6-23 悪っ娘
本日もよろしくお願いします。
比較的裕福な家、普通の親、そして月1000円のお小遣い。
仲良しのメンバーと一緒に公園で遊び、その近くにあった駄菓子屋で少ないお小遣いを握りしめ、うんうん唸って決めたお菓子を買う。
それが放課後の過ごし方だった。
きっと魔が差すとはああいうことを言うのだろう。
その駄菓子屋では、お婆ちゃんがたまに引き戸の奥の自宅スペースに引っ込むことがあった。きっとどこの駄菓子屋もそうだろう。
たまたまその場所にいた少女は、どっちにしようか悩んでいたお菓子の片方をポケットの中に入れた。
酷く簡単だった。
小学校5年生の夏休み。
それが始まりであった。
中学を卒業し、自分たちが何なのかよく分からないふわふわした期間を過ごす。
ふらりと立ち寄った店で、少女は店内を見て回った。
あー、あれは万引きGメンだな、と少女は肩を竦める。
素人には彼らと一般人の見分けがつかないらしいが、観察力に優れた少女には一目でわかった。
それを確かめる術は彼らが活躍しているところを見るしかないので、少女は自分の観察眼を信じて疑わしいと思った人がいる時は決して犯行しなかった。
その用心深さは、悪い仲間を作らないところにも表れていた。
欲しい物を片っ端からカバンの中に詰め込んだ挙句に見つかる。そして芋づる式に自分も捕まる。そんな未来が目に見えていたから、アホとはつるまなかった。実際に中学校では捕まったことを武勇伝のように語る男子もいたが、少女からすれば酷く滑稽に見えた。
少女は外に出て、普通に買った缶コーヒーをプシュリと開け、口をつける。
誰もが変わらず過ごしていたその瞬間が、世界の以前と以後の境界だった。
《Sインフォ カルマ式ステータスシステム起動。魂の軌跡を対象種族に理解可能なものに置き換え、可視化します》
《Sインフォ 魂の輝度-1637、罪の意識なき盗みの穢れを確認、カルマリンクなし――スキル【花】を付与――》
地震だと思って外に出てきていた人たちがステータスを開き始める中、噴き出したコーヒーで汚れた口を拭いながら、少女は隅っこに移動してステータスを開いた。
「……」
少女は、ステータスを閉じて、ドッドッと早鐘を打つ心臓を押さえて家路を急ぐ。
途中であまりに気になり、スマホで『カルマ』という単語を調べた。
それは宗教的な言葉で、今直面していることに当てはめて良いのか判断に窮したが、少なからずマイナスで良いということはない、ということだけは悟った。
家に帰り、花を咲かせてみたり、あれこれ弄っているとステータスのカルマは、ログが見れるということを発見する。
すぐにそれを辿ると、自分ですら忘れていた盗みの履歴が列挙されていた。
少女は、ゾッとする。
誰もいないリビングはうららかな春の日差しを受けているのに酷くひんやりと感じ、ふと、誰かから昔に聞いた手癖の悪い者の腕を斬り落とすあの世の審判の話を思い出す。少し開いた引き戸から血まみれの剪定バサミを持った鬼が現れる妄想をする。
少女はたまらず、テレビをつけた。
謎の声の大告知からしばらく経っているので、どのチャンネルも臨時ニュースをやっていた。
ふと止めたチャンネルでは、東京の街角が映されていた。
それはテレビ局付近の混乱した町の様子を映しているだけのものだったのだが、次の瞬間、全く別の意味を持つ映像になる。
信号待ちで停まっていた車。
女の子が夜間にあまり近寄りたくない類の窓ガラスが全て真っ黒な大きな車だ。
そのスライドドアが開き、男が3人飛び出してきた。
彼らは全員が手にも見える炎のような黒い何かに足元から焼かれ、この世のものとは思えない叫び声を上げながら報道陣に近づく。
同じく運転手と思しき男もまたドアを開けて、のた打ち回る。
悲鳴が轟く町の中、男たちはアスファルトの上で黒い何かに変わった。
その黒い何かの上には、男たちの罪業が列挙されたカルマログが現れていた。
その背景では、車のスライドドアが自動で閉まり、その姿はまるで彼らの魂をあの世へ連れていく地獄の車のような不気味さがあった。
あまりにショッキングな映像だったためすぐに映像はお花畑の画像に変わってしまったが、少女は震えた。
