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和解

 やがて、舟は浜辺に到着した。前方を見ると、砂浜の上に、まぶしいくらいの篝火が焚かれており、その周りには、コの字に陣幕が張られていた。中心には、四人用の粗末なテーブルが置かれ、日本人一人が座ってこちらを見ていた。周りを見渡すと何も無い。やたら風が強く吹いていて、飛ばされている砂がニールの顔に当たった。


「こちらへどうぞ、ニール大使代理」


 舟を降りると、村錆忠明が前を歩き始め、陣幕の中へ入っていった。


「お連れしましたよ。約束通り最低限の被害で終えました」


「ご苦労だった。貴方がイギリス公使代理のジョン・ニール閣下ですね。薩摩藩の全権を任されております、大久保一蔵と申します」


 何やら、目つきの鋭い、線の細い男が、日本語を話し右手を差し出してきた。すると、村錆が英語でニールに通訳をした」


「ジョン・ニールだ。こんな夜中に、素晴らしいご招待を受けて光栄だよ、ミスター大久保。私を人質にするのはよいが、きちんとした扱いをしてくれるのだろうね?」


 ニールは大久保の握手を拒否したのか、左手を差し出さずに大久保を見た。


「貴方を人質にする? とんでもない誤解ですなニール閣下。我々は停戦交渉のために貴方にご足労願っただけでしてね。話し合いが終われば、きちんと元の場所へお送り致しますのでご安心下さい」


 大久保は笑いながら椅子に座ると、座ってくれという様に手で促した。ニールは大久保と対するように座り腕を組む。机の上を見ると、瓢箪が二本と、焼き物で作ってある猪口が二個置いてある。村錆は座らずに、大久保の左隣に立っている。


「ここに居るのは、私ら三人だけか?」


 ニールが村錆を見た。


「勿論、そうです閣下」


「胡散臭いな。周りにある布地の向こうに、兵士を控えさせているのではないか?」


ニールは首をまわし警戒した。村錆がその事を大久保に告げると、大久保は何事か返答した。すると、一つ頷いた村錆が歩き出して、周りの陣幕を外し始めた。すると、強い風が左手から吹き、ニールの顔に当たった。目を細めて見回すと、村錆の言う通り、囲むように立っている篝火の向こうは、ただの暗闇があるだけだった。


「これで、周りに何も無いことが分かっただろう。俺は策を弄することは好きだが、卑怯な行いは嫌いでね。さて、腹を割って話そうじゃ無いか。こんな場所だ、勿論非公開の会談となるが、約束は必ず守ろう。それと、形式張った会話も嫌なんだ、俺、お前で話そう。良いだろう、ジョン?」


 大久保が閣下を付けず、呼び捨てにした。ニールは少しだが、この太々しい日本人に好感を持った。今まで会った幕府の役人は、頭をこれでもかとペコペコ下げ、愛想良く笑い、イェスかノーかハッキリと答えない者達ばかりだった。どうやら、この大久保は違うようだ。周りに布を垂らしていたのも、ただの風よけのためだったのだ。


「分かったよ、一蔵。実は、俺もあんたと同じで、形式張ったのは嫌いでね。変な駆け引き無しで行こうじゃないか」


 ニールは足を組むと、胸ポケットからパイプを取り出した。そして、マッチに火を付けるが、強い風で直ぐに火が消えてしまった。すると大久保が身を乗り出して風よけのために自分の両手を差し出した。ニールは、再びマッチで火を付けると、無言で大久保の手の中に入れてパイプに火を付ける。直ぐにパイプから煙が出ると、ニールは一つ頷いて右手を上げてニヤリと笑った。


