表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/24

崩壊

 春の穏やかな陽射しが京の町に降り注ぐ。桜の木には満開の花が咲き、すれ違う人々の表情も、気のせいか、冬の時と比べて和らいで見える。

  少し強い風が吹き、桜の花びらが何枚か飛び立った。そして、通りを歩く、とある男の肩の上に舞い降りた。だが、その男は気にする様子も無く、そのまま歩いている。


「なあ、朽葉さん。どうやったら、あの技を使えるのさ。刃の届かない距離で敵を切るなんて、反則だぜ」


 男は腕を組み、首をかしげながら難しい顔をしていた。だが、朽葉からの返事はなかった。不思議に思い、右側を並んで歩いているはずの士光を見たが、いるはずの姿が無い。あれ? と思い、辺りを見回すと、三間後方の呉服屋の前で、綺麗な藤色の着物を着た、若い女に声を掛けていた。


「またやってるよ、あの人」


 男は呆れた顔をし、頭を掻きながら朽葉のもとへ歩き始めた。

 とにかく、朽葉は女好きである。勝海舟の護衛で、一緒に歩いている時ですら、気になる女を見かけると、勝を無視してでも声を掛けている。


 自分が女であったなら、あんな親父臭い男など相手にはしない。ところが、声を掛けられた女は意外にも、士光に対して好印象を持つようで、今、話をしている女のように、皆笑顔で話しをしているのだ。


「何やってるんだよ。早く行こうぜ」


 男は士光に近づいて、拳を握って軽く士光の背中を叩く。


「お、おう。悪いな、ちょっと待ってくれ」


 士光は後ろも見ずに、右手を上げて、ひらひらと手を振って返事をした。


 最初に士光と出会った時は、どう見ても、そこら辺にいる仕事のあぶれた浪人を、適当に雇った男にしか見えなかった。友人の坂本龍馬に聞いたところでは、勝海舟と言う人物は幕府でも重要な地位にいるらしい。だが、銭が少ないのか、それとも『ケチ』なのか、自分の身辺警護をさせているのは士光だけだった。

 見た感じ、とても用心棒が出来る器ではない、龍馬はそれを危惧して、自分を勝に紹介したのかと最初は思った。


 その証拠に、ある日、三名の刺客が勝を襲って来た事があった。その時は、自分が前に出て、一人を切り倒し、残りの二人は自分の気迫に恐れをなし、退散して行ったのだが、士光は鼻ををほじり何もしなかったのだ。


 これでは、駄目だと思い、士光を使うことをやめるように進言したのだが、勝は笑って取り合わなかった。もしかしたら、勝は士光に弱みでも握られており、銭などをせびられ、つきまとわられているのかと思っていたが、それは自分の杞憂であった。


 十名程の刺客が襲って来た時、士光の本当の正体が分かった。自分が二人を相手にしている間、あっと言う間に残りを切り捨てたのだ。それ以来、士光に対する目が変わり、自ら、士光に剣術を教わるようになっていた。


 今日も、道場を間借りし、稽古をつけてもらった帰りである。士光は、その道場主と知り合いらしく、親しく会話をしていた。話によると、以前いくつか道場破りで小銭を稼いでいた時期があり、その時知り合ったと士光は笑って話していた。


 多少、口は悪いが、自分はこの男を好きになっていた。勝海舟は徳川旗本であり、幕府の要職に就いている男だ。多少尊敬の念は抱くはずだが、士光にはそれが無い。遠慮無く物を言い、たまに言い合いになっている。勝が公家の連中と会談している時も、相手側に士光の服装に対して品が無いと馬鹿にした時があった。普通の浪人ならば頭を下げ、恐縮してしまうところだろう。ところが、士光はニコリと笑うと、相手の右頬に拳を入れたのだ。これには驚くどころか笑ってしまった。

 粗野なだけの男かと思ったが、そうでもない、子供達を見かけると嬉しそうに話し掛け、遊んでやっているところを度々見かけるし、いつの間にか知り合いができ、町民と仲良く話をしている。そして、歳の差が親子ほど離れている自分とも対等に話をしてくれるのだ。