「嘘じゃん」
地球さんと名乗る声が話した情報の中にある『神様』というキーワードから考えて、今の現象が天罰であると少女は確信する。
「い、一撃即死の天罰って……は、ははっ……」
少女はすぐにネット上を徘徊する。
情報情報情報! とにかく情報が欲しかった。
あれは何者かのスキルによる報復だ。
いいや、あれこそソドムとゴモラを焼いた火だ。
そうではない、彼らに弄ばれた被害者の恨みが怨念となってその身を焼いたんだ。
そんな風に情報は錯綜しまくり、どれが本当か分からない。
分かったのは、自分のマイナスがまだ良いほうだということくらいだった。年齢のせいもあって、年季の入った悪党のマイナス値よりもよほどマシだったのだ。
けれど、そんなことは気休めにもならない。
「どうしよう、どうしよう……」
進むべき方向が分からないまま、日は経ち、少女は高校生になった。
高校に入学した悪っ娘は、そこで羊谷命子と出会う。
カルマ、ダンジョン、スキル、魔物、経済、懺悔スキャンダル――
世界中で様々なことが話題になっている中、羊谷命子は初めてダンジョンから帰ってきた少女として有名だった。
激動すぎる世の中なので、半年もすれば忘れ去られてしまうかもしれないけれど、とにかくこの時点では、特に風見町近隣では極めて有名だった。
連日のように命子は人に囲まれる人気者で、割と中二病で、イキりネタをよく使い、小さいと言われると不機嫌になる性質があった。
そんなことを遠くから見て理解した悪っ娘は、他のマイナスカルマ者と同様に、藁にも縋る想いで命子に相談した。
「あ、あのさ、あたし。その、なんだ、あの……ま、万引きの常習犯なんだ……」
今まで誰にも話したことのない裏の顔をカミングアウト。
しかし、すでに8人目となるマイナスカルマ相談に、命子はかなり辟易していた。
そんなこと言われたって知らねぇわ、と。私は懺悔室じゃねえんだぞ、と。
当然である。こういうのはカウンセラーの領分だ。にこぱ系ロリに相談するほうが間違っている。
命子は、自首しなされ、と適当にあしらおうかと思ったけれど、ここで豆電球した。
いい加減面倒臭くなったとも言う。
「うむ、よろしい! マイナスカルマ者は放課後、ジャージに着替えて帰り支度をして集合だ! アンタもな!」
悪っ娘は、よく分からないが頷くほかなかった。
放課後、命子の下へマイナスカルマの女の子たちが集まる。
意地悪そうな顔つきもあれば、清楚な感じの女子もいる。
悪っ娘は、風体こそダウナー系だけど実は良い子、みたいな雰囲気だ。実は悪い子だが。
「へへっ、そうそうたる顔ぶれだぜ。この瞬間に集団異世界転移したらどうなっちゃうんだろう」
「異世界転移ですの? 不思議の国のアリスみたいですわね」
「うむ、ささらはそのままで良いんだぞ」
集合をかけた命子は、何かしら問題を抱えた子で構成された一団を見てハラハラした。
命子はささらと共に田舎の町をとてとて歩き、河川敷に到着するとマイナスカルマの女の子たちを青空修行道場へ放流した。
「ここは青空修行道場です。本日からみなさんには放課後の1、2時間、ここで活動してもらいます。スマホを弄っていても良し、爪の手入れをしてても良し、お喋りしてても良いよ。帰りたくなったら時間を待たずに帰っても良いし。まあとにかく、好きに過ごせや!」
命子はそれだけ言うとさっさと準備をして、仙人みたいな爺さんの所で子供に混じってえいえいし始めた。
悪っ娘は、困惑した。
というか、全員が困惑した。
むしろ近くで見ていたサポートの爺ちゃん婆ちゃんすらも困惑した。
放置っぷりが極まっていた。
しかし、命子にも考えがあった。
これはワックスを塗ってふき取るの原理なのだ。
何をしているか分からないが気づけば凄いことになっている、そういうのを期待していた。
説明するのが面倒くさいとも言う。あるいはググレカスとも言う。
というわけで、気の良いお爺ちゃんが悪っ娘共にこの場の説明をしてくれた。
説明を聞いて、全員がさらに困惑した。
