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鉄と葉

夜も更けて、源之助の店にいた客は全ていなくなり、中には士光と源之助の二人が横に並んで酒を飲んでいた。外では犬が一匹、遠くで吠えているのが聞こえていたがそれも聞えなくなっていた。店内は薄暗く、小さい虫が、明りの回りを飛んでいる。 


「どうだったんだ、上手くいったか?」


 源之助が椀に入っていた酒を一口飲んだ。士光は懐から銭の入った袋を取り出すと、源之助の膝の上にポンと置いた。袋にズシリと重い感触があり、源之助は首をかしげながら中を確認すると少し目を見開き、袋を逆さにして中身を出した。銭が音を立てて床几の上に流れて落ちると、黄金に輝く銭が現れ、それを数枚手に取ると、側にあった明りにそれを照らした。


「ん? 何だよ。随分と多く入っているな?」


「・・・・・・なあ、源之助。あの廻船問屋は一体何者だ?」


 士光も銭を左手で一枚手に取ると、親指の上に置きピンと弾いた。銭はくるくると回転しながら宙に舞い、士光の顔の前まで落ちると再び左手で銭を包んだ。


「何者もなにも、ただの廻船問屋の主人だろ。何か特別な事でもあったのか?」


「ちょっと妙な連中に襲われてな。いつもだったら、そこらにいる浪人やら食い詰めた野盗連中が襲ってくるんだが、今回の奴らは連携がしっかりしていてな」


得物ぶきは何だった?」


「変わったのだと鎖鎌の男が一人。刀、槍が一人ずつ、それと両手斧が二人いたな。かなり身軽に動いて、上下に分かれて攻撃しやがった」


「くさりがま? ・・・・・・確かに妙だな」


「依頼は直に来たのか?」


「いや、同業からの紹介だったんだ。どうせ、お前に頼む案件だから詳しくは聞かなくてな。じゃあ、さっきから感じる外からの気配はそれが原因か?」


 源之助は持っていた銭を床几の上に放り投げると、再び椀を手に取って酒を飲んだ。そして、外から多くの人の気配を感じて、入り口に目をやった。


「二、三十はいるか? 参ったな、俺が連れてきてしまったか」


 士光は外の様子を気にするでも無く猪口に酒を注いだ。


「良く言うぜ、分かって連れてきたくせに」


 源之助は低く笑うと椀を口にしたまま横目で士光を見た。


「さっきの話だが何処かの忍びかもしれねえな。調べられるか源之助」


「その必要は無いだろう? 直接聞けば良いじゃねえか、外にあれだけいるんだからよ」


 源之助が、指で見張られている気配を一つ一つ指していると、入り口の戸を三度叩く音が聞こえた。だが、それには答えずにそのまま座っていると再び戸を叩く音が聞こえた。


「へい、へい、どなたでございますか?」


 フラリと源之助は立ち上がると、入り口に近づいて外の人間に声を掛けた。この時刻にしては外がやたらと静かなのを肌で感じる。やはり何者かが数十人規模で回りを囲んでいるようだ。


「夜分にすまん、話があるので中に入れてもらいたいのだが」


 男の声が聞こえた。ハキハキとしていて、しっかりとした口調で話している。士光が、おやと言う顔をして戸を見た。


「申し訳ありません。今日は店終いでございましてね、また明日にでも、おいで下さいませんか。明日は早朝からやってますんで、よろしくお願いします」


 源之助の口調は柔らかだが、右手には〃くない〃を握り、いつでも対応できるようにしている。


「・・・・・・その、朽葉士光殿に会いたいのだが、開けて頂けないだろうか」


 ためらいがちに外の男が言うと、源之助は士光を見た。士光は一つ頷く。


「・・・・・・朽葉に御用ですか。本人が良いと言ったので開けますが、そんな大人数では歓迎出来かねますぜ」


 源之助はそう言うと、戸の突っ張り棒を外し戸を開いてやった。店内の薄暗い明りから男の様子が見えた。火消しの格好をした男が一人立っている。手で中に入るように源之助が促すと男は頭を一つ下げ、一人で中に入ってきた。まげを見る限り武士が火消しの格好をしているのだと源之助は気がついた。男は士光を見つけると側に寄り頭を下げた。


