我が戦略に心酔を【前編】
「では――準備はよいな?」
「ああ。いつでもいいぜ」
カタマヴロスは仁王立ちでアルカを見据える。
オーレインの下した判断のもと、アルカとカタマヴロスはお互いに得意でも不得意でもない、短い野草が叢生する野原に降り立っていた。
オーレインとスピーカによって公平との判断が下された舞台は、カストロ・リュクスからほど近い距離に位置するクロードル平原と呼ばれる場所だ。
暖かな太陽が照らし、豊かな土壌が育まれたこの平原は多様な生物にとって非常に生息しやすい環境なのだが、実際にはスライム一つ生息していない。
その理由はただ一つ。過去、アルカよって徹底的に駆逐されているからである。
要するにここはアルカ・ソルテの私有地なのだ。
遥か昔、荒れ果てた墓地の周囲には大木から丈の低い野草まで様々な植物が叢生していたが、カストロ・リュクスが建てられた際に半径5キロメートル圏内がアルカの魔法によって焼き付くされ――長い時間を経て野草が成長し、再び草原が形作られることとなった。
「それにしても、カタマヴロスよ。随分と禍々しい格好をしておるのう?」
まるで、狂気が意識を持って世界に体現したと言うに相応しい――。
先程まで漆黒の針金のような細長い身体を揺らしていたドッペルゲンガーは、身体中の筋肉をはち切れんばかりに隆起させ、手足の先端に鋭く研がれた血染めのように赤黒いロングブレードを三本ずつ――計十二本も取り付けていた。何もないのっぺらぼうな顔の左側には真っ赤に充血した白目が、その内部には光を一切反射しない黒い虹彩と白い瞳孔が縦に走った眼球が二つ、ギョロギョロと蠢いていた。
設定にあった通り、十二振のロングブレードを身に付けているな。
混沌の赤赫――たしか、〈上位精神抵抗〉のスキルを持ってない相手に傷を負わせると、気持ち悪い触手が襲いかかってくるエフェクトと共に幻覚の状態異常を与える剣――だっけ?
恐ろしいなぁ。
アンデッドのアルカに精神を攻撃するスキルや魔法は効かないが、それでも寒気を感じる程度には十分禍々しいものだった。
そして問題はあの眼球だな。あれはどう見ても魔眼――それだけで伝説級以上――下手したら神話級?
いや、流石にそれはないか······。
伝説級魔道具とはタイトルにも使われている通り、魔道具の最上級に位置するものである。
レジェンドオンラインではこれらを収集することも楽しみの一つとして、様々な効果を持つ魔剣や鎧、魔法の込められた巻物といったものが用意されていた。
と、公式で明記されているのはそこまで――伝説級までなのだが、実は更にその上をゆく隠された魔道具がある。
それが神話級と呼ばれる、この世界のどこかに隠されているという数少ない超貴重な秘宝のことだ。
各地に眠る隠し場所へのヒントを示すドロップアイテムや古文書――そんな情報だけでRMT(現実通貨での売買)すら予想されたので、オプシーゲームス内部でも担当者を除いてごく一部の役員以外にしか知らされていない。
開発チームの一員である栄一にも知らされていないのだ。
普通にゲームをプレイしていれば、まずお目にかかれない。
――設定を聞いた時にはカタマヴロスが魔眼を装備している情報なんてなかった筈だけど······。
いつ装備設定が変更されたのだろうか。それとも、アルカ対策としてカタマヴロスが自分の意思で選んだのか?
とりあえずそこは後に回すとしよう。
とにかくあの眼球が強力な魔眼であることはほぼ確実で、だとすれば複数の厄介な効果を持っているのだろう。
それが二つもはめ込まれているとなれば、いくら警戒してもし足りない。
「生憎と、これが今の手持ちの中で一番有用な装備でな。全力でいかせて貰うぜ」
「ほう、それは楽しみじゃ。そろそろ始めるとするかの」
アルカがそう言うと、カタマヴロスは身構え――地を蹴った。
大地が抉れ、黒い弾丸と化したカタマヴロスが通過した軌道に凄まじい風が吹き込む。
対するアルカは直立不動のまま動かない。優雅な微笑を保っているようにすら見える。
――何だ? 何を狙っている?
刹那、カタマヴロスは動揺した。
いくら自信があるとはいえ、ここまでの余裕を見せる理由は?
一つの考えが頭をよぎる。
――幻術!!