 土佐ではそんなことはあり得ない。階級である上士と下士の関係は絶対であり、逆らうことは死を意味する。極端な話、上士が何の罪も無い下士に対して、刀を振り下ろし殺害しても、何の沙汰もない程である。そんな理不尽な土佐を正すために、尊敬する師が作った土佐勤王党に参加し天誅を繰り返してきた。


 坂本龍馬には感謝している。人斬りとしか生きられない自分に、何とか更正する道を作ってくれたのだ。そして、勝や士光もそうだ。口に出すのは恥ずかしいが、友だと思っている。

 

 ある日、二人が会話しているところを偶然離れたところで聞いてしまった。


「剣術に関しては、余り教えたがらないお前さんが、珍しいことをしてるじゃねえか、朽葉」  

「そんなことはないさ。誰にでも、聞かれたことは、きちんと教えてやるぜ。それに、あいつは早死にする類いの男だろう。俺にも「情」はあるさ、本人の希望だし、知り合っちまった以上、少しでも死なねえ様に仕込んでやらねえとな」


     ……心から感謝している。もう少し早く知り合っていれば……


「わりいなあ。待たせちまって」


     ……少しも悪いと思っていない顔をしやがって……


「全くだ、いい年こいて女の尻を追いかけやがって」


「でもよ、おかげで上手くいったぜ。明日約束しちまったぜ。うひひ」


「『うひひ』じゃねえよ!」


「今度、女紹介してやるからよ。楽しみに待ってろ」


     ……俺の背を叩いて歩き出した。本当かよ、嘘くせえな。俺も後を追う……


 目を開いた。男は、そのまま、しばらくの間ぼーっとしていた。

 上体を起こし 前方を見る。鴨川が静かな音を出してゆっくり流れている。今日は天気が良いのだろう、川面がきらきらと光っていた。どうやら、朝方から四半刻ほど寝てしまったようだ。

 上から、人の足音が聞えている。男が顔を見上げると、橋のたもとにいることに気がついた。そう、いつも自分がいる場所だった。


 勝海舟と朽葉士光からは、自ら離れた。いや、逃げたと言った方が正解かもしれない。これ以上、自分が壊れるのを見せたくなかったのが理由だった。

 男は、どうしてこうなってしまったのか、原因は分かっている。

 

 自分から背を向けて逃げる男。追いついて、そのまま背中を切りつける。

 痛みで叫ぶ男の声。地面に転がり、こちらに顔を向ける。

 恐怖で顔が引きつっている。その表情を見て血が沸き立つ自分がいた。

 そして、再び刀を上げると、そのまま振り下ろす。

 今でもその感触は忘れられない。


 あの時の自分は、党の方針、それも師と仰いだ男からの命令であれば喜んで切っていた。最初はひどく慌てていたが、二人目からはそれも無くなり、三人目以降は、何とも思わなくなった。何故ならば、天誅をする度に師が喜んでくれたからだ。

 この国を変えるために人斬りをしている、それで納得していたはずだった。だが、途中から体の調子がおかしくなってきた。じっとしていると、体がむずむずと不快感があり、気持ちが悪くて仕様が無いのだ。

 そのおかげで、睡眠も満足にできない。仕方が無いので酒を飲んで寝ることを覚えた。すると不思議なことに『むずむず』も治まり、よく眠れる。だが、四、五日程経つと、また体に不快感があらわれる。

すると、また酒を飲んで寝る。その繰り返しが続いた。

 気がついたら、酒無しでは生きられない体になってしまった。


 男は、酷い不安感を覚えた。これも、酒が切れる時のいつもの症状だった。震える右手を地面につけて立ち上がり、土手を上がっていく。もう、八月だというのに酷く寒く感じた。

 ふらつく足取りで、通りを歩く。幾人もの、すれ違う人達が、汚い者を見る目で男を見ていた。男は、胸のあたりからくる、『むずむず』が始まり、人の目を気にしている暇が無くなっていた。この症状が始まると、じっとしていられない。声を荒げ、暴れ出したくなる。


