6-30 夢の狭間にて
本日もよろしくお願いします。
「夢オチ!」
命子はガバッと目を覚ました。
うつ伏せから起き上がった命子は、背中を反らしたままパチパチと目を瞬く。
そこは地平の果てまで続くような淡い光の海だったのだ。命子はそんな場所の上で転がっていた。
「え、マジかよ。もしかして死んじゃった?」
特に痛みも感じず、先ほどとは全く別の場所にいる現状から思い当たった可能性に、命子は呆然とする。
不思議と涙は出ないけれど、がっくり感が凄まじい。
身体を支えていた腕から力を抜き、またうつ伏せに寝転がる。そうして、コロンと仰向けに変わって空を見上げた。
「わぁ……」
そこには、満天の星と田舎な風見町でもなかなかお目に掛かれない綺麗な天の川。そして、天の川の他に大きな緑色の大河が流れていた。
命子は何も考えず、じぃっとその光景を見つめた。
そんな命子に、声が掛かる。
「お主は死んでおらんよ」
命子は、ふいにすぐ近くから聞こえたその声に、慌てて起き上がった。
そこには、見覚えのある人物が胡坐をかいて座っていた。
「て、天狗さん!」
山伏衣装に黒い羽を持つその人物は、無限鳥居の天狗だった。今日は珍しく天狗面を外している。
「久しいな、童」
「う、うん。久しぶりです。今日はどうしたんですか、ぶっ殺しに来たんですか?」
「くくっ、そんなことはせんよ。今日は地球殿のお使いじゃ」
「地球さんの?」
「うむ。祭りに次元龍が乱入したからの、その補填じゃよ」
「次元龍……あの謎の声は次元龍って言うの?」
「いかにも」
「それってもしかして、日本さん?」
「お主らの枠組みで言えばそうじゃの」
命子はフニャルーを見てから、日本もあんな風にコンタクトを取ってくるんじゃないかと妄想していた。それは命子に限らず、ラノベや漫画を読む人の多くが考えていることだった。そして、その姿はきっと日本列島のような大きな龍だろうとも。
まあそのことは良いのだ。今はもっと大事なことを聞きたい。
「それで、死んでないってどういうこと? みんなは無事? 戦闘はどうなったの?」
「一気に聞くでない。ふむ、そうよの、まずは全員無事じゃ」
「そっか、良かった……良かった……っ」
命子はその言葉を聞いて、初めてポロポロと涙を流した。
仲間たちが誰も死んでなくて本当に良かったと、一人一人の笑顔と、命子の名前を呼ぶ声を思い出した。
天狗は命子の姿をジッと見つめ、少し間を置いて続けた。
「今のお主は夢を見ているようなものじゃ。他の者もまた同じような体験をしておる」
「ぐずぅ、この状況こそが夢オチだったか……」
命子はグシグシと涙を拭って、泣いたことを誤魔化すように笑った。
そうかもしれんな、と天狗は言うと、命子が涙を拭き終わるのを待った。
「ごめんなさい。もう大丈夫です」
頷いた天狗は、少し考えてから話を始めた。
「あの三頭龍は今のお主らが簡単に倒せる相手ではないのじゃよ」
「そんなに強いの? 天狗さんよりも?」
「ワシにとってあんなものはそこら辺の蜥蜴とそう変わらん」
「マジか」
「まあワシの強さのことなど今はどうでもよい。本来、この祭りで地球殿は現状のお主らが比較的簡単にどうにかできるレベルのボスを用意していた」
「みんな割と必死だけど」
「舐められても困る。なんにせよ、このイベントは地球殿が最初に言ったように、祭りなのじゃよ。今後地上に魔物を放出するにあたってのレベルアップ祭りじゃな。多くの者が一致団結すれば死者など出んバランスになっていたし、多くの者がそこそこの練度へと到達できる祭りじゃった」
「まあ個人的にはヌルく思ってたしね」
「で、あろうな。だがまあここで、祭りに次元龍が参加しおった。次元龍は厳しい。恐らく、この試練を乗り越えられないのなら普通に殺すじゃろう。空気が読めんのじゃ」
おまいうだが、と出かけた言葉を命子は飲み込んだ。
「もしかしたら、お主たちは自力でどうにかするかもしれん。しかし、確率はそう高いものではない。ゆえにワシが来た」
