7-12 温泉と太古の海
本日もよろしくお願いします。
本日の命子たちは、パーティ部屋にお泊りだ。
妖精店である程度欲しいものは揃えたので、たまには奮発である。いや、厳密にいえば、パーティ部屋は料理と入湯料がコミコミなのでお得ではあるのだが、切り詰めたい場合はやはり雑魚寝部屋のほうが安くなる。
パーティ部屋は、畳張りの和室だ。
入り口以外の三辺がとてもお洒落だった。ここは角部屋なので二方向の障子を開けると広縁を挟んで青い海中の景色が楽しめ、一辺は壁を伝うように薄く滝が流れている。ガラスが張ってあるのでその滝には触れられないのだが、なかなかに風情があった。
「デートスポットになりそう」
紫蓮がボソッと言った。
「おや、こういう所が恋人同士のデートに人気なんですか?」
命子は、んっ、と紫蓮の顔を覗き込んだ。
中坊は顔を真っ赤にして、んーっと命子を引っ叩いた。
それから18時くらいまで外で戦ってドロップ集めや修練に励んで宿に戻ると、そこにはいくつかのパーティがやってきていた。
「おーっ。賑わっとる」
命子は蒔いた種がすくすくと育っていることを実感する。命子ばかりの手柄ではないが、冒険者協会創設に携わった身としては嬉しかった。これはささらもルルも同じ気持ちであった。
「あっ、命子ちゃん!」
「あっ、お姉さんたち! 無事で何よりです。今来たところですか?」
それは命子たちと一緒にVR動画を撮ったお姉さんたちだった。
「三十分ほど前ですね。今は荷物を置いて一休みです」
このダンジョンは、偶数層でキャンプを張るのが難しいため、命子たちは7層で、お姉さんたちや他の冒険者は5層でキャンプをしていた。
中には事前に話し合い、合同キャンプをしたチームもあったことだろう。あまり考えずともDサーバーが合致するくらいには、このダンジョンの冒険者はまだ少なかった。
そんな彼女たちが座るテーブル席の上には、この妖精店のカタログが置かれていた。
「何か買うんですか?」
「ダンジョンの衣装は可愛いものも多いですからね。組み合わせ次第でいろいろなコーデができそうですから、普段使いにできないか検討しているところです」
「ほぇー、なるほど……」
妖精店を服屋感覚で使っているのかと命子は驚くと同時に、感心した。
そんな命子は、チラリとカタログの開いているページを見ると、腹筋が浮いたお姉さんが水着のモデルをしていた。
命子たちが無限鳥居のカタログの春号を独占したように、この人物がこのダンジョンの水着を独占したのだろう。おそらく自衛官と思われる。
ちなみに、このカタログのモデルは本人に許可を取っていないのだが、本人が妖精店に異議申し立てをすると普通に変えてくれるらしい。その際には、そのダンジョンをクリアした者の中から別の誰かが選ばれるのだとか。
まあ命子は異議を唱えたりしないし、多くの人も同じだった。ある種、これもまた社会的なステータスだとみんな思っているのだ。新世界の黎明期を彩ったというステータスである。
初クリアチームはカタログを一冊持ち帰れるのだが、それを印刷なりして家族や知人に見せると大変に喜んでもらえたりもする。
まあそれはともかく水着である。
「これをどうやって普段使いに? 下着ですか?」
「それもありですね。命子ちゃんが履いてるぽっくりの歩行補正みたいに、戦闘用なので水着にも揺れ防止とかの補正がかかっているそうなんです。だから、下手な下着よりも良いかもしれません」
「へぇ……」
揺れ防止とな?
