雨の京で
深夜に目を覚ました。何やら、大勢の話し声が聞えている。
以蔵は布団から起き上がると、襖を開け、話し声が聞える部屋へと歩いて行った。聞えている声の様子から、何事か起きたのだろう、ひどく緊迫した様子で怒鳴り声も聞える。その部屋の襖は開けっぱなしになっていたので、以蔵は部屋の中へ入っていった。
そこには、数十名の長州藩士が輪になって座り、その中心に久坂玄瑞が難しい顔をして皆と話し合っていた。
「久坂さん、何かあったのかい?」
以蔵の声を聞いた久坂は話を止め、以蔵を見た。
「岡田君か。この騒ぎで起こしてしまったようだね、すまないな。どうも御所の様子がおかしくてね」
「おかしい?」
岡田が、長州藩士の輪の中に入り座り込んだ。
「御所を守る、九つの門が全て閉じられている。我々が守っていた堺町門も、関白様の命により、追い出されてしまったんだ。代わりに薩摩がいるらしい」
「全ての門が閉じられているとは、尋常ではないな。天子様になにかあったのだろうか?」
「それだったら、我々にも話しが来るはずだ。それに、わざわざ門と閉じることもしないだろう」
その時、外から大砲の音が一つ鳴り響いた。部屋にいた全員の口が止まり、唖然としている。
「今のは大砲の音だな、久坂さん。戦争でも始まったか」
「馬鹿な。大体、誰が御所に攻め入るっていうんだ。それに、大砲を引き連れて来るのなら、それなりの規模なはずだ。だが、そんな情報は入ってきていない、まったく、訳が分からん」
「俺が外に出て様子を見てこよう。何か分かったら久坂さんに教えるよ」
「それだったら、僕らも一緒に行った方がいい。何かあったときに多い方が安心だ」
久坂が何名かの名前を呼び、付いてくるように命じた。そして、久坂と以蔵が部屋を出て、玄関まで歩いた。屋敷を出ようとした時に外から戸が開けられて、数人の男達が入って来た。その中の一人に、藩の重要人物の一人、桂小五郎がいた。
「桂さん!」
「おう、久坂か。外は大変な事になっているぞ、御所を囲んでいる門が全て閉じられているんだ。会津、淀、薩摩、因幡、備前、米沢、阿波、土佐らの藩兵らが武装して、許可のある者以外誰も入れぬようにしてある」
「何で、そんなことを?」
「この騒ぎで三条様(三条実美)が御所内に入ろうとしたが、藩兵に追い返されたようだ」
「三条様は朝廷内の発言力も大きく、国事御用掛という重要な職にも就いている重鎮です。そんな方が中に入れぬとは」
「三条様だけではない。三条西季知様や四条隆謌様など、我々と懇意にされている方々も中に入れぬのだ」
「我々と懇意にしてる方々といえば、尊攘派の……」
何かを悟ったのか、久坂の表情が見る見るうちに青くなっていった。
「そうなのだよ。朝廷内でも発言力がある、尊攘派公家が、誰一人として中に入ることはおろか、内の事情でさえ、聞くことができんのだ」
「御所内には、誰一人として入ってはいないのですか?」
「中川宮が参内しているとの情報が入っている。その後に、近衛忠煕父子、徳大寺公純らを筆頭に、京都守護職などの公武合体派の面々が中に入ったとの話しを聞いている。その後の、九門封鎖騒ぎだ。どういう事か分かるか?」
「中川宮と言えば、薩摩と繋がっています。では、この騒ぎ、薩摩が描いたと?」
「それだけではないだろう。先程話した各藩の動きが妙に統一されている。もしかしたら事前に話しを合わせていた可能性が高い。このままでは、我ら長州藩が疎外される恐れがある。今すぐにでも行動を起こすべきだ。俺は、殿にこの話を持って行き、判断を仰ぐ。お前は直ぐにでも兵を武装させ、関白の屋敷を取り囲め。脅してでも中の事情を聞くんだ」
「分かりました。では、こちらも大げさに大砲を率いて、戦も辞さぬ勢いでやってやりましょう」
久坂は、大声で藩の人間に指示をする。屋敷の中は、ばたばたと大騒ぎになり、皆武装を始めた。屋敷内だけでなく、京都内にいる、長州の人間全てに集合を掛けるべく、何名もの者が伝令に走った。
