転移に説明を
栄一が目を覚ました場所は、所定の宿屋ではなかった。
天蓋付き、それでいて着いた手が抵抗なく沈むほどふかふかのキングサイズベッド。飾り板は金細工を基調に、深い赤と光を受けて輝く透明無色のきらびやかな宝石がいくつも散りばめられている。
外装はと言うと、テストプレイ用にデフォルト設定されている純白で統一された神々しい聖騎士職の装備ではなく、所々にレースが編み込まれた漆黒のプリンセスラインドレス。首回り、袖口、そしてスカート部分にはフリルが付いており、胸元には妖艶な輝きを放つ真紅の宝石がきらめいていた。
「は、はぁ!?」
思わず上ずった声が出て、その声の高さに驚く。
ここはどこだ? そしてこのドレスは何だ! とりあえず鏡! 一刻も早く鏡を探すんだ!
あまりにも広く、見渡す限り豪華な装飾が施されている部屋の隅に楕円形の姿見を発見すると、栄一は慌ててベッドを降りて駆け寄った。素足で踏みしめる洋紅色の絨毯はこれまた足が沈むほど柔らかく、寝転がりたくなってしまうほど綺麗に整えられている。
だが、今の彼にはそんなことに気を割く暇などなく、急いで自分の容姿を確認した。
高く見積っても150センチを超えないであろう身長。ほっそりとした身体に、白蝋色だがきめ細かく作り物のように美しい肌。瞳は猫のように鋭い金色の虹彩に漆黒の瞳孔が走っている。頭頂部から流れる金髪は腰の少し上辺りまで伸びており、一級品の金糸と見紛うほどだ。
それは、自分が何度も見てきたこのゲーム最強の一角。見紛うことなきアルカ・ソルテだった。
「おいおい……これはどういうことだ?」
プレイヤーでなく敵キャラとしてログインしてしまうなんて、考えられないバグだ。システム系統のどこかでプログラミングを間違えたのか? 制作メンバー全員に早急に報告した方がいいな。
とりあえずログアウトを……。
栄一、もといアルカは、空中で手を左から右へスライドしてコンソール画面を呼び出そうとした。
しかし、その手は空を切るだけで何の反応も起きない。
「あれっ、コンソールも出ない? これはバグにしては致命的過ぎるだろ」
コンソールは操作する上で最も重要な機能だ。
こんな状態で売り出そうものなら、うちは連日クレーム対応に追われるだろう。
「いや……」
でも、それはおかしい。
考えてみたら、システム系統についてはチーム全員で何度もチェックしたはずだ。
万一でも基軸となる部分に不備があると組んだプログラムの書き換えも大変になる。そういった事故を防ぐために何度も確認することが重要だと指示されていた。
「となれば、これはVR機器本体の故障か?」
――それも考え難いだろう。
オプシーゲームスには専門の技術者が社員として雇用されているため、テストに使われるVR機器のメンテナンスは欠かさず行われている。今日も20時に点検が入っていたはずだ。
となれば、何らかの故障が原因である可能性はかなり低い。
「あー! 一体どうすればいいんだ!」
コンソールが出せないからログアウトできない。管理されていないからGMコールもできない。
「もう、明日になって誰かが起こしてくれるのを待つしかないのか……?」
VR機器を使ってフルダイブした場合、自力で目覚めることはログアウト以外不可能だ。外からヘッドギアを外してもらうほかない。
そう考えていると、激しいノック音と焦燥を伴った張りのある声が聞こえてきた。
「どうかなさいましたか!? アルカ様、入室許可を頂けますか!?」
声が聞こえてきた方を見ると、大きく重厚な金属製の黒い扉がある。
中田栄一としての記憶から考えれば、こんな城にあるような扉は実際に見たことがないし、せいぜい洋画でしか見たことがないレベルのものだった。
アルカは動揺しながらも、問いかけに答えた。
「あ…えっと……はい」
「失礼致します!」
重そうな扉をいとも簡単に開けて部屋に入って来たのは、明るめの黒いワンピースの上にフリル付きの白いエプロンを重ねた、いわゆるメイド服姿の女性であった。
