7-6裏 とある青年たちの後日談
本日もよろしくお願いします。
ピピピピッと枕元で目覚ましの音が鳴る。
青年の意識が眠りの底から引き上げられ、瞼から透ける陽の光を眩しく感じ始めた。
呻き声を上げながら目覚ましを消し、無言のままベッドの端に座りなおした青年は、ドッとため息を吐いた。
「目覚ましさん。昨日の今日なのに、俺、仕事に行かなきゃダメですかね?」
目覚ましさんにそう問いかけた青年は、木曜日の夜から風見ダンジョンの攻略を始め、金曜日の夕方に風見町防衛戦に巻き込まれた。そして、土曜日にめいっぱい活躍して、イベントがすっかり終わって帰宅した日曜日はまるまるオフ。で、本日は月曜日だ。
「金曜日に有給使っちゃったし……ぐぅ……っ!」
今回の探索でボスを倒すという目標があったため、パーティメンバーと相談して、揃って金曜日に有給を取っていた。別々の会社に勤めているため、全員の有給が取れたのはひとえに彼らの勤務態度が良かったからだろう。まあ、有給申請が通らない時勢でもないのだが。
青年はぐだぐだと言うが、ぶっちゃけて、たぶん電話すれば休ませてもらえる確信があった。一方で、一昨日魔物たちと熾烈なバトルをしたとはいえ、特段、疲れてない。これから24時間働くことも可能だ。恐ろしいことに、鍛えたことでそういうスタミナになってしまっていた。
ただ単に、会社に行くのが面倒くさいのだ……っ。
ある種、これは朝の儀式みたいなものであった。毎朝これをやりながら、ずる休みして翌日に出社する気まずさを想像し、仕方なしに頑張るのである。
心を出社する方向に傾けつつ、もしゃもしゃとパンを食べながら、スマホを弄る。
風見町から帰宅する前に半ば強制で書かされたアンケートが早々に公表されており、お上の仕事も早くなったもんだなぁと感心しながら、アンケートの結果を閲覧した。
「おいおい。推定30万から35万も魔物が倒されたのか? よくあの町は無事だったな」
そんな独り言を呟きながら結果報告を見ていくと、『12時間の戦闘参加者 385人』という結果が目に入った。
その中の6人は青年とその仲間たちであった。他にも、共に戦った別パーティもほぼ休まずに避難所を背にして戦い続けた。
その時のことを思い出しながら、青年は小さく笑う。誇らしさなんて別にない。言えることはただ一つ。最高に楽しかった。
一緒に戦い仲良くなったそのパーティはみんな嫁さんがいて、冒険者なのに門限があるらしく、金曜日の時点で帰れなかったから怒られちゃうと心配していた。もちろん冗談交じりだが。
実際に、迎えにきた彼らの嫁さんは、人目をはばからず旦那にだいしゅきホールドをぶちかまして泣いていたので、心配はあるまい。
そんなことを思い出しつつ朝の支度を終え、時間になったので家を出る。
近頃の青年は、必ずリュックサックを背負っていた。その中には仲間が作ってくれた『魔狩人の黒衣』がコンパクトに畳んで収まっている。
ダンジョンの夜というのは、暇だ。魔物がいる環境下も手伝って、そういう時に『地上でも備えておこう』というアイデアは自然と生まれやすく、その結果の一つがこれだった。これは彼らだけでなく多くの冒険者で同じことが言えた。
現状では銃刀法があるため武器は持ち歩けないため、風見女学園の魔法少女みたいに魔法スキルを得ておくという案も出ている。魔法少女は武力の携帯という点において、とても理に適っているのだ。
しばらく歩くと、スマホがピロンと鳴った。
仲間の一人からルインが届いたのだ。
『やべぇ、出勤途中に見知らぬOLから記念撮影求められちった!』
「嘘じゃん」
たしかに冒険者界隈だと自分たちはそこそこ有名だが、精々合コンでドヤれる程度のものだ。町中で記念撮影を求められるレベルでは断じてない。
その程度の知名度なのにいきなり記念撮影を求められるなんて、考えられるのはイベントでの活躍しかあるまい。
こいつぁやべぇ! などとコメントしているキャラスタンプがドドンと追加で送られてきたのに対して、青年は。
『俺そういうのないんだけど……』
と、涙目の幼女キャラスタンプを添えて送っておいた。幼女は『ふぇええ』とコメントしている。
実際に、駅に近づいて人も多くなったのに誰も気づいてくれない。
「ズルいな、あいつ。っていうか俺たちなんて中衛守ってただけじゃん」
真に凄かったのは自衛隊だろう。最前線でガンガン魔物を倒していたわけだし。
あとは四娘。民間人ながら彼女たちも前線で活躍したし、凄いボスを倒したわけだし。
