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反撃と陰謀

 剣と剣がぶつかり合い、甲高い音があちこちで聞える。闘争が始まってまだ一刻も経っていなかったが、既に自分の家臣達数名ほどが、地面に伏して動いていない。


 ここ、上田藩抱屋敷うえだはんだきやしきに、突如二十名程の 侵入者が屋敷の壁を乗り越えて襲って来たのだ。松平まつだいら 忠固ただかたは数人の警護に囲まれながら敷地内の闘争を見ていた。裏口から逃走を試みるも、既に囲まれていて出ることができなかった。

 

 昨年の日米通交条約の調印に関して、堀田正睦と一緒に、免職、蟄居を命じられた。将軍の台命としての形ではあるが、恐らく幕閣内の権力闘争相手である自分を追い落とすために、井伊直弼が裏で動いたのだろう。


 それに、処分を受けたのは自分達だけではなかった。先に行なわれた、日米修好通商条約を「無勅許調印は不敬」とし、尾張、水戸の徳川、そして、福井藩主松平慶永が抗議のため不時登城をしたのだが、逆にそれを咎められ隠居、謹慎処分を下される。更に、直弼に反する十二名の藩主や上役が、同じく処分を受けた。


 各地で攘夷を叫ぶ者達にも、直弼は容赦のない処分を下している。左遷、遠島、追放など比較的軽い処分の他、死刑や獄死と言う重い処分の者もかなりの数にのぼった。


 その反撃のため、密かに兵を集めて、本日の夜に、直弼のいる上屋敷へ襲わそうとしたのだったが、どうやって話が漏れたのか、見事に先手を打たれてしまった。


 しかし、こちらには五十名の兵がいる。人数的に見てもこちらが有利なのは明らかである。そう思って高をくくっていたのだが、雲行きが怪しくなってきている。


 侵入者達の連携がとれていて、こちら側の兵が押されている。なかでも、先頭で動いている二人の手練れが凄まじく、次々と倒されている。


「奴らを囲んで、一斉に攻撃しろ」


 警護頭の松田広忠が、冷静に兵達の指揮をしている。その指示の通りに、十名程が先頭の一人を取り囲むと一斉に襲った。


 そこで、忠固は我が目を疑う。その十名の切っ先が届く前に、襲われた一人は横に一回転をして刀を振った。取り囲んだ者達との距離は当然のごとく刃の届かぬ距離であるのに、十名の胴から血が噴き出して倒れたのだ。


 そこからの、その男の動きは凄まじかった。その後も、二、三人が束になって斬りかかっても、拳やけりを使いながら次々と忠固の兵達を倒していった。


「・・・・・・何だ、あれは」


 忠固は思わず呟いた。気づくと周りにいる味方は、自分を守っている四名だけになっていた。 周りには敵の二十名程が取り囲んで動きを止めている。先程の先頭にいる二人が前に出て来た。


「殿、お先に失礼致します」


 松田広忠が抜刀すると雄叫びをあげながら先頭の二名に向かって切りかかっていった。それを見て、すぐに松田の後ろを追って自分の護衛をしていた残りの三名が動いた。


 しかし、二名の内の一人が、素早く何かを投げる動きを見せた後、松田を含めた四人の動きが止まりそのまま後ろ向きに倒れた。見ると全員の額に、くないが突き刺さっていて絶命していた。


「お前が松平忠固だな。情けをやる、介錯をしてやるから自ら果てろ」


 先程の凄まじい動きをした男が、右手に剣を持ちながら近づいてきた。男の目からは、なんの感情も読み取れない。ついでにここに来たと言う感じで、淡々と話している。忠固は怯む事無く、その男を睨み付けた。



「交渉の余地は無いのか」


「無い。喧嘩をする相手を間違えたな、観念して腹を切れ」


 男がそう言った刹那、忠固は抜刀して上から男に切りつけた。だが、男は半身で避けると剣を横に振って忠固の首を飛ばした。


「見事なものだ、最後まで抗ったか。・・・・・・帰るとするか、源之助」


「まだ息のある者が残っている、とどめを刺して帰るとしよう」


 士光と源之助は、松平忠固から背を向けて歩き出した。


 


 深夜の京都、伏見に流れる壕川ほりがわに、中型の御座船が一隻、南にある宇治川に向かってゆっくりと流されていた。周りには人気が全くなく静まりかえっている。櫓を漕ぐ「ギィ」という音だけが響いていた。途中、船はゆっくりと岸に着いた。すると、数人の警護に守られながら、二人の男が乗り込んだ。船の中にいる案内人に通されて襖を開けると二人の男が平伏して迎えた。


「島津久光と申します、今宵はお呼び立てに応じていただき恐悦に存じます。どうぞ、お座りになってくださりませ」


「お主が島津久光か、徳川斉昭である。こっちは倅の一橋慶喜だ。お主の書状をこやつにも読ませ、同席した方が良いと思い連れてきた」


 久光は顔を上げると、再び慶喜に頭を下げた。それを見た慶喜は黙礼をして斉昭の横に座った。久光とは、酒や料理が並ばれてある漆塗りの膳を間に相対している。慶喜が、ふと部屋の隅を見ると、もう一人の男が平伏したまま、じっとしていた。


