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久光の心うち

照りつける太陽の下、鹿児島城より西にある山の入り口に、少し小太りで背の低い男と、逆に背の高くがっしりした体格の二人の武士が道を塞いでいた。


「それにしても暑い。夏も本格的に始まったな」


 二人のうち、がっしりした体格の男が、手拭いで額の汗を拭きながら東の空を見た。大きな入道雲が空を覆い、その下には桜島が悠々とそびえ立っている。


「さっきの武装した集団は何だったのだ、五十名程いたよな。この山に誰かが逃げ込んで山狩りでも始めたのか?」


すると、山の中から乾いた音が連続で響いた。 背の低い男が後ろを向くと、中に入っていくためにある登りの石段を覗き込んだ。だが、中の様子は特に変わりなくシーンと静まりかえっている。


「久光公が一緒だったのだぞ。山狩りにわざわざ顔を出すとは思えんよ。それに側に居た人は調所ずしょ 広丈ひろたけ殿だよな」


「うむ。広丈殿の父である亡き広郷ひろさと様を、上様が追いやってから家格を下げられ、随分と苦労をしていたらしいが、久光公が引き取ったらしいぞ」


 二人の武士は、誰も通らない山への入り口で暇を持て余し藩内の噂話を始めた。


 薩摩藩は、あの名高い加賀藩に次ぐ七七万石と言う石高を持つ大藩である。


 当初はかなりの借金を抱え、破綻寸前まで落ちていた藩の財政であったが、前藩主、島津斉興しまづ なりおきの家老、調所広郷の功績で豊かになり、日本屈指の雄藩となった。

 やがて斉興の跡目争いが始まり、斉彬派と斉興・久光派に分かれることになる。斉彬は幕府の老中、阿部正弘と手を組み、薩摩藩が行なっていた密貿易を暴露して斉興らを追い落とした。そして、自らが藩主の座に着いて現在に至る。


 斉興派であった調所広郷は、この密貿易の件で阿部に糾問されると秘密を守るために自ら命を絶ったと藩内でもっぱらの噂である。


 藩主となった斉彬は潤沢になった財政を使い、事業の成功や洋式の軍艦を製造するなどして、更なる藩の発展に寄与していた。


「下らぬ噂話など、するでない馬鹿者共が」 


 その声を聞いた二人はピタリと会話を止めると、ゆっくりと上半身を回して振り向いた。そこには、後ろに腕を組んだ久光が、何やら面白くなさげな顔でこちらを見ていた。驚いた二人は、急いで両膝を地面に付き頭を下げた。


「怪しい者はいなかっただろうな?」


 久光は表情を変えず二人に声を掛けた。


「はい。誰一人おりませんでした」


 脂汗をかきながら背の低い男が答えた。それを聞いた久光は答えること無く、山の入り口から出てきて、待たしてあった駕籠へ歩き出した。更にその後ろから四人の男達が久光の後を歩いている。


 小太りの男は、それを妙だと感じた。あれだけの人数が山の中に入って行ったのにもかかわらず、戻って来たのは久光を入れて五人なのである。目だけを動かして通り過ぎた男達を盗み見る。


 一人は、先程話をしていた調所 広丈。その後ろにいる三人は見たことが無い者達だった。

 真ん中の男は六尺(約一八〇センチ)程の身長で髪は白く肩まで伸びて一つに縛っている。その右後ろの男は普通に髷をしている。体型はひょろりとしていて、背は白髪の男よりやや低い。腰には左右二本の刀を差している。最後に左後ろの男は、二人に比べて背は低い。五尺五寸(約一六五センチ)ほどだろうか。これも牛皮で加工した革で作った、袋のような物の中に、何やら金属製の物が入った物体を左右の腰に付けていた。


 駕籠に入った久光は、何やらその三人の男達に声を掛けると去って行った。頭を下げているのは広丈一人であったが、頭を上げると、見張りをしていた二人に近づいた。


「見張り番ご苦労様でした。用は済みましたので家に帰って結構です。ただし、この事は他言無用でおねがいしますね。少しでも漏れたなら、あなた方の命をもって償っていただきますので肝に銘じて下さい。・・・・・・では行きましょうか」


 ぞっとするような冷たい声で広丈が二人に声を掛けると、くるりと向きを変えて、先程の三人に声を掛けて並んで歩いて行った。平伏していた二人は、五人が去って行った後にゆっくりと頭を上げるとお互いに顔を見合わせた。二人共、顔を青くしている。そして、同時に登り階段の上を見た。しかしそれは、先程と変わらずシーンと静まりかえっているだけだった。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 平静を装っているが、背中には冷たい汗で濡れている。

 未だかつて、あの様な強力な『武』を久光は見たことが無かった。


 一昨日のことである。自分の配下にしていた、調所広丈から三人の男を紹介された。必ず久光の役に立つと言うので会ってみたが、期待はしていなかった。


 ここ薩摩では、屈強な男達が多く、目の前の男のように、見た目、線の細く、歳も自分と変わらぬ男に何が出来ると言うのか。残りの二人も見た感じ手練れには見えなかった。


 白髪の男は残りの二人から『先生』と呼ばれていた。久光は、その男に何が出来るのか鼻白んだ表情で問うた。


「殺しても良いなら、百、二百人と対峙して全滅してご覧に入れましょう」


 特に威厳を張るでも無く、笑みを浮かべてその男は答えた。久光は、もし全滅できぬ場合はどうするかと問うたら、「その時は、とっくにその場で死んでいるので放置で結構」と笑った。


