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一筋の光明


「ほう。これは、かなりの有名人に出会ってしまったな。お前が、岡田以蔵か。ならば、尚更放っておけん。手練れ相手では加減ができんので、腕の一本は覚悟してくれ」


 男はニヤリと笑うと、抜刀した。そして、ゆっくりと、右足を後ろに下げ、中段霞の構えをとった。それを見た以蔵も、鞘から刀を抜くと上段に構えた。


 二人の周りには、円を描くように、野次馬達が固唾を呑んで見守っている。


 男が、わずかに左足のつま先を動かす。それを見た以蔵はぴくりと反応する。そして、男の右足が地面を蹴ると、物凄い速さで以蔵に迫った。

 

 鋭い突きが、音を立てて以蔵の腹に向かって来る。体を右に捻ってそれを躱し、無防備になっている男の頭をめがけて刀を振り下ろした。だが、男は間一髪のところで後方へ下がってそれを躱す。周りで見ていた者達は、残像を切ったように見えていた。


 以蔵は、振り下ろした瞬間も、男を目で捕らえていたために、直ぐに反応した。下がる男を追いながら、連続して突きをくり出した。


 一撃目、二撃目と、空を切り裂きながら男の眉間に刃先が進む。だが、首を右、左に傾けて男は避ける。

 三撃目で、下から刀を振り上げて以蔵の攻撃をはじき返すと、今度は、男がそのまま上から刀を振り下ろして袈裟切りにする。攻撃の殺気を肌で感じていた以蔵は、すんでのところでそれを下がって躱し、男との距離をつくった。


 とてつもない手練れである。未だかつてこのような男と対峙したことが無かった。世界は広い、以蔵はそう思った。


「なるほど、この京都で名を轟かせているわけだ。流石だな、岡田以蔵」


 男が、不敵に笑みを浮かべる。以蔵も口を横に広げた。この、全身がひりひりする感触がうれしかった。本当の意味での命のやり取り、今までの斬り合いとはまったく違う。

 

 距離を取ったまま、二人は正眼に構え、隙を探った。発せられている『気』がお互いにぶつかり合っている。しばらくして、わずかに男の『気』が下がる。攻撃をしてこい、と誘っているのだと以蔵は感じた。

 乗ってやろうじゃないか。以蔵は、そう思い、じりじり、と少しずつ間合いを詰め始めた。感情も少しずつ湧き上がる。そして、それらが頂点に達し、動き始めようとした時だった。


 胸のあたりから、あの嫌な感覚が蘇ってきた。以蔵は、それを抑えようとして、咄嗟に強く、右手で胸を鷲づかみにした。段々と不快感が大きくなり、顔が歪む。


 明らかに先程とは様子が違い、何かを抑えようと必死になっている以蔵の姿を見て、男は怪訝な表情をした。


「何をやっている、道を空けないか! そこをどけ!」


 男の背後から怒号が聞えた。二人の戦いを見ていた野次馬達が、その声を聞いて、わいわいと散り始めた。

 その中から、浅黄色で、だんだら模様の羽織を着た男二人が、入って来た。


「土方副長ではないですか、何をされておられるのですか」


 羽織の男達が驚いた顔で目付きの鋭い男に近づいた。


「お前達か。あの男が、居酒屋で大立ち回りをしてな。立場上、見過ごせんだろう。だから斬り合っていたのさ」


「そうでしたか。それでしたら後はお任せ下さい。我らがあやつの相手をしましょう」


 以蔵は、あの羽織を知っていた。将軍徳川家茂の上洛に先がけて、江戸から来た浪士隊の残党の者達で作った壬生浪士組だった。京の治安を守るとかで、町中で威張り散らしている嫌われている者達だ。だが、腕は確かな様で、尊攘派の人間を幾人か葬っている。人数も増えていて、今や見過ごすことの出来ない組織になっている。特に幹部連中は手練れ揃いと評判だった。その副長であれば、先程の動きは納得出来る。


 浪士組の二人は、以蔵に対して抜刀すると、正眼に構えた。以蔵は、最早戦える状態では無かったが、それを何とか抑え、刀を鞘に収めた。そして、中腰になると頭を下げ、左足を下げて抜刀の構えをした。


