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月と犬


一匹の野良犬が歩いていた。田地が多く密集している土地を南へ向かっている。


 彼女はいつものごとく、人間からおこぼれを貰うために繁華街へと進んでいた。


 ふと喉が渇き、ため池になっている場所で歩みを止めると池に近づいた。水面には、まん丸な月が映っており、そこに口を付け水を飲み始めた。


 しばらくすると、ふと顔を上げて西の方向を見た。それは彼女が知っている人間の匂いだったからだ。だがすぐに関心を失って、再び歩き出し繁華街へと向かっていった。


 その西の方向には確かに彼女が考えていた人間がいたが、一人では無く、複数の男達が殺気をみなぎらせていた。


 鋭い風斬り音が向かって来る。半身で躱すと鎖が体の横を流れて行った。飛んできた方角を見た刹那、鎌の切っ先が頭上から振り下ろされてきた。


 朽葉士光くちば しこうは峰で弾き返すと、右足を上げて相手を蹴りつけた。蹴り飛ばされた相手は後方に飛ばされるが、くるりと後ろに回転して着地をすると、同時に投げつけていた分銅付の鎖を自分の元に引っ張り込んでくるくると頭上で振り回している。

「ひ、ひぃ~」


 朽葉の後ろに隠れていた雇い主が、恐怖で顔をひきつらせている。


「ほう、夜烏の攻撃を躱すとは、なかなかやるではないか」


 先ほど攻撃してきた鎖鎌の男の横で刀を構えている男がニヤリと笑った。


「なかなかの手練れだ。お前達、油断をするなよ」


 刀持ちの男が闇の中へ声を掛けると、新たに三人の男がそれぞれ武器を携えてあらわれた。 一人は槍を持ち、残りの二人は両手に小型の斧を持っている。五人ともかなりの腕を持っていると士光は感じた。五人の男達から発せられる殺気は痛いほどに感じる。身なりからすると何処かの藩の武士では無さそうだ、大体からして持っている武器が変わっている。となると自分と同じで何処からか雇われた者達なのか。


「お、おい。五人もいるぞ、大丈夫なのか?」


 雇い主である廻船問屋の男が声を震わせて士光の背中に声を掛ける。


「なあ、旦那。あんた一体何をやったんだ?」


 士光は棒立ちのまま、半身だけ振り返った。


「ど、どういう意味だ?」


「今まで用心棒をやってきて、あんな奴らは初めてだ。相当に特殊な訓練をした連中だろう。普通じゃねえ」


 それを聞いた廻船問屋が目を見開いて何かを言おうとしたが、慌てて両手で口を塞いだ。士光はその様子を見ると何かを悟り、再び相手の男達を見つめた。


「まあ、いいや。死にたくなけりゃ、黙って後ろの木の陰に隠れていろ。まあすぐに終わらせるから心配するな。ああ、それとな。この連中が相手では、さっきの報酬じゃ割に合わねえ、十両は欲しいとこだな」


「な、十両だと! そんな金額を用心棒に渡したことなどない。追加の料金など払わんぞ」


 雇い主から追加の料金を拒絶されると、士光は振り向いて左手に持っていた剣を左肩にのせてうなだれた。


「・・・・・・じゃあこの契約はなかったことで。俺は帰るから後は一人で何とかしてくれ」


「ちょ! 先に金は払っているんだぞ。少しは働いて返せ!」


「だから、ここまで一緒に歩いてきてやったろ? ここからは別料金だぜ。ただでさえヤバい連中を相手にするんだ。連中を見ろよ、どう考えてもまともな奴らじゃない」


 襲って来た五人の男達の格好は、黒ずくめの衣装に口に大きな布をあてて素顔が分からないようにしている。

 突然士光と雇い主が揉めだしているのを、五人は顔を見合わせて眺めている。


「ほら、良いのかい旦那。切られたら痛いぞ~。血はたっぷり出てそりゃ悲惨だ。翌日には見物人に囲まれて惨めな姿を晒すことになるな」


「お、お前それでも人間か? 仮にも先ほど金を渡した雇い主を見捨てるのか!」


「だから、これだよ」


 士光は右手の親指と人差し指の先をくっつけて輪っかを作り銭の要求をした。


「くっ! 分かった、五両にまけろ。それならば払ってやる。それ以上は払えん!」


「五両? う~ん、まあいいか、それで手を打つとするか。おい、待たせて悪かったな、始めるとしようか」


 士光が再び襲って来た五人の正面を向いた。


「黙って見ていれば随分と余裕だな。我ら相手にその態度、頭がおかしいのではないか?」


 鎖鎌の男が馬鹿にしたように士光を見た。


「ふん、そうかもな」


 士光はにやりと笑うと、ゆっくりと腰を下げて左足を引き、体を左斜めに向け抜刀する構えを取った。そして、士光が構えを取ったのを確認した男達は釣られたように構えを取ろうとした瞬間だった。