「倒してくれるの?」
「いいや、それはできん。お主らが絶対にどうにもならない相手ならそれも可能だが、絶妙にどうにかできる相手なのだ。ゆえに、試練はお主らが越えねばならん。ワシはこの場でほんの少し手伝いをするだけにすぎん」
ぬぅ、と命子は呻いた。
蜥蜴と変わらないんだったら一振りで倒してくれればいいのに、と唇を尖らせる。
「まあそう拗ねるな。さて、時間が惜しい。これからお主らが勝つための助言をする。聞け」
命子は気を取り直して、真剣な顔で天狗に向き直った。
きっと、理解できなければそれは死を意味するから。
「そもそも、お主はマナがなんであるか分かるか?」
「分かりません!」
命子は元気にお返事した。
「そ、そうか。マナとは魂の栄養となる物の素みたいなものなのじゃ」
「マジか。となると、教授の魂説は合っていたんだ」
マナがなんであるかは教授も分かっていなかったが、それが魂に作用しているのではないかというのは教授も考えており、命子たちに語ったことがある。
そんな話を思い出した命子は、さすが教授と評価を上げた。常に上げっぱなしではあるが。
「お主らは元々、肉体だけの力で生きてきた。これはマナ世界の者からするととんでもなく弱い」
好奇心旺盛な命子は色々と質問したかったけれど、黙って聞く。
今にもみんなが復活して戦い始めるかもしれないという想いがそうさせた。
「魂というのは、お主らが思っているよりも遥かに物質への干渉力が強い。魂が健全であれば肉体は魂に合わせて回復するし、逆に魂が傷つけば肉体はとんでもないダメージを受ける。そして、魂が鍛えられれば、肉体の見た目など関係なく強大な力を得ることになる。肉体だけではできんことも含めてな」
命子はごくりと喉を鳴らした。
今まで魔物の攻撃力がアホみたいに強いと思っていた答えが、ここで分かった。つまり、魔物がやっていることは大体が魂へのダメージだったのだろう。回復薬もきっと魂を回復することで、臓器などを治癒しているに違いない。
そんな情報を聞く命子は、いつもメモに使っている冒険手帳が欲しくなった。
「肉体だけで生きてきたお主らだが、今では魂が栄養を得る術を得た。しかし、マナはそのままでは魂の栄養にはならん。肉体は物を摂取して栄養を得るが、魂は少し変則的だ。マナを変換することで得る魔力を使用することで魂は栄養を得る。そして、この魔力の使い方こそがお主らにとってスキルであり、どのようなスキルを使うかによって魂が得る栄養素は変わってくる」
「つまりその栄養素ってのは、マナ進化の進化先が決まるものってことですね?」
「いかにも。この栄養素というのはお主らの中ですでにどんどん蓄積されている。これらをマナ因子と呼ぶ」
「マナ因子……」
「お主の目や魔導書から魔力が放出されるようになったのも、【魔導書士の心得】が覚醒したからなのだ。あれは魔導書を見ずに操作する都合上、周囲の空間を認識する能力を高めやすい。お主の場合は元からその才も高かったのだろうな」
「そうだったんか」
「このほかにも、お主の中には目覚めそうなマナ因子が多く存在している」
命子は自分の手のひらを見つめた。
そんな実感はないけれど、天狗が言うのならそうなのだろう。
「覚醒した因子が複数集まり、特定の条件を満たせば一段階目のマナ進化が始まる」
「私はもうそろそろってこと?」
「うむ。この戦いでお主が何かを掴むことができれば、マナ進化するだろう」
「……」
命子はお膝の上の手をギュッと握った。
お母さんとお父さんから貰ったこの身体が違うものになっちゃうかもしれないという考えが脳裏にチラつく。これは以前、天狗にマナ進化の話を聞いてから常々思ってきたことだ。
「でも、みんなこれからマナ進化するんだし、別にいっか、うん」
結局、命子は楽観的に考えることにした。むしろ世界で一番乗りかもしれないし、ワクテカだ。
そんな命子を見て、天狗は小さく笑った。