 それを見た土方は、目を見開いた。


「お前達、待て!」


 土方が、止ようと声を上げたが間に合わず。二人は、横並びで間隔を開けて以蔵に向かって走り出した。 それと同時に、以蔵も二人に向かって素早く動き出す。そして、すれ違う刹那、抜刀した。


 浪士組二人の動きが止まる。以蔵は、ぱちんと音を立てて刀を収めた。その音が合図となって、二人は胸から血を噴き出して地面に崩れ落ちた。

 そして、以蔵は振り向くと、倒れた二人の間を通り抜けて、野次馬達の間を走り抜けて行った。土方は、それを見て以蔵を追おうべく動いが、途中で動きを止め、振り返ると組員の二人の側に駆け寄る。だが、既に二人は絶命していた。


「動きはあれに及ばないが、あの構え、まさかな……」


 土方は、以蔵が走って行った方向を見た、だが、その姿は遠くにあり、追うのを諦めた。


 以蔵が勝海舟の警護をしていた期間に、士光が一つ教えてくれた技だった。抜刀からの高速二連撃。勿論、士光の動きには遠く及ばないが、上手くいった。

 後ろを振り向き、追っ手がいないのを確認すると、以蔵は走るのを止めた。息が切れ、心臓が早鐘を打っている。両手を膝につけて休んでいると、通りを歩く周りの人々が驚いた顔をして以蔵を見ている。激しい呼吸をしながら、右手で顔を拭うと、濡れた感触が手に残った。不思議に思い手のひらを見ると血がついていて、自分を見回すと、随分と返り血を浴びていることに気づいた。

 こんな目立った状態では、先程会った壬生の連中に見つかってしまう。以蔵は着物で顔を拭きながら歩き始めた。だが、激しい心臓の鼓動と共に、あの不快感も、どんどんと大きくなってきている。何とかそれを抑えようと、右手で強く胸を掴むがその効果は無い。

 耐えきれなくなり、低いうなり声を上げて、地面に額からつくと、そのまま倒れ込んでしまった。

 周りの人々は、関わりたくないのか、一瞥しただけで避けるように通り過ぎて行った。


「おい、大丈夫か!」


 一人の男が以蔵に近づいて、背中に手を置いた。

 以蔵は目をわずかに開いて、その声の主を見た。知っている顔だった。知り合いの高杉晋作と同じ長州藩の人間で、久坂玄瑞と言った名だ。一度紹介され、挨拶したのを以蔵は思い出した。


「君は岡田君じゃないか、どうしたんだ、こんな所で。おい、お前達。屋敷に連れて行くから手伝ってくれ」


 久坂は連れていた何名かに声を掛け、以蔵を担がせると、長州藩の屋敷まで運ばせた。


 この京都で大きな影響力を持つ藩が、この長州藩である。

 表での石高は三十六万九千石であるが、様々な事業や工業、貿易を行ない、実質百万石近いところまで発展している。

 現在、朝廷内では尊攘派が多数を占めていて、長州藩は、先程の資金力を背景に、国事御用掛となっている、三条実美や他の公卿と密接な関係を築き、京都での発言権を強めていた。

 岡田が所属している『土佐勤王党』は、師である武市半平太らが結成した土佐藩内の尊皇攘夷勢力である。武市は、尊王攘夷思想とともに、安政の大獄により失脚した前藩主・山内容堂の意志を継ぐ為に行動を開始。そして、二百名程の構成員が彼の下に参加した。坂本龍馬も土佐筆頭として名前を記している。

 武市は、精力的に全国の尊攘派の者達に会い、情報などを交換、共有をしている。その中で、薩摩・長州・土佐による同志間の会合を行い、尊皇攘夷運動を盛り上げていった。

 だが、この運動は過激な方向へ動き出す。長州藩は、下関海峡を通る外国船を次々と砲撃。薩摩藩は生麦での事件の後、イギリス海軍との戦闘、そして、土佐藩では『天誅』と称して、土佐勤王党に反する者達を次々と暗殺している。岡田以蔵も、武市の命によって、数人の者達の命を奪っていた。八月十七日現在の京都では、尊皇攘夷運動が最盛期となっている。


「どうだい具合の方は、落ち着いたか、岡田君」

 

