6-29 三頭龍
本日もよろしくお願いします。
『我が試練、乗り越えてみせよ』
謎の声がそう告げた瞬間、風見町の上空に巨大な魔法陣が出現した。
「なぁ……っ!?」
命子は未だ動悸の収まらない胸を押さえながら上空を見つめる。
しかし、まばたきを一つすると、見つめていた光景が星々の煌めく夜空に激変していた。
「にぇ……っ!?」
ハッとして足元を見た命子は、目を見開く。
足元に風見町の街並みが存在したのだ。夜戦を少しでも明るくするために全ての家の灯りが煌々と点いた街並みだ。
「こ、ここは魔法陣の上ですの!?」
ささらが慌てた声で叫ぶ。
ささらの言うように、どういうわけか命子たちは一瞬のうちに魔法陣の上に移動させられていた。大きなラインが複雑に絡み合った魔法陣で、ラインとラインの隙間にはぼんやりと光る膜が存在する。
夜空には星々が煌めき、魔法陣の上には燐光が踊り、そのはるか下では町の灯が煌々と輝いている。
それはとても幻想的な光景だが、同時にこれからの戦いの特別性も示唆していた。
「ははっ、ラスボスみたいな演出だね。くぅ……はぁ……」
冗談を言った命子は、落ち着き始めた鼓動を整えるように息を吐く。
そうして、目の前を見つめる。
そこには紫色の繭が一つ宙に浮いていた。
「ぐぅ……こ、こちら羊谷班。緊急事態が発生した。現在、部隊は上空に展開された魔法陣の上にいる。脱出経路不明。目の前には巨大な紫色の繭が一つ存在」
分隊長が事実を述べる。
地球さんの告知から始まった新しい世の中は未知に溢れている。各国の軍はマニュアルにないことをしなければならず、手探りでどうにかしていくのが常だった。この出来事などマニュアルにないことの究極系である。完全に意味不明な状況であった。
報告を受けた作戦本部は、上空でド派手に光る魔法陣を見つめて額を叩くしかできない。
『すまんが彼女たちと協力して事に当たれ。彼女たちは我々に引けを取らんほど強い。だが、もしもの時は分かっているな? ……こちらで救援の方法を考える』
「了解しました」
分隊長は、死を覚悟した。
謎の声はイベントエリア及び近隣の町に住む全ての者が聞いていた。
人も動物も、ほぼ全ての者が内なる何かの脈動に細かく息を吐く。
その中には、当然ボスと戦う者たちも含まれている。
その声を聴いた全ての戦闘員は、戦いどころではなくなった。
大きな隙を晒すことになるが、一方でボスもまた戦闘どころではなかった。
ボスの等級など関係なく全ての個体が何かに恐怖したように震え、ひれ伏す。
このエリアにいて、唯一無事だったのはこの地に来て日が浅い外国人だけだった。
しかし、彼らは体調不良こそ軽かったが、この地に対して凄まじい畏怖を覚えていた。
それは命子たちがフニャルーに感じた気持ちによく似ていたが、その強さはこの時の外国人のほうが圧倒的に大きい。すぐにでも逃げだしたい、あるいは何かに向かって生きる許可を得たい気持ちになる。
「おたべぇ」
避難所で少しでも力になれたらと色々な手伝いをしていたとあるエギリス人の観光客数名は、涙を流すお婆ちゃんからおにぎりを貰った。
「これを食えば、きぃっと迎えてもらえるけぇな」
観光客には何と言われているかわからなかったけれど、一人が震える手でおにぎりをがっつくと、なんとなくどういうことなのか理解でき、この地からとにかく逃げなくてはならないと思う気持ちが薄くなっていく。
そんな風に何かを察していた年寄りの中には、地面に膝をつき祈りを捧げる者もいた。
彼らの脳裏には、黄金に染まる田んぼや見たわけでもないのに濃密な気を宿す太古の森林の風景が映し出されていた。
そうこうしているうちに状況はどんどん変化していき、空に複雑な魔法陣が生み出される。
怖ろしくも美しいその光景に、人々は圧倒された。
そんな地上の人々の中で、命子たちの状況を聞いた教授は胸を押さえ、目を眇めながら、不慣れな走りで全速力で放送室へ向かった。
「命子君、待っていろよ……っ!」