カタマヴロスは二つある魔眼のうち、一つを発動させる。
〈見透す魔眼〉。あらゆる幻術魔法、魅了系スキルを看破し、暗闇から視界の悪い霧の中までも見通す力を使用者に与える伝説級魔道具である。
視線の先に立っていたアルカの姿が蜃気楼のように揺らめき、掻き消える。
「――こっちか!」
カタマヴロスのロングソードが左から切りつけて来たアルカの持つ純白の剣を受け止め、ギィン! と激しい金属音が鳴った。
「なっ!? さっきまで手ぶらだったはずなのに一体どこから! しかも聖剣だと!?」
「ふん、見破られたか。やはり魔眼の一つは儂対策じゃったな」
アルカは不満そうに鼻を鳴らすと、剣を打ち付ける反動で大きく飛び退いた。
彼女の右手に握られている剣――〈聖剣ディーニティコス〉は、聖騎士職のみが装備できる超級魔道具である。
その刀身は対魔の力を帯び、悪属性を持つモンスターと対峙するにあたって非常に有効な手段なのだが――
「それは職業制限武器の上に、そもそもお前はアンデッドだろう! どうして聖剣のダメージを受けずに平然としていられる!?」
「開発者権限――まあ、新しく手に入れた力の一つじゃよ。この力を使えば職業制限武器でも自由に装備し、力を発揮することが出来る。そしてダメージは食らっているぞ。聖属性耐性の効果を持つ魔道具を装備してるだけじゃ」
アルカが持ち上げて見せたペンダントには、いつもの真紅の宝石ではなく透き通ったダイヤモンドのような宝石が埋め込まれていた。
「開発者権限がこの世界でも使えるとは······ほぼズルみたいなもんじゃがな」と呟くが、それはカタマヴロスの耳には入らない。
――喋っている時から幻術を使っていた訳か。
カタマヴロスは驚きつつも、眼前の吸血鬼の強さに改めて感動していた。
それと同時に彼の心は歓喜に満ち、永遠にこの時が続いて欲しいとさえ思わせた。
「面白い······面白いぜアルカ・ソルテ!! 俺が勝ったらお前を嫁に貰う!! 」
更に戦闘意欲を高めたカタマヴロスは天に吠えた。
「ふん······やれるものならやってみるがよい」
負けた方が買った方の言うことを聞くと言った手前、「それだけは絶対に嫌じゃ!!」とは言えなかった。
こうなれば意地でも勝つしかない。
しかし――
不味い。非常に不味い。
アルカは焦っていた。
五感どころか、第六感まで騙せるという謳い文句の魔法―― 等級八位魔法〈真理を戴く虚〉を見破られるとは思っていなかったのだ。
等級八位魔法とは、十ある魔法等級――一位、二位、三位、四位、五位、六位、七位、八位、九位、十位のうち上から三番目にあたる、かなり強力な魔法である。
戦略ミス。魔眼の力を侮っていた。
――このまま乱戦になれば、実戦経験がない俺では勝算が低い。先手で大技を決めておきたかった所だが······。
「おいおい、考え事してる暇があるのか?」
〈転移〉と見紛うほどのスピードで目の前に瞬間移動して来たカタマヴロスは、右手に光る禍々しい濃紫の光球から波動を繰り出した。
「〈狂気への導き〉」
避け······間に合わ、ない!!
「〈上位精神抵抗〉! 〈痛覚無――」
カタマヴロスの右手から放出された漆黒の光は、アルカを消し飛ばさんばかりの勢いで包み込んだ。
「うァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛っ!!」
咄嗟に唱えたスキル〈上位精神抵抗〉によってランダム発生の状態異常は免れたが、〈痛覚無効〉が間に合わず、アルカはほぼ生身で苦痛を受けることとなった。
(完全に忘れていた·····常時発動しておくべきだった!)
鈍器で頭部を殴られたような鈍い痛み――本来は攻撃より追加効果による錯乱を目的として使用されるダメージ量の低いスキルだが、現実での痛みに不慣れなアルカにとっては充分過ぎるほどであった。
「クソっ······〈開発者権限――換装〉」
それまで着ていたドレスが光となって消え、絹のように滑らかな漆黒の布地に赤い文様が刻まれた――ゆったりしたフード付きローブを纏うと、アルカは苛立ちから唇を噛み締めた。
「どうした? 聖騎士の真似事はもう終わりか?」
嘲笑の気も混じっているが、未だ警戒は怠らない――そんな声音でカタマヴロスがアルカに尋ねる。
「ふん、一撃はハンデとしてくれてやる。ここから逆転開始じゃ」
転んだ子供に手を差し伸べるかのようにアルカが手のひらを前に差し出すと、その手中には赤く輝く魔法陣が現れた。
魔法職の最高峰――大魔導士としての力を発揮したアルカに呼応し、周囲の空気がピリピリと震える。
爆発するように溢れ出る魔力とは対照的なその冷たい瞳は対象を真っ直ぐに見つめ――
カタマヴロスはその雰囲気の変わりように思わず息を呑んだ。
「さあ――ゆくぞ?」