雨の京で・・・の続き
「勝の命令を無視して探していたが、こんな所にいやがったか」
士光は、にやりと笑うと、岡田の側に来た。
「状況を見て修羅場なのは分かる。それでも、この場を無視してお前を連れて行こうとしたが、あいつを見てそうも行かなくなっちまった。……できれば再会なんてしたくなかったんだ、あの頃のことは眠らせて、このまま生きていこう。そう考えていたが、やはり無理か」
士光が、雨笠を右手でさわりながら、左に蓮角、右に雅智、そして真ん中にいる白髪の男をじっと見た。
「どうやら、その男と知り合いのようだな。それに、私とも面識があるような言い方だが、私もかなり永く生きているんでね、すまんが思い出せない」
「そうだろうな。あんたにとっては、斬り捨てた人間なんて腐るほどいる。そのことには同意できるぜ、朽葉雪彩さんよ」
士光の言葉に白髪の男は目を細めた。
「……何故、その名を知っている。お前、何者だ?」
それまで、薄ら笑いをしていたが、「朽葉雪彩」の名を聞くと鋭い目つきに変わった。
「まーだ、分からねえか? ……それじゃ」
士光は、ゆっくりと頭を下げて、左足を左斜め後ろに下げ、右手は抜刀の構えをした。その構えを見た朽葉雪彩は驚きの表情になる。
士光の姿が消え、すぐに五間(約9メートル)離れた所にいる蓮角の側に士光が現れた。その右手は既に抜刀しており、蓮角の腹から大量の血飛沫をあげている。そして、間髪入れずに振り返り、刀を上に振り上げると、勢いよく地面に降ろし、雅智に向かって、『気』の刃を放った。
目を見開いた雅智は、何事か分からず、咄嗟に両手に持っていた刀で防御の構えをみせる。だが。『気』の刃は雅智の刀を折り、そのまま体をすりぬけていった。
士光が、刀をぱちんと音を立てて鞘にしまうと、それを合図に雅智の体が、二つに分かれ地面に崩れた。
「……お前は一体、何者だ?」
雪彩はギロリと士光を睨んだ。
「覚えていないのか? お前が彦根に帰ってきたあの日、朽葉武守ともう一人ガキがいたろうが」
士光はにやりと笑うと雪彩と対峙した。
「あの時の子供だと言うのか。だが、お前は拾われた子供と聞いたぞ。つまり、私の血を受け継いではいない。何故、今の剣技を使える?」
雪彩は、信じられないという顔をして士光にたずねた。
「さてね。どういう奇跡で使えるようになったか、俺にもよくわからねえよ。ただ……」
士光の体から、ゆらゆらとした『気』がゆっくりと現れた。
「ただな、おめえを斬り殺すことを考えて生きていたら、できるようになってねえ」
士光の、飄々とした表情とは真逆の、強い殺気が体全体から勢いよく溢れだした。岡田は、今まで見たことが無い士光の様子に驚き、喉仏を上下させた。
「ほーう! 良い『気』を発しているではないか。そこまで使えるとは驚きだ」
士光の放っている『気』を眺め。雪彩は不気味に笑い出した。
「もう、この時代では、私を倒せる者が現れないかと諦めていたが。素晴らしい、素晴らしいぞ!」
笑い声と共に、雪彩の体からも勢いよく『気』が発せられると、二人は同時に抜刀の構えをした。その時だった。
「おい、お前達何をしている!」
二人の対峙の間を割るように、大きな声が聞えた。岡田が後ろを振り向いて見てみると、十名ほどの武装した男達がこちらへ歩いてくる。そして、その声を聞いた士光と雪彩は、流れ出していた『気』をぴたりと止め、声の方を見た。
「貴様ら、どこの藩の者だ。ここに転がっている死体は何だ? 御所の側で斬り合うなど、ただ事ではない。俺が取り締まってやる」
先頭を歩く恰幅の良い男が、士光と雪彩の側に来た。その後ろを見ると、一人見た覚えがある男がいた。壬生浪士組の土方歳三だった。土方も岡田の存在に気がついて、ちらりと岡田を確認した。
「お前こそ何者だ。これからやり合おうって時に邪魔しやがって。って、あれ?」
士光が土方の存在に気がついて、おや、という顔をした。
