7-12裏の裏 粋でいなせな佐藤さん
本日もよろしくお願いします。
避難所の自分のスペースに座り、佐藤は電話を待った。
掲示板にスマホの番号を入れるなんてかつてなら正気の沙汰ではないけれど、今なら祭りにならない確信があった。
『721、名無しの傍観者 イケメンすぐるwww 電話したろ(^o^)』
しかし、次の瞬間、掲示板を表示していたタブレットにそのコメントがレスポンスよく投稿され、一瞬にして確信が焦りに変わった。
まだ、こんなアホがいるんだなと。
「やべぇ。いっぱい電話がかかってくる感じか?」
ところが、いつまで経っても誰からも電話がかかってこなかった。
タブレットの掲示板を眺めていると、『反省している高橋』とかいう奴から、『イタ電してごめんなさい』といった内容の謝罪文がコメントされた。
不思議に思った佐藤は掲載した自分の電話番号を確認するが、間違っていない。高橋と721はIDが同一だった。
「どういう……あっ!」
次の瞬間、その意図を読み取ってハッとさせられた。
「ははっ、なかなか粋なことするじゃあねえか」
電話を待ちながら掲示板を読んでいると、一連の流れでたくさんの人が今後のイベントで掲示板がSOSに活用できないか考え始めた。そして、高橋のコメントによって、SOSに応えて掲示された善意の電話番号にイタ電すると、カルマがかなり減ると多くの者が『誤解』した。この情報はカルマ掲示板に挙げられ、SOS板のテンプレートになるだろう。
結果的に高橋が泥をかぶることになってしまったが、きっとこいつはパソコンの前でニヒルに笑っているに違いないと、佐藤は愉快な気持ちになった。
そうしていると、ついに佐藤のスマホが鳴った。
ディスプレイを見ると知らない番号だ。
「もしもし。佐藤です」
『え、あ、あの。もしもし……』
佐藤は相手の気弱そうな声を聞いた瞬間、声色を調整した。
優しく穏やかな声で言う。
「345か?」
『はい。あ、あの……』
「ん? どうした?」
そこで会話は途切れた。
受話器の向こうから、わずかに衣擦れの音や椅子から立ったり座ったりするような音が聞こえる。
佐藤が辛抱強く返事を待つと、スマホの向こうで謝罪された。
『僕のせいで迷惑をかけてしまって、ごめんなさい』
どうやら345も騙されているようだった。
そこでまたしても佐藤はハッとさせられた。
もしかして、高橋はこの謝罪の電話も含めて計算済みだったのか?
いや、確かに一歩間違えれば岩礁のカニのごとく、345は怖くなって隠れてしまったかもしれない。だから、これは345が自ら助かりたいと本気で願った結果だろうと、佐藤は考えを改めた。
「気にすんな。おかげでなかなか面白いことがあった。それで、お前はどこに住んでんだ? ふんふん……あー、あそこの大学生用のアパートか。分かった。20分くらいで行ける」
住所を聞き出した佐藤は避難所から出ていった。
夜の街はいつにも増して明るかった。全ての家が煌々と灯り、明日からのイベントに備えている。
騒がしさもいつも以上だ。避難はほぼ済んでいるが、避難した人たちが協力して避難所を開設する作業が未だに終わっていないので、その喧騒が道路にまで届いている。
「おっと」
最終点検をする自衛官が各家を一つ一つ訪問していた。
なんらかの事情で外に出られない状態の人を見逃さないように、戦闘犬まで一緒だ。
「こいつぁ、もうバレてるか?」
まさか見回りが今見えているチームだけということはないだろう。警察や消防も交えて町中で一斉にやっているに決まっている。ならば、345がまだ家にいるのがバレていてもなんら不思議ではない。
「うーむ。少し急ごう」
そんな独り言に戦闘犬が気づく。佐藤はあっという間に取り囲まれた。
「なにか町に御用でしょうか?」
「あーっと、実はですね」
自衛官の質問に佐藤はありのままを語った。
悪いことを考えていると思われても困るし、別段、隠す必要はないと考えた。
「なるほど。では、我々も同行します」
「わかりました。あー、話をするのは俺だけで、ひとまず皆さんは外にいてください」
同行は良いが、本人に会うときはご遠慮願いたかった。多かれ少なかれ、人は他者と自分を比べる生き物だ。これから会いに行く345には、過酷な訓練で得た豊富な人生経験を持つ自衛官の雰囲気は、少々毒だと佐藤には思えたのだ。まあ、それはたぶん自分でも同じだろうが、大勢で行くよりは良いだろう。
佐藤は少し足早に目的のアパートに向かった。
アパートは全ての部屋の明かりがついていた。なので、戦闘犬がいなければ隠れおおせたかもしれない。
『あ、開いてます……』
佐藤がインターホンを鳴らすと、中からそう返答があった。
佐藤は遠慮せずにドアを開け、家に上がった。
「よう、お前が345か?」
佐藤が言うと、345はポカンと口を開けていたと思うと、急激にもじもじしながらこくりと頷いた。