青年は、少しやる気のない印象の顔をしながら電車に揺すられる。俺も活躍したのになんで声かけられないのだろうと思いながら。
一昨日イベントが終わったっていうのに、世の中の人は今日も真面目に出勤である。中々にクレイジーな風景だ。
ただまあ、電車に乗る人はみんな同じことを考えているはずである。つまりは、『この瞬間、ここがイベント地域になったらどうしよう』と。実際に、風見町を通行中の車の運転手は相当数が巻き込まれたわけだし。
そんなご時世なので、目の前のオッチャンが読む新聞にはテレワークを推奨する記事が載っている。欧米では割とポピュラーな試みだが、日本ではあまり聞かなかった。
しかし、これからの社会は増えるかもしれないなと青年は思った。だって、もう以前の世界ではないのだから、経営者は頭を悩ませてそういう風にシフトしていくしかあるまい。
電車を降り、会社に向けて歩き出す。
すると、同じ電車に乗っていたのか会社の受付の女性を発見した。
青年がペコリと会釈をすると、相手は眉根を寄せておずおずと会釈を返す。
受付嬢は、青年が風見町防衛戦で活躍していたのを知っていた。しかし、今の青年のぼんやりした感じからは、そんな様子は全く窺えなかった。
正味、受付嬢はテレビで見た青年にときめいていた。しかし、改めて見ると全然であった。だからこそ、会釈を返して青年の視線が外れると、首を傾げるしかなかった。もしかして人違いだったのかも、とすら疑い始めている。
そんな時だった。
ガシャンと大きな音が鳴る。
店頭の看板が倒れたのだ。
しかし、問題はそこではない。
その音に散歩中の犬が驚いて走り出したのだ。
「ルーナ、止まってぇ!」
リードを手放してしまった小学生くらいの少女の叫び声が轟く。
ルーナはあっという間に4車線の車道に飛び出た。
1車線目、2車線目、と走行する車の間を奇跡的にすり抜ける。自分自身が行なっているその行為自体が、ルーナに恐怖を与える。パニックである。
「っっっ」
その場の全員が息を呑み、少女の泣く声と車のクラクションが交差する。
そして、対向車線に切り替わった3車線目。
朝の眠気と戦いながら運転される乗用車の真ん前で、クラクションの音に驚いたルーナが恐怖のあまり立ち竦む。
これはダメだ。
誰もが目を逸らそうとする中、ルーナの傍らに一本のノボリ旗が空を切り裂くように現れた。
「ダッシュスラストってな。ははっ、案外どこにだって危険はあるみたいだぜ。なあ、犬っころ」
その旗を持つのは、青年。
触れば切れそうな鋭い目つきをする青年は、ルーナを拾い上げると同時に突っ込んでくる車を軽々と回避する。
片手でルーナを抱えて、もう片手には銘菓の名前が入ったノボリ旗。その旗で肩をトントンと叩きながら、青年は悠々と飼い主の少女の下へルーナを送り届けた。
「ぁ……」
その様子を見ていた受付嬢は、自分の声が漏れたのを自覚する。
そこにぼんやりとした平凡な男の顔はなく、誰かを守る戦士の横顔があった。いつの間にか緩められたネクタイから覗く首筋はセクシーの極みである。
「ワンワン、ひゅーんひゅーん!」
そんな青年にルーナも仰向けになって必死にアピールだ。
そして、ルーナのリードを握る飼い主の少女も、顔を真っ赤にしてはわーと青年を見上げる。
ルーナをわしゃとひと撫でして、気をつけろよ、嬢ちゃん、と声をかけた青年は、颯爽と去っていく。
そうしてノボリ旗を元あった場所に突き立てると、ポンと顔が元に戻る。
「はぁ、冒険に行きてぇ……」
武器代わりが手元から無くなってぼんやりモードに入った青年は、イベントが終わったばかりなのにもう冒険が恋しくなっていた。
仲間内で考えているクラン構想を本格始動しようかな、なんて考えながら会社に向かって歩き出す。
そんな青年の姿を、多くの人が見ていた。
犬を助けた時のあの顔はどこかで見覚えがある。それもつい最近。
そして、メス犬のルーナとその飼い主の少女と受付嬢、およびその瞬間を目撃した複数の女性がはわーとしながらその後姿を見つめながら立ち尽くしていた。
男の朝は早い。
4時に起きて支度を整えると、まずは『修行せいっ』と毛筆で書かれた掛け軸に向かって一礼する。
この際には身だしなみを整えておかなければならない。寝起きのだらしない恰好など以ての外だし、ヒゲもNGだ。またワンルームの部屋も、万年床の状態にしておくのはダメだ。
一昨日の夜にイベントが終わり、昨日は休養に充てたが、本日からはまた修行の日々だ。