そして、教授は風見女学園の一部の生徒に集合をかける。
全員の動悸が収まるのを待っていたかのように、紫色の繭にぴしりと亀裂が入る。
隙だらけのその姿を見ても、誰一人、攻撃しようとは思えなかった。その原因は先ほどの謎の声にある。あれが見ているかもしれない中で変身中の殴り行為をしたい者は誰もいなかった。
「命子ちゃん」
「馬場さん、無理はしないは無しですよ?」
「ふふっ、そんなこと言わないわよ。全力で行きましょう」
「当然です。私たちはそうやってこれまで生き残ってきたんですから」
初めてのダンジョンは訳も分からず。
龍滅戦は時間的に。
天狗組手は強制的に。
ネチュマス戦は町の被害を考えて。
逃げられない戦いを強要されてきた命子たちは、怖くはあるけれど、正直、この状況に慣れていた。
ビビっていても死ぬだけだし、全力を出すしか道がないのなら全力を出し尽くすのみ。
そうやって生き残ったのだから、今回もそうするしかないのだ。
全く頼もしいことね、と馬場は笑う。
「聞いたわね! 全員、死ぬ気で戦うわよ!」
馬場の言葉に、自衛隊も含めて全員が気合を入れる。
この自衛隊メンバーは実のところ馬場の二等陸尉が一番階級が高いので、その言葉に対してNOはない。ただし、馬場よりも階級が上の一等陸佐からの指示で、命子たちを死ぬつもりで守れ、と命を受けているので、それに反することもない。
全員の気合が交じり合うと同時に、繭が爆散した。
燐光が漂う魔法陣の上に現れたのは、三つ首に三本の尾を持つ龍だった。
体高は7メートルはあり、ずんぐりとした全身は黒い鱗に覆われている。
その巨体を支える腕は鱗の下に膨れ上がった筋肉を隠し、そこから伸びるかぎづめはおよそ切裂けない物はないのではないかと錯覚しそうなほど鋭い。
三つの龍頭はどれも異なる形をしており、1つはスラリと細く、1つは六つの目を持ち、そして最後の1つはかつて命子たちが倒した厳つい顔だ。
三つの首がそれぞれ大きく溜めに入る。
命子もまた魔導書に魔法をセットして、待ち構える。
『グラァアアアアアアアアアアアア!』
今だ、と命子は開いた龍の口に目掛けて魔法を放つ。
しかし、龍の咆哮は衝撃波に変わり、魔法を掻き消し、さらに十人全員を水平に大きく吹き飛ばす。
「うに……っ!? くぅ!」
五メートルはふっ飛ばされた命子は、空中でくるんと回って着地する。
すぐに三頭龍を見るが、大きな隙を晒した十人を見下ろしてその場から動いていない。
命子は紫の炎が宿る目をササッと動かし、周りを見る。
全員が立ち上がっているので、攻撃技というわけではなかったのかもしれない。
「喰らえ!」
「水刃! 水刃!」
駆け出す自衛官たちをサポートするため、命子は水弾と火弾、二次ジョブである『水魔法使い』の分隊長は、水弾の上の魔法である水刃を射出する。
二人の魔法が龍頭に着弾するが、その全てがまるで効いた様子がない。
そうこうする間に剣と棒を使う自衛官が攻撃の間合いに入った。
「スラッシュソード! ストライクソード!」
「強打! まだまだぁ!」
スラッシュソードから続けざまに二次ジョブ『剣士』の強烈な突き技であるストライクソードが放たれる。
その隣では、棒術による強打が連続で叩き込まれた。
しかし、それらの攻撃もわずかばかり龍の身体を動かすだけで、全て鱗に弾かれていく。
その結果を見て、全員が目を見開く。
これは、レベルが違いすぎるのではないか。
そういった疑問が脳裏をよぎる。
龍が動く。
グルンと身体を捻り、三本の尻尾を振り回す。
E級のボスにだって通用する攻撃がほぼ効果を成さないことに驚愕する2人の自衛官は、迫りくる尻尾にハッとする。一本目を避け、二本目を避け、三本目をしっかりと目で追ったが、それを狙っていたかのように尻尾の軌道が変わる。
「ぐぉおおおおおお!?」
2人の自衛官はまるで人形のように吹き飛ばされて地面に転がった。
しかし、彼らの状態がどうなっているか誰もが気にする余裕はなかった。
「水弾! 火弾!」