命子はそれがどういう概念かよくわからなかった。
「こんなもの……っ」
命子は角をむんずと掴み、なんでお前が生えて胸や身長が高くならなかったのかと嘆いた。絶対に人間的にはそっちのほうが簡単なはずなのに……っ。
それから少しお喋りして、命子たちはお部屋に戻った。
まずはダンジョンでの汚れを落とすべく、全員でお風呂へ行く。
すると、そこにはVR動画のお姉さんたちと他にも数名のお姉さんたちがいた。みんな考えることは同じなのだろう。
「人がいっぱいいる……」
命子はぬぅと思った。
オラオラな命子だが、ことボディにはコンプレックスがある。なので、大浴場は正直そこまで得意ではなかった。もちろん温泉好きではあるのだが。
さて、他にも人がいるので本日の馬場は大人しい。以前は、脱ぐのをやたらと手伝おうとしてきたのに。さすがの馬場も、通報が怖いのだろう。
「ふわぁ!」
先に来ていたお姉さんたちが、浴槽エリアへ行くなり、順番に歓声を上げる。
こうなるとダンジョンソムリエの命子は気になって仕方ない。自分もふわぁしたい。
急いで服を脱ぎ、タオルで身体を隠し、いざ浴室へ。
「ふわぁ!」
命子もふわぁした。
まず目に飛び込んでくるのは、正面の大きなガラスの壁。その向こうは青い海中の風景になっているのだが、見たことのないでっかい魚が泳いでいる。彼らはこちらに気づいていないようで、水族館のジュゴンみたいな愛嬌を振りまくことはない。
左右の洗い場はこの宿でよく見る、壁伝いに流れる水の滝で、埋められた石が淡い光を放っている。
「完全にデートスポットや!」
「んーっ!」
そうやって感想を言う命子のおしりを紫蓮が引っ叩いた。
そんな風にしてお風呂タイムは始まった。
まずはいつものごとくささらとルルが洗いっこを始め、それを目撃したお姉さん方は女子高生の最新の流行にすげぇっとなる。まあ勘違いなのだが。
命子もせっかくなので紫蓮の頭を洗ってあげ、お返しに洗ってもらう。
命子は頭を洗う時、角を取り外すことにしていた。現在は紫蓮に頭を洗ってもらって、自分は取り外した角を石鹸で丁寧に洗っている。「こんなもの……っ!」とか言っておきながら、実のところ、めちゃくちゃ気に入っていたりする。
「あ、あの翔子お姉さま。よかったらお背中流します」
「んぇ? え、そ、そう? ありがとう」
「わぁ、肌すべすべですね。それにちゃんと筋肉もついてるし。素敵です!」
「あ、うん。ありがとう」
普段絡む側の馬場は今回大人しいのだが、代わりにVRお姉さんに絡まれた。
しかし、馬場は自衛隊に所属していたので女同士で背中の洗いっこなどは慣れていた。
そうして体を洗い終わると、湯船に入る。
タオルを頭に乗っけて、命子はほぇと目を細めた。お風呂で眠くなっちゃった幼女の顔つきに酷似しているが、ただ気持ちいいだけで眠くはない。
そんな命子にお姉さん数人を近くに侍らせた馬場が言う。
「命子ちゃん。この宿のガイドは見てこなかったんだよね?」
「んぇ? あ、はい。新鮮な驚きを味わいたかったので」
命子はのほほんとした顔をお話モードに切り替えて馬場に向き直る。
「じゃあほら、外の景色を見てると面白いわよ」
馬場が指さしたのは、大ガラスの先にある海の風景。
するとすぐに、大窓の端から一匹のでっかいサメがぬぅっと現れた。泳いでいた魚たちは大急ぎで逃げていく。
「さささささサメ!」
紫蓮が狼狽える。しかし、この場所は絶対襲ってこないという信頼感があるので、実のところ、そこまで怖くなかったりする。そもそもサメ嫌いは半ばネタだし。
そんな紫蓮の狼狽えたセリフに、ルルがプフーッと噴き出す。
「さささささサメデス! シャーラ、ねえねえ、ささささささらみたいデス!」
「もうルルさんはぁ」
自分の名前をからかわれて、ささらがルルのほっぺをむにーと伸ばす。
お風呂の中でにゃふーとそれに応戦するルル。
一同はサメのこと一瞬忘れて、お湯を波立たせてキャッキャとボディタッチする二人に目を向けるが、すぐに海へ顔を向けた。若干、命子の視線が遠い。
「さ、サメだ!」
命子は強引にリセットしてサメを指さした。
「きゃっ! こ、怖い……っ」
そう言ったのは、VRお姉さんの仲間の一人で、命子のセリフを利用するように馬場の腕に抱き着いた。湯船の中のことなのでやはりモロである。