「何だ、お前か。この間の続きをやりに来たのか? 俺一人に随分と大勢で来たものだな」


「いえ。今日は朽葉殿にお詫びを申し上げに参りました」


 戸口政朝は士光と眼が合うと、すぐに下を向いて再び頭を下げる。


「こっちは別に詫びなんか望んじゃいねえよ、帰れ」


 士光は戸口に関心を持たず、猪口に口を付けると右手で追い払うように手を振った。


「そうはいきません。主から許しをもらうよう言われております、どうか!」


「ははーん。お前、俺を連れてこなかったから上に叱られたのか。まあ、あんな態度で来られれば誰だって良い気はしねえからな」


 士光は腕を組んで姿勢を正し、勝ち誇った様子で少し反っくり返ってニヤリと笑っている。その様子を源之助は嫌な物でも見るような顔をして士光を眺めている。


「何だ源之助、その顔は?」


「・・・・・・なあ。折角、こうやって一人の大人が頭を下げているんだぞ。普通だったらその気持ちを汲んでやるものだろう?」


「あの時のこいつの態度を見ていないから言えるんだ。憎たらしくて、それはもう腹がたったんだぞ」


「だからこうして、この旦那は頭を下げに来てるんじゃねえか。嫌だね~、男も四十を越えると、こうも意地汚くなるもんかねえ。戸口さんと言われましたっけ? もう頭をあげなさいな。こんな男にこれ以上頭を下げたら、あなたの品格が下がるだけだ」


 源之助が呆れたという風に両肩をすくめると、戸口の肩に手を置いて頭を上げるように促している。

「お前な。歳は関係ないだろ歳は!」


「そうか? じゃあ、元々その性格が悪いのだな。嫌だね~、何か腐った性根の匂いがぷんぷんするわ。男も四十を越えたら、直る性格も直らねえ。こりゃ、どうしようもねえな!」


「てめえ! さっきから四十を越えるとかぬかしやがって。おめえだって、あと十年もすりゃ四十になるんだぞ。若い気でいるんじゃねえ!」


 何やら士光と源之助の間で言い合いが始まり、二人の声は店の外まで聞こえるほど大きくなっている。謝罪に訪れていた戸口は、どうしていいか分からずにオドオドしている。すると、店の入り口から一人の男が姿を表した。


「うちの戸口を、あまりイジメんでもらいたいな。中に入れてもらうよ」


 突然入り口から声を掛けられた二人はピタリと口喧嘩を止め、声の方を首だけ曲げて二人一緒にそちらを見た。


「殿!」


 戸口は『殿』と呼んだ男を見ると膝を付いて頭を下げようとしたが、その男は手で制して、そのままでいるように促した。そして、床几を手で引き寄せると、士光の前に置いて腰をおろした。その男は、戸口と同じく火消しの格好をしていた。眉はやや上がっていて、鼻は高く鷲鼻で、凛々しい顔つきをしている。男から醸し出している雰囲気は尋常ならざるものがあり、思わず平伏してしまいそうであった。


「用があるなら、お前が来いと言っていたから、来てやったぞ」


 まるで友人に話をするかのように、気軽に声を掛けた。


「なに? じゃあ、お前が戸口の親玉か。また、偉そうな雰囲気を出してやがるな」


 士光が『お前』と言うのを戸口が文句を言おうとしたが、殿と呼ばれた男は再び手で制して黙らせた。


「相変わらず、口が悪い奴だなお前は」


「初対面の相手に何を言ってやがる。知った風な言い方をするなよ」


「まだ分からんか? 私だよ」


 男からそう言われると、士光は暗い明りの中でジッと目をこらして男を見た。やがて目を見開くと、人差し指を男に向けた。


「お前、鉄三郎か!」


「やっと分かったか、馬鹿者が。そうだ、鉄三郎だよ。久しいな朽葉」


 男は士光の肩をポンと叩くと、嬉しそうに声を上げて笑った。


「驚いたな。まさか、お前が戸口の主だったとはな。何で俺が江戸にいるとわかったんだ?」


「うむ。奉行所から、お前の一件が上がってきてな。たまたま私が目を通したら『朽葉士光』と名が出たじゃないか。それに、二十人以上を一人で相手に戦い、傷一つ負わずに切り伏せる者なんぞ俺の知る限り一人しかおらんからな。すぐに調べさせて、お前だと分かると、私の裁量で釈放させたのだよ」


