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MONSTER

 辺り一面、瓦礫の山となっている。未だに、そこかしこから黒い煙が立ちこめ、赤い夕焼け空に向かって昇っていた。


 洋上から、敵の戦艦による艦砲射撃で、神社や民家、そして藩士屋敷などが焼かれており、火災によって焦げた臭いが充満していた。


 その中を一人で、町の警備役の男が歩いていた。男は、煙を吸わないように、持っていた手拭いで鼻と口を覆いながら険しい顔をしている。


 藩主は勿論のこと、一般住民などは、砲撃がとどかない距離まで避難をさせていて、町の中に人の気配は感じられない。藩士屋敷のあたりを通り過ぎ、一般市民の区画に入った所で前方に黒い人影を見つけた。何やら、ごそごそと動いている。


 警備の男が、そちらに向かって歩いて行くと、見たことがある人物がそこにいた。


「呉服屋のご隠居じゃないか。退避命令がでているんだから、避難所に戻ってくれよ」


 声をかけられた老人は、ピタリと手を止めると警備の男の方に首を動かした。


「ああ、治平さんか。見回りかい? ご苦労さんだね」


「何しているんだい?」


「何って、うちの商品で無事な物が残ってないか探しているのさ。だけど駄目だな、全部燃えちまったよ。それどころか、この辺り一面焼けちまって何も残っていないじゃないか。ひどいことをするもんだよ敵さんもさ」

 

 老人は恨めしそうな表情で海を眺めた。その視線の先には、半分ほど海に沈んだ太陽を背に、数隻の戦艦が並んでいるのが見えた。


 やがて日が落ち、数刻が経った。その数隻の一つ、イギリス海軍所属艦「パール」の船室内にイギリス公使代理のジョン・ニールがいた。


 彼は、二度にわたるイギリス公使館襲撃事件と横浜港付近にある、生麦村での、イギリス人殺傷事件の謝罪と賠償の請求で日本にやって来ていた。強い態度で幕府と交渉をしたニールは見事十万ポンドという大金を支払わせることに成功した。これに気をよくしたニールは、未だ何の返答も無い薩摩藩からも賠償金をせしめようと、旗艦ユーライアラスを筆頭に七隻の軍艦で鹿児島沖にやって来たのだった。


 ひどい暑さだった。ただでさえ、この極東にある島国での夏は湿気が多く過ごしにくい。それに加えての船室内である。彼は上半身裸で汗を拭きながら、本国に送る書類を作成していた。


 仕事も一段落し、彼はペンを置くと、引き出しからパイプを取り出した。タバコの葉をもう一つある箱からひとつまみ取り出すと、丁寧にパイプの中に詰め込んだ。パイプを口にくわえて、マッチで火を付けると、パイプに詰めたタバコの葉に火を近づける。


 くわえたまま、数回ほど小さく息を吸ったり吐いたりを繰り返しパイプを吹かし始める。やがて葉にも火がついて煙が立ちこめた。そして彼は、大きくパイプを吸うと、上を向き、天井に向かって盛大に煙を吐いた。甘い香りが鼻腔の辺りを撫でていく。その煙の行方を眺めながら彼は目を閉じた。


 我ながら上手くやったと思う。幕府からせしめた十万ポンドは、現在この艦にある。自分がちょっと怒鳴り付けると、幕府の役人は怯えた表情を見せて頭を下げていた。


 我が大英帝国の軍事力は、この世界でもトップクラスなのである。先だっての、対清国の戦いでも圧倒的な勝利をして屈服させたのだ。こんな島国など、息を一吹きすれば怯えた猿のごとく逃げ出すのは致し方の無いことかもしれない。


 これを本国に持ち帰っても、自分の出世は間違い無いことなのだが、それを確実のものとするために此所にやってきたのだった。


 到着当初、薩摩藩に対し、生麦での殺傷事件に対しての犯人逮捕、処罰、および遺族への慰謝料として二万五千ポンドを要求。これに対し、薩摩藩側は奇襲作戦を実施するも失敗に終わり、しばらく返答を保留していた。


