7-8 一層目とシャンプー
本日もよろしくお願いします。
ダンジョンに突入した命子は、すぐさまサーベルの柄に手をかけて周囲を窺う。
おっきなお目々をキリリとさせるのとは裏腹に、唇はむにむにと喜びに緩んでいた。
すぐに仲間たちが転移してきて、各々がしばし耳を澄ませて警戒する。
転移した直後は無防備になるため、こうやって警戒するのは初心者に推奨されていることだが、ダンジョンエキスパートな命子たちもしっかりやる辺りとても真面目であった。
そうして魔物が周囲にいないことを察した命子は警戒を解き、すぅっとダンジョンの香りを堪能する。
「あぁ、ダンジョンの香り……」
「女の子の匂いしかしないけど」
命子の感想に、馬場が率直に返答した。
「馬場さんはわびさびってものがないんだから」
「生意気言う言うー!」
15歳の女子高生にわびさびを教わる社会人の図。
だが、それが堪らない。若返る。
「さぁて、それじゃあ早速行こうか」
そう言った命子は、こぶしを作ってもう片手でもにゅもにゅした。命子は指ポキの原理がよく分かっていなかった。
それを見た馬場がこれ見よがしに、ポキポキと鳴らす。尊敬を集めたいので非常にさりげなく、それでいて視線はダンジョンの奥へ向かっている。わぁっと無邪気な瞳を期待して素知らぬ顔で待機する馬場だったが、命子には『指ポキ<<<越えられない壁<<<ダンジョン』である。一切の注目は集められなかった。
そんな寂しい馬場の前で、若人たちは地図を広げて地形のチェックを始める。
鎌倉ダンジョンの一層目は、平安貴族でも出てきそうな板張りの廊下風の造りをしている。
装飾などは単調なものだが、朱や茶、金色とカラーリングが日本人の美的センスに訴えかけてくるものがある。
命子とささらは特に和風ないでたちなので、とてもこのダンジョンの内装に合っていた。同じ和風でもルルはちょっと奇抜すぎる。紫蓮はお転婆シーフ風ファンタジー衣装なので違うし、馬場はコスプレ風秘書衣装なのでこちらもあまり風景には合っていない。
ちなみに、このダンジョンは浜辺に現れたダンジョンだけあって、階によっては水気が多いところもある。
「やはりダンジョンに入ってもらえるように内装も工夫されているのでしょうか?」
地形を照らし合わせて現在位置候補を何点か見つけてから歩き出すと、ささらが興味深そうに呟いた。
「F級以降のダンジョンはちらほらと凝った造りが出てくるわね。G級もたまにあるけど、やっぱり上に行くほど変わったダンジョンが多くなるわ。ささらちゃんの言うように、冒険させたいのかもしれないわね」
冒険を続ければ、マナ進化は早まる。
その冒険自体が単調なものでは飽きられてしまうため、上に行くほど見目も良いダンジョンになるのではないかとする推測は、割と多くの学者が考えていた。
まあその反面、キスミアの雪ダンジョンのような過酷な環境も存在するのだが。
そんな真面目な話をしているささらと馬場の横で、命子は紫蓮やルルに、「最初の魔物は私が倒していい?」と順番に聞いていく。浮かれポンチである。
「おっ、出てきた!」
二つ角を曲がり、現在位置が確定した頃に魔物が出てきた。
魔物は和風の鎧兜を着た体長50センチほどの武者人形だ。イメージとしては稚児の顔をした五月人形が近いかもしれない。目つきはキレキレだが。
この魔物は種類があり、カタナ、槍、マサカリ、軍配のいずれかを持っている。軍配は魔法を飛ばしてくる。さらに、馬に乗っている個体もおり、これはF級の中ではかなり速い部類の移動速度を見せる。
人形シリーズはダンジョンの世界各地で発見されており、その多くは宙に浮かんでいる。この武者人形もまた浮遊系の魔物だった。
ちなみに、人形シリーズと戦ったことのある人は、大抵、夢に見る。かくいう命子たちも市松人形の夢を見たことがある。目を開けるのが怖くなる類の夢である。唯一の救いは、目つきが赤いキレたものということだろう。これが無機質な類ならトラウマになる人が続出してもおかしくない。