「お主らが戦うことになったこの魔物は……お主らの言うところのD級相当のボスじゃ。これを倒すには、マナ因子を覚醒させる必要がある。覚醒したマナ因子は能力を強化する。これを以てして戦わなければまともに戦えんだろう」
「あれでD級……C級は進化が必須なんですよね?」
「左様。D級のボスを倒して条件を満たしていればマナ進化は可能だ。そもそも普通のダンジョンではボスに6人で挑むのだから、ほぼ確実にマナ進化するだろう」
「あー、そっか。本当は6人で挑むのか、あれに」
命子は遠い目をした。パーティはまだ4人だし、もう2人はいなくちゃクリアできそうにない。
「童。地面を見よ」
「地面?」
命子は首を傾げながら地面を見た。
そこは地平の果てまで光る平坦な大地だ。目が焼けるような強い光ではない。どこか懐かしくホッとする淡い光がどこまでも広がっている。
「これは次元龍の魂なのじゃ」
「クソデカいじゃん」
うむ、と天狗は頷く。
「さきほど、魂はスキルを使うことでマナ因子を蓄積する、と説明したが例外がいくつかある。その1つが、圧倒的に高位の魂を持つ者が下位者と関わった時だ。お主らはこの地の恵みを食み生きてきたゆえに、微弱だが次元龍のマナ因子を所持している。これが先ほど次元龍の気配を感じ、声を聴いたことで活性化した」
「もしかしてあの鼓動は強制的にマナ因子が活性化したから起こったの? ルルがフニャルーの声を聴いた時も同じ?」
「左様。普通にマナ因子を蓄積する過程ではああはならん」
「なるほど……」
「では、よぉく目を凝らして地面を見つめてみよ」
天狗の指示に従って、命子はむむむっと目を凝らした。
「そうではない。お主は知っているはずじゃ、物を深く見る術を」
天狗の言葉を耳に通しながら、命子はギンッと目を見開いた。
その瞳から紫色の炎が噴き出し、淡く光る大地を見つめる。
すると、光の中に緑色の多くの線があることに気づいた。
強い光の線、弱い光の線、川のように太い線、髪の毛のように細い線、蠢いている線……その下にはまた同じように様々な線があり、その下にもその下にも、何層にも線が走っている。そして、遠くに大きな緑色の塊が3つあるのも見える。そんな光景が辺り一面に広がっていた。
それを見た途端、命子の身体が再びドクンと脈打つ。
それと同時に、こめかみの上の辺りがムズムズし、両目が圧迫されるような感覚がする。
「今、お主は一つの選択肢を得た。マナ進化は己の望む進化の道へ進める。活性化したマナ因子でも芽生えさせたくないものならば拒むこともできる。たった今お主が大きく活性化させた次元龍のマナ因子でもな」
「じ、次元龍のマナ因子……もしかして龍になっちゃう?」
命子は胸を押さえながら問うた。
「ならん。お主が人であり続けたいと願うのなら。人の形もまたマナ因子、全ての種族が生まれた時から宿す強力なマナ因子よ。ただちょっと角とか生えるかもしれんが。そこら辺は進化してみなければわからん」
「適当だな、おい!」
そう文句を言う命子の目が、天狗の手でそっと塞がれる。
「マナラインを見つめすぎるな。今のお主には強すぎる」
天狗の手によって訪れた暗闇の中で、命子はハッとした。
言われるまで気づかなかったが、天狗に文句を言っている最中も緑の線から目が離せなかった。
夜の海を見つめていると引きずり込まれてしまうというが、そんな空恐ろしさが今になって湧いてきた。
天狗は命子の目を塞ぎながら、続けた。
「これが最後の助言じゃ」
そう語り始めた天狗の手がほんのりと温かくなる。
天狗の助言を聞いていた命子は、まるでお風呂のお湯に一日の疲れを溶け込ませるような、身体の芯から癒えていく感覚を覚えた。
「今、お主の中で多くのマナ因子が大輪の花を咲かせようとしておる。今までお主がどのように魔力を使ってきたか思い出せ。どのように身体を動かし、どんな武器を持って戦い、何を工夫し、何に心動かされ……お主が体験した多くの出来事を形作った魔力を深く見つめ、そして、己の魂を全身で感じ取るのじゃ」