 大久保も頷いて座り直すと、二つある瓢箪の一つを取り出し猪口に注ぐと、ニールの前に置き「飲め」と顎をしゃくる。


 日本の酒は飲んだことがあるが、余り好きでは無かったが、好意を無駄にするのも悪いと思い、黙って一口飲んだ。だが、中身は日本酒ではなかった。


「驚いたな、これはウィスキーじゃないか。しかも、かなり上物だ。このスモーキーな香りはアイラモルトだな」


 ニールは信じられないと言う様な顔をした。


「気に入ったのなら、なによりだ」


 大久保はもう一つの瓢箪の栓を抜き、空の猪口に注いで一口飲んだ。


「どこから手に入れた?」


「国父の倉庫に、随分と飲まずに置いてあったんだ。どうせ使わないのだから、勝手に持って来た」


「知らないのか、一蔵。こう言う物は、樽で長く保存すればするほど価値があるんだぞ。俺でもこれほどの物は滅多に胃袋に入れられないぞ」


「そうなのか? まあいいじゃないか、客人に振る舞うにはぴったりだ」


「一蔵の飲んでいる物も同じなのか?」


「いや、これはサツマイモで作った酒なんだ。ウイスキーは苦手だ」


 一蔵がそう言ってニールを見ると、二人は低い声で笑った。


 大きな波が来たのか、一つ大きな波音が聞えた。


「さて、そろそろ本題に入ろうか。我が藩としては、二万五千ポンドという大金など、払う能力も無いし、払うつもりも無い」


 大久保は猪口をテーブルに置き、両肘をのせて手を組んだ。


「それでは話にならんじゃないか。元はと言えば、そっちが引き起こした事件だぞ。何の罪も無い我が国民が三人も殺傷されたんだ。今になっても謝罪一つしないとは、常識が無いとは思わないのか?」


「あれは、四人が馬を乗り付け、うちの行列に入って来たからだ。下馬を指示したのにもかかわらず、そのまま端を通り、国父が乗る駕籠まで近づいてきたんだ。命の危険を考え、供回りが切り込むのは当然の行動だろう」


「事情がどうあれ、切り込むのはやり過ぎだろう、一蔵。彼らは民間人であって、国父を狙う刺客ではない」


「いいかニール。イギリス国内でそっちの国王や女王が供回りを引き連れて道を通ったとしよう。その時に、四人の日本人が突然馬で乗り込んで、重要人物に近づいてきたらどうする? 普通なら命を守るために銃を使うのじゃないのか。それともなにか? 文化が違う外国人だからといって、そのままにしておくと言うのか?」


「そんな話しているんじゃない。実際に事件が起きているんだから、その責任を取れと言っているんだ。殺された者にも家族がいる、このまま、泣き寝入りさせる訳にはいかんだろう」


 ニールは、テーブルを左手で叩いて怒り、猪口のウィスキーを一気に呷った


「まあ、そんなに目くじらを立てて怒るなよ、ジョン。だからここに、お前を招待したんだ」


 大久保は、苦笑しながら瓢箪の栓を抜き、ジョンの猪口に注いだ。


「攘夷という言葉を知っているか、ジョン」


「勿論知っている。お前達の言う、『外国人』に武力を持って追い出そうという意味だったよな。前に、長州藩がアメリカ商船に攻撃をしかけ、その後、フランス、オランダの船にも攻撃を仕掛けたな」


「そうだ。その結果、アメリカとフランスが報復攻撃を仕掛け、長州は無様にも敗北し、未だに解決していない事件となっている。その攘夷実行を命じたのは幕府だと言う事は知っているか?」


「そうらしいな、話には聞いているよ。だが、この間の会見では、本意では無いと言っていた。世論と朝廷に押され、仕方なく全国に触れを出したとな」


「その話は間違っていない。だから生麦での事件も幕命に従ったと言うわけなんだ。幕府の命令は絶対でな、逆らうことなどできんのだ」


「話をすり替えるつもりか?」


「違う、よく聞いてくれ。これからが重要な話になるんだが、我が薩摩藩は最新式の武器と戦艦が欲しいのだ」

 

 その言葉にニールは首をかしげる。


「話が読めん。何を言っているんだ」


「つまりだ、我が薩摩藩は、イギリス最新式の武器及び戦艦を買おうといっているのだよ。今回の戦闘で嫌と言うほど実感した。これから戦争をするには、あんた達の武器が必要だとね」


「……ふむ、なるほどな」


 ニールはこぶしを顎に付けて考え始めた。賠償金を得ずとも、金額の高い武器や戦艦を商売に使えればかなりの利益になる。


「話を変えるが。現在、君の祖国とロシアとの関係は、先に行なわれたクリミア戦争(露土戦争)で非常に悪化しているよな」


「確かにその通りだが、それがどうしたんだ?」


 ニールは猪口を口に移し、一口飲んだ。


「大きく地図を想像してみてくれ。そうすると、ロシアと言う国は我が国と西ヨーロッパに挟まれた形になる。ロシアという国は、昔から戦争になったとき、二正面作戦を行なったことがないんだよ。つまり、近い将来、日本とイギリスが友好関係になり、同盟などを結んだ場合、非常に有利なるとは思わないか?」