 凄まじい殺気を放った士光が物凄い速さで鎖鎌の男の前に移動した。そして、そのまま右にに払う。一瞬のことで何が起きたか分からない鎖鎌使いの夜烏と呼ばれた男は目を見開いたまま胴が二つに分かれ大量に血を噴き出して地面に倒れた。


 次に鎖鎌の男の横にいた刀持ちの男に、士光は返す刀で右から左へ刀を走らせる。


 それに気づいた男は、無意識に刀を前に出してそれを防ぐ。だが、士光の腕の動きはそのまま止まること無く左側へ移動した。すると、男の持っていた刀が二つに折れると同時に男の首がごとりと音を立てて地面に落ちる。


 それまでに要した時間は僅か数秒である。残りの三人の男達は瞬間的に後ろに飛んで士光から離れる。それを見た士光は刀を振って刃に付着した血と脂を落とすと、膝を落とし右足を引き刀の剣先を後ろに下げ脇構え取り殺気を放つ。


 士光の放つ殺気に圧倒された三人は前に出ることが出来ない。


「くっ、何だこの殺気は! この男、化け物か。おい、無理をして一人で動くなよ」


 槍持ちの男は構えを取ったまま残りの男達に声を掛けた。男の額から汗が顎の下あたりに流れるとポタポタと下に落ちて行く。


「分かった。三人一緒に動いて攻撃するぞ!」


男を真ん中にして残りの二人が並んで 士光と相対した。


 しばらくお互いが睨み合う格好となった。三人の男達からも殺気を士光にぶつけているが、士光の放つ気があまりにも強大なために弾き飛ばされている。三人は一斉に攻撃しようと、お互いの距離を作り、士光との間合いを計っている。


 その様子を固唾を呑みながら、士光の雇い主が木の陰に隠れつつ見守っていた。少し強い風が吹いてきて持っている提灯がゆらゆらと揺れている。月が雲に隠れて士光達の様子が判別しづらくなった時だった。

 申し合わせたかのように襲って来た三人が士光に向かって同時に動き出した。槍持ちの男が真ん中で士光に槍を突き出し、残りの二人は飛び上がって左右から士光に飛びかかった。


 士光は襲って来た槍に向かって下から上に刀を振るい、柄の部分を男の腕ごと両断した。宙に浮いた穂先の付いた槍を左手で掴むと、上下から襲って来た二人のうちの一人に投げつけると同時に跳躍する。


 左上から襲って来た男に槍は見事に腹の辺りに突き刺さり、背中まで突き抜けた。そして、右上から襲って来た男と士光は空中ですれ違い、お互いの武器が交錯すると、同時に着地した。


 士光の左肩の片袖がはらりと切れるとそこから血が少量だが噴き出した。反対にすれ違った男は胸から大量の血が噴き出すと声も出さずに地面に前のめりに倒れた。


「馬鹿な、我ら三人の攻撃を躱し一瞬で倒すとは!」


 士光は立ち上がると無言のまま立ち上がると、腕を失った槍持ちの男にゆっくりと近づいた。


「ま、待て。降参だ、もう戦えん」


 槍持ちの男は地面にへたり込むと無い腕を突き出して声を震わせた。士光は聞こえない

様子で更に近づいてくる。


「た、頼む。命だけはっ!」


 必死の形相で槍持ちの男は命乞いをしていたが、話の途中で士光が右手に持っていた刀を左から右に一線させると男の首が胴から離れてゴトリと落ちた。

 

