6-2 久しぶりの教授
本日もよろしくお願いします。
夏休みも終わりが近づく頃、有鴨家が風見町に引っ越してきた。
命子たちも引っ越しのお手伝いをしたいところだったが、引っ越し業者の作業はトラブル防止のために絶対にお手伝いをしてはいけないものらしいので、これを断念。引っ越しが落ち着いてからお邪魔することになった。
それが本日のことだ。
引っ越し先は笹笠家が持つマンション。
風見町で最も背の高い建物で、なんと天まで届けとばかりの8階建てなのだ。
その名もマンション・青嵐!
たぶん、命名者はささらママ。
「ふっふーいっ! さすが風見町のビバリーヒルズ。名前まで洒落乙や!」
命子は聳え立つマンションを見上げて感想を言う。
この辺りには、デパート、ハンバーガー屋さん、ゲーム屋さん、100均、DVDレンタル屋さん、ファッションセンターしましま、畑、となんでもあるのだ。
ちなみにささらとルルもこの辺りに住んでいる。
「ここら辺は風見町のビバリーヒルズですの?」
「そうだよ。私んちの辺りは一般区。ダンジョンの辺りは冒険区。あとは農業区とかあるね。風見町の農業区の広さよ……」
なお、命子が勝手に言ってるだけである。
「この辺に住んでるささらのお洋服が良い証拠。完全にビバリーしてるよ? スカートが斜めになってるもの」
「え、そ、そうですかしら?」
「ドレスみたいで可愛いデスよ」
今日のささらのお洋服は、修行の予定が入っていないのでスカートだ。
命子の言うように左右非対称の作りで、大胆にもスカートの裾が斜めになっている。
ちなみに命子はファッションセンターしましまで買った羊さんパーカー夏モデル。
ルルも同じ場所で買った白いTシャツにショートパンツだ。ルルは極めて夏している。海外のビーチにいそう。
3人で並ぶと、命子のロリヂカラがキラリと光っているのがよく分かる。
マンションの自動ドアを一枚潜った命子とルルは、さらにその先の自動ドアへ向かった。
が、開かず。
2人はセンサーに引っかからなかったかな、と身体の位置を変えたり、センサーに向かって手を振ったりした。
「開かないデスね?」
「ちょっとささら、自動ドアが壊れちゃってるよ?」
「壊れていませんわ。この手のマンションは訪問先の部屋にインターホンで来訪を告げて、家人に遠隔操作で開けてもらうのですわ」
ささらはボタンがついた台座を指さして言った。
命子は、ハイテク! とインターホンに飛びついた。
「えーっと、紫蓮ちゃんの電話番号はっと」
命子はスマホを取り出した。
「違いますわ。部屋の番号を入力するんですの」
「あー、そういう仕組みね、ハイテク!」
マンションド素人は理解した。
命子は、有鴨家の部屋番号を入力した。
『はい』
「こちらシープバレー」
『……深淵の闇は』
「……青嵐に眠る」
何か始まった。
『その瞼の裏に潜むのは』
「黎明のトワイライトスター」
『う~な~』
「も~な~」
インターホンの台座から歌うような変な声が流れ、それに同調してシープバレーは両手を上げて同じように朗々と変な声を出す。邪神の復活を願ってそうな声色だ。
すると、ウィーンと自動ドアが開く。
シープバレーはコクンと頷いた。
「行こうみんな、これが最後の戦いだ!」
「難解すぎますわ」
「ちっちゃい子が見てるデス」
ルルが言うように、この空間にはいつの間にか幼女が入ってきていた。
ほけーっと口を開けて奇行種のお姉ちゃんを眺めている。
ふぇええ、と命子たちはそそくさとその場を後にする。
すると、幼女は慌ててインターホンでお友達のお家に連絡する。
『あっ、あーちゃん。いまあけるね』
「う~な~! も~な~!」
『んぇえええ? どした、あーちゃん! あつさのせいか!?』
幼女は早速使った。
以降、この謎の言葉は2人の合言葉としてとても長く使われることになる。
マンションへの侵入に成功した命子たちは、エレベーターに乗る。
静かなエレベーターの中で、ささらが言う。
「黎明のトワイライトスターでは、矛盾してませんこと?」
「我々は矛盾をこよなく愛する存在なんだよ。おかしな生き物だぜ」
「シャーラ。適当に言ってるだけデス。考えるより感じれば良いんデス」
「……深いですわね」
「いや、浅いよ。グッピーが飼えるくらいの水深」
エレベーターを降りて廊下に出ると、紫蓮が玄関の前で待っているのが見えた。友達が来るのが楽しみすぎな子である。
「やっほー、ようこそ風見町へ」
「うん。我もこれから風見人」
「天翼人みたいで良いねそれ」
「うん。それでここが我のお家になった。ささらさん、改めてありがとう」