 ニールは宙を見つめ、世界地図を頭の中に開いて考えた。


「うむ。これから先、我が国とロシアが、再び争うことが起きた場合、反対側の日本がロシアの尻に火を点けることが出来るということか……」


 ニールは再び猪口を呷り、残りを飲み干した。一蔵が無言でニールの猪口にウィスキーを注いだ。


「それが現実となれば、我が国としては非常に魅力的なことになるだろう。だがな、一蔵。開国をあれだけ渋った徳川幕府と朝廷、そして各藩がいる中で、我が国とそのような前進した外交に発展するとは思えんな」


「その通りだ。だが、徳川の時代になって随分時が経ち、その力もかなり衰えてきた。その証拠に、大老や老中の暗殺騒動、更に各諸外国との開港条約締結だ。あれだけ強固だった幕府と各藩の繋がりもかなり緩んできている。巨大だった樹木も根から腐り始めそろそろ倒れる時期が近づいてきていると俺は思う。その後に、どんな時代になるのかは俺も予想が付かん。だが、間違い無く、一番力のある薩摩の人間の多くは、その時の政権内で重要なポストに就くだろう。勿論この俺もな」


 ニールは村錆の通訳を、目を閉じながら聞いている。いつの間にか風は弱まり、心地よい波音が聞えている。


「お前は、我が国の武器と戦艦を買いたいと言った。もしかしたら、それは対幕府に使うと言うことなのか?」


「それは、俺の口からは思っていても言えんよ。ただ、ごく近い将来に使う可能性は大きいだろう。どうだ、ジョン・ニール。これなら君のメンツは保てるし、この話もイギリス本国に重要な情報として、大手を振って帰ることができると思うがな」


 確かに、一蔵の言う通りかもしれない。これならば、今回起きた戦闘被害の責任問題は、総司令官のキューパーに被ってもらうことにして、自分は、先程一蔵が言っていた、武器の貿易と、世界規模の問題点解消。さらには、幕命の『ジョウイ』とやらの命令を切り札にして、幕府を問い詰め、金をゆすり取ることができるかもしれない」


「なあ、一蔵。先程薩摩藩は、賠償金を支払う能力が無いと言っていたのに、高価な武器を買う能力はあるのか?」


「それが本音と建て前と言うやつでね。我が藩は、この国でもトップクラスの雄藩でな、金なら持っているから安心してくれ」


 それを聞いたニールは大きな声で笑った。


「この村錆を刺客に向かわせて、我々を半分脅し、残りの半分は裏で手を差し出す。喰えん男だな一蔵は。気に入ったよ、この話乗ろうじゃないか。ところで話は変わるが、頼みがある。お前の飲んでいるサツマイモの酒を一口くれないか? 上手そうな匂いがしてきて気になっていたんだ」


 一蔵はニヤリと笑い、薩摩焼酎の入った瓢箪をニール差し出した。ニールは、まだ入っていたウイスキーを砂浜に捨て、焼酎を注いでもらうと一気に飲んだ。すると、ニールの顔が少し歪む。


「ゴツい酒だろ? クセのある酒だが、飲んで喉元を過ぎると、鼻腔一杯に香りが広がって、何とも言えん旨みがあるんだ」


「お前の言う通り、クセがあるな。だが、なかなか旨いじゃないか、気に入ったぞ」


「それが分かれば、お前は薩摩隼人だよ、ジョン」


 大久保は、笑ってもう瓢箪を差し出した。嬉しそうにニールは焼酎を注いでもらう。


「そう言えば一蔵、先程の話だが、一つ条件が出来たんだが」


「何だ、行って見ろ」


 大久保は少し怪訝な表情をしながら、自分の猪口に焼酎を注ぐ。


「その焼酎を一樽分けてくれないか? うちのキングに上納してビックリさせてやりたいんだ」


 ニールは大きく笑うと、持っていた猪口を差し出した。一蔵も立ち上がって、ニールに猪口を差し出す。そして二人は猪口同士を触れさせた後、一気に飲み干した。


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