 無事、雇い主を自宅まで送り届けた士光は謝礼金を受け取ると懐に入れ外に出た。冬も終わりようやく心地よい風が吹き始め、士光は顔上げて空を見た。


「今日は満月か、月のウサギどんも餅をついて精が出るね~」


 雲一つない夜空には大きな月が顔を出し江戸の町を照らしている。士光は繁華街へ繰り出すべく歩き始めた。


 時は幕末、一八五八年四月の夜である。時代はキナ臭さが漂い始め。江戸の市民も時代の変わり目をなんとなく感じ始めていた。

 今から五年前、浦賀に突如として現れた黒船の襲来、そして、次の年にアメリカとの条約により事実上の鎖国が終わりを告げた。幕政は少しずつ崩れ始め、以前の幕府の権威とやらは失墜していったのである。


 時刻は暮六つ半(十九時)町は今だ人で賑わっていた。様々な人々が通りを行き交っている。

 士光は一軒の居酒屋の前で足を止め、暖簾をくぐって中に入った。横長の床几がいくつかあり、客の男達は思い思いに腰を下ろし、酒とつまみを口に運んでいた。その内の一人の老人の前に士光は足を止めた。


「棟梁、隣いいかな?」


「何だ朽葉さんかい。いちいち断るこたぁねえよ、遠慮しねえで腰を降ろしな」


 棟梁と呼ばれた老人は、床几の上に並べてあるつまみを自分の方に寄せて士光がすわる場所を作ってやった。相変わらずぶっきらぼうな言い方の老人に、苦笑いをしながら士光は腰を下ろした。


「今日は何があるんだい?」


「いつもと変わりゃしねえよ。俺はこれだけよ」


 老人の前に置いてあるのは田楽、から汁、芋の煮っ転がしであった。士光は上酒とマグロの刺身、タコの煮付け、湯豆腐を注文した。調理場から源之助が返事をする。


「朽葉さん、いきなり上酒たぁ景気がいいじゃねえか」


「まあな、今さっき銭が入ってね、ちいとばかり懐が温かいのさ」


 源之助が酒を士光の前に置いた。士光は徳利を手に取って先に老人の猪口に酒を注いでやり、その後に自分の猪口に酒を注いだ。老人は嬉しそうに酒を口には運ぶとニヤリと笑った。


「あんたはいつも気前がいい、男はそうでないとな! うちの若い衆なんてよ、呑みに行ったって俺にたかることしか考えねぇ」


「それは仕方ないさ。若い連中は棟梁みたいに銭は多く持ってねえんだ。上の人間の仕事の一つじゃねえのかい?」


「馬鹿言え! 銭を多く持っていたら中汲みなんか飲んでねえよ。第一こんなとこで飲んでねえで座敷に芸者でも呼んで大盤振る舞いよ。――っといけねえ」


 老人の一言で源之助ががチラッとこちらを見たので、思わず老人は手で口を塞いだ。


「ハハハハハ! 違えねえ、ほらもう一杯どうだい?」


 士光は徳利を手に取り、老人の猪口になみなみと注いでやった。再び老人から笑みがこぼれると一気に酒を口に放り込んだ。


「さっき銭が入ったとか言っていたが、これかい?」


 老人は手でチャンバラの仕草をした。


「ああ、おかげさまで懐が温かくてね」


「羨ましいと言いたい所だが、関心はしねえよな。そんなんじゃ、嫁さんもいないだろう?」


「いるわけ無いだろう」


「そうだよな。あんた、いつもこの店にいるものな。それだけは分かるよ」

 老人の失礼な言い方にも士光は笑って頷いた。すると、そこへ一匹の野良犬が店に入ってきた。店の客は別に驚きもせず、頭を撫でたり、話しかけたりしている。野良犬はそのまま士光の前まで来ると後ろ脚を曲げて座った。士光は自分の食べているものを指でつまむと、野良犬の前に放った。


「そんなその日暮らしじゃ、いつ浮浪人になったっておかしくねえ。あんた歳はいくつだい?」


「四十三だよ、棟梁」


 士光は自分の猪口に酒を注いでちびりと呑んだ。


「なに? あんた、もうそんな歳かい。見た感じ三十ぐらいかと思ったぜ。じゃあ、なおさらじゃねえか、どうだい、侍なんか辞めちまって俺のとこで働かねえか? その歳じゃ一人前の大工にはなれねえが、下働きだったらできるだろうよ」


「そいつはありがたいな。いよいよ食えなくなったら棟梁の所で働かせてもらうよ」


「任せとけ! 毎日ここで酒を飲むぐらいはできるぞ。だから困った時はいつでも言いなよ」


 老人は笑って士光の肩を叩いた。士光は再び老人の猪口に酒を注いでやった。

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