男は、掃除用具を持って外に出ると、アパートの前を掃き始めた。
「あらあら二階堂さん、おはよう。いつもありがとうねぇ」
「これは浅野さん、おはようございます。今日はいい天気になりそうですね」
同じく朝が異常に早い近所のおばあちゃんと挨拶するのも最近の日課である。
アパートの隣の家なので、ついでに二階堂が門前の道路を掃いているのだ。
「二階堂さんたちのことはテレビで見たわよー。とても立派だったわねぇ」
「え、そ、それはお恥ずかしい限りです。しかし、微力ながら誰かの役に立てたのならとても嬉しいです」
「はー、真面目ねぇ。若い子みたいに、うーいってやればいいのよぉ。あなたも若いんだからね」
厳密にはウェーイだが、漢・二階堂はツッコまない。
その言葉を真摯に受け止め、コミュ障を調整していく。これもまた修行。
15分ほどで朝の日課を終えた二階堂は、肉体の修行に入る。
その頃には空が明るくなり始める。
「少し日が短くなりましたな。冬が来る前に修行グッズを探しておきましょう」
暗い中で修行するのは、自分は元よりそばを通過する車も危険だ。
二階堂が早起きして修行をするようになったのは、命子が修行せいっとしてからだ。だから、暗い中で修行するグッズは広場などで使う大きめの照明くらいなものだった。
これは同志たちも同じであろうから、今度のEOL通信のコラムには、この件について書こうと二階堂は決めた。
そんなことを考えながら町を走る二階堂は、リュックを背負っている。この中に、妖精店で買った初級防具が有事に備えて丁寧に折り畳まれて入っていた。防具のランクに差異はあれ、この辺りはG級ダンジョンの深層まで潜るようになった冒険者なら当然の嗜みである。
他にも、アイズオブライフのメンバーは、生産職の同志が発明した『素材カード』を入れていた。これはバネ風船のバネを巻き付けたカードで、有事の際に付近にある金属製の棒に【合成強化】することで武器化できるものだ。
さて、二階堂のジョギングはただ走るだけではない。
道中でゴミを見つけたらそれを火箸で拾い、ビニール袋に入れていく。
火箸を使うのは器用さを上げるためだ。これが中々に効果があり、最初は手こずっていたのに今では腰を曲げること以外にほぼスピードを落とさず、シュバッと箸でキャッチしてビニール袋に入れられる。
これはEOL通信の『私の修行』というコーナーで提唱されたもので、地域貢献と器用さ鍛錬、無理な体勢からの細かな動作鍛錬、そしてゴミで手を汚さない、といういくつもの効果を宿した素晴らしい修行方法だった。
二階堂の住む地域は、2か所の修行場がある。
1つは浜辺で、この地域で最大の修行場だ。全世界に浜辺系の修行場があるが、大体の場合は、風見町のものよりも収容人数が多い特徴があった。
しかし、二階堂はこちらにいかない。海の修行場は、男女の出会いの場になっているからだ。すでに過ぎ去りし夏の日に、都会から来たリア充どもがウェイウェイしながら修行していたといえば、二階堂が選ばない理由も察しがつこう。
修行にナンパな心など不要なのだ。
この肉体と魂の成長は、神へ捧げる讃美歌なのだから。
けれど、二階堂はいつも海沿いを通る。
決して、薄着なお姉さんを見るためではない。日が昇る海が綺麗だからだ……っ。
そうして今日も、もう一つの修行場に到着する。こちらは、河口から少し離れた河川敷広場だ。
風見町で生まれた青空修行道場はそもそも堅苦しい場所ではないので、海にしてもここにしてもワイワイしている。コミュ障の二階堂には少し辛いが、こういった交流もまたやはり心の修行であった。
修行場には、同じ町に住むアイズオブライフの仲間がすでに来ていた。同志・一之宮だ。アイズオブライフは全国的に散っているため、この町に2人いるのはそこそこ珍しいパターンだった。
彼は芝生の上に座って股を広げ、ストレッチ中である。
「やあ、同志」
「あ、二階堂君、おはようでござる」
童顔で若干女顔の一之宮が、低い位置から顔を上げてにへらと微笑む。
二階堂は彼がそうやって微笑むといつも思うものだった。
――あの日、風見ダンジョンの妖精店の温泉で見た光景は、実は夢だったんじゃないかと。
というか、夢だったパターンを切実に望んでいるのだが、残念ながら隣同士の小便器で並び立ったことがすでに何回かある。いや、それすらも夢のパターンも……。
「あっ、二階堂さん。おはようございます」