天狗が言い終わると同時に、どこからともなく声が聞こえ始めた。
『命子ちゃーん!』
それはとても遠くから聞こえてくる小さな声だった。
小さな声は、命子だけじゃなくささらやルル、紫蓮、この戦いに参加している4人の少女たちの名前を呼び続けている。
「呼ばれているぞ。さあ目を覚ませ」
目から手が外され、命子は天狗を力強い目で見つめた。
カッコ良くて綺麗な顔の天狗もまたジッと見つめ返す。
「天狗さん、ありがとう。蜥蜴をぶっ倒してくるよ!」
「その意気じゃ。強くなれよ、羊谷命子」
その言葉を最後に、世界は光に包まれた。
『『『命子ちゃーん!!』』』
周りからフッと天狗の気配が消えた瞬間、命子の耳にたくさんの人の声が届いた。
一人ではない。二人でもない。十人、百人、千人……いったい何人の声が重なっているか見当もつかない大合唱であった。
うつ伏せで倒れていた命子はそっと目を開けると、そのまま魔法陣の下を見つめる。
すでに多くの場所でボスが討伐されているようで、町内にボスフィールドの姿は少数しか残されていない。
そんな町の中には、避難所から外へ出て命子たちを応援する大勢の人たちの姿があった。
『『『命子ちゃーん! 頑張れぇ!!』』』
「は、ははっ、こんな風にされちゃ……死んでも負けられないね……っ! にゅあああああ!」
命子はぐぐぅと腕に力を入れて立ち上がる。
その気合に呼応するように、瞳にぶわりと紫色の炎が宿り、引火するように魔導書たちが炎を灯す。
『『『紫蓮ちゃーん!!』』』
中学校の屋上や青嵐から聞こえてくるその声に、命子の目の前で紫蓮の手が力強く握りしめられる。
目を開けた紫蓮は緑の膜が張られた空を見つめる。膜の外ではヘリコプターが何機も飛んでおり、小さな人影がやはり応援するように叫んでいる。
「まだ……まだ知り合ったばかりなのに、みんなが我のことを応援してくれる。こんなところで死ねない……っ」
紫蓮は龍命雷を杖にして立ち上がる。
その瞬間、龍命雷が紫色の炎を放出する。
『『『ささらさーん!!』』』
『ささら! 頑張りなさい、ささら!』
魔法陣の下に広がる町から多くの人の声が、そして、分隊長の無線からささらママの声が聞こえる。
聞いたことのない母の必死な呼びかけに、ささらの意識が浮上する。
「ぐぅ……こんなに多くの人から声援を受けているのに、それに応えられなければ淑女は語れませんわ。そうですわよね、お母様……っ!」
『『『ルルちゃーん!!』』』
多くの声の声援に、ルルの耳がぴくりと動く。
「みんなが応援してくれているのに、一人だけ寝てられないデス……っ! 今こそキスミア女の意地を見せる時デス! シャーラァ!」
「ルルさん!」
ささらとルルは、お互いの身体を支え合って立ち上がる。
ささらの着る防具の端々や両腕から紫色の炎が揺らめきだす。
「シャーラ、パワーアップしたデスね!」
「ルルさんこそ!」
立ち上がったルルの足からも紫色の炎が放出されていた。
『何を寝てるんだ、立て、翔子!』
馬場の無線に教授の声が届く。
馬場は、くはぁと大きく息を吐きだすと、苦笑いした。
「やれやれ私たちは随分色気がないわね。はぁ、転勤族は辛いわ」
馬場は血が付いた口元を親指でピッと拭い、立ち上がった。
滝沢も分隊長も、各自衛官が気合と根性で立ち上がっていく。
「全員、調子は!?」
命子の質問に、全員が力強く武器を構えることで応える。
命子もまた、自分の身体が癒えていることに気づいていた。
命子は、ふと天狗の手の温もりを思い出して、口角を上げた。
「さあ第2ラウンドの始まりだよ!」
「「「おう!」」」
命子の言葉に、全員が気合を重ねる。
三頭龍はそんな命子の瞳を見つめ、凶悪な牙をぎらつかせて笑った。
読んでくださりありがとうございます。
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