「スラッシュソード! スラッシュソード! スラッシュソード!!」
「水弾!」
「水刃! 水刃! 水刃!」
命子、ささら、馬場、『水魔法使い』の分隊長が、遠距離攻撃を乱打する。
一首龍ならこれだけで大ダメージを負うような攻撃の嵐に、されど三つ首龍は何も気にせず動き続ける。
ぐるりと横に一回転した龍の攻撃はまだ終わらなかった。
回転から戻り再び命子たちのほうへ顔を向けた龍頭の中で、シャープな印象の龍頭の口に水が渦巻いている。
「へ、ヘイトオーラ!」
すぐに大盾を持つ自衛官が正面に立つ。
大盾を構える騎士自衛官に向けて、龍頭から強烈な水のレーザーが放たれた。
ドゴォとおよそ水が出せるとは思えないけたたましい音が鳴り響き、騎士自衛官は吹き飛ばされる。
レーザーは騎士自衛官を吹き飛ばすだけでは飽き足らず、そのまま横薙ぎにされる。
その射線に立つ命子と分隊長が紙一重で回避する。
水のレーザーで攻撃をする龍の背中にルルが飛び乗った。着地と同時に垂直に立てた忍者刀を突き立てようとするが、ガキンと鈍い音をさせて硬い鱗に阻まれた。
そんなルルを乗せた龍が、脚に力を籠める。
そして、次の瞬間、ルルを乗せたまま4メートルほどの高さまで跳躍する。
「にゃわわ……っ!?」
三頭龍は空中でぐるりと縦回転すると、先ほどの尻尾攻撃を縦に繰り出す。
空中に投げ出されたルルは咄嗟に小手で顔を守る。その直後、三本の尻尾がルルを叩きつける。
「い、いやぁああああ、ルルさぁああん……っ!」
魔法陣の上に叩きつけられたルルは、ぐったりとして動かない。
「がはぁ!」
そして、別の場所で弾き飛ばされた騎士自衛官が大量の血を吐いた。
騎士自衛官は、騎士系から派生する二次職『盾騎士』が持つ【盾技】の一つ『かばう』により、ルルのダメージを魔力で肩代わりしていた。
魔力を犠牲にしてダメージを肩代わりするこの技は、強力な攻撃を喰らうと一撃で魔力が消し飛ぶうえに、オーバーしたダメージを肉体で肩代わりにすることになる。今まさに、騎士自衛官はその状態にあった。
一方のルルも騎士自衛官が受け止めきれなかった分のダメージを受けていた。
慌ててルルに駆け寄ろうとするささらは、三頭龍のことを全く見ていなかった。
いや、全員がまさかあの状態から必殺技に移行するとは思っていなかった。
縦回転の尻尾攻撃でルルを跳ね飛ばした三頭龍は、魔法陣の上で激しく着地する。
すると、まるで『大石畳返し』のように余震が発せられる。
ささらだけでなく、範囲内にいる命子、紫蓮、馬場、滝沢、分隊長が余波でバランスを崩し、その後に迫りくる光の波にかち上げられた。
それはかつて命子が喰らうはずだった攻撃。
あの時は称号【一層踏破者・ソロ】の効果でダメージを受けなかったが、今回は違う。
このメンバーは全員が龍鱗の鎧やそれに相当する良い装備を着ているが、その防御力を貫通する。
一見すれば大したダメージになりそうにない光の波は、命子たちに大ダメージを与える。
「がはぁ……っ」
地面から跳ね上げられ、地面に落下した命子の口から血が流れる。
「つ、つ……」
強すぎるだろ、そんな文句も言えないほど大きなダメージだ。
気を抜けばすぐにでも意識を失いそうな痛みの中、命子は中級回復薬を口にする。
しかし、それでも意識は遠のいていく。
命子は、ずりずりと這いずって近くに倒れる紫蓮に近づき、その口に中級回復薬を落とした。
「うぅうう、こんな……ところで……っ」
命子の魔導書から紫の炎が消え、そして、瞳からもふっと消えていく。
命子は薄れゆく視界の中で、三頭龍を見つめる。
三頭龍の全ての瞳が命子をジッと見つめていた。
虫けらのように見つめるでもなく、バカにするように笑うでもなく、何かを待つようにただ静かに見つめ続ける。
シャン、と。
どこかで聞き覚えのある涼し気な音を聞いて、命子の意識は闇に閉ざされていった。
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