久坂玄瑞が、布団の上で横になっている以蔵の側に来て座った。


「おかげで楽になったよ、迷惑掛けて申し訳ない」


 以蔵は起き上がり、久坂と向き合った。


「これ位なんてことはないよ。偶然居合わせたが、同士を救えて良かった」


 頭を下げている以蔵に、それ以上の礼は要らないと言う様に、久坂が手を振った。


「君の状態を見る限り、あまり良い状態ではないみたいだね。その症状を何と言うか知ってるかい?」


「……酒毒、だろう?」


「ああ。僕も酒毒になってしまった人間を見たことがあるが、患うと苦しいらしいね」


「我ながら情けないとは思う。だが、酒が入っていないと、体が言う事をきいてくれない」


「辛そうだな。だが、酒を絶たんと、それは治せない。放っておけば、皮膚や白目が黄色くなり、やがて肝臓がやられて死に至る」


「詳しいんだな、久坂さんは」


「久坂家は藩医をやっていてね、僕も少し勉学していたのさ。もっともそんなことをしている時代ではなくなったがね」


「攘夷の方は上手くいっているのかい?」


「攘夷の実行はした。うちは、下関海峡でアメリカとフランスの船を砲撃したのだが、その後に手痛い反撃を喰らってね、こちらの被害も相当なものとなったよ。敵を侮っていたわけでは無いが、あそこまでとは思わなかった。あれで、僕の考えも変わったかな、まずは装備をしっかり調えて、兵士の訓練もやり、その上で、実行しなければならない。そう思うようになった」


「俺も勝海舟の警護をしていて、あの人から色々なことを学んだよ。俺達は、何が何でも攘夷だと騒ぎ、少し盲目的だったかもしれないな」


「……岡田君の言う通りかな。その点、君の藩にいた坂本龍馬は、よく考えて行動しているね。確かに今の日本には海軍が必要だ。船の操船や武器の扱い方、それらを学ぶ『海軍操練所』は必須とも言える。坂本君は、その設立のために、各地を回ったそうじゃないか」


「そうらしい。久坂さんも知っているとは思うが、あいつは俺達と違って血を流すことを嫌っている。だから、俺がやっていた『天誅』を嘆いていたよ。武市先生とも随分揉めてね、だから、土佐勤王党とは距離を取って行動していた。まさか、幕府を動かして、操練所を作っちまうとはな、大したもんだよ」


「その天誅だがね。今、会津お抱えの壬生浪士組って知っているかい?」


「ああ。さっき久坂さんに助けられる前に、そこの副長とやらに遇い、切り合いになったよ。目付きの鋭い男でね、かなりの腕前だった」


「そいつは、土方歳三と言う名でね。天然理心流宗家、近藤勇の門下生なんだ。やつらは、壬生狼とか言われていて恐れられている。事実、同士の何名かが、そいつらに切れている。今ままでの様に、ここで好き勝手暴れなくなるだろうな。幕府対尊攘派、いや、長州対幕府かな。そう言う図式になるだろう。ただ、薩摩の動きが読めない。あそこが幕府に付いたら、うちもどうなるか……」


「久坂さんの言う通りかもな。久光公が江戸に乗り込んで行って、幕府に改革をさせたのに、何の恩恵も得られず、ましてや、幕閣の組織にも弾かれたんだ。恨む心があってもおかしくは無い」


「そうなれば、あいつが出てくるな岡田君」


「……村錆忠明」


「そうだ。以前、薩摩がここの警備をして、尊攘派の人間を粛清した時期があった。その時、我々を震え上がらせた男だ。あいつの弟子二人と組んで。私らは、いいようにやられた。実は、最近、うちの人間が薩摩藩下屋敷に村錆が入って行ったのを見ている。警戒をした方が良いかもしれん」


「俺は直接見たことが無いが、そんなに凄いのかい?」


「私だって直接見たことがないよ。あいつに狙われた尊攘志士は、誰一人、命を生きながらえた者はいないんだ。だから、噂しか耳にしないよ。よって、村錆の戦闘力がどれほどのものか分からない。ただ、薩摩の人間に言わせると、戦わずに逃げた方が賢明らしい」