とはいえ、夢は夢、これは現実。
命子は嬉々としてサーベルを抜いた。
「さてさて、ジョブを『小龍姫』にして初めての戦闘だぞ」
現在の命子は、『小龍姫』である。
そのジョブスキルの内容は、【龍脈回復 小】【龍脈強化】【小龍姫の魂】だ。最後の一つは成長促進で、他は龍脈の力を借りると良い感じになるスキルらしい。
地上での試運転で【龍脈強化】は身体能力を1割増しほどしてくれているように思えた。実質、場所を限定する【全能力アップ 小】みたいなジョブスキルであった。
対する相手は身長の倍ほど、つまり1メートルくらいの槍を持った武者人形だ。近接タイプなのでぶっちゃけて言えば魔法を放つだけで勝てる。しかし、それでは面白くない。
命子は接近戦をすることにした。
まん丸お目々がスッと勇ましいものに変わり、その瞳が紫色に光った。
意識を集中させた命子の目には、武者人形の手と槍、そして防具が淡く紫色に光って見えた。これは人間の場合でも似たように見える。
【龍眼】を得て分かったことだが、武具に纏わせる光はスキルの有無に関わらず誰しもが放っている。マイナスカルマ者だって同じだ。この光はレベルアップして修行を積めば強くなり、さらにスキルが加わると強さは増す。
さらに、通常攻撃を含む様々なアクションを行うと魔力の光に動きが現れたりする。
武者人形の光り方はささらに似ていた。
つまり、この魔物は【防具性能アップ系】【○○装備時物攻アップ系】を所持しているのだろう。リスポーンするダンジョンの魔物なので生かせる余地はあまりないかもしれないが、成長促進系のスキルも所持しているかもしれない。
今のささらたちを見ると、武者人形よりももっと濃く光る。紫のオーラを出せばそれはさらに鮮やかになる。
他にも注目できる点は多々あった。
例えば、鎧兜や槍はダンジョン産の武具であることがわかった。しかし、命子たちが持つものよりも圧倒的に劣っている。ダンボールアーマーよりも劣っているだろう。それ以下の防具は【龍眼】を得てから見る機会がなかったので正確には言えないが、恐らく防御力は20台半ば程度ではなかろうか。
これに【防具性能アップ系】スキルの効果が加わって、そこそこの防御力を得ている様子だった。
そんな風に命子が観察しているうちに、武者人形が近づき、間合いに入る。
浮遊する武者人形から割と鋭い突きが繰り出される。命子の顔面を狙った刺突だ。
命子はそれを軽々と躱して、回避と同時に斬撃を浴びせた。
仮に対峙するのが前時代の男性なら、どうやって自分が切られたのかわからないほどに、命子の動きは速く、流れるようだった。
「むっ、一撃で倒せないか」
しかし、曲がりなりにも鎧兜を着ているだけあって、武者人形は一撃を耐えた。
ちなみに、今の命子はG級など一撃だ。F級でも防御力が低ければ一撃である。ただし、命子は魔法のほうが強力なため、魔法ならF級で耐えられる魔物はそういない。
『浮遊』+『人形』という属性を持つ魔物は、ノックバックする弱点が存在する。武者人形は防具を装備しているからか若干ノックバックの勢いが弱いが、それでもその弱点はある。
しかし、命子は斬撃で弾かれた武者人形に追撃をいれずに、復帰するのを待った。
もはやこのランクのダンジョンではレベルアップは期待できないが、スキルの修練、特に【龍眼】で様々な動きを見たかった。
刃が和鎧を深く切り裂き、武者人形は光に還る。
命子は戦いの中で【龍脈強化】の恩恵を実感していた。
ダンジョンでも龍脈の力を借りられることに安心しつつ、全ての能力が少しだけ上がっていることに良い気持ちになる。
ピッと血糊のついていないサーベルを斜めに払い、もったいぶった様子で鞘に納める。
