6-9 青空修行道場 始動
本日もよろしくお願いします。
「ごめんなさい、命子さん……っ!」
土手の上を走ってきたささらママが、開口一番で命子に謝罪した。
大人がやるべきことを、たった15歳の少女にまたやらせてしまった。
それがささらママや馬場には辛かった。
「なんのことですか? 暇だったんでお話ししてただけですよ。それよりもみんな待ってます。私じゃ指揮は無理ですから、大人に任せます」
命子は中二なので、飄々系あるいは昼行燈系に少なくない憧れがあった。だから、ここぞとばかりに飄々としたセリフを口にする。
しかし、その意を汲んでくれる紫蓮は土手の下だ。
ささらママと馬場は、ただただ感服するばかり。
「ええ、ここからは任せてください」
ささらママは命子から拡声器を受け取った。
命子はこれで安心だと、ささらママ以外の母親と一緒に土手の下へ降りてささらたちのそばに行った。
すると、紫蓮が妙にペタペタ触ってくる。
にゃんだコイツ、と命子は脇腹をこちょこちょし返した。
紫蓮はクネクネしながら命子の腕に抱き着く。デレ期である。
そんなことをしているうちに、ささらママが拡声器で話を始める。
ささらママはまず、報道陣に向き直った。
報道陣の男性たちはささらママの切れ長の瞳に見つめられ、ひゅんとした。
『報道関係のみなさん、これから風見町がどのような行動を取るか全国へ放送してください。次のイベントの指針になるはずです』
どのような結果になるにしても、この36時間の撮影は人類の道しるべになるはずだ。
だから、余すことなく撮影するのがこの場にいる報道陣の使命であった。
『あと、エネーチケーさん。あなた方にはこの後、特別な放送をお願いします』
「え、急に……い、いや、分かりました!」
この場ではアジテレビも生放送しているので、優柔不断な態度は全てお茶の間に流される。
ディレクターはクビになる覚悟で独断した。
『それでは、みなさん、現状を説明します』
ささらママの言葉に、青空修行道場の面々はピシッとした。
女傑と噂されるささらママは、青空修行道場の陰のリーダーなのである。
そんなささらママの姿が、早速、日本中のお茶の間にも流れ始めた。
『風見町が出入り禁止状態になったのはみなさん知っての通りです。出入りができなくなったのは予想外ですが、考えようによってはマニュアルパターンDが使えます。つまり全国で同時多発的に魔物が出現することを想定したマニュアルパターンです。他の地域に頼れないのですから、現状はほぼ同じです』
ささらママの提案にマニュアルを理解している一同は、言われてみればそうだな、と納得する。
青空修行道場では、町や自衛隊と連携して魔物氾濫対策マニュアルを作成していた。
災害マニュアルの魔物版である。
魔物に対するマニュアルは前例がないために想定できる数パターンを作ることになった。
その中には、風見町が物理的に孤立させられるというパターンはさすがになかった。
その代わりに、全国、あるいは全世界で同時に魔物が出現するというパターンは想定していたので、今回はこれを代用するという話である。
これは他の市町村も手一杯なのでどこにも逃げられず、さらに救援も望めないという想定なので、条件はほぼ同じなのだ。
むしろ、風見町の評判を受けて、この地に逃げてくる人がいるかもしれないという想定でマニュアルを作ったため、よりハードなマニュアル設計になっている。
『この案はすでに各方面と協議し、採用されています』
ささらママは、車での移動中に電話で緊急会議を終えていた。
これは事前に何度も風見町の各機関と話し合っていたため、すぐに終わった。
『よって青空修行道場はこれよりパターンDに基づいて行動します。このマニュアルが分からない方は、このあと説明しますので少々お待ちください』
多くの人が頷くが、パターンDとはなんぞやと分からない人も大勢いる。
初参加の人もいるし、告知後に不安で近所からやってきた人もいる。マニュアルの内容を忘れちゃった人だっている。中には外国から学びに来た強者もいるので、説明は必須だった。
一先ず方針だけ告げ、ささらママは話を続ける。