命子と紫蓮はそんなお姉さんを見てから、またすぐに海へ顔を向けた。
「し、紫蓮ちゃん、サメだ!」
「え、う、うん!」
命子は再びテンションを上げ、紫蓮はお姉さんの流れるような怯え方を……することができずに歯噛みする。お姉さんのそれは熟練の技だった。
「でもこのダンジョンってサメの魔物は出てこないんですよね? って、うおっ、首長竜だ! あー、サメさんがぁ!」
「ざまぁ」
命子が疑問に思っていると、サメはいきなり現れた首の長い竜に食われてしまった。紫蓮は痛快に思った。
「やべぇ、なんだあの魔物。このダンジョンに出てくるわけじゃないよな? となると……馬場さん、もしかしてこの温泉の窓って、異世界の海の風景を映してるんですか?」
「あるいはそうかもしれないわね。でも、学者の間では、ここの映像は地球さんの記憶の一部だって推測されているわ」
「マジか!?」
「で、今の首長竜は『フタバスズキリュウ』っていう大昔の海生爬虫類だって言われているわね」
「昔の地球こえぇ……」
「今の命子ちゃんなら普通に恐竜くらい倒せそうだけどね。あいつらだってマナダメージは普通に適用されるだろうし。命子ちゃんが本気で水弾をボディに当てれば、たぶん致命傷になるわ」
「確かにそうですね。しかもあっちの攻撃は防具を貫通できないっていう。なんだザコか。まあ海のステージはあっちに有利だから無理かもだけど」
命子の発言を聞いていた周りのお姉さんたちは、英雄マジ半端ねえと思った。
とはいえ、これは相手が魔力を扱えないことを前提にした話だが。
「こういう映像ってこの温泉だけなんですか?」
「いえ、世界でいくつか見つかってるわ。ダンジョンの妖精店は例外なく温泉があるんだけど、たまにこういう仕掛けの温泉があるのよ。まあ、海の映像ばかりで、陸上の昔の映像は中東にある一件だけしか見つかってないんだけどね」
「へぇ。地球さんもいろいろやんなぁ」
命子はあまりニュースを見ないし、世の中が激動すぎてニュース自体の旬が一瞬にして切り替わっていくため、このことを知らなかった。
しかし、これは古生物学の世界を激震させていた。化石などからCGなどで予想するのではなく、母星の記憶が見れるのだから当然である。
現在、こういった研究をしている人は、シークレットイベントのこともあり非常に忙しくなっていたりする。
「ふむ」
命子はふと気になって【龍眼】を窓に使ってみた。
すると、巨大な窓一面にびっしりと幾何学模様と謎の文字が書かれていた。全て翡翠色をしていることからマナで稼働しているのだろう。
命子は慌てて【龍眼】を解除した。
非常に綺麗な光景だったが、今の自分には次元龍の魂と同様にきついものだと判断したのだ。
「羊谷命子。大丈夫?」
「うん。ちょっと対象が高度すぎた」
心配する紫蓮の言葉に命子はそう答えると、湯船の縁に座って湯冷ましする。
「今回は風流できなかったけど、なかなか面白い映像が見れたね」
「ざまぁ展開だった」
「サメにあたりがきついなぁ。っていうかサメ映画のサメって大体最終的にざまぁになってない?」
そんな思い出とともに、2泊3日のダンジョン探索は15層まで進めて終わった。
翌日、地上に戻った命子たちは冒険者協会が大変に騒がしいことに気づいた。
命子たち自身も帰還ゲートから出ると、すぐに誘導係の人から『スマホでニュースを調べてください』と教えられる。
「大きなことが起こっているらしいわね」
「そうみたいですわね。なんでしょうか?」
馬場とささらの会話を聞く命子は、ハッとした。
「も、もしやこのダンジョン周辺が次のイベント地になったのかな?」
命子は期待して外に出るが、空は夕日に染まる美しい茜色だった。イベントではないらしい。
今日は風見町防衛戦が終わって、6日目だ。つまり、命子たちがダンジョンに入っている間に、すでに風見町には魔物が出始めている。
もしかして、風見町で問題が起こったのかもしれないという不安がよぎる。
真剣な顔をしてみんなでスマホで検索すると、世界20か所でイベントが始まろうとしていた。
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