6-8 始まりは小さな女の子だった
本日もよろしくお願いします。
『ピーンポーンパーンポーン! みなさん、元気してた!? 地球さんだよ!』
いつもの如く唐突に始まった地球さんの告知に、その場の全員が動きを止める。
当然それはこの場のことだけではない。全世界規模で人々は手を止めた。すでに何度か起こっていることだけに各国政府はこの辺りの注意も呼びかけており、大きな事故はあまり起きなかった。
『さあさあ、生死を懸けたバトルをしている子もご飯を食べている子もちょっとお話を聞いてね。人間さんは乗り物に注意しよう。今回は少し待ちます。それでは、聞く態勢を整えてくださーい』
命子たちは顔を見合わせた。
いつも言いたいだけ言って終わる地球さんとは思えない配慮の仕方だ。
まあそれでもいきなり聞く態勢を整えろとは十分に無茶ぶりだが。
「みんな、メモの準備をしなさい!」
部長が女子高生たちに指示を出す。
ダンジョンで教官役をしていたことが部長の中でリーダーシップを育んでいた。
その声を聞いて女子高生はもちろん、周りの大人もハッとしてメモの準備を始めた。
少し離れた道路では、車が列を連ねて路上停車し、人が車外に出たりしている姿が見える。
人間に混じって修行場で日向ぼっこしていた犬や猫も傾聴の構えだ。
5分ほど経つと地球さんが話し始めた。
『まずは隠されたイベントの攻略おめでとう! 可哀想な星の巫女が仲間のために一生懸命作った装置だけど、残念ながら少し設計が違ったね。でも、結果的に子孫たちが大きなマナ因子をゲットできたから星の巫女の宿願も叶ったかな?』
階段に広げたメモ帳に重要そうなキーワードを書く命子は、星の巫女とマナ因子という言葉に丸をつけた。
思い出すのは、フニャルーの咆哮によっておかしな挙動を見せたキスミア人とキスミア猫たちの姿。あの時にマナ因子とかいうものが芽生えたのだろうかと、そんな風に考えた。
星の巫女については、ペロニャのことだろう。
難しい顔をする命子の背中には、ほけーっと空や川や山を見回すオオバコ幼女が合体している。子供は、この不思議な声を聞くとこうして色々な場所を見てしまうのだ。特段、霊的な物を察知しているわけではない。
『さてさて。お祝いの言葉はほどほどに、本題に入りましょう。地球さんは太陽さんの周りをグルーッと半周ほどしました。相変わらず太陽さんはおっきいですねぇ』
時間経過を語ったその報告に、命子は、ついに来たかと冷や汗を流した。
それは、ささら、ルル、紫蓮……『その時』に備えてきた大人たちも同様だ。
『ふふふっ、太陽さんをグルーッと半周するのは、みんなの間では結構な時間だって地球さんは知ってるんだ』
いや、そんな長い時間じゃないんだけどと命子は思ったが、聞く人間によってはこれが人間だけを指しているわけではないとすぐに理解した。
人間にとっての半年は短いが、20年やそこらしか寿命がない動物にとっての半年は十分に長い期間だろう。そういった動物にとって、これが1年、2年と先になれば、致命的なまでにチャンスを逃すことになり得る。これから始まることが果たしてチャンスかどうかは分からないが。
『ご想像の通り、これから地球さんは、ダンジョンの魔物排出機能をオンにしようかと思っています!』
青空修行道場はしんと静まり、川のせせらぎばかりが妙に耳についた。
命子がおんぶするオオバコ幼女の腕にぎゅっと力が籠るので、命子はその華奢な腕を優しく撫でた。
『ただし、これはマナが満ちた場所から順番になるよ。現在、それに該当する地域は1つ! その場所はー……この地域です!』
その瞬間、風見町の空に緑色の膜が張られた。
お、おぅふ……と青空修行道場の面々は何かを納得する。ぶっちゃけ、そんな気はしていたのだ。
『人間さんが風見ダンジョンと呼んでいるダンジョンの周辺と無限鳥居のダンジョン周辺だね。猫さんのお膝元の地域も該当したんだけどね、この前猫さんが目を覚ましたことでマナが少し持ってかれちゃったよ。まあ十分に濃度が高いから、またすぐに満ちることでしょう』