『方針はそうなりますが、一つ問題が生じています。緑の膜は、風見町全域に展開しています。東は白塚信号まで掛かっています』
ささらママは、さらに北と南とそれぞれ方角を指さしながら説明する。
白塚信号は風見町の大人なら誰でも知っている地名だ。
風見町は隣の市との間に山間を抜ける大きな国道が走っている。
その中間にあるのが白塚信号であった。この場所は厳密には隣の市である。
『北、南、東は自衛隊のほうですぐにでも対応が始まるので問題はありません。問題は西側です。西側は猿宿が範囲内に入っていると判明しています』
風見山を指さして言うささらママの説明に、大人たちがギョッとした顔で風見山の方角を凝視した。
「あ、あっちは猿宿まで伸びてやがんのか!?」
大工の元棟梁・ゴン爺が焦った声で叫ぶ。
周りの大人たちも渋い顔をする。
風見山を越え、さらに数個の山を越えた先に山間集落・猿宿はある。
これは非常に面倒な事態だった。
風見町と仲が悪いとかそういう話ではなく、猿宿は風見町から道路が通っていないのだ。猿宿へ出入りするには猿宿の西と北西にある道しかないのである。
つまり、山間にある猿宿は詰みと言っていいレベルで孤立していた。
ちなみに、猿宿は隣の県に属している。
大人たちは車で色々な所に行けるので地名をよく知っているが、子供たちは全然分からなかった。
分からないのでスマホ先生だ。命子は、円熟と入力してふわふわなパンのサイトを召喚した。
「さりさ嬢、自衛隊はどう対処するって言ってんだ?」
ゴン爺の質問に、ささらママは説明を続ける。
『現在、風見町には1400名の自衛官がいます。その内、400名と50匹の戦闘犬部隊を猿宿へ派遣することを決定しました。あの場所ですとイベントが始まった後ではすぐに援軍を送れないため、多めに派遣します。装備を整えた後に山越えに入る予定です』
「そうか……」
風見町にいる自衛隊は、1400名だ。
その内、400名は風見山の無限鳥居で活動しており、残りの1000名がG級ダンジョンの防衛などに携わっている。
多くのダンジョンは250~500名で防衛されているが、風見町はタカギ柱を警戒して増員されていた。これは教授のアドバイスが利いていた。
なお、ダンジョンに入っている者は順次強制的に外に出されるという地球さんの言は正しく、ダンジョン内で活動している自衛官たちも帰ってきており、すぐに活動を開始していた。
『我々は1000名の自衛官が最大戦力になります。魔物がどの程度出てくるか分かりませんが、相手の数によっては我々も戦うことになるでしょう』
ささらママの言葉に、全員が神妙に頷く。
正直、400名が取られるのは大変な痛手なのだが、猿宿の人たちだって困っているのだから仕方がない。
命子は、これはたぶん戦うことになるな、と推測した。
地球さんはそういう匙加減で敵を出すだろう、と。
『それでは、これから10分後にマニュアルパターンDの説明会を行います。理解できている方は私についてきてください。説明を聞く方はこちらの女性の前に集合してください。みなさん、10分の間に外部に連絡が必要なら済ませてください。また、この後の移動中でも連絡の機会はありますので、慌てなくて大丈夫です』
ささらママは説明の後、英語、フェレンス語、チュゴー語で移動場所を説明する。
外国語でのマニュアル説明は、自衛隊から派遣された人が行うことになる。
そうして、青空修行道場では、ささらママの下と馬場の下へそれぞれ移動が開始された。
魔物氾濫対策マニュアル・パターンD(以下、パターンD)は、日本中に魔物が出現したため、風見町だけで事に当たらなければならない事態を想定して作られたマニュアルだ。
これは他の市町村から避難者が来ることも想定している。これは風見町が有名すぎるために十分に起こり得ると考えられたためだ。今回はこの点が排除される。
現在の風見町の昼間人口は、約43000人。
半年前まで昼間人口10000人程度だった田舎町は、ダンジョンができて4.3倍に膨れていた。
これはあくまで昼間人口で、実際の居住者は15000人程度だ。
しかし、ダンジョンという24時間営業の施設のせいで夜間人口も43000人からあまり変わらない。風見町は、人は入れ替わるが常に同じくらいの人口を保持する特殊な人口形態になっていた。