 一度に百名単位の武士を集めるのは、兄である島津斉彬に話が漏れるので、それはできない。しかし、罪人ならば強制作業と称して山中に入れることは可能であるし、死んだとしても自分の力で押さえることは出来る。そう考えて、余興として五十名の罪人を集めた。


山中で伐採した区域内は大きく開かれており、隠れて戦わせるには絶好の場所である。全ての罪人に、武器を持たせて三人を殺すように命令した。達成した暁には、刑の軽減も約束すると話しをすると、喜んで五十名の罪人は武器を持って三人と対峙した。


 最初は十名ほどが半分笑いながら三人に向かって行った。すると背の低い男が両手から西洋の武器である、拳銃を取り出すと発砲した。あっという間に先程の十名が一斉に倒れて絶命した。


 しばらくの間、辺りはシーンと静まりかえった。残った罪人達は、拳銃では分が悪いと感じたのか、誰一人前へ出てこない。


 それを見た。白髪の男は「ならば、拳銃無しで相手をするうえに、自分一人が相手をするので遠慮無くかかってこい」と笑みをこぼして罪人達に言った。そして、拳銃を持った男は後ろに数歩下がり、銃を腰にしまうと腕を組んで攻撃しない素振りを見せた。そして、白髪の男が一人で前に出ると手招きをしてかかってこいと合図をした。


 ならば、と勢いを取り戻した罪人達は、再び十名程が横並びで一斉に飛び出し、白髪の男に向かって行った。白髪の男はフラリと歩き出して十名の罪人達に向かって行く。


 お互いが交差してすれ違うと、いつの間にか白髪の男の剣が腰から抜かれていた。そして、『パチン』と音がして、剣を鞘に入れると、それと同時に十名が一斉に胸から横一文字に血を盛大に噴き出すと地面に崩れ落ちた。


 刀の届く範囲で切られるのが普通なのに横並びの十名が血を噴き出すのを、久光と残りの罪人達は、何が起こったのか理解出来なかった。


 「いつもながら、この驚きの表情を見るのは格別だ、これだから殺しは止められん」


 いつも細い目で笑みを浮かべていた白髪の男が、目を大きく見開いて笑った。その笑い声はどこか不気味で、久光はその男から狂気を感じた。


 すると、残った三十名の罪人は、お互いを見合うと歯を食いしばり、全員で白髪の男に向かって声を上げて走り出した。


 それを見た白髪の男は笑うのを止めると、左足を後ろに下げ、右手で抜刀の構えをすると、頭を下げて低い姿勢でピタリと止まった。そこから久光は、信じられない光景を見る。


 一瞬で三十名との距離を詰めると抜刀して次々と切り倒していく。先程もそうであったが、剣の届かない範囲、二間先(約三メートル)の男達も一緒に切られて倒されている。白髪の男のあまりにも速い動きに罪人達はついていけず、あっという間に全員が倒された。


 罪人の中には、元薩摩の武士も多く含まれており、素人ばかりではなかったはずなのだ。それを五分もしないで倒すとは異常な強さである。


 「まあ、このような事の次第でありましてな。ご理解頂けましたか」

 

 白髪の男は、息一つ乱れもせずに、再び笑みを浮かべて久光を見た。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 駕籠の中で、久光はあの三人をどうするか思案した。やりようによってはかなり使えるはずだと考えた。特に自分の心に秘めているあの事ならば最適かもしれない。


 やがて、久光の屋敷に到着し、調所広丈は三人を屋敷の中に入れた。凝った作りの庭園が見える廊下を歩き、久光の個室に案内した。部屋の周りの戸は広丈が閉めた。


「先程は大義であった。見事なもの・・・・・・と言うより正直驚いている。名を聞こう」


「私は、村錆忠明むらさびただあき、こっちの二刀持ちは、眞明雅智しんめいまさとも、最後に、蓮角れんかくと申します」


「あの剣技は何処の流派なのだ、村錆」


 久光は煎茶の入った茶碗に口を付けた。


「流派などありません。我流ですよ、久光様」


 村錆は笑みを浮かべて久光に答えた。


「この二人はお前を『先生』と呼んでいるが、武器がまるで違うな。お前の弟子ではないのか?」


「私の剣技は普通の人間には真似できません。この二人は、私が今まで試合った者達の中で、これは、と言う技術を持っていましてね、生かしてあるのですよ。二人が私に着いてきて、勝手に呼んでいるだけです」


「それにしても、先程の拳銃の腕前も見事だった。何処から仕入れた?」


「長崎に行けば簡単に手に入るものですよ。この蓮角は、元々短刀を両手に持つ男でしてね、暗殺などを生業にしていました。多勢で戦うには不利なので銃を持たせております」


「そっちの眞明とやらの戦いは見れなかったが?」

 