光に還った武者人形。
この魔物は、鎧兜や武器の残骸をランダムで落とす。稀に武器を落とし、極稀に和鎧や兜を落とすそうだ。
命子が拾ったのは、和鎧の二の腕辺りをガードする大袖の残骸だった。これは防具に【合成強化】するとかなり高い効果を発揮するらしい。また、この魔物が落とす防具の残骸シリーズは、生産職が作る和鎧の材料になる。
命子たちの防具は、すでに全て強化値マックスのため、これは紫蓮やMRSの生産用に確保である。時代が防具を求めているので、もちろん売るのもいいだろう。
「お疲れ様ですわ」
「うん。まあざっとこんなものかな」
戦闘が終わってやってきたみんなに、命子はクールに答えた。けれど、その顔は楽しさを隠しきれていない。
魔物を倒し、素材をゲット。これがいい。イベントでは魔物はたくさん倒したけれど、今回のことで素材をゲットするのも自分は好きなのだと、命子は再確認した。
少し歩き、次はささらが戦闘することになった。
やはり相手は武者人形で、今度は刀を持っている。命子がすかさず【龍眼】で見ると、槍の武者人形と武器のスキルが違うだけで性能はほぼ一緒の様子だった。ただまあ、命子も【龍眼】を使い始めたばかりなので、その奥底にはもっと細々とした情報もあるだろう。
それに対峙するささらは、イベントで『細剣騎士』をマスターした。
なので今のささらはジョブチェンジをして、『見習い風魔法使い』を始めた。ちなみに、現在の命子組は、全員が水、火、土、風の四属性の『見習い魔法使い』にいつでもジョブチェンジできる。
これにしたのには、いくつか理由がある。
一つは、携帯武力の向上である。これまではいつでも『魔法使い系』にできるようジョブ選択欄に出現させておくだけだったが、スキル化することでいつでも使えるようになる。
ただ、これについては日常に魔物が出るとあって、銃刀法のルールが一部改正されるかもしれない。むしろ流れ弾が怖い魔法の地上使用のほうが規制される可能性があった。【火魔法】なんて最たるものである。
もう一つ大きな理由として、どうやら覚醒した属性因子は武器の攻撃に付与できるようなのだ。
これはルルが最初に発見し、武器に氷属性を宿した。
続いて、藤堂と馬場も水属性が覚醒しており、武器に宿すことができた。というか、必殺技にも付与できた。藤堂のスラッシュソードが水属性を帯びたりしたのだ。
一方で、三頭龍戦に参加した小隊長は『水魔法使い』で誰よりも強く水属性を覚醒させたはずなのに、宿すことはできなかった。これは武器の【術理系】あるいは【○○装備時物攻アップ系】スキルを覚醒させていないからではないかという推測がされており、小隊長は実験台になっている。
ここで疑問なのが、これが武器だけのことなのか、という点だ。防具にも適用されるのではないかと考えるのは当然のことだった。
というわけで、ささらも新しい発見のためにこのジョブについたのである。
片手に丸盾を持ち、もう片手は無装備のささらである。いつもの和装の腰には当然サーベルはつけられているが、緊急用だ。
さらに、その周りには魔導書が一冊浮いている。ささらは【魔導書解放】を持っていないため、これは練習用だ。レベルアップの成長促進効果はスキルほどではないにしても普通に優秀なため、魔導書を動かして空間把握能力を鍛えている。これは、現在、パーティの全員が行なっていた。
「風弾ですわ!」
白い指ぬき手袋をつけた手を前に突き出し、ささらが唱える。
手のひらの前に半透明の薄緑色の球体が現れ、ヒュッと小さな風切り音とともに射出される。それと同時にささらの長い髪と着物が背後へと棚引いた。
10メートルほど離れた武者人形にヒットして、武者人形は弾き飛ばされるも倒すには至らない。
「風弾ですわ!」
もう一発撃つささらの髪が、やはり背後にふわりと流れる。
「シャンプーのCMみたいだぜ」