「俺は新撰組局長、芹沢鴨である。我々は京都守護職である……」
「何だよ、土方じゃねえか。久しぶりだな」
芹沢鴨が、悠々と自分の身分を語っているところを士光は遮り、土方に近づいた。
「おい、貴様。人の話を遮りおって無礼な奴だ。新撰組の……」
「近藤や他の連中は元気か?」
士光は、芹沢がいきり立っているのを再び遮り土方と話しをしている。その様子を見て、芹沢は更に激高したが、土方の側にいた山南敬助が、芹沢の背中に手を置いて宥めている。
「ああ、お陰様で何とかやっていますよ。そんなことより、この様子はどうしたんです? 場合に寄っちゃあ、俺らも黙っていられませんよ」
「さっき、新撰組と言ったよな。確か、壬生浪士組って名ではなかったか。名前を変えたのか?」
「ええ、先程、京都守護職松平容保公によって新撰組と言う名を拝命したんですよ」
「そういうことか。実は、この寝ている連中なんだが、……なんだっけかな?」
士光は、この場を何とか誤魔化そうとした。だが、自分も岡田を探していて、偶然居合わせただけで、この様子を理解していない。
あれこれ、言い訳をしていると、雪彩が前に出て土方と対面した。
「私は、薩摩藩に雇われている村錆忠明と言う者だ。実は、長州藩がこの屋敷の主、中川宮の身内を襲うと言う情報があってな。それを警護していたら案の定、襲って来てね。我らで撃退したところだったのだよ」
村錆忠明と言う名を聞いて、その場にいた新撰組の全員が凍り付いた。
「あ、あなたが有名な村錆忠明殿ですか! そうですか、それならその人数で倒せたのも納得だ。」
芹沢鴨が引きつった笑いをしながら頷いた。
「事は終わり、我らはここを去らねばならぬ。新撰組、局長殿。すぐに薩摩の人間を此所に送り、この場に倒れている者達を運ばせる故、しばらくの間、お任せしてもよろしいですかな」
「そういうことなら、致し方なし。ここは、この芹沢鴨が、しばしの間預かるとしましょう。村錆殿は、どうか薩摩藩の方々を呼びに行かれるがよろしい」
芹沢鴨がふんぞり返って鷹揚に頷いた。
「ちょっと、待ってくれ」
土方が、厳しい目つきで岡田を見据え、ゆっくりと近づいた。
「ん? 何だ土方君。その男がどうかしたのか?」
芹沢は、何事かという顔をして土方の背中を見た。
「昨日の今日だ、まさか俺を忘れたとは言わねえよな。あの人らとどういう関係かは知らねえが、お前は別だ。一緒に来い」
ぼそりとした土方の言葉に、岡田の額から汗が一筋流れた。背中には冷たい汗が噴き出している。
「おい、土方。ちょっと待ってくれ」
士光が土方と岡田の側に来て、手を土方の肩に置いた。
「こいつは、天誅騒ぎの張本人だ。あんたとは知り合いらしいが、そんなことは知ったことでは無い、新撰組としてこいつは連れて行くぜ」
土方が、士光に振り向いて冷たく言い放った。
「おい、おい。随分と冷てえじゃねえかよ、土方よ。俺とお前の仲だろ? そんなこと言わねえで、ここは見逃してくれよ」
土方の冷たい態度にも動じず、土方の首に右手を回した。
「気安くしないでくれよ、あの時と立場が違うんだ」
回された手をほどこうと、土方が左手を動かすが、士光の腕はぴくりとも動かない。
「なあ、土方よお。立場が違うと言うのなら、こいつだってそうなんだぜ。前はどうだか知らねえが、こいつの今の立場は、幕臣、勝海舟の警護人だ」
「……朽葉さん」
士光の言葉を聞いて、岡田はこれ以上のことは無用と士光に話し掛けた。だが、士光は黙って右手を出して首を振り、それを止める。
「か、勝海舟? 何だ、貴様ら。何の話しをしている」
芹沢が首をかしげ、士光達の側に行こうとした時、再び山南敬助が芹沢の背に手を掛けて話しを誤魔化し始めた。士光は片手を上げて山南に礼をすると、山南が片目を瞑って返事をした。
「こっちだって、京都守護職、松平容保様預かりの新撰組だ。勝さんがどうであれ、関係ないだろう」