自衛隊を含まない42000人という人口を、自衛隊は1000人で守らなければならない。
他にも、警察や消防も魔物対策の訓練を施されているので戦力として期待できるが、最大戦力はやはり自衛隊だ。
この防衛能力を最大限生かすために、パターンDでは児童館などの小規模の避難所を全て削除している。
大きな避難所に我慢して入ってもらい、自衛隊の戦力をなるべく分散させずに守ってもらう計画だ。避難者は窮屈な想いをするのは確実だが、そうでなければ守れないのだ。
今回の場合、魔物が出る期間は24時間と確定しているので、この案は最善策に思われた。
避難所は、各学校、大型デパート、文化会館、総合体育館、各病院、役場、青嵐を含む大きなマンション、自衛隊大天幕、ダンジョン区、などだ。
他にも、住宅が密集している地域に陣を作り、陣の中の各住宅に避難者を宿泊させる。この許可も事前に家の持ち主から得ている。
現在、風見町が置かれている状況とこれに対する作戦を土手の上で馬場が説明する。
パターンDが分からなかった組への説明会だ。
そこから少し離れ、ルルママや他外国語ができる自衛官が、外国人向けに同じように説明する。
さらに少し離れた場所では、命子のお母さんや紫蓮ママ、他サポート員がエネーチケーのカメラマンの前で『この場にいない風見町の人向け』に同じように説明している。
エネーチケーの報道陣は、この説明のために利用されたのだ。
すでに町内全域で、エネーチケーを見ろ、と何度も放送が入っており、これから自分たちがどのように行動すればいいか生放送で教えられている。
もちろん、これを見るのは風見町の人だけでなく、全国、いや全世界でも視聴されていた。それにより、専門家から評論などされていたりする。
食料は3食分、何かしら持参してほしいこと。なくても配給はあること。
布団一式やそれに代わる物を用意しておくこと。
家に誰も残っていない場合は、玄関に張り紙を残しておくこと。
助けが欲しい場合は、近くを通る誘導員に声を掛けること。
などなど。
命子のお母さんは、他のメンバーにサポートしてもらいつつ緊張しながらも丁寧に呼びかける。
そして、その生放送が終わるとエネーチケーでは1時間にわたり、総理大臣の緊急記者会見すらも流さずに同じ内容が流されることになった。ロリなお母さんのエネーチケージャックであった。
一方、すでにパターンDを理解している面々は、ささらママの下へ集まっていた。
土手の上からささらママや他数名の役場の人が声を張り上げて指示を飛ばし続けている。
ステータスから出現する魔物を知ることができるという親切設計なので、時間を見つけて見るようにも言い渡す。
「ゴンさん組は、三番地区の住民を文化会館へ誘導してください! お年寄りが多い地区です、分担し必ず一軒ずつの訪問と必要ならば布団一式の運び出しを手伝うように! それでは点呼後出発をお願いします!」
「おうよ、任せとけ!」
避難地図を持ったゴン爺は80名の部隊を引き連れて移動を開始した。
「鳥越さん組は、四番地区の住民を菊池デパートへ! 菊池オーナー、問題ありませんね!?」
「ああ、ああ、もちろんだとも。この町のみんなのおかげで大きくなった店だ。こんな時に恩を返せないでどうするか。どうか使ってくれ。デパートの中の物も必要なら全部持っていけ」
「ありがとうございます。助かります。それでは鳥越さんお願いします!」
年老いた菊池デパートのオーナーに、ささらママは感謝の言葉を告げて指示を再開する。
「風見女学園部隊は3つのルートで学園に戻ってください! 各班隊長、ルートとやることは把握してますね?」
「「「はい!」」」
班長である命子、ささら、部長が元気に返事をした。
ルルよりも部長のほうがこの土地に慣れているので、部長が班長の1人になっている。
指示を出された命子たちはぞろぞろとその場を離れて、部隊を編成する。
243名が本日修行に来ていたので、1部隊81名ずつだ。
さらに、そこに御付きの大人や、修行場に来ていた女子高生の弟妹も組み込まれ、大体100人くらいの軍勢になっている。