「めっちゃいい匂い」
「シャーラのシャンプーとリンスは『月虹』デス!」
「え、ブルジョワ」
【龍眼】で観察しつつ口にした命子の感想に、各々が反応する。
頻繁にささらと一緒にお風呂に入るルルからリークされた商品名がお高いもので、馬場が慄いた。
高校生に上がるまでのようにごく普通のシャンプー『お日様っ子』を使っていた命子ならば、ここでお話についていけなくなっただろう。月光ってなんですかと漢字すらも間違えたはずだ。しかし、今の命子は新世界で羽化した命子である。
「私、『ヴァルキュリア』使ってるよ」
命子は、別に普通のことだけど、みたいな様子で言う。
命子が修行せいしたことにより、冒険者の時代は加速したが、それに伴って各業界も時代のニーズを狙って動いた。シャンプー業界もまた然り。
そして、夏前に発売されたのが、戦う女のヘアソープ『ヴァルキュリア』である。CMは剣舞を舞っているキリリ系女子である。
命子はこれによりお姉さん力を向上させていた。最初に買うときはエロ本を買う男子中学生のように、キョドキョドしながら買ったのは内緒である。
自分のお姉さんっぷりを披露した命子に、ルルと馬場がへぇと興味を示す。
「ワタシは、『ナイトピクシー』デス! シャーラもワタシの家に来ると使うデスよ!」
「あ、あー、ないとぴくしーな。うんうん、良いよねあれ」
命子はうんうんとした。
「私は『アイリスティア』ね」
「あ、あっはーん。あいりすてあ。うんうん、馬場さんによく合ってるよね」
「え、わかるぅ?」
命子はあっはーんした。
まるで分からなかった。だってCMやってないんだもの。
そして、まるで分からない人がこの場にもう一人。中坊である。中坊はどこにでも売っているリンスインシャンプー、『お日様っ子』を使っていた。かつて命子も使っていたものだ。
高校生と社会人の高度なお話に混じれず、発言者の顔に視線を移しながら、所在なくしている。
「ちょ、ちょっとみなさん、見ててくださいましたの?」
「はわっ!?」
遠距離攻撃で一方的に武者人形を倒したささらが、ドロップ品を持って帰ってきた。
4人が声を揃えて身体をビクつかせる。命子もいつの間にか【龍眼】を解除してお話ししていた。
ささらの見習い風魔法使いデビュー戦は、皮肉にも本人の美しいふわふわヘアによって、シャンプーの話へ変換されてしまっていた。F級の魔物一体にささらが負けるはずないという安心感も原因の一つだ。
完全に見ていない様子に、ささらはちょっとだけぷくぅと頬を膨らませる。命子たちにもわからないその唇の変化をいち早く察知したルルが、慌てて対応を始めた。
「シャーラの髪が綺麗だから、みんななんのシャンプー使ってるんだろうってお話ししてたデス。魔法使ってふわわぁってなってたデスよ?」
ささらの髪を手に取って、ふわわぁと実践しつつ、ささらの顔をやや下方から覗き込んでにっこりする。あざとい。
それを見たささらの頬からしゅんと空気が抜け、もう、とルルのほっぺを引っ張った。
その時、ささらはふと気づいた。
今までの自分は、こうやって拗ねることなんて絶対にしない人間だったと。その理由は自分でも分かっていて、少しのことで対人関係を壊すのが怖かったのだ。きっと、見てくれてなかったのかと問うた最初のセリフさえ言わずに、心の中に押し込めて微笑んだことだろう。
そんな自分の大きな変化を発見したささらは、無性に嬉しくなった。
舐めプはダメ、ゼッタイ。
ささらの言葉で我に返った命子たちは、気を引き締め直して探索を再開するのだった。
読んでくださりありがとうございます。
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これも皆様の応援あってのことです。
詳しくは活動報告に記載しましたので、読んでいただければ嬉しいです。