 業を煮やしたこちら側は、薩摩汽船三隻を掠奪し、船奉行の添役、五代才助や青鷹丸の船長の松木弘庵を捕虜として拘禁する。これに激高した薩摩方が砲台からの攻撃を行ない、両者間で戦闘が開始された。


 戦闘はイギリス側有利に働いた。艦隊からの砲撃は標的を間違えること無く命中していった。鹿児島側は煙の量が凄まじく、島津邸や侍屋敷、民家、そして砲台などが焼かれて甚大な被害をもたらした。


 だが、こちら側にも被害は出た。敵側の砲台による艦隊の損害は、大破一隻・中破二隻により死傷者が三十人前後出てしまった。特に、旗艦ユーライアラスの甲板に、敵の砲撃が命中したのは大きな痛手である。艦橋にある軍議室で破裂・爆発すると、居合わせた艦長、副長などの士官が戦死する。しかし、その場にいた艦隊司令のキューパー提督は無傷で済んだことは不幸中の幸いであった。


 全艦隊七隻の内、三隻が戦闘に支障をきたすと言うことは、大問題である。キューパー提督は撤退をニールに提案する。だが、このままでは、国内からの批判ばかりか、海外からも、「イギリス海軍が逃亡した」と世界中から囁かれるだろう。それを恐れたニールは続行を指示する。艦砲射撃により鹿児島の町が延焼してはいるが、それでも十%程の損害である。明日以降も攻撃を続ければ敵の士気も落ちて、いずれ降伏するだろう。


 パイプを吹かすのを止め、再びペンと手にすると、扉の向こう側で、兵士達の慌てた声と走る足音が響きだした。そう言えば、頭上の甲板辺りからも物音が聞える。


 何事か起きたのだろうか? 懐中時計を見ると、深夜一時十五分を過ぎたあたりであった。敵襲かもしれないと考えたが、この船が動き出す気配は無い。

 そう言えば、何日か前に、民間人を装った偽装兵がやって来た。正体を見破られると何もせずに、すごすごと帰って行ったが恐らくその類いのものだろう。こちらにだって見張りの者がきちんといるのだから、そう簡単には乗り込めまい。そう考えて、ニールは再びペンを走らせた。

 

 二十分程過ぎたあたりから、突然周りが静かになった。大して気に止めず、しばらくペンを走らせていると、扉から二回ノック音がした。


「どうぞ」


 ニールは手を止めて、扉の方を向いた。


 すると、一人の兵士が部屋に入って来たが、どうも様子がおかしい。目は泳いで、微かに震えている。頭から大量の汗が噴き出していて、それを拭おうともせず怯えた表情を見せていた。


「どうしたのかね、汗びっしょりじゃないか。先程上で慌てた様子だったようだが、何かあったのかね?」


「そ、それが」


 そう言ったきり、下を向いてしまった。何か恐ろしい物でも見た様子だ。


「黙っていては分からんだろ。何をしに来たのかハッキリ言いたまえ」


 少し苛立って兵士に言うと、弾かれたように姿勢を正した。


「も、申し訳ありません。司令官殿が呼んでおりますので甲板までおこし下さい」


「こんな時間にかね? どのような用件だね」


 ニールが訝しげに尋ねると、再び兵士は下を向いて震えている。これは、何かあったのだとニールは悟り、立ち上がると兵士の側に近づいた。


「…何があった?」


「自分は兵士であります。この間起きたインドでの反乱でもこの船に乗り込み、いくつかの戦場を経験しております。で、ですが、あの様な男など見たことがありません! 笑いながら戦い、一方的にこちらが虐殺されるなど」