驚くべきはその外見だ。メイド服を着ていながらも痛々しく見えない、むしろ何を着せても似合うだろう整った顔立ち。豊満なバストとくびれた身体からスラリと伸びた四肢のバランスは一流モデルのそれを凌駕するであろう。
ホワイトブリムから流れる、深みのある藍色の前髪は目の少し上で切り揃えられており、黒いリボンで纏められたゆるくウェーブするサイドテールは胸元の辺りまで伸びている。
ああ、なるほど。アルカ・ソルテの側近の一人として設定されたオーレイン・ユニだ。
アルカは以前見たヴィジュアルの記憶を思い出しながらそう判断する。
「悲鳴が聞こえたのですが、何事かございましたか?」
オーレインは部屋の中を一通り見渡すとアルカに尋ねた。
「いや、えーっと……何でも、ない、です」
何だか叱られそうな気がして、最後の方が小声になってしまった。
「左様でございましたか。私の早とちりでアルカ様の大切なお時間を奪ってしまい、大変失礼致しました!」
そう言うとオーレインは屈み、右腕を右足の上に乗せると、左拳と左膝をカーペットに着けて頭を下げ、服従のポーズを取った。
「いやいや! そんな、失礼だなんて! 頭を上げてください!」
アルカは慌ててそう言った。
だって、こんな綺麗なお姉さんにひれ伏された経験なんてないよぉ〜!
「しかし……」
オーレインはそれでも己を責めるように視線を下に向けたままで、納得がいかないようだった。
「とにかく頭を上げて、立ってください! 気にしてませんから!」
そこまで言うと、服従の姿勢を保ったままだがオーレインはようやく顔を向けた。
「お慈悲に感謝致します」
アルカはホッとした。これ以上頭を下げられていたら、身体に染み付いた社会人の癖で自分も頭を下げてしまいそうだった。
相手が相手である以上、何なら土下座していたかもしれない。
そんなことを考えながらオーレインの整った顔を見ていると、彼女は口を開いた。
「発言をお許しください」
「その前に、立って頂けると……」
「とんでもありません! そんな無礼なことなど!」
オーレインはかぶりを振って答えた。
どうやら、身長の都合上立つとアルカを見下ろす形になってしまうため、恐れ多いと考えているようだ。
別に気にしないんだけどなぁ……。
「まぁ、どうしてもと言うのならそのままでも構いませんが……。それで発言というのは一体?」
「はい。アルカ様の口調が普段と全く異なるように思われます。恐れながら、主たる御方が従者である私に敬語を使う必要などないと愚考致しますが、何かお考えがおありなのでしょうか? であれば、その意図を見抜くことのできない愚かな私めにご教授願えれば、と……」
なるほど、考えてみれば設定上、アルカとオーレインは主と従者の関係なのだ。愚考どころか、彼女の言ったことは理にかなっている。
「分かりま……ゴホン。分かった。私の……いや、儂のミスじゃ」
一人称や口調の設定を思い出し、言葉を選ぶ。
「ミスだなんてとんでもない! アルカ様のお言葉は常に正しいのです。どちらかが間違っているとすれば、それは間違いなく私の方でしょう」
うわー、めっちゃ慕われてるよ。
すごくやりにくい。
そう考えていると、アルカの脳裏を一つの思いがよぎる。
オーレインはNPCだ。本来は決まった言葉の認識、反応しかできないはず。
それがここまで流暢に喋ったり、自分で物事を考えるだと?
しかも片膝を付いてひれ伏すなんて、アクションに組み込まれていたか?
考えれば考えるほど、疑問は深まるばかりだ。
これではもはや、制作していたゲームからかけ離れている。
いや、自分が聞いていないだけで、上の会議の結果新たにプログラミングされた可能性もないとは言い切れない。
しかし、唐突にそんな改変がなされるだろうか。
言ってみればこのゲームはチーム全員で作り上げた作品であり、そんな話があれば耳に入ってくるに決まっている。
あり得るとすれば、やはり想定外のバグか……。
もしかすると、自分は《《ゲームの中に転移》》でもしてしまったのかもしれない。
アンデッドであるアルカは発汗とは無縁のはずだが、冷や汗が頬を伝った気がした。