「久坂さん、何か俺にできることはないか? 助けてもらった礼をしたい」
以蔵は、久坂の側に寄ってきた。
「体の具合は?」
「大丈夫だ、刀を振る程度は問題無いよ」
以蔵は、微かに震えている右手を握りしめて久坂に返事をした。
「……そうだな、ちょっと待ってくれ」
久坂はそう言うと、桂の元へ行き、話しかけた。桂は以蔵に一瞥すると、何事か久坂と話し込んでいる。しばらくして、久坂が大きく頷くと、以蔵の元へ戻って来た。
「それでは、頼みたいことがあるが、これは絶対と言うことではない。駄目だと感じたら引き返してもらっても構わない。うちの人間数名を連れて、中川宮邸へ行ってもらいたいのだ。そこで、中川宮の身内を一人連れてきてもらいたい。言いたいことはわかるかい、岡田君」
「ああ、人質として使うのだろう?」
「少し強引な行動かもしれんが、四の五の言ってられん。屋敷には、警護の者がいるはずだ。君の腕を頼りにしているよ。やってくれるか?」
「問題無い。何とか役に立つよう努力するよ」
「……頼む。おい、寺島!」
久坂は岡田の肩に手をやると、大声で寺島忠三郎呼び、先程の話しをする。頷いた寺島は直ちに動き、中にいる数名の者達に声を掛けている。
準備を終えた数百名の長州藩士は、桂の指示で、堺町門東隣にある関白鷹司輔煕邸へ移動を始めた。時刻は、寅後刻をやや過ぎ、早朝となっていたが、外は雨が降っており、やや薄暗い。藩士達は、頭に笠をかぶり横三列で列を整えると移動を開始した。その道中で、以蔵と寺島忠三郎、そして、四名の長州藩士が列を離れた。
「中川宮の屋敷はどれ位で着くんだ、寺島」
「直ぐそこですよ、何と言っても天子様に近いお人ですからね。そう言う方の屋敷は御所の近くと決まっています」
以蔵は寺島らと、風を切りながら移動している。細かい雨粒は、以蔵の着物に容赦なく降り注いでいた。岡田が寝ている間に、大分雨が降っていたようで、地面には水たまりがそこかしこに点在している。そこを以蔵は、足元を気にするでも無く、踏みはじきながら走った。
「あそこです、岡田さん。門の前に、三名ほど警護の者がいるようですね。おい、お前らで蹴散らしてこい」
寺島が、四名の長州藩士に指示をする。頷いた藩士達は走る速度をあげ、門に向かって行った。岡田は、先にいる警護の者達に違和感を覚えた。距離にして一町(約109メートル)、薄暗いとは行っても、こちら側から向こうが見えるのだから、当然向こうも、こちらを確認しているはずである。なのに、ぴくりともせずに三名は立っているだけなのだ。
先に走った四名が、警護の者達との距離を半町まで来た時、ぱんぱんと乾いた音が三つ、前方から響いた。
すると、長州藩士の四名のうち、二人が、がくりと前のめりで倒れた。それを見た残りの二人は立ち止まり、後ろにいた岡田と寺島も、二人に追いついて身構えた。
銃声だった。横に並んでいた、三名の左側にいた男の両手から放たれた弾丸が、倒れた二人の眉間に見事に命中したのだ。二人は、全く動くこと無く地面に顔をうずめたままであった。頭のところには赤い水たまりができている。
「拳銃か。少し、やっかいですね。どうしますか、岡田さん」
寺島は、正面の三人を睨みながら声を掛けた。
「拳銃相手には、真正面で突っ込むな。左右から挟み込むように切りつけよう。俺と寺島で拳銃の男をやろう。残りは右側の男だ、真ん中は片付け次第、斬りこもう」
岡田の声を聞いて、全員頷いた。
「お前達、長州の人間だな」
真ん中にいる、白髪の老人が声を掛けてきた。
「ここにいれば、中川宮の身内をさらいに長州の人間が大勢で来るだろうと張っていたんだが、たった六名だけとは、肩透かしだな」
「随分と余裕だなじいさん。この人数相手に、たった三人でやれると思っているのか?」
岡田が返事をする。