「敵襲かね?」


「はい」


「相手は、何百名程乗り込んで来たのだ?」


「一人であります」


「なに馬鹿なことを言っているんだ。敵艦に夜襲を掛けるために、一人で来る奴などいるわけないだろう」


 この兵士は気が動転しているのだろう。ニールは肩をすくめて、宥めるように話した。


「上がって見れば分かりますよ、ニール公使代理。あれは悪魔なのかもしれません。あんな動きをする人間などいるわけがない」


 兵士は下を向いたまま、甲板に上がるように促した。ニールは首をかしげつつ、上着を着て部屋から出ると、通路を通って、階段を上がった。上を見ると明りが焚かれているのか、明るかった。


 階段を登りきり、甲板の上に立つと信じられない光景が目に飛込んできた。


 上甲板の船首側を見ると、数十人のイギリス兵士が血だらけになって倒れているのが見えた。その周りに無傷の兵士が顔を青くして立ちすくんでいる。ただ、どういうわけか敵兵の姿が見当たらない。ニールは訝しげな顔をした。


「公使代理、こちらです」


 前を見ると、司令官であるキューパー提督が、左腕の二の腕あたりを右手で抑えながら立っているのが見えた。彼の左腕は真っ赤に染まっている。


「提督、一体何があったんだね。今、一人の兵士が私を呼びに来たのだが、どうも様子がおかしい。それにこの惨状はなんだね? 敵は一体何処に行ったのだ」 


「残念ながら、この艦はたった一人の男に制圧されました」


 キューパー提督は、青ざめた顔でニールを見た。


「それは、さっき聞いたのだが、いくらなんでも、それはありえんだろう。たった一人で乗り込んで来て、ここに倒れている兵士を倒したというのかね?」


「そうです、ニール代理。私だって信じたくは無いが、これは事実なのです。一人の日本人が目で捕らえられない動きを見せて、あっと言う間に倒してしまった。我々だって、じっとしていたわけでは無い。何とか応戦しようとしたが、とにかく動きが速すぎて銃の狙いが定まらない。同士討ちをしてしまう兵まででたほどなんです。ならば、剣で戦おうとしましたが、それこそ奴の独壇場だ。私も左腕に怪我を負ったのです」


 キューパーは傷ついた左腕をちらりとみた。


「それで、その日本人はどこにいるのだね?」


 ニールが尋ねると、キューパーは首を後ろに回した。


 ニールはキューパーの背後を見た。彼の背後は舳先になっていて、いつもそこには小さな木樽が置いてある。そこに白髪を後ろ手に縛っている一人の日本人が膝をついて座っていた。


 見たところ、その男は老人である。目は細く東洋人特有の顔だ。全身血まみれになっている。しかし、それは全て倒れている味方兵士の返り血だと感づいて、ニールはぞっとした。彼は、にたりと不気味な笑みを浮かべてこちらを見ている。目が合ったニールは、思わず目をそらした。


「あなたが、イギリス公使代理のジョン・ニール閣下でいらっしゃいますか?」


 その男から、意外なことに流暢な母国語が発せられた。


「そ、そうだ。私がジョン・ニールだ……」


「来ていただけて良かった。実は、最初乗り込んだ時に、貴方を呼んでいただくように一人の兵士に話したのですがね、何を思ったのか、その兵士は私に向かって銃を発砲しましてね。とっさに避けて、つい習慣で切り捨ててしまった。そうしたら、この有様でね。主から、敵の被害を最小限に抑えろと言われていたので、もう少しで全滅させてしまうところだった。あぶない、あぶない」


 敵がいきなり、乗り込んで来てきたら、誰でも発砲するだろう。もう少しで全滅? ニールは辺りを見回してみたが、日本人は彼だけであった。信じられないことだが、キューパーの言ったことは本当なのだろう。この不気味な男を見て、ニールはようやく納得できた。