 いつも行く居酒屋の敷居を跨いだ。男の登場で、店の客らが驚いた顔をしている。

 客の一人が座っている床几に腰を掛けると、隣の客が慌てて立ち上がり、店を出て行った。 残してあった酒の入った椀を手に取ると、一気に飲み干した。胃のあたりがじわっと熱くなって、ようやく落ち着いてきた。


「なあ、もう来ないでくれって言ったよな」


 店の主が、迷惑顔で厨房から出て来た。


「ツケだって結構たまっているんだ、これ以上居座るってんなら、痛い目みるぞ」


「……ほう、痛い目ね。最近そんな目に遭っていないな、是非お願いしたいね」


 男は、徳利を持ち上げて一気に飲み干すと、静かにそれを置いて立ち上がった。そして店主の前に近づくと、店の中にいた数人が立ち上がる気配がした。振り返ると、三人の男がヘラヘラと笑って男を見ている。


「あんたみたいな、汚い浪人を追い出すには、こう言う人達が必要でね。銭がないなら、何処かで働いて返してもらうよ」


 どうやら、地元のやくざに頼んだようだ。


「なるほどね、働いて返すか、そりゃ、真っ当な意見だ」


「そういうことだよ、兄さん。おとなしくついて来れば痛い思いをしなくて済むぜ」


 三人のヤクザが男に近づいてきた。男を逃がすまいと、前に一人、左右に一人ずつ囲む。それを見た周りの客が、慌てて店から逃げ出した。


「あんたさあ、『間合い』って知ってるか?」


 男は、前にいるやくざに声を掛けた。それに答えようと前の男が口を開けた瞬間だった。

 素早く鞘から刀を抜くと、目の前にいるヤクザの腹を左から右に走らせる。そのまま、右を向いて、返す刀で右の男の胸を切りつけた。そして、右足を軸に、くるりと反転すると、残ったヤクザ者を袈裟切りにする。切られた三人は、驚いて目を見開いたまま同時に崩れ落ちた。それを見た店主は、驚きのあまり腰がくだけ、床にぺたんと座り込んでしまった。


「さて、あんたに選択させてやろう。今すぐ死ぬか、俺に酒を持ってくるか好きな方を選べ」


 男は、刀の切っ先を店主の鼻先に近づけた。店主は「ひぃ」と悲鳴を上げる。

 その時、男の右前から、顔に向かって何かが飛んできた。

 首を左に曲げてそれを避けると、そのまま後ろの壁に当たり割れた音を出して砕けた。どうやら、酒を飲む碗が投げつけられたようだ。


「おい、そこまでにしておけよ」


 男がその声の方向に目を向けると、目つきの鋭い男が床几に座っていた。


「京へ来て半年、ようやく馴染みの飲み屋が見つかったんだ、その親父に死なれると困る。それに、目の前で刃傷沙汰なんて起こされたら黙っていられない立場なんでな、俺が相手をしてやるから外へ出ろ」


 その男の言葉から、犯罪を取り締まる側の者であると分かった。男はどうするか少し考えたが、師から必要とされない自分が生きていても仕方が無い。どうせ死ぬのであれば、強い男と試合って死ぬ方が爽快だろう。そう思い、刀を鞘に収めて黙って店から外に出た。店の入り口では、中の様子を見ていた野次馬達がごった返していたが、男が近づいてくると、蜘蛛の子を散らす様に、さっと逃げ出した。


 外に出ると、野次馬だらけだった。皆、目を丸くしてこちらを見ている。


「お前、なかなか良い腕をしてるな。人を切り慣れていないと、できない芸当だ。名前を教えろよ」


 一間ほど距離をおいて、目付きの鋭い男が前に立つ。醸し出している雰囲気が只者ではない。


「……岡田以蔵」


 以蔵はぼそりと呟いた。その名前を聞いて、目付きの鋭い男は、僅かに目を見開いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