「この年になると、そういう余裕が出てくるのだよ。まあ、伊達に長く生きていないと言う事だよ。……そうだな。では、私は下がっているから、この二人がお前達の相手をしよう。雅智、蓮角相手をしてやれ」
老人は右手の手のひらで、あごを擦りながらにやっと笑い、後方へ下がった。
「我々も馬鹿にされたものだ。岡田さん、さっさとあの二人をかたづけて、中に入りましょう」
寺島は抜刀すると、正眼に構えた。残りの二人も抜刀し、構えている。岡田は、わずかに鯉口を切り腰を落とした。そして、ほぼ同時に動き出し、相手に向かって行った。
相手の二人のうち、右側の、雅智と呼ばれた男がゆっくりとした動作で、左右の腰から刀を抜いた。蓮角と呼ばれた拳銃の男は、そのまま銃を両手に持っている。二人共かなりの腕があると以蔵は感じた。
蓮角が、左右の拳銃を一発ずつ放つ。弾丸は、ぐるぐると回転をし、雨粒をはじきながら、岡田の眉間めがけ、飛んできている。岡田は、瞬間的に左へ移動し、それをなんとか躱す。すると、弾丸は右頬をかすり、後方へ飛んでいった。頬に熱い感触を残したまま、岡田は男に迫る。
寺島は左肩に玉を受けてしまい、動きを止めてしまった。蓮角は、すかさず左手の銃で寺島に狙いをつけた。岡田は、脇差しを右手で抜くと、蓮角が銃を放つ前に投げつけた。
蓮角は、それを後ろに下がり避けたが、以蔵が、そのまま突っ込んで行き、蓮角の胴めがけ、右から左に刀を振った。
鉄と鉄がぶつかる音と共に、火花が散る。蓮角はかろうじて左手の銃身で以蔵の攻撃を防いだ。弾かれた刀を自分に引き寄せて、以蔵が蓮角の喉元へ突きをくり出す。が、蓮角は、体を左へ半身で躱すと、右手の銃で以蔵の頭へ発砲した。以蔵は、膝を曲げて玉を避け、そのまま刀を左から右へ払う、再び蓮角は右手の銃で攻撃を受け流しす。そして、後ろへ飛び下がり、以蔵との距離を作った。
「ほう、これは、これは。なかなかやるではないか。蓮角が下がるのを初めて見たぞ」
白髪の男が手を叩いて以蔵を見た。
「拳銃が二丁とも駄目になるとは。この男、大したものです」
蓮角は使い物にならなくなった拳銃を放り投げると、嬉しそうに笑いながら、腰にしまってある短刀を二本取り出した。
「おい、大丈夫か寺島」
以蔵は、横目で寺島を見る。
「すいません、肩をやられました」
寺島は、うめきながら肩をおさえている。以蔵は、蓮角と向き合ったまま右後方へ下がり、寺島の側に移動した。
「……これは、失敗だな。無理をせずにお前は戻れ」
以蔵は、雅智と呼ばれた男の方を見た。雅智の前には、先程、戦いを挑んだ二人の長州藩士二名が横たわっている。周囲に大きな血の水たまりを作り、絶命している。
「岡田さんは?」
「犬死には、ごめんだからな。隙を見て逃げるよ」
「役に立たず、申し訳ありません」
「拳銃相手では仕方ないさ。久坂さんによろしくな」
以蔵は寺島の肩を優しく叩くと行けと顎で促した。寺島は頷くと、長州藩屋敷の方へ掛けだす。
「逃がさぬよ」
雅智は、そう言って素早い動作で寺島の背中を追った。だが、以蔵が雅智の前に飛びすがり、刀を左から右へ振って、動きをとめた。
「行かさねえよ、お前の相手は俺がしてやる」
以蔵は刀を押して、雅智を後ろへと下がらせる。
「殺せ」
白髪の男がそう命じると、蓮角は頷いて、右に持っていた短刀を寺島に投げつけた。投げられた短刀は、真っ直ぐ寺島の背中へ飛んでいく。
「ちっ!」
以蔵は舌打をし、寺島に起こる不幸を呪った。
……だが、寺島の悲鳴は聞えない。前にいる、雅智を見ると、不思議そうな顔をして、以蔵の後方を見ている。それどころか、蓮角と白髪の男も同じく不思議そうな顔をして寺島の方を見ていた。
「誰だ、おまえは?」
白髪の男が、寺島の方へ声を掛ける。以蔵はゆっくりとした動作で後ろを見た。
そこには、先程、蓮角が投げつけた短刀を右手で掴んでいる、朽葉士光がいた。
「……朽葉さん」
岡田は有るか無きかの声で呟いた。