一年は切っていなさそうな髪はタオルウォッシュをしたのか半乾きだ。完全に乾けば跳ねてしまうだろうとわかる程度に手入れがされていない長い髪だ。
すでに準備だけは終えていたようで、お世辞にもセンスがいいとは言い難い服を着て、すぐ近くには膨らんだリュックもある。そんな様子から外に出るつもりがあるのだと見て取れた。
「な、なんで僕なんかのために、ここまでしてくれたんですか?」
少しの沈黙の後、345はそう問うた。
佐藤は、顎を摩って少し虚空を見つめる。
「理由はいろいろあるが……」
その最たるものは、ネットからの出会いのリスクが激減したからだろう。当然その大本にあるのはカルマだ。しかし、今更そんな分かり切ったことを言っても仕方がない。
佐藤は、その場に腰を下ろして盗賊団の親分みたいな座り方をした。
「強いて言うなら、縁だろうな」
「え?」
345は佐藤の顔を見た。そしてすぐに恥ずかしくなって視線を下げる。
佐藤はサバサバしてそうな雰囲気の日焼けした女性だった。
345は電話で声を聞いてイケボな男がくるのだと後悔したものだが、いざ会ってみてイケメンが来る以上に困惑していたりする。
そして、そんな佐藤の顔は記憶のどこを探してみても見つからない顔であった。縁と言われても思いつかないのだ。
345の思考を読んだのか、佐藤は小さく笑った。
「安心しろ。俺とお前に面識はねえよ。少なくとも俺はお前を初めて見た」
「そ、そうなんですか? じゃあ……縁というのは?」
「俺とお前は真剣に話したじゃねえか」
えっ? と345は困惑する。
そして、ハッとしてパソコンを見た。
「良縁も悪縁もあるだろうが、あそこにだって確かに縁はあるんだ。レスポンスが良い文通みたいなもんだ。違うか?」
345は頷いた。
正直なところ、345には肯定することしかできなかったのだが、頷きながらも佐藤の言葉に掲示板で多くの人とやりとりをした記憶が蘇った。あれらも一つの縁だったのかと、この時、初めて認識した。
それと同時に、利用し始めてからちゃんとマナーを守ってきて良かったとも思った。誰かへ己の内側にある不満や憎悪をぶつけたいと思ったことはあったけれど、それを実行に移していたら、やられたほうはきっと自分のように傷つけてしまっていただろうから。
佐藤の話を聞いて、なぜ自分がマナーを守ってきたのか345は納得がいった気持ちだった。自分も、目に見えないネットの向こうにいる人へ縁を感じていたのだろうと。
低い声はとても聞き心地が良く、345は俯きながらも一生懸命お話に耳を傾けた。
「お前は確実に助けてくれる国ではなく、俺たちを選んだ。それを俺が見つけた。それを縁と言わずになんて言う? そんな風に縁ができたやつが困っていて、同じ地域にいる俺なら大した労力を使わずに助けてやれるとわかっていた。それなら手を差し伸べてやるのが人情じゃあねえか? そう思ったから俺は今ここにいる」
「っっっ」
佐藤の言葉を聞いた345は慌てて立ち上がると、洗面台に行って水を流し始めた。
低いアルトの声で紡がれた優しい言葉は345の弱り切った心に直撃してしまっていた。
独りぼっちの世界だと思っていたけれど、自分のために何かをしてくれる人がいたのだと思うと、涙が止まらなかった。
残された佐藤は流しっぱなしの水の音を聞きながら立ち上がると、窓の外にいる自衛官に手で合図する。実は自衛官も、女性をよくわからない人物の部屋に送り込むとあって、心配でついてきていたのだ。
しばらくすると345が戻ってきた。
顔を洗ったようで前髪だけが濡れており、あとはすでに乾き始め、襟足などがくるんと巻いてしまっていた。
「す、すみませんでした……」
「謝る必要はねえよ。外には出られそうか?」
「……頑張ります!」
345は荷物を背負って気合を入れた。
玄関で靴を履き、先に佐藤が外に一歩出る。
けれど、345は足が震えて動けなかった。
緊張で体を震わせる345の手を、佐藤が優しく握った。
「気張る必要はねえよ。ただ祭りの見物に行くだけさ」
ニッと笑ってウインクする佐藤の顔を見上げて、345は顔を赤らめてぽけーと口を開く。
そうして、手を繋いだまま佐藤と345は外に出た。
一歩でも家から出れば吐いてしまうほど怖かったのに、345はすんなりと出ていった。というより、いつ家と外の境界を越えたのかわからないほどぽけーっとして、手を引かれていた。
大学で悪縁を繋いで傷つけられた345は、掲示板で良縁を紡いで救われる。
それは、後に佐藤とサヨコと呼ばれる鳥取の町が生んだ有名な冒険者の出会いであった。
しかし、なぜサヨコがサヨコと呼ばれるのかは、当人たち以外、誰も知ることはなかった。
読んでくださりありがとうございます。
【お知らせ】すみません、夏バテました。一回休み、次回は27日に再開させていただきます。