それが良いことなのか悪いことなのか判断できないが、ルルは少しホッとした顔をした。そうして、すぐに気持ちを自分たちのことへ向ける。どうやら、この地が真っ先に該当してしまったらしいので。
『さて、マナが満たされた地域は順次記念イベントが開始されます。お祭りですな! それでね、このイベントにはルールがあります。これからそのルールを発表するから、よーく聞くようにねー!』
地球さんはイベントのルールを説明し始めた。
曰く。
―――――
★イベントは緑色の膜が張られた地域が対象。
この地は、イベント後も頻度こそ大きく変わるが魔物が出現するようになる。
★この地に巣を持っている者は、居住者と定義される。
全ての個体は、居住者権を1か所だけしか所持できない。
★イベント中、緑色の膜が張られた地域は外から内に入ることはできない。ただし、居住者は可能。
逆に内から外へ出ることは全員が不可。
★魔物は、地面からにょきにょき出現する。
・ダンジョンの渦から出てくるわけではない。
・動物の巣の中にじかに魔物は出現しない。
・人間の巣は建物内部。庭は含まれない。
・ただし、出現後は建物内部に侵入することはある。
★魔物は、人間の定義でG級~E級が出現する。
・イベント中に出てくる敵は、ステータス画面で確認できる。
・地上では特定の魔物以外、アイテムをドロップしない。
★魔物は、攻撃対象が決まっている。
・スキルを得ていない者は全ての魔物から攻撃対象にされない。
・人間は10歳以下の場合、初期スキルを得ていないので対象外。
・戦えないほどの高齢者や疾病者は対象にならない。
・魔物は自分を認識していない敵を攻撃しない。ただし、流れ弾はあり得るので注意。
・G級の魔物は、上記以外の全ての者を攻撃する。
・F級の魔物は、レベル6以上の者を攻撃する。
・E級の魔物は、レベル13以上の者を攻撃する。
・ただし、対象外の者に攻撃または行動阻害をされた個体は反撃を開始する。
★ダンジョン内での戦いと同様に死ぬ場合もある。
ただし、戦闘継続が不可能と判断された個体にとどめを刺すことはない。
★イベント以降に地上に出てくる魔物も基本的にこのルールが適用される。
ただし、シークレットイベントはこれ以外のルールの場合もある。それはわざわざ告知しない。全ての敵に注意を払うように。
★イベント期間中、イベント範囲内のダンジョンは入場不可になる。また、現在探索中の者はこの後、順次強制的に排出される。
★イベントはすでに始まっているが、魔物が出るのは明日の日の出から始まり、明後日の日の出で終わる。
イベント終了後は一時的に全ての魔物は消滅し、5日間は出てこなくなる。
★なお、緑の膜に乗り物が突っ込むと事故るから気を付けるように。
★特別サービスで遠距離魔法を使う雑魚敵は、太陽をさらに半周するまで出さない。
ただし、ボス級は遠距離の必殺技も使う場合があるので注意。
★このルールは、以降の地球さんイベントにも適用される。
――――――
メモを書き続ける命子は、おや、と思った。
これ、めっちゃ温いぞ、と。
それに超楽しそうだぞ、とも。
特に、10歳以下が攻撃されなかったり、不意撃ちがなかったり、魔法を放つ雑魚敵がいなかったり、ヌルゲーも良いところだ。ボスは出てくるようだが、そもそもD級も出てこないみたいだし。
ダンジョンは殲滅システムではない。
以前、天狗が言っていたセリフを命子は思い出した。
つまり、こういうことだったのだろう。
「今回は色々教えてくれて親切デスね……」
「攻撃対象のルールが分からなければ、死に過ぎるからじゃない?」
「そうかもデスね」
ルルの呟きに命子はパッと思いついた推測を口にした。
実際、このルールを知らなければ、大量に死ぬだろう。
天狗の話を聞いた限りでは、レベル2の人はE級の魔物にまず勝てないだろうから。