「あの、示現流の使い手達に、そこまで言わせるのだったら本物だろう。できれば遭いたくないよな」


「全くだ。これからの日本を考えれば、私だってやりたいことはいくらでもある。今ここで死ぬわけにはいかないからな。できれば、村錆に匹敵する者がいれば良いのだが」


「……難しいだろうな」


 以蔵の頭の中で一人浮かんだ。だが、口に出すことはしなかった。


「そう言えば岡田君、武市さんの情報は耳にしてるかい? 薩摩・長州の和解調停案を山内公に打診すると言って帰ってから、音沙汰がないのだよ。こう言っては何だが、君ら土佐勤王党は山内公に良い思われ方をされてなかった。だから、帰るのは危険だと止めたんだが、あの性格だろう? 筋は通すべきだと言ってね」


「仲間に聞いたところでは、平井収二郎・間崎哲馬・弘瀬健太らが、青蓮院宮に令旨を請いた事が山内容堂の耳に入ってね、激怒した容堂は、三人を入牢させたんだ。先生は三人の助命を求めたのだが、受け入れられずこれさ」


 以蔵が腹を切る様子を見せた。


「それでも、何とか打開すべく容堂に話しをしているが、相手にしてもらえないらしい。下手をすれば先生も牢に落とされる可能性もあるのにな」


「下手って、どういう事だい、岡田君」


久坂玄瑞が怪訝な表情をして腕を組んだ。


「容堂がもっとも信頼していた男、土佐藩の藩政を担っていた、吉田東洋の暗殺を先生が指示したからさ。あの事件に容堂は烈火のごとく怒っていてね、実行犯を捜すために躍起になっている。それを知られたら、ただでは済まん」


「非常に危険な状況ではないか! それなのに、何故、君は他人事みたいに言っているのだ。一刻も早く彼を救わないと」


 久坂が右手を以蔵の左肩に載せ、激しく揺すり以蔵を見た。


「その通りなのだが、お前はもう、要らんとさ」


 それを聞いて、久坂は手を止める。


「え?」


「天誅騒ぎを起こした俺が、土佐に帰って行動を起こし、逆に捕まったら、それこそ先生の立場が悪くなる。人斬りしか能の無い俺は必要ない、何処かへ消えろと直接言われたよ」


 以蔵はゆっくりと右手を上げて、自分の肩にのっている久坂の手の上に置いた。


「そんな。あれだけ彼に尽くして、散々手を血まみれにしてきた君に。だから君は……」


「仕様が無いさ。先生が言っていることは事実だし、今の状態ではまともに戦う事もできん」


 久坂は右手を自分の膝に戻し、うつむいていた。だが、しばらくして、何か考えついたのか、顔を上げ以蔵を見た。


「なあ、岡田君。長州に来ないか?」


「え?」


「うん、そうだ、そうしよう。うちに来て酒毒を治そう。ここにいても状態は良くはならないし、することだって特別無いだろう? だったら、体をしっかり治して、その後、坂本君と一緒に行動してはどうだい?」


 思わぬ提案に以蔵は驚いた顔をした。そのことを考えてもいなかった。確かに、土佐勤王党と考え方が違い、袂を分かつことになってしまったが、あいつならば、笑って頷いてくれ、自分を受け入れてくれるかもしれない。そして、新しい道を標してくれるだろう。そう思うと少しだけだが、凍り付いた心に陽が差し、わずかだが、温かい感情が戻ったように以蔵は感じた。


「だが、俺が行ったら、迷惑を掛けるのでは?」


「今の君は充分な休息が必要だ。長州は良いところだぞ、病を治すには絶好の所さ。君と仲の良い高杉晋作だってあっちいる。そう言えば、君はあの男に借金をしたんだって? それを聞いてうちの連中は度肝を抜かれたよ。高杉に金を借りれる強者など、この国で君だけだろうってね。普通は恐ろしくて、彼にそんなことは頼めんよ」


 久坂は笑ったが、以蔵はうつむいている。


「国は違えど、私らは同士だろ? 遠慮なんかしないで来ればいい」


 久坂は優しく以蔵の背中を叩いた。


「ありがとう、久坂さん。あんたの言う通り、龍馬となら面白いことが出来そうだ。その話し宜しく頼むよ」


「分かった、早速明日にでも手配しよう。それまで、ここに居るといい。今日はもう寝た方が良いだろう。何かあったら呼んでくれ」


 久坂玄瑞は笑って頷くと、片手を上げて部屋を出ていった。外はいつの間にか夕刻になっていて、赤い光が屋敷の庭に溢れていた。以蔵はそれを見て軽く息を吐いた。


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