命子の班には、萌々子とフェレンスのテレビクルーが1組参加した。
「諸君、修行部はこれより任務に入る! 気張っていくぞ!」
「「「おーっ!」」」
部長の発破に、女子高生たちが腕を上げて奮い立つ。
この様子をフェレンスでは独占衛星中継されており、とんでもない視聴率になっていた。
「よし、それじゃあ命子組、出動!」
「「「あいあいさー!」」」
命子は、ささら、ルル、部長と分かれて部隊を率いて歩き出した。
しかし、その歩みはすぐに止まった。
「どったの?」
女子高生の1人が立ち止まった命子に問うて、そのまま命子の視線を追いかけた。
視線の先では1組の男女がおり、今まさにその男女の下へ1人の人物が合流するところだった。
「ツバサさん!」
「レン!」
後からやってきたレンと呼ばれる人物は、どうやら冒険者のようだ。
それも10層に到達していると装備で分かる。
元からその場にいた男は空気になる技を使った。
「大変なことになったわね。レンは今日ダンジョンだったんでしょ?」
「ああ、今回ボスに挑もうって話だったんだけどね。それどころじゃなくなっちゃったな」
そんな風に会話する2人を見て、女子高生が言う。
「ふぇ、超イケメンじゃん! それにテライケボだし! 大学生かな?」
「イケメンは分かんないけど、ツバサ姉ちゃんのほうは大学生だね」
ツバサは命子が修行を始めて、ささらの次に知り合った仲間だ。
おっぱいが大きくて、よくおへそを出している。
命子は、成り行きを見守る。
すると、レンと呼ばれた人物がそばでポツンと立っている男の存在に気づいた。
「あっと申し訳ない。お話し中でしたか?」
「あ、いや、俺は……」
男は俯いてごにょごにょ言った。
レンは肩を竦めて、ツバサに言う。
「ツバサさん、なってしまったものは仕方ない。一緒に行動しよう」
レンはそう言って手を差し出した。
それを見て、ツバサはチラリと男を見る。
「あー、私は……」
「あ、ははっ、ツバサさん、行きなよ」
ツバサの言葉を遮って、男が言う。
「え、だけど……」
「俺は俺でやることがあるからさ。俺は大丈夫だよ」
男はそう言って、返事も聞かないまま踵を返した。
ツバサは、眉を八の字にしてその背中を見送った。
「あれじゃあ負けちゃうよ」
「うん、あそこはバシッとやらないと。相手は超イケメンなんだし」
一部始終を見ていた女子高生たちがそう評価した。
命子はがっくりした。
男の、そう、かつて1キロでいつも帰っていた兄ちゃん・馬飼野の笑い方は、命子と出会った頃の何かを誤魔化すような笑い方に戻っていたのだ。
命子は男女の機微など分からないけれど、修行を始めた最初期から知り合いの兄ちゃんには頑張ってもらいたかった。
命子は首を振り、気持ちを切り替えて、みんなに向き直る。
「それじゃあ、改めてしゅっぱーつ!」
「おーっ!」
そうして出発した命子は、すぐに馬飼野に話しかけた。進行方向が一緒だったのだ。
「馬飼野の兄ちゃん! 兄ちゃんもロマンに溢れた女子高へ行こうぜ!」
「え、あ、め、命子ちゃん。女子高って、この中に混じるのは……」
「なぁに言ってんの。私の修行に最初っからついてきたんだから、今更気にすんなよ。あの時だって女子4人に兄ちゃん混じってたじゃんさ。それがちょっと多くなっただけだよ」
「多くなりすぎだよ。100人くらいいるだろ。でも、そうか……」
馬飼野は緑色の膜が張られた空を見上げてしばし考えると、頷いた。
「うん、行くよ。何か協力させてほしい」
「オッケー!」
努めて陽気に言う命子は、この人もずいぶん変わったな、と思っていた。
半年前は、命子が話しかけても目を見ずにへらへらと笑って話し、手は小刻みに震えていた。
今も手は震えているものの、頑張って顔を上げ、頬を引き締めて、しっかりと言葉を紡いでいる。先ほどは惜しくも負けてしまったけれど。
馬飼野は一度だけ青空修行道場を振り返り、女子高生たちと共に歩き出した。
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、感想、大変励みになっております。
誤字報告も助かっています、ありがとうございます。