「家老の調所広丈と言います。たかだか、藩の家老ごときが、この場に同席させるのは大変恐縮でございますが、今回の件、この男が動きますゆえ何分ご理解いただきますようお願いいたします」


 久光に紹介され、調所広丈が頭を上げた。それは、白かった頭を黒く染め、長かった髪を切って髷を結った村錆忠明であった。


「構わぬ、同席を許そう。お主の兄である斉彬は残念であった。我が同志として非常に頼もしい男であったが、全く惜しい男を亡くしたのう」


「突然の事でございました。練兵を観覧中に突如倒れまして、医者に見せて治療させましたが間に合わず」


「何故、お主が跡を取らなかったのだ? 斉彬の話では非常に優秀な男だと聞いておったのだが」


「お褒めいただきありがとうございます。其れがしの息子であります茂久が斉彬の養嗣子でありまして、遺言通り藩主となりました」


「そうか。薩摩はこの国でも屈指の雄藩である。今後とも我々と手を組んでほしい」


「勿論でございます。斉昭様の手足となって動くしょぞんにございます。どうぞ、ほんの御口汚しでございますが」


 久光が酒の入った銚子を手に取ると斉昭の盃に注ぐ。それを見た調所広丈に扮している村錆も慶喜に酒を注いだ。


「それにしても、斉昭様は災難でございました。永蟄居とは厳しい処分でございますな」


「全くだ。おかけで、幕閣内での発言権を完全に切られてしまった」


 斉昭が一口酒を飲むと、膳の上に置かれている箸を手に取った。


「それに関しては、父上がやり過ぎたのですよ。帝からの密勅を、幕府の頭を通り越して水戸へ直接賜れば、誰だって怒ります。おかげで、私まで被害を受けているのですから良い迷惑です」


 慶喜は憮然とした表情で斉昭を見た。


「朝廷全体が攘夷の考えなのだぞ。攘夷を進めるために、ああするしかなかった。開国論者の直弼をおとしめるには一番良い方法だと思ったのだ」


「それで、『井伊の赤鬼』を復活させては、目も当てられませんな。日本中の攘夷派が一斉に取り締まりを受けて、事実上壊滅ですぞ」


「うむ。その事だが久光、何か手があると言っていたが」


 斉昭は前のめりになり、久光を見た。


「簡単なことでございます。その『赤鬼』を退治してしまえば、攘夷の考えはすぐにで復活するでしょう」


「直弼を暗殺するのか。しかし、あやつは大老と言う重要な役職なのだぞ、簡単に隙を突くことなどできまい」


「我が藩をお使い下さいませ斉昭様。まず、我が薩摩藩にいる攘夷論者を集め京へ登らせます。そこで、直弼を暗殺すると匂わせて噂を広め江戸へ流します。さすれば幕府は西への警戒を強めることになるでしょう。そこで真逆の東から斉昭様が集めた兵が密かに江戸に入り、事をなせばよろしいでしょう」


「なるほどな。しかし、そのような猿芝居を信じると思うか、久光」


「芝居ではございませんぞ、斉昭様。薩摩の攘夷論者には、本気で直弼を襲わせるために向かわせますので、江戸では必ず西へ警戒を強めます」


「ふむ。それで詳しい方法は?」


「それは、後々に、この広丈が詳しい方法を持ってお邪魔致します。今宵は水戸・薩摩、両藩の同盟関係を約束致しませんか」


「分かった。お前の考えを進めてみるとしよう。直弼さえいなくなれば、幕閣内の影響力を一手に握ることなどたやすかろう。さすれば、慶喜の次期将軍も現実のものとなろう」


 斉昭が酒を一口飲むと、機嫌良く笑った。


「一つ聞いておきたいのだがな、久光殿」


 今まで、黙って二人のやりとりを聞いていた一橋慶喜が初めて声を出した。


「何でございますか、慶喜様」


「あなたは、攘夷論者なのですか? もしそうならば、何故、斉彬公が亡くなった後でも、すぐに江戸へ向かわなかったのか疑問が残りますね」


 慶喜の問いに、今までにこやかな表情の久光が、いつもの憮然とした表情に戻った。


「なるほど。慶喜様は鋭いお方だ。正直に話しましょう、攘夷に関してはもう少し時間が必要だと思います。現時点でのこの国の軍事力では、諸外国と対立しても厳しいでしょうな」


「父上には悪いが、それには私も同意する。では、あなたはこの先の日本をどうしようと?」


「私は公武合体こそが、これからの日本の政治で必要な方法と考えます」


「・・・・・・公武合体。朝廷と幕府が手を取り合うと?」


「その通りです。朝・幕の連携に加え、外様の有力な藩も参加して政治を行なうのです。その上にいるのは、貴方ですぞ慶喜様。あなたが次期将軍となってこの国を引っ張っていくのです」