「良いんですのよ。それに母が物件を紹介しただけですし」
当然、お金だって払っているので別にお礼を貰う謂れはないのだ。
と、ささらは思っているが、実際のところこのマンションの人気は急上昇中であった。
なにせ世界で大注目の風見町にある最も綺麗なマンションなので。
紫蓮の案内でニュー有鴨家に入る。
まだ荷解きがされていないダンボールがあるものの、大方片付いていた。
「はわー、ようこそみんなー」
そんなのんびりした声で紫蓮ママがお出迎えだ。
紫蓮は母親の乱入に、あっち行っててと恥ずかしがる。
なんでぇー、と紫蓮ママは仲間外れにされた。
紫蓮の部屋に入ると、そこは一目で黒が好きなんだなと理解できる内装だった。
マンションの壁なのであまり穴とかは開けられないため、カーペットやベッドが黒い。さらに椅子も黒いしテーブルも黒い。
命子は思った。
これだとヤツが出てきたら分からないんじゃないかなと。
本棚には漫画本やラノベがぎっしり詰まっており、テーブルの上にはノートパソコンの姿も。
ただゲームはなかった。最近の紫蓮はダンジョンで満足しているため、ゲームをやる機会が凄く減っており、引き出しに仕舞われていた。
これは紫蓮だけのことではなく、今までゲームをやっていた人が疎遠になった事例は多かった。
しかし、その反面でゲームを今までやらなかった人がゲームを始めた事例も多かった。ダンジョン、ジョブ、スキルという要素を学ぶうえでゲームは良い教材になったのだ。
差し引きで言えば、ゲーム業界は新規の客を大量に得てプラスになっている状態だ。
これはゲームだけではなく、マンガやラノベ業界でも同じ現象が起こっている。
「この部屋では生産はしないんだよね?」
「うん。生産はMRSの生産場を使わせてもらう」
ダンボールアーマーなどは以前住んでいたアパートの一室で作っていたけれど、これからはもっと大掛かりなことをするだろうし、寝室であるこの部屋でやるには無理だった。
笹笠家は、この辺りの土地を結構持っている。
その土地の一部はMRSの本社などに使う予定だが、他にもいくつか使用方法を決めていた。
その一つが工房だ。
自衛隊がD級ダンジョンを探索し始めているが、未だに中級装備というのは発見されていない。あるいは龍鱗の鎧などがそれに該当するのかもしれないが。
なんにしても、命子たちがC級ダンジョンに入る際には、生産職が作った装備が必ず役に立つはずだ。
妖精店の物よりも生産職が作った物のほうが強力という話だし、E級やD級に入る際にだって役立つと思われる。
それらの開発のための工房である。
そんな工房から世界に配信される技術は、娘たちの安全から生まれたアイデアに過ぎないのである。
現在、工房は建設中で、仮の工房が生産職の活動の場になっている。
仮の工房は、塀の中の敷地に大きなプレハブ小屋が1つと小さな物が3個建っている。
プレハブとはいえお値段は結構する。これをポンと建てるあたり、MRSは儲かっていた。
絆の指輪の素材もほぼ集まったので、引っ越しのあれこれが落ち着いたら工房を借りて作り始める予定であった。
さて、命子たちは紫蓮のお部屋で少しのんびりした後、スマホに馬場から連絡が入り、マンションの外へ出た。今日はこの後、馬場とお出かけなのだ。約束の時間までニュー有鴨家を冷やかしに来ていたわけである。
マンションの外に止まったワンボックスカーに乗り込む。
車は風見町のビバリーヒルズを抜け、田園がちらほら混じる住宅街を越え、住宅がちらほら混じる田園地区へ入った。
トレーラー付きの耕運機が道路をのんびり走っている。命子たちはその光景を見てもあまり珍しがらない。これがウィンシタ映えする物とは全く思っていなかった。当たり前ゆえに。
「ここら辺は風見町の農業特区だね」
命子がさっきの続きで勝手なことを言う。
農家と田畑が多いだけである。
「じゃあ我のお家のある辺りは?」
「あそこら辺は風見町のビバリーヒルズ! ふっふーいっ!」
「なるほど」
命子は何気にこの喩えが気に入っていた。
命子たちがやってきたのは、風見町の北西部。
風見山のお膝元にあり、畑が多い地区だ。命子が農業特区と言いたいのも頷ける風景だった。
命子たちを乗せた車は、そんな場所の一画にある自衛隊の天幕の前で停まった。
「取材の人とか居ると思ったけど、いないですね」
「撮影と現状説明会はこの前したみたいだからね。マナや魔力に関わることは全世界的にほとんど分かってないってのが現状だし、マスコミもとりあえず保留って感じなんじゃないかしら?」
車を降りた命子が周りを見て言うと、馬場がそう説明した。