「野村一家の件か。何だよ、だったらあの時、そう言えば良かったんだ」


 士光が右手の親指で戸口を指した。


「こいつに関しては私が謝ろう。まだ若いが優秀な奴でな、しかし、そこが鼻について、いささか調子に乗る所があってな。・・・・・・ああ、私にも一杯もらえるかな?」


 戸口は恥ずかしそうに下を向いている。主の前ではまるで子犬のようにおとなしくしていた。 呆気にとられていた源之助は、慌てて調理場に向かうと、直ぐさま椀と酒の入った徳利を持って来きて、男の座っている床几の上に置いた。士光が徳利を持ち上げて嬉しそうに酒を注いでやる。そして、自分の方にも酒を注ぐと二人で椀を上げて一口飲んだ。さっきまで士光と源之助の言い合いで騒がしかった店内は、一転して静かになっていた。


「三十年は経ったか。なあ鉄三郎」


「その名で言われるのも久方ぶりだ。今は『応卿』と名を変えているが、少し仰々しいあざなでな、いみなである『直弼』の方が私は気に入っている」


 その名を聞いた源之助は、目を見開き顔色が変わった。


「『直弼』かそっちの方が確かにいいな。そう言えば、さっきから戸口がお前のことを殿と呼んでいるが、偉くでもなったか?」


「うむ。随分前から、彦根の藩主になっていてな、それで呼ばれているのだよ」


 直弼は徳利を持ち上げると、士光の椀に酒を注いでやった。


「なに? だってお前は庶子だったよな。確か兄弟も多くて、かなり後の方の生まれだろ?」


「十四男だ。まあ、お前がいなくなってから色々あってな、どういうわけか、私が藩主となったのだよ」


「あ、あのですね。ちょっと、いいですか?」


 顔色を変えた源之助が怖ず怖ずとつまみを持ってくると、直弼に声を掛けた。


「何だよ源之助。気持ち悪い声を出して?」


 士光は怪訝な顔をしながら直弼の椀に酒を注いでやった。


「お前は黙ってろ。 ・・・・・・彦根の藩主様って事は。もしかして、最近就任された、井伊の大老様でいらっしゃいますか?」


「如何にも私が『井伊直弼』です。失礼だが居酒屋のご主人でありながら、随分とお詳しいですな」


「ああ、こいつはただの居酒屋のご主人様じゃねえよ。元々忍びの頭をやっていてな、今だ、国内の情報に詳しいのさ」


「ほう、どちらの?」


 直弼は興味を持ち、顔を上げて源之助を見た。


「・・・・・・土浦藩のお抱えでしたが。――その」


 源之助は、言いずらそうに目を士光に向けて話した。


「色々あってな、俺が潰したんだ。こいつとはそこからの腐れ縁だ。ところで源之助よ、さっきこいつを『大老様』とか言っていたが、何だそれ?」


 士光は直弼を指さして源之助を見た。


「そんなことも知らないのかよ。『大老』と言うのは臨時だが老中よりも上で、公方様(将軍)の補佐役という、幕政でも一番上の役職なんだぞ! それに、何でお前が井伊様と知り合いで、しかも『お前』とか言っているんだよ。俺はお前の態度と井伊様の登場で、驚いて寿命が十年は縮んだぞ!」


 源之助は、士光の仕草と態度を見て更に顔色が変わると、声を半音高くして士光に説明した。


「そんなこと言われてもな。朽葉と井伊家は昔から仲が良くてさ、俺が子供の頃に彦根で世話になっていたんだよ。こいつはその頃の遊び仲間さ」


「その、昔からと言うのはいつ頃からの話なのでしょうか?」


 直弼の後ろにおとなしく控えていた戸口が、三人の会話を聞いて我慢できずに割って入ってきた。直弼は士光に話しても良いか目で合図を送ると、士光は黙って頷いた。


「朽葉家と言うのは、古くは鎌倉の時代から続く家系でな。剣技と体術を併せた流派と言ってもいいかもしれん。主に大名の警護で生業を立てていたらしい。だが、あくまでも金銭で仕事を受けるだけで、誰の下にも付かなかった」