「おはようございまーす!」
そうやって声を掛けてきたのは近所のお姉さん2人組だ。いや、お姉さんと言っても二階堂よりも若いはずだが。
まだ5時を回って少し経った程度なので、彼女たちも相当ストイックに修行していると言っていいだろう。そんな人間が、ここ数か月で爆発的に増えている。それは命子も原因の一つではあるが、なによりもレベル教育が順調に進んでいる証拠であった。目まぐるしく成長する自分に夢中となる人が続出しているわけだ。
「お、おはようございます」
二階堂はドキドキしながら挨拶を返す。
海のほうを走って密かに出会いを求める二階堂にとって、この修行場でたまに話しかけてくれる彼女たちの好感度は凄く高かった。告白してくれたならすぐさま付き合う準備ができている。
そんな二階堂の後ろに、一之宮がこそっと隠れる姿を見たお姉さんたちは、唇をムニムニと動かした。
自分でも顔がだらしなくなっていると自覚したお姉さんたちは、唇を引き結び、会話を始める。
「見ましたよ。2人とも大活躍でしたね?」
「い、いえ、自分たちなんてまだまだです」
「いいえ、凄かったですよ。二階堂さんが攻撃を受けて、一之宮さんが凄い速さで攻撃して。他のお仲間のことは知りませんけど、でも6人の息がぴったりの戦いでした」
「あ、アイズ……アイズオブライフは連携を最重要視してますからね。別々の町に住んでいますが、ダンジョンで学んでいるんです」
二階堂は最近とてもよく褒められるようになった。
その根底にはカルマがある。感謝の言葉を口にするという心のリハビリを結構な人が行い始めたのだ。その程度でカルマが変わることはないのだが、心の変化はあるため推奨する医師が多いのである。ある野菜がとても体に良いとテレビでやると、その野菜が品薄になるのと少し似ているが、こちらの場合は一過性のものではなさそうだった。
二階堂はゴミを拾ったり、修行場で率先して働いたりしているため、感謝を受ける機会が多くなっていた。彼女たちが最初に声を掛けてきたのも、そんな感謝の言葉からだった。
ちなみに、これは志を同じくするアイズオブライフ全体に同じ現象が起こっている。
「あっ、ごめんなさい。修行の邪魔してしまって」
「いえ、大丈夫です」
しばらく褒めちぎられた2人は解放された。女性と話すのに慣れていない2人は少しお疲れ気味。なお、一之宮はほぼ話していない。
少し間が空いたがジョギングのあとのストレッチを開始する2人。その近くで、同じくお姉さんたちがストレッチする。女性の香りが風に乗って鼻腔をくすぐり、二階堂はドキドキした。
「ねえ、二階堂君」
「え、あ、なんですか、一之宮」
神経が鼻の細胞に集中していた二階堂は、少し慌てながら返事する。
背中を押してストレッチを手伝う一之宮が言う。
「一緒に暮らす話、考えてくれた?」
「「ごふぅ……っ!?」」
ふいに近くでお姉さんたちがせき込む。
二階堂たちがそちらに視線を向けると、腕をクロスするストレッチをしながら顔を逆側へ向けていた。はて、と2人は首を傾げつつ、ストレッチを再開する。
ちなみに、一之宮は仲間内だと言葉遣いが変わる。具体的には武士語になる。周りに人がいたりすると元に戻るため、ある種の内弁慶に似た性質があった。
「その話ですか。そうですね、構いませんよ」
「ホントに!?」
「ええ。冒険者一本で食べていくと誓いましたからね。最初のうちは収入もどうなるか見当がつきませんし、家賃は折半のほうがこちらも助かります」
「もう二階堂君は。仲間と一緒に暮らすのは楽しそうとか言えないのかな?」
「ははっ、君は相変わらずロマンチストだなぁ」
「なんだよ!」
「はっはっはっ、いくら押しても修行の成果で柔らかくなった関節にダメージはありませんよ」
「「……っ」」
ストレッチをしながら同居の話を楽しげに話す二階堂と一之宮。
そんな2人から顔を背け、お姉さんたちが少し不自然なストレッチを続ける。
アイズオブライフ。
風見女学園という麗しき組織に隠れて目立たないが、その取り組みは地域貢献からネットマガジンの配布、修行、生産請け負いと多岐に渡る。
その最古参である青年2人の同居を皮切りにして、次第に部屋をシェアする者が増えていき、結束力が盤石なものとなっていく。
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、感想、とても励みになっております。
誤字報告も助かっています、ありがとうございます。