それは女子高生たちにとって意味不明過ぎる集団であった。ギャル属性を保持した者も多く、青空修行道場とか正気を疑うレベルのダサさだった。
しかし、進むべき方向が分からなくなっていた彼女たちは、やっと見つけた小さな光に縋って、とりあえず、この場で活動を始めるのだった。
悪っ娘は、その日、謎の幼女にオオバコ相撲でフルボッコにされ、サポートのお婆ちゃんからお菓子を貰い、それだけして家に帰った。
他の娘も似たようなものだった。
少女たちが変わり始めるきっかけとなったのは、人それぞれだ。
ある者は、単純にスポーツをすることで。
ある娘は、お年寄りにスマホの使い方、ウィンシタのやり方を教えたことがきっかけになった。
ある娘は、お婆ちゃんの爪をデコって、感謝されたことがきっかけだった。
ある娘は、昔得意だったヨーヨーの絶技に子供たちから大喝采を浴びたことがきっかけだった。
またある娘は、多くの人と過ごし、大人はクズばかりではないのだと学び、心を癒していく。
悪っ娘は、手癖の悪さ以外は基本的に真っ当な子だった。
他の部分で真っ当である程度の優しさがあったからこそ、5年近く万引きを続けてもカルマのマイナス値が1600程度で済んだというのもあった。
そして、カルマが可視化され、あの日見た悪党の末路を見て盗みが怖くなり、手癖の悪さを直して本当の普通の子に変わろうとしていた。
そんな風に多くの少女が、この場所で昔の自分を振り返る経験をしていた。
中には本来ならこんなことでは反省しないような子もいたが、カルマが前提にあるので、そういう子も以前よりずっと物事を考えるようになっていた。
そんな彼女たちが決定的に変わるきっかけとなったのは、羊谷命子の大演説だった。
命子の電波をキャッチしたわけではない。キャッチした子もいたかもしれないが、多くがそうではなかった。
命子が修行せいとやったことで、青空修行道場に爆発的に人が増えたのだ。
これにより、サポートの人たちは半ば趣味でやっているのに凄く忙しくなった。
忙しく働くサポートの人たちを見て、悪っ娘たちはお手伝いを始めることになり、同類ではないより多くの人と関わることになった少女たちは、欠落していた何かを少しずつ取り戻していった。
確定的に明らかに罪を犯した者を弁護して刑期を軽くすると、弁護した者は場合によってはカルマリンクが発生する。特に、脅されているわけでもなく、表面上なんら反省していない人物に対して、法廷で罪が軽くなる裏ワザを指南したり、事実とは違うことで弁護したりする行為は確実にカルマがリンクした。
カルマリンクを受けた者は、弁護した相手と減刑した分の期間、カルマが一方的に同期させられる。
その人物が善行を行えば2割貰え、悪行を行えばそれも1割貰うことになる。
つまり、減刑をしたことで、その人物の連帯保証人にされていたのだ。いや、プラスになることもあるので、株主のほうが近いかもしれない。ただし、その株を手放すことはできないが。
一方、表面上は本当に反省している人間を全力で弁護したり、多くの意見を聞いて裁定する場合はカルマリンクは起こらなかった。それは、弁護する側も裁定する側も、将来的に件の人物が罪を犯すかどうか反省した態度からは予測できないからだ。
裁判をゲーム感覚で挑んでいる人間はかなり恐ろしい目に遭っており、逆に大昔の血に染まった裁判を復活させないように罪と罰を深く考える者は相応にプラスになっている。
とまあ、これは裁判官や弁護士などの話だが、一般人でもカルマリンクは起こり得た。
ただし、様々な理由で赤の他人を裁く勇気がない人もいるので、そういう点は加味されている。
世間でよくカルマリンクしている例は、なんら反省してない子を親が弁護して無罪放免になり、親子でシメシメするだけで終わっているという事案だ。これが非常に多い。
さて、悪っ娘は、バイトを始めた。
そのお金のほとんどは今まで万引きしてきた店に謝罪と共に納めていった。
多くの店で怒られたけれど、最終的にはほとんどの所で許してもらえた。
店からすると店を傾けかねない万引きは大変に忌むべきものだが、店主もまたカルマについて考える人なのだ。プラスであってもマイナスであっても、謝罪に来た子に対して苛烈な裁定はできなかった。