この場所にはマスコミが集まる要素があった。
風見町に突如現れた光の柱……そう、タカギ柱である。
一般人は現在その姿を見ることができないが、取材陣に対してはキスミア事件の前に撮影と説明会が行われていた。
有害物質を放出しているのではないか、など不安に思う人もいるので、それがこの取材で否定された。
もう少し世間を騒がせると思われたこの話題だが、その後に訪れたキスミア事件により注目度がグッと下がることになる。
天幕に入ると、命子がびょーんとジャンプした。
パソコンのキーボードを叩いていた人物はその姿を目の端に捉え、顔を向けて口角を上げる。
「きゅーんきゅーん! 教授ぅ!」
命子は嬉ションしそうな犬みたいな鳴き声を上げて、教授に飛びつく。
教授は機材を守るためにすぐさま立ち上がって移動すると、命子のジャンピングひしぃを受け止めた。
「はははっ、相変わらず元気だね、命子君は」
旅行中に覚えただいしゅきホールドをキメた命子の背中をポンポンと叩き、教授は笑った。
「くぅーんくぅーん、教授教授ぅ! ……犬の匂いがすりゅ!」
2人の仲睦まじい様子を見て、ここまで車を運転してきた馬場がギリリと奥歯を噛みしめた。会えない時間が気持ちを熱くするブーストを使った友人のテクに、嫉妬が止まらない。
そして、紫蓮もまた命子が凄く懐く謎の女性の登場にもやもやした。
ささらとルルは苦笑いだ。
再会もほどほどに、命子たちは移動した。
この敷地には天幕が2つあり、もう片方の天幕の中にタカギ柱があった。
「おー、マジでセーブポイントじゃん。ねえねえ、教授見て見て。セーブポイント!」
命子は教授に教えてあげた。
教授は頬を緩め、そうだね、と話を合わせる。
暖色の光の膜が、地面から2.5メートルほどの高さまで円柱状に立ち上がっている。
透明な円柱の外周を光の水が天に昇っているような、なんとも不思議な光景だ。
根本では小さな光の粒がポツポツと空に向かって湧き上がり、円柱の内側では大きめの光の粒が同じように空に向かっていく。
2.5メートルほどの高さで、光の膜も粒も等しく霧散し、大気に溶けていくようだ。
「ほへぇ、すげぇ……ハッ、教授、防護服とか着なくて良かったんですか?」
「この辺りの空気から有害物質は特に検出されていない。というか、タカギ柱は物質を透過する。防護服は意味をなさないんだ」
「マジか」
命子的に防護服は無敵だと思っていたが、タカギ柱はチートだった。
「で、これはなんなんですか?」
「さてね、なんだろうか。1つのこと以外はほとんど分かっていないよ」
命子の質問に教授は肩を竦める。
「それは? あー、いや機密だったら別に良いんですが」
「近日中には公開されるだろうが、それに先んじて君らは知っておいたほうが良いと上からお達しが来たから、教えておくよ」
「私たちに関わることなんですか?」
「いや、そういうことではないね。なんというか、君らは事件に巻き込まれすぎなのさ。我々にはそれが偶然なのか何者かが糸を引いているのか分からない。なんにせよ、もし次があった際に知識の引き出しが多ければ、君らが助かる確率も上がるし、重大なヒントを持ち帰る可能性も増える。例えば、天狗と遭遇した時にタカギ柱を知っていれば質問の選択肢の中に入っただろう? つまりはそういうことさ」
「あー、なるほど。存在自体知らなければ質問なんてできませんしね」
命子は教授の話に納得した。
早い話が、念のために教えておく感じである。
政府としては、この種が育たなくとも良いのだ。実をつければラッキー程度の認識なのである。
教授は、1台のパソコンを命子たちに見せた。
「これが分かったことだ」
パソコンの画面には、フワフワと緑色の光が浮かぶ地底湖の姿が映されていた。
「これは?」
「タカギ柱の地下71メートル地点には緑の光を生み出す地底湖がある」
「「な、なんだってぇ!」」
命子と紫蓮が劇画になって吠えた。
それを見て、教授がムッとする。
「君たちのそれはにわかだろう? 私はパパが買っていた週刊誌を毎週ドキドキしながらチェックしていたんだぞ」
命子たちのネタ元は不定期掲載だったのだ。
幼き日の教授はヤンキー漫画などには目もくれず、目次を見てしゅんとしたり顔を輝かせたりしていた。
「あわ、ごめんね、教授」
命子は謝ると同時に、教授がお父さんのことをパパと呼んでいる事実に萌えた。
「ま、まあ、それはともかくです。つまり、タカギ柱ってのはシークレットイベントの目印ってことですか?」
命子がそう予測してしまうように、映像の地底湖はキスミアの地下空洞にある地底湖とよく似ていた。