そして、自力で気づいたとしても簡単に試せるものではない。
一方、ささらと紫蓮は『戦闘継続が不可能と判断された個体にとどめを刺さない』という項目に、萌々子がピンチになった時のことを思い出した。
あのイベントもまた、ベースは同じ内容で動いていたのかもしれない。
ただ、魔法を放つネズミはいたので、やはり特別なイベントだったということだろう。
『さて、ルールはそんな感じだよ。この後、太陽さんが沈み、また昇るまでに準備すると良いよ。それじゃあ、次の日の出にまた会おう! あれ、ずっと会ってるようなものかな!? まいっか、じゃねー!』
こうして、地球さんは、前2回よりもずっと長かった告知を終えた。
《シークレットインフォメーション(以下、Sインフォ):試練開始》
青空修行道場は、混乱しなかった。
ただこの件で議論を交わす声がそこら中で上がり始める。
何かをしなくちゃならない。
自主的に修行場を盛り立ててきたこの場の人たちは、やる気がある。
だから、そんな強迫観念のようなものが芽生えていた。
けれど、良さそうな意見も纏める者がおらずにそこかしこで実行に移されれば、非効率だったり混乱を招くだけだ。
青空修行道場は統率性が欠けたまま、次第に暴走しそうな熱気を帯び始める。
掛け声や勝手な指示がそこかしこで上がる。
宥める声もあるけれど、それは周りの声に掻き消されていく。
そんな河川敷に、声が響いた。
『外界から閉ざされた風見町。果たしてその中の人々の運命や如何に!? っつってな!』
そんなことを拡声器に向かって言いながら、女の子がふらりと河川敷の土手の上に立った。
その背中には幼女がおんぶされている。
女の子の声は広い青空修行道場の各所に付けられたスピーカーから流れ、人々の耳にスッと入り込んでいく。
『みんな、やる気だね。だけど、まあ座れよ!』
そう呼びかけたのは、何を隠そう命子であった。
『ゴン爺も、ほら、とりあえず座りなって』
「あぁん!? いや、嬢ちゃん、だけどな」
土手のすぐ下にいた大工の元頭領に、命子は語り掛ける。
ゴン爺は、面食らったような顔をした。
『ゴン爺。大工ってぇのは澄んだ眼で道具や建材と向き合わなくちゃ良い家は建てられないって言ってたじゃん。今のゴン爺の目はすっごいギラギラしてるよ?』
「なっ!? う、あ……あ、あー……そうか、俺ぁそんな目をしてたか」
ゴン爺は片手の人差し指と親指を両目の涙袋に添えて愕然とした。
「面目ねえ、嬢ちゃん。ちょっと熱が入っちまったな」
『てやんでい、良いってことよ!』
『てあんでい!』
命子のノリに、オオバコ幼女が背中から可愛い声で真似っ子する。
敵わねえなぁと苦笑いしてゴン爺は、ドカリとその場に胡坐をかいて座った。
『部長もとりあえず一服しようぜ。ほら、みんなを座らせて』
「う、うん! ごめん、ちょっと興奮しちゃってたかも! みんな、一回座ろう!」
『トメさんも。戦闘準備には少し早いよ』
「すまんのー命子ちゃん。孫に良いところ見せようとしちゃったんじゃよ……」
『ははっ、トメさんの良いところはカナちゃんが一番分かっているよ』
そうやって近場からどんどん座らせていく。
基本的には混乱していない面々なので、近場の人が座ればそれに同調していく。
さらに言えば、命子が話すとあれば無視できるものじゃなかった点も大きい。
ささらとルルと紫蓮は、そんな命子をキラキラした目で見つめながら、自分たちもその場に腰を下ろす。
すぐにでも行動を開始しようとしていた人々を、命子は、あっという間に全員座らせてしまった。
そんな様子をこの場に居合わせた取材陣が撮影する。事ここに至っては命子撮影禁止条約は無視であった。そんな場合じゃなかった。
世紀の瞬間に居合わせている。取材陣は己の幸運を報道の神に感謝した。
すっかり静かになった河川敷を見て、命子はどうしようか考えた。
