ……現代の地球上に存在しない生物や植物たちがそこにいた。
「これは生きているのか?」
カプセルの隣には見たことのない形式のモニターが稼働している。
モニターはまるでレーダーのように中心から外縁に向かって一定間隔で何度も波紋を打ち続けている。教授はそれが心電図モニターのように思えた。
「ううむ。異世界の動物なのだろうか」
教授はカプセルを一つずつ見て回る。
すると、一つのカプセルの前でハッとして足を止めた。
「むっ、お、お前は……!?」
そのカプセルの中にいたのは教授が飼育しているウサギだった。
「なんでお前はそんなところに入っているんだい。しかし、これは都合がいいな」
ウサギはふわりと目を開けると、教授を見て慌てて動き出した。鼻をひくひくさせながら一生懸命に前足をすりすりする。
しかし、教授は拝み倒すようなウサギの様子をスルーして、例のモニターを見る。
モニターでは他の動物とは明らかに違うとても小さな波紋が刻まれていた。
「これだけ興奮しているのに安静にしている他の生物よりも波紋が微弱だ。ということは心電図ではないのだろう。となるとファンタジーらしく魔力に関わりがあるのか」
教授がむむむっと考える横で、アイもコクコクと頷いてミニチュア手帳にラクガキをしていく。完全に博士と助手、そして被検体の図である。
教授はとりあえずウサギをそのままにして、別の生物を見て回った。よく知っているウサギがあの状態にあるのは、ぶっちゃけ比較になって都合が良かった。
そんな教授の行動に、ウサギの下剋上精神がむくむくと膨れ上がっていく。
一通り見て回った教授は、改めてウサギのもとに帰ってきた。ウサギは悔し涙を培養液に混ぜ込みながら、前足をすりすりする。
「特にボタンなどはないが……こうか?」
教授はモニターに触れた。
すると仮想ウィンドウが教授の前に浮かんだ。
まったく文字が読めないので、自分なら管理プログラムをこうやって作ると想像しながら操作していく。
いくつかの操作を繰り返し、教授は『はい』『いいえ』を推測する。
しばらくすると、それらしい画面に出た。
二つのカプセルの状態が画面上にあり、片方はウサギが浮かんでおり、片方はなにもない。この文明にも矢印が存在し、二つの状態を紐づけていた。
文字は読めないが、ここでもやはり『はい』『いいえ』を問われていた。
教授はチラリとウサギを見る。ウサギは悔し涙を培養液に溶かしながらジィーッと教授を見つめ続けていた。
この生物を消去しますか、と問われていたらどうしよう。
「まあその時はその時か。これだけの施設だ。食料は別にあるだろう」
不穏なことを呟く教授だが、幸いにしてカプセルに遮られてウサギの耳には届かなかった。
教授は先ほど学んだ『はい』を押した。
すると、カプセルの下から魔法陣が出現した。
教授と助手はワクワクした顔でその様子を観察し、ウサギは魔法陣から逃げるように上のほうへ泳いで逃げていく。
すぐに魔法陣が発光し、ウサギがカプセル内から消えた。
「む、むぅ、デリートの選択だったか……すまん」
教授は申し訳なく思った。
まあ今のは文字が読めなかったわけで、すでにデリートの文面の形は覚えたので次回からは気を付けようと反省する。
しかし、それは教授の勘違いだった。
ウサギは別の場所に転移し、体に付着した培養液を綺麗に洗い流されていた。温風を浴びせられ、口内に栄養剤をぶち込まれ、すっかり綺麗になったウサギは教授の足元に転移させられた。
「むむっ、お前、無事だったのかい?」
教授が問うと、ウサギはプイッと横を向いた。
ウサギは魔法陣が出現してワクテカする教授の顔を忘れていなかった。
「なにはともあれ無事で良かったよ。さあ、お前も一緒に行こう」
教授が言うと、ウサギの上にアイがガシーンと乗っかる。
寄る辺のないウサギは、今は従ったふりをする時だとそのあとに続いた。
ウサギを救助した教授は別の部屋に入ってみる。
そこもカプセルがたくさん並んでおり、教授はさっそく鑑賞し始める。夢中だった。
「ふーむ、ここはどういう施設なのだろうか」
知的生命体はおらず、施設だけが起動している。
地球人ならこの状態の施設を破棄するというのは考えられない。
そんなことを考えながら見学していく教授は、ふと一つのカプセルの前で足を止めた。
それは額に赤い宝石を持つ緑色の体を持つ小さな獣だった。
「カーバンクルというやつか? とても美しい生物だな」
教授は顎を撫でながら呟く。
すると、仮称・カーバンクルがふわりと目を開けた。
その瞬間、カーバンクルの額の宝石が輝き、その姿が消えた。
これが命子たちだったら瞬時に臨戦態勢に入っただろうが、教授は目をパチパチとして驚くばかり。
カーバンクルは教授からほんの2メートルほどの位置に出現した。
獣のように体を振るって培養液を体から飛ばすカーバンクルの姿に、アイは興味を引かれて近づいた。
「あ、アイ、ダメだ。こっちへおいで」
教授は慌ててアイに語りかける。
アイはその声を聞いて教授のもとへ戻ろうとするが、すでに勢いがついた体は一先ずカーバンクルの背中に着地した。
その一連の出来事の中で、イラっとした存在が一匹いた。ウサギである。
すぐ近くで体をぶるぶるしたものだから、培養液がもろに掛かったのだ。
見れば相手は自分と同じくらいの小さな生き物。
ウサギはオラついた。
「ブッブッ!」
鼻でそう鳴き、カーバンクルに向けて突進するふりをした。
その瞬間、カーバンクルがその場からふわりと消え去った。アイを連れて。
「あ、アイ……?」
教授は呆然とした。
その足元でウサギは勝利の余韻に浸るのだった。
読んでくださりありがとうございます!
ブクマ、評価、感想とても励みになっております。
誤字報告も助かっています。ありがとうございます!