というか、ぶっちゃけて言えば謝りに来られても困る事案だったが、必死な悪っ娘はそこまで深く考えることはできなかった。
お金は受け取ってくれる所とそうでない所があった。
受け取ってくれない所では押し付けるのも逆に困らせると思い、そのお金は一番近い神社にまるまる納めた。
神社にお金は納め、悪っ娘は謝りに行った店の繁盛を祈って帰った。
そんな中で、悪っ娘の処遇を判断できない店主もいた。
前述したカルマリンクが存在するからだ。
すでに政府はカルマリンクがどういうものか公にしており、表面上反省している者を許してもリンクしたりしないと多くの人が知っていた。
だが、それはそれだ。自分で判断できない人だって大勢いる。
数人の店主から自分には判断できないと言われ、悪っ娘は自分から警察署に行き、その反省の態度からカルマ観察処分になった。
カルマ観察処分は、悪っ娘が自首した頃にできた審判の一つだ。
カルマが可視化されたことで全世界的に自首する人が爆発的に増えたため、軽微な犯罪歴の者にはこれが適用されやすかった。そうでもしなければ、刑務所がえらいことになるからだ。
具体的にどんなものかといえば、プラス判定を受けた行いをネットアプリもしくは専用のノートに記帳して、担当の人に見てもらうものだ。
反省しているかどうか知るために、プラスカルマの推移は非常に有用だったのだ。他の人の更生プログラムにも使えるので情報収集という側面もある。
ちなみに、マイナスカルマは法律上問題ない場合でもマイナスになることがあるため、今のところプライバシーの観点で開示を求めた例は日本では起こっていない。
とまあ、そんな日々が続き、夏休みは目前まで迫っていた。
その日も青空修行道場に通っていた悪っ娘の耳に、顔なじみのお婆ちゃんたちの会話が入ってきた。
「一寸木さんのお見舞いに行ってきたよ」
「あらまあ、どうでした?」
「地球さんがレベルアップして、少し元気になったんだけどねぇ。やっぱり長くはないかもしれないわ」
「あの人も駄菓子屋さんをやめて、すっかり生き甲斐がなくなっちゃったみたいだからねぇ」
その言葉を聞いた瞬間、悪っ娘は目を見開いた。
駄菓子屋さんをやめた一寸木さん?
この町の駄菓子屋はどこも健在だ。
しかし、悪っ娘が住む隣の市の端っこにあるチョッキンコという駄菓子屋は、話にあったようにすでに店を閉めてしまっていた。
「な、なあ、婆ちゃんたち。その一寸木さんっていうのは隣町の駄菓子屋さんの?」
「そうよ。あたしらとは演劇の会で一緒でねぇ。ここら辺の小学校にもよく紙芝居や人形劇をしに行ったものさ。御話コンコン不思議な世界にご招待って、みんなでやったんだよ。懐かしいねぇ」
お婆ちゃんはパペット人形を喋らせているような手つきで、言った。
「あっ、それ。あたしが小学校2年生の時に見たの覚えてるよ」
「まあそうかい? ふふふっ、覚えていてくれる子がいてくれて嬉しいねぇ」
お婆ちゃんは目を細めて笑った。
その話もしたいところだったが、悪っ娘は先ほどの話に戻った。
「それで、一寸木ってお婆ちゃんは、えっと、お見舞いってどういうこと? どこか悪いの?」
「うーん、あれは病気というか寿命だわね。旦那さんを亡くして、駄菓子屋さんも閉めて、一気に元気がなくなっちゃったのさ。あたしらくらいになると、そういうことがあるんだよ。寂しいけれどね」
「……どこに入院しているの?」
「病院じゃあないよ。あっちのほうにある鶴亀苑っていう老人ホームさ。お見舞いに行ってあげるのかい?」
「は、ははっ、行かないよ……」
悪っ娘は、下手くそな笑みを浮かべると、その場を離れて土手の階段に座り込んだ。
《Sインフォ 魂が己の原初の罪を思い出しました。これより贖罪の試練に入ります》
悪っ娘の心に風が吹く。
その風は土手に咲かせた花々を静かに揺らし始めた。
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、感想、大変励みになってます。
誤字報告も助かっています、ありがとうございます。