あのまま突っ走らせるのはまずいと思って座らせたが、ぶっちゃけノープランだった。
まあ、すぐに自衛隊の人なりささらママなり、指揮ができる人が来るだろうと当たりをつけて、命子はお喋りすることにした。
命子は土手の一部を指さした。
『半年前、その場所で女の子が1人でえいえいって木の棒を振っていたよ』
命子の語りを聞く全員が、それが誰なのか知っている。
『そこに、一緒に修行をする友達が1人加わって』
命子はささらに視線を向けて、にぱっと笑った。
ささらは命子との出会いを思い出して、涙ぐんだ。
そう、ささらは一番に仲間になったのだ。順番なんて関係ないのだろうけれど、それがささらには誇らしかった。あの日、勇気を出して声を掛けた自分が、とても、とても誇らしかった。
『そうして2人で木の棒を振るっていたら、今度は近所の女の子たちがいっぱいやってきたよ』
命子はクララたち小学生メンバーを見て、微笑んだ。
創設メンバーと言える最初の女の子たちは、キラキラした目で命子を見つめる。少し遅れての参加だったけれど、その中には萌々子の姿もあった。
『そうしたら、今度は超強い爺ちゃんが女の子たちの師匠になってくれた』
命子はサーベル老師を見つめて、ニヤリと笑った。
サーベル老師は心底愉快そうにホッホッホッと笑い、白い髭を撫でる。
『それから女の子たちは増え、商店街のおばちゃんや町のご隠居たちも参加して、どんどんどんどん大きくなって……いつの間にかテレビの人まで来るようになっちゃったね』
命子は、あははははっと笑った。
『1人の女の子が始めたお遊戯みたいな修行に、色んな人が真剣に付き合ってくれた』
命子は、青空修行道場を見回した。
犬の散歩や釣り人の準備くらいにしか使われていなかった河川敷は、今ではこの町最大のコミュニティ広場になっていた。
そこに集う面々は、世代を超えて切磋琢磨しあう仲間であった。
たった半年。けれど随分遠くまで来たような気分になった。
命子は、知らぬうちに頭を下げていた。
なんで頭を下げているのか自分でも分からないけれど、そうしたい気分だった。
そうして、再び頭を上げた命子は不敵な笑みを浮かべていた。
『私たちは誰よりも早くこの時のことを考えて備えてきたよ。だから、みんなで考えたことを、みんなで修行してきたことを、地球さんに見せつけてやろうじゃないさ』
鼓舞するというにはあまりに落ち着いたその声色は、されど青空修行道場の面々の魂をぶわりと燃え上がらせる。
「やってやろうじゃねえかーっ!」
「うぉおおおお!」
だれが最初に吠えたのか。
しかし、形を成さなかった叫びは、すぐにまとまりを見せる。
座っていた全員が立ち上がり、天に向かって拳を突き上げる。
「「「えいえいおー! えいえいおー!」」」
その声は地球さんをびっくりさせたかのように大地を揺るがす。
命子は、落ち着かせてから熱狂させるパターンを体得した。
しかし、こうなってしまっては仕方ないので、命子もえいえいおーした。
仲間の目はやっぱりギラギラし始めちゃったけれど、先ほどにはなかった統率の色が宿っていた。
『私からのお願いは一つだよ。みんな死んじゃあダメだよ。これからもっともっと世界は楽しくなる。だから、生きなくちゃダメだよ。青空修行道場はみんなで生き残るための道場なんだからね!』
命子は、みんなにお願いした。
生き残る。
その言葉は、全員の心にスッと染み込んでいく。
拡声器を降ろした命子は、車から転がるように降りてこちらに駆けてくる一団へ顔を向けた。
馬場とささらママ、それからみんなの母親だ。
「さて、あとは任せよう」
指揮能力なんてない命子は、あとは大人にぶん投げることにした。
こうして、歴史に残る36時間が幕を開けた。
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、感想、大変励みなっております。
誤字報告も助かっています。ありがとうございます。