「私に用だと言うことだが、何かね? それに君は一体誰なんだ?」


 冷静を装い、ニールはその男を見た。


「これは失礼。私は、村錆忠明と言います。今回の戦闘で、あなた方の敵である、薩摩藩全体の責任者である大久保一蔵が貴方を連れてくるように命じてきましてね。それで、ここまで参上した次第です」


「私を呼ぶにしても、きちんと使者を立てればよいのでは? 何もこんな夜中に突然襲ってくる必要は無いだろう」


「先程も言いましたが、最低限の被害で済ませろとの命令でしてね。ある程度の脅しが必要だったと言うことですよ、閣下」


 村錆は表情を変えること無く、にたりと笑みを浮かべたまま、ニール向かって話している。敵地に、単身で乗り込んで来たとは思えない余裕な態度に、ニールは少し苛ついた。


「そんな失礼な使者など、私は聞く耳を持たない。出直してこい」


 ニールは脅しのつもりで腰に掛けてある拳銃を抜いた。そして、村錆に狙いを定めようとし右手を動かした刹那、いきなり自分の頬に刀の刃が突きつけられた。目線を上げて見ると、先程三メートルほど先にいた村錆忠明が、自分の横に立っている。


「この現状を見て、まだ分からないかねニール閣下。どうやってもあなた方より私の方が速いのだよ」


 先程の高めの声と違い、恐ろしく低い声で村錆が囁いた。


「……そう言うことか。分かった、君に従うとしよう。どうすればいい?」


 ニールは両手を上げて銃を床に落とし観念した。


「この船の下に、私が来た小舟がある。それで今から参りましょう」


 村錆は刀を鞘に収めると、目線を泳がせて下に舟があるのを示した。ニールは手を上げたまま、艦の縁まで歩き下を覗いた。そこにはこの国の漁師が使う小舟が浮かんでいた。


「済まないが、誰か縄梯子を持ってきてくれないか?」


 それを聞いたキューパー提督が部下の一人に命じると、横目でちらりと村錆を見ながらニールに近づいてきた。


「一人で行くのは危険です。何人か連れて行くように命じます」


「大丈夫だよ、提督。薩摩の奴らが向こうで私を殺す理由が無い。だってそうだろう、殺すなら今ここでやれば済むはずだ。それに、この現状を見る限り我々は負けたと言っていいだろう。おとなしく行ってみることにするよ」


 ニールが、キューパー提督の肩に手を置き一つ頷いた。そして、一人の兵士が縄梯子も持って来て、数人で下にある小舟に向かって降ろす。準備が完了すると、ニールはキューパー提督に向かって片手を上げると下に降りた。


 小舟に降り立たったが、波のうねりが大きく、立っていられず、すぐに座り込んだ。上を見ると村錆忠明がゆっくりと下りて来て船尾に移動してきた。艪を手にも持つと漕ぎ始め、小舟が進み始める。段々と離れていく艦を見ながら、しばらく戻れないだろうと、思った。自分を人質に取れば、薩摩藩とイギリスでのやり取りで、薩摩藩側に有利なるはたらくからである。


 舟はどんどん加速して行き、大きな波を切り裂く様に進んで行った。村錆を見ると表情変えずに艪を漕いでいる。


「そう言えば、どうやって君は上まで昇ったのかね。見た限りロープなど見当たらないが」


 ニールは辺りを見回しながら聞いた。


「ロープなど必要ありませんよ、閣下。ここから飛び上がっただけです」


「相当な高さがあるが、飛び上がっていったとはね。先程の動きを見れば納得せざる得ないが、それでも信じられんよ。君は人間なのかい?」


「ハハハハ。閣下の言う通り、私はもはや、人では無いのかもしれませんね。さしずめ、妖怪の類いかもしれませんねえ」


「YOUKAIとは何だね?」


「そちらの言葉で言うと、モンスターですよ」


「なるほど、良く分かった。あれを見せられたら否定はできんね」


 ニールは、一つため息をついて話すのを止めた。進む先を見ると、遠くに明りが見える。あそこが目的地かと思った

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