その言葉を聞いた瞬間、絡めた手をほどき、士光は表情を変えた。
「ほーう。それじゃ、この朽葉士光と喧嘩をするって言うんだな。いいぜ? せっかくできた新撰組とやら、一晩でぶち壊してやるよ」
士光の体から殺気がみなぎり出し、土方を睨んだ。土方も目をそらさずに士光の目を見ている。
「な、なんだ? 新撰組と喧嘩だと? 穏やかでないな、おい!」
芹沢は驚いた顔をして士光に近づこうとするが、山南が「まあ、まあ」と芹沢を笑って抑えている」
しばらくの間、二人はにらみ合ったが、やがて、土方が小さく溜息をついて目をそらした。
「分かったよ。今回だけは見逃してやる。その代わり、次に見かけたら斬ってでも連れてくぞ。覚えておけよ」
土方が小さな声で岡田に呟いた。
「おお! 分かってくれたか、土方よ。ここは一つ『貸し』ってことにしようじゃないか、後で必ず返しに行くからよお、すまねえな」
士光が両手を合わせ土方に頭を下げた。
「期待しちゃいねえよそんなもん。それよりも、できたばかりの新撰組を潰されたらかなわねえ。あんたなら、本当にぶち壊しそうで怖いよ、まったく」
「な、なんだ土方君。どうしたんだ? 新撰組と喧嘩とか、なんだ、それは?」
「何でもありませんよ、局長。それより、ここの警護を始めましょうか」
そう言って、土方は岡田に一瞥すると後ろを向いて離れていった。
「さ、行こうぜ岡田」
士光は笑って土方に片手を上げ歩き出した。雪彩も並んで歩き出す。岡田はつられたようにその後ろを付いて行く。
「おい、さっきは話しを合わせてやったが、これで終わりではなかろう?」
雪彩は、前を見たまま士光に話し掛けた。
「当たり前だ、おやじのかたきは取らしてもらう。覚悟しておけ」
「お前、名は何と言うのだ?」
「士光、朽葉士光だ」
「勝手に朽葉の姓を名乗るのはどうかと思うが、まあいい、許してやる。楽しみに待っているぞ士光」
雪彩はニヤリと笑った。
しばらく歩いた所で、岡田は足を止めた。
「なあ、朽葉さん」
「ん、どうした岡田」
「あのよう。俺、酒毒にやられててさ。それで……」
「分かってるさ、お前が酒にやられてたことは。そんなこと気にしないで、戻って来い。これから俺は大阪へ行く。そこでゆっくり治せばいいよ」
士光は振り向いて笑った。その笑顔に岡田はたまらなくなり、目をそらして下を向いた。
「俺さ、長州に行くことに決めているんだ。そこで体を治して龍馬と一緒に行動するんだ」
「坂本なら、これから大阪に来るぞ?」
「きっちり、治してから、あいつと会いたいんだよ。迷惑かけちまってるしな。だから、俺、今は一緒には行けねえんだ」
その言葉を聞いて、士光は優しく岡田を見た。
「そうか、自分で決めたのならしょうがねえよな。何にせよ、体を治すのならばそれがいい。大阪で待っているから、ゆっくり来い。……じゃあな」
士光は、岡田に片手を上げて歩き出した。それを見て、岡田は深々と頭を下げて見送った。
士光達が小さくなる頃に頭を上げた岡田は一つ小さな溜息をついた。
「とは言え、久坂さんの依頼は失敗しちまったし。長州には行けねえよな……」
悲痛な表情を浮かべ、震える手を強く握りしめた岡田以蔵は歩き出し、何処かへ消えて行った。
雨は相変わらず降り続けており、京の町を濡らしている。
一方、京都御所では朝議が開かれ、長州藩が提案した大和行幸の延期、そして、尊攘派公卿の参内及び他人面会の禁止。国事参政と国事寄人の廃止が決定された。これは、尊攘派公家、七名に対して、役職の解任と京都追放である。更に、長州の堺御門警衛免除が正式に決定される。
長州藩は、七卿と共に京都東側にある妙法院集まり、今後の方針を話し合った。
そこでは、徹底抗戦の提案もあったが、長州藩は、七卿と共に藩地へ帰ることを決め、次の日の十九日に一行は京を離れた。こうして、反尊攘派の鮮やかとも言える政変は完了した。