「先程の男達が相手であれば、蓮角同様、十名程度と同等に戦えます。何なら誰かと戦わせましょうか?」


「いや、よい。・・・・・分かった、お前達を買おう」

 久光の言葉で村錆は初めて頭を下げた。


「ところで、何故、私を頼ったのだ村錆」


「そうですね、薩摩藩はこの国で一番の雄藩です。そして、久光様には過去に色々とございますし、ここでなら退屈せずに済みそうかと」


「私の何を知っておると言うのだ? 下手なことを言うたら許さんぞ、村錆」


 久光はムッとした顔をして村錆を睨んだ。


「母上である、由良様のことでございますよ。これに関して、薩摩では知らぬ者などいないでしょう。なあに、私は血が流れるところが大好きでしてね。あなたの下でしたら、それもかないましょうし、私らを使ってご自分の野心を達する事もできましょう。特に広丈殿のお父上はその事件最大の被害者ですしね、それで広丈殿に近づいたのですよ」


 久光はその話を聞くと広丈に目配せをした。頷いた広丈は部屋の戸を開いて回りに人が居ないか確認しに部屋を出る。しばらくして戻ってくると、広丈は久光にもう一度頷いた。


「・・・・・・ここだけの話だがな、私は兄の斉彬が好かんのだ」


「分かりました。それでしたら早速お役に立てると思いますが」


 村錆から言われて、久光はしばらく腕を組んでジッと天井を睨んだ。


「うまくやれるのか?」


 久光は声を細めて村錆を見た。


「勿論です。この蓮角を使えば造作も無いことですよ」


「うむ。実は斉彬に呼ばれていてな、これから屋敷に行く予定なのだ」   


「屋敷の様子やその周りを見ておきたいですね。我らもご一緒させていただきたいのですが」


「分かった、一緒に来い」


 久光は広丈が用意した馬に乗ると、ゆっくりと馬を進め、薩摩藩主である島津斉彬の屋敷に向かった。その後を村錆ら三名が追う。


 途中、鹿児島城の側を通ったのだが、何やら城の周りが騒がしかった。まるで、これから戦場にでも向かうような感じで武装している者が多くいる。久光は何事かと思い、城へ向かおうとした。だが、これは恐らく斉彬が何かを命じたのだろう、だったら本人に聞く方が早いと思いそのまま素通りした。


 やがて屋敷に到着すると、久光は門番に馬を任せて敷地内に入った。後ろを向くと、すでに村錆ら三名の姿はなかった。屋敷の警護の者に、斉彬のもとへ案内させて部屋の中へ入る。


「おう、来たか久光。挨拶はよいから、まあ座れ」


 斉彬に促され、久光は対面するように腰を下ろした。


「相変わらず、仏頂面よのう」


 斉彬は久光の顔を見てからかうように見た。


「この顔は生まれつきですよ。それより、城の周りが何やら騒がしかったのですが」


「うむ。急ぎ兵を集めている」


「何故です?」


「江戸で、水戸の斉昭公と井伊直弼が対立しているのは知っておろう。井伊の奴、勅許が下りぬのに、勝手にアメリカとの通商条約に調印しおった。尚且つ、我らが推していた、斉昭公の子である一橋慶喜殿を時期将軍にするために行動しておったのを、井伊の奴が邪魔をしてのう。結局奴らの推す徳川慶福殿が正式に次の将軍に決まったのだ。このままでは奴の思うままに幕府は動くことになる」


「ふむ。それは危険な兆候ですな、兄上」


「そうなのだ。なので斉昭公と話し合ってな、わしは兵を集め江戸に行き、脅してやろうという訳なのだ」

 

 斉彬はどうだと言わんばかりに久光を見た。


「それで兵を集めているのですか。しかし、それは少し早急すぎやしませんか。井伊が江戸で権力を行使している以上、あちらに分があると思いますが。兵を集めて江戸に行ったところでこちらが侵略する形になりませんか?」


 久光が斉彬に苦言を呈した。だが、斉彬はにやりと笑った。


「だから、斉昭公と話し合ったと先程言ったであろう」


「どのような内容で?」


「内緒じゃ。八月あたりには驚くことになるぞ久光」


 それ以上、斉彬は詳しいことを話さなかった。斉彬は話題を変えると、自分が江戸に行っている間、藩政を久光に任せることを告げ、その内容について話始めた。


 結局夕刻まで斉彬と話し合いが行なわれた。屋敷を出て馬に乗ると広丈が馬を引き自分の屋敷へ進み始めた。しばらく進み、気がついたときには村錆ら三名が久光の横で歩いていた。


「どうだったか、うまくやれそうか、村錆」


 久光は、前を向いたまま村錆に聞いた。目線の先には、大きな夕日が山の中へ隠れ始め、豊富に緑が広がっていた薩摩の山々はどす黒く変わっている。


「問題ありません。これからでも実行致しますか、久光様」


 相変わらず、村錆は笑みを浮かべている。


「いや、事情が変わったのだ。後日指示をするので準備だけしておけ」


 それ以上、久光は何も言わなかった。夕空には鳥の群れが飛んでいた。 

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