ただ、映像の解像度が低く、あまり多くのことはわからない。少なくとも光る地底湖と少しばかりの陸地があるようだ。
「それはなんとも言えないね。人が入れるほどの穴はまだ開けられていないんだ。これも小型カメラで撮影したものだからね」
この映像もつい最近撮影できたものだ。
その時にはすでにキスミア事件が起こっており、マスコミは地底湖の情報を知らなかった。
「こっちは超音波で調べた地底湖の立体図だね」
教授は、そのまま映像を切り替え、地底湖の3D映像を出した。
それによれば、地底湖は不格好なおわん型で、湖の中に何かが潜んでいるということはないらしい。
「シークレットイベントの可能性もあるが、その引き金になりそうなものは発見されていない。人や動物が入ること自体がトリガーかもしれないけれど、なにせ慎重に掘削しなくてはならないから、それを確かめるには時間が掛かるね」
真上からは掘削しない予定だ。少し離れた場所からコンクリートで補強しつつ通路を作る構想が練られている。迂遠だが真上から掘るとタカギ柱が消えてしまうかもしれないし。
「じゃあ直近で何かが起こるというわけではないんですね?」
「悪いがそれもわからないね。けれど、こんな物ができたんだ。何かの前触れだと考えたほうが私は良いと思う。前例がないのだし、疑わしいなら備えるべきだ」
「確かに……」
地震や台風など、今まで人間が直面してきた自然災害は、規模の差はあれ前例があった。
しかし、新しい世界は前例がこれから出てくるのだ。前例がないということは、その予兆もまた分からないのである。
だから、教授が言うように疑わしいなら注意しておくべきだろう。
「分かったのはこれだけですか?」
「確定しているのはカメラ撮影できた事実だけだよ。まあ色々と推測はあるがね。例えば、ペロニャの秘宝がなぜ起動したのかとか」
「え。凄いじゃん。どうして起動したんですか?」
「あくまで推測だよ? 恐らく、キスミアやこの地下にある空間は、大掛かりな魔法装置を動かすために欠かせない場所なんじゃないかなって私は考えている」
「つまり、この地下にキスミアのレリーフの真似をした物を取りつければ、ネチュマスが出てくるってことですか?」
「それはやってみなければ分からない。あくまで推測さ。でも、ペロニャが残した物の中で本当に起動したのはあのレリーフ1つだけだ。他の物は素材が悪かったというのもあるかもしれないけれど、場所という要素も頭の隅に置いておいて損はない」
「なるほど、確かに損はないですね」
教授の推測を覚えておけば、いずれ何か凄い装置を発見した際に、それが地上で動かなければこの地下で試すということも思いつく。
「とはいえ、魔法装置云々は人間の都合だ。タカギ柱ができた理由とは全く関係なかろう。まさか地球さんが親切に魔法装置の設置場所を教えてくれたとも思えない」
「それはそうですね。つまり、とにかく注意しておけってことですね」
命子の結論に、教授は深く頷いた。
「あれっ、そうすると、もしかしてアイルプ家の上にもタカギ柱はあるんですか?」
「私もそれは考えたんだが、なかったよ。そもそもキスミアにはできなかったのか、イベントやなんらかの条件が満たされるとタカギ柱は消えてしまうのか……」
話が途切れ、一同はしばしタカギ柱を見つめる。
半固形にも気体にも液体にも見える光の柱。
この光の成分は何も検出されていなかった。
質量もなく、熱もなく、物に閉じ込めておくこともできず、匂いも音も触感もない。光を構成する素粒子さえ存在しない。その測定は、目視に準ずるような方法だけでしかできていなかった。
この事実自体が大きな発見とも言えるが、そういったことはこの後の雑談タイムにでも話すつもりだった。
しばらくの間、キラキラ光るタカギ柱に見入り、教授が口を開く。
「さて、タカギ柱の見学はこの辺りで終わろうか。命子君、久しぶりに能力測定をしてみるかい? あとは君の目の調査とか」
「あはは、教授、目の調査凄くしたかったでしょ?」
「バレていたか。君らが帰国したのを聞いて、早く来ないかなってずっと待っていたんだよ」
「教授は寂しがり屋さんですからね。ぬいぐるみを買ったってネタは上がっているんですよ」
ネタの提供元は馬場である。
「今度、君たちに翔子の晴れやかな自衛隊募集ポスターを見せてあげよう。24歳の馬場翔子隊員だ」
「マジでやめて!」
馬場は、教授に縋りついて懇願した。
というわけで、命子たちは教授に能力測定などを行なってもらうことになった。
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