 久光の言葉に慶喜はしばらくの間腕を組んで考え込んだ。自分が次期将軍になるのはやぶさかではないのだが、外様大名が幕政に参加するのは慶喜のなかで引っかかったのだ。


「先程話された、薩摩の攘夷論者達ですが、京都で暗殺の情報を流すとすれば、江戸への侵入は難しくなると思いますが、いかがされるおつもりか」


「先発隊を数名行かせてからの後、残りの攘夷派を行かせます。情報を流すのは後発隊が京に入ってからにいたしますので、実質的の暗殺要員は先発隊だけになります」


「なるほど、あまり多くの人数を動かすと目立ちますからね。では、人数に関しては後ほど話し合いますか」 


 慶喜が盃を手に取った。それを見た村錆が酒を注いでやる。慶喜は黙って口に運んだ。


「まだ、何か不安なことでもございますかな、慶喜様」


 今だ、難しい顔をしている慶喜の様子を見て、久光は再び声を掛けた。


「井伊直弼がいなくなった後の話に戻しますが、公武合体構想が成ったとして、残った攘夷派である各藩の対応はどうするか考えておりますか?」


「そうですな。まずは一つの藩をつるし上げて、幕府に反感を持たせます。その後、挙兵させれば、こちら側に大義ができあがります。後は各藩を集め対峙し、殲滅させましょう。そうなれば、残りの攘夷派の各藩はおとなしくなりましょうぞ。対象となる攘夷派の藩は大きければ、大きいほど良いでしょうな」


 久光の発言に慶喜は興味を持ちだして、真剣な表情で話を聞いている。再び杯を口につけると村錆が酒瓶を手に持ち注ぐ仕草をする。


「ちなみに、もう既に火種ができあがった雄藩がおりますが、慶喜様はお気づきになられましたかな」


 思ってもいなかった久光の問いに、体をぴくりと反応した慶喜は少し驚いた様子で斉昭を見て父の反応をうかがったが、斉昭は首をかしげて慶喜を見返しただけだった。


「お教えしましょうか、長州藩です。この藩の中で吉田松陰と言う男がいましてね、直弼の行なっている攘夷派弾圧の被害者の一人なのですが、この間斬首されました。この男は『松下村塾』と言う塾を持っておりまして、若い長州藩の藩士達を中心に色々な事を教えていて、かなりの支持を持っています。この男、少し変わり者でしてね。幕府に捕縛された梅田雲浜という学者のことを聞き出すために松陰を連行したのですが、聞いてもいない本人が考えた老中暗殺計画を自ら自白しましてね、それを理由に斬首されてのですよ」


「それは知りませんね。しかし、その男、何故聞いてもいない、自分の不利になる事柄を暴露したのでしょうか」


「自分の死を火種に、長州藩の弟子達を動かして、幕府に反する行動をさせるためでしょうな。調べさせたのですが、もう既に若い藩士達がいきり立って、倒幕を声に上げているようです」


「うーむ、長州が兵を挙げるとなると大事になるな。それを幕府が潰してしまえば確かに良い見せしめとなり、残りの攘夷派の藩はおとなしくなろう。だがな、久光。それだけでは挙兵せぬであろう」


「ものはやりようです斉昭様。一度燻った火種は簡単には鎮火しません。こちら側でゆっくりと火薬を撒いてやればすぐにでも爆発いたします」


「なるほど。それが久光殿の真意ですな。薩摩と長州は少々仲がよろしくないのは知っております。そうやって政敵を追い落とそうとお考えか」


「これは一本取られましたな。確かに慶喜様の言う通りではありますが、かなり効果的な方法ですぞ」


 久光は真意を突かれながらも平然と笑っている。その様子を慶喜は表には出さなかったが嫌悪した。


 その後の話し合いは多岐にわたり、細かい内容は後々に行なうことを約束した。会談が終わると船は止まり始め、もう一隻の船につけると、斉昭と慶喜がそちらに移り離れていった。


「終わりましたな、久光様。これで井伊直弼の件は進めることができます」


 村錆がいつもの笑みを浮かべて久光を見た。


「うむ。斉彬の件と同様に上手くやってくれ。それと、徳川斉昭の顔しかと覚えたであろうな?」


「勿論でございます。そちらも同時に計画いたしますのでご安心下さい」


「頼む。他の事はこちらでやるとしよう。それにしても、一橋慶喜と言う男、簡単にはいかぬようだな。斉昭と違って深いところを読んでくる、油断するとこちらが喰われかねん」


「そのようで。慎重に動かねばなりませんな」


 久光は、船を元の薩摩藩邸前に戻ることを指示をした。そして、膳の前に座り、手酌で酒を飲み始めた。


 村錆は斉昭らが出て行った真逆の方に声を掛けると、眞明雅智と蓮角が現れた。村錆が計画の話を二人に語り始めると、久光は酒を飲みながら聞き始めた。


 櫓を漕ぐ音が聞えると、船はゆっくりと揺れ始めた。久光は盃を一気にあおると、顔には不的な笑みを浮かべていた。

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