 直弼は士光から酒を注いでもらうと、一旦、話を止めて椀を呷った。話を真剣に聞いている源之助と戸口は、黙って次の言葉を待った。静まりかえった店の中は、灯している明りから『ジジッ』と油が燃える音が聞こえた。


「ところが、朽葉雪彩くちばせっさいの時代。とある大名の警護をしたことがあった。戦でその大名が敗れ、撤退をすることになった。戦での退きと言うのは、敵の激しい追撃を受ける。勿論その大名も多分に漏れず逃げていたが、遂に敵の部隊に追いつかれてしまった。相手は二百名、その大名の回りは五十名程しかおらず、命の危険が迫った。ところが、雪彩が敵の前に進むと、たった一人で全滅させてしまったのだ」


「何と、たった一人で二百を全滅でございますか!」


「こいつの時もそうだったが、朽葉の剣技はえげつないからな。二百位なら一人でいけるだろうな」


 戸口の驚きの声に、源之助は腕を組みながら、士光にむかって顎をしゃくってみせた。士光はそれを見て少し口元を広げた。


「雪彩の武に驚嘆したその大名は、多くの石高を与える代わりに仕官するように勧めたのだが、それをあっさりと断ってな。それに怒った大名は二千規模の兵を使って雪彩の命を狙った。そこで、雪彩の評判を耳にしていた権現様(徳川家康)がひっそりと雪彩を匿ったのだよ。そこで井伊家と朽葉が知り合い、親交を深めたと言うわけだ」


「凄い話ですね。しかし、何故仕官を断ったのでしょうか。出世できる好機ではないですか」


 戸口が首をかしげながら士光を見た。


「面倒だったのじゃねえか? 朽葉は代々変な奴ばかりだからな」


 士光がへらへらと笑いながらつまみを口に放り込むと、『お前と一緒にするな』と言って源之助が呆れた顔をした。


「それとですね。それだけの剣技ならば、流派を名乗って『柳生心影流』と同様に今の時代まで大きく繁栄してもおかしくないと思うのですが」


「それはな戸口、朽葉の血を引く者以外は剣技を会得できなかったからだ。この間、この男が起こしたヤクザとの一件があっただろう。奉行所からの話では、一瞬のうちに移動し一振りで六、七名を切ったとある。それは、朽葉の極意でもあるのだが、そんな人間離れした技など同じ血を引く者以外誰も出来ぬだろう、この男以外はな」


「随分とお詳しいのですね、まあ、あれを見せられた俺としても納得できる話ですよ」


 源之助が直弼の椀に酒を注ごうとしたが、直弼は片手を出して断った。


「私も以前見たことがあってね。士光の親父様だったが、凄まじいものだった。・・・・・・さて、そろそろ帰るとするかな」


 直弼はそう言うと椀を横に置いた。そして、両膝を叩くとゆっくりと立ち上がった。


「なんだよ、もう帰るのか?」


「外の者を待たせているのでな、これ以上は長居出来んのだよ。源之助さん、ごちそうになりました。大変旨かったです、銭は戸口からもらって下さい」


「い、いえ、そんな頂けませんよ!」


 源之助は慌てて両手を突き出して、料金を断った。


「そうはいきません。折角、良い店を見つけたのです。それでは、またここに来れなくなるではないですか。ここは受け取って下さい」


 直弼は声を上げて笑うと戸口に支払うように命じた。


「なあ、鉄三郎。俺はさっき廻船問屋の警護をしてきたんだが、あれはお前の仕業だな?」


士光はにやりと笑うと直弼を見た。直弼は出口まで歩き立ち止まった。


「ばれてしまったか。あの廻船問屋は彦根藩お抱えでな。以前から敵対している所から狙われていてな。折角だからお前を試させてもらったのだよ。おかげで助かったよ」


「ふん。そりゃ、何よりだ。じゃあ、またな鉄三郎」


「ああ。また会おう、朽葉」


 直弼は片手を上げると、少し笑って店を出た。その様子を士光は黙って見送った。しばらくすると外にあった人の気配は消え、再び遠くの方で犬の鳴き声が聞こえた。



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