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15/24

 その日の夕刻、外は相変わらず雨が降り注いでおり、天井から瓦に当たった雨音が、道場内に響いている。


 沖田は一人、誰もいない道場内で木刀を振っていた。ただ振るだけでなく、多数を相手に想定した激しい動きを交えて振っている。沖田が木刀を振る度に、雨音をかき消す程の音が道場内に響いている。額からは汗が噴き出して、動く度にぽとぽと床に落ちていく。木刀を振ってもう二刻は経った。しかし、体は動くのを止めない。


 あの後、試衛館に戻って布団に入ったが一睡もできなかった。士光のあの動きと剣さばきが目に焼き付いて離れなかったのだ。あの速さは何なのだ、どうやったらあんな動きが出来るのか。そして、もう一つ。離れた敵に刀を振り切りつけたあの技、今でも信じられなかった。


「全く、恐ろしい音を出しているなあ、沖田君は」


 動きを止めて後ろを振り返ると、山南敬助が呆れた顔をして立っていた。


「山南さん」


「それが真剣だったと想像すると寒気がするよ。それに、その殺気。今朝方の沖田君を彷彿とさせるねえ。もう私じゃ、君にかなわなくなってしまったなあ」


 山南は頭をポリポリと掻いて、一つため息をついた。


「何を言っているんですか。山南さんだって、凄い剣さばきで敵を切りまくっていたではないですか」


「私の場合は何とか動けたってやつさ。正直もっと戦えると思っていたんだがねえ、集団戦になると、まるで戦い方が変って粟食ったよ」


 山南は沖田に近づくと、右手を出して木刀を渡すように沖田に促した。そして、上段から一気に振り抜いてみる。沖田とはまた違った鋭い音がした。


「今回の戦いで、人を切ると言うことが良く分かった。そうなると、剣さばきも変ってくる。勿論、稽古は大事であるが、実戦には遠く及ばないな」


 山南はそう言って木刀を沖田に返した。今度は沖田が呆れた顔をして受け取った。


「良く言うよ、今の一振りで充分わかります。実戦で山南さんとは対峙したくないな、流石は北辰一刀流免許皆伝だね」


「そんな肩書き何の役にも立たないさ。実際、私は近藤先生と対峙して負け、ここでお世話になっているんだし。ここに来たからこそ、今日みたいな貴重な経験が出来た訳だしね。とは言え、あんなものを見られるとは思わなかった」


「朽葉さんのことだね?」 


「うん。あれには、驚いたという言葉では、あてはまらないな。化け物だよ」


「そうだよね。あの剣さばきの速さなんて、どうやったら出来るの聞いてみたいよ」


「じゃあ、聞いてみればいい」


「え?」


「言うのが遅くなったけど。今、勝殿と一緒に近藤先生の部屋に来てるのさ。近藤先生に言われて、それを知らせに来たんだけど、沖田君の剣さばきを見ていたら忘れてしまっていたよ」


「え? 早く行って下さいよ山南さん!」


沖田は、慌てて木刀をかたづけた後、急ぎ足で近藤の部屋に向かって行った。山南はその様子に苦笑した。


「近藤先生、沖田です」


「おう、入れ!」


 襖の前で沖田は一礼すると、ゆっくりと戸を開けた。


 この間と同じく、近藤と対峙する様に勝海舟が座り、その後ろで壁に寄りかかり、立て膝をついて座っている朽葉士光がそこにいた。沖田と目が合った士光は、「よぉ」と口を動かして右手を上げた。


「やあ、沖田さん。今朝方はお疲れさんでした。お陰様で過激尊攘派の連中を一網打尽にできた、お礼を言わせて貰うぜ」


「いえ。こちらこそ、朽葉さんに危ないところを助けていただきました。ありがとうございます。それと、これ、お借りしたままでした」


 沖田は、士光に近寄り、姿勢を正して座ると、借りていた刀を両手で差し出した。


「気にするなって言っただろう。そう何度も礼を言わなくてもいいよ」


 士光は、にやりと笑うと、左手で刀を受け取ると、そのまま自分の横に刀を置いた。それ以外士光の側には刀は見当たらない。どうやら、ここまで刀無しで来たようだ。


「直ぐにお返し出来なくて、申し訳ありません」


「俺が持っていなくても、勝が持っているから問題無かったさ」


「全くです。朽葉殿であれば、体術だけでも敵を撃退出来るでしょうな。それにしても、あの動きには驚きました。どうやって、身につけられたのです?」


 沖田が一番聞きたかったことを、近藤が言ってくれた。


「とても通常の人間では出来ない稽古を、たまたま俺が出来ただけでね。だから、詳しく話しても理解できねえよ、近藤」


「そうかもしれませんね。あの動きは人の域を超えている、言ってはいけないかもしれませんが、あなたは通常の人ではないですね」


 近藤の言葉を聞いて、沖田は士光の様子を窺う。言われ慣れているのだろう、士光の表情は変わらない。


「近藤さんの言う通りだな。希にいるのさ、そんな人の域を超えた化け物がね。でも、あなたたち試衛館の方々もそれに近いものを持っていると、俺は思ったぜ」


「え?」 


「そりゃ、そうだろう。たった八名で倍以上の敵と対峙して、押していたんだ。普通の武士だったら全滅していただろうよ。流石は天然離心流だ、実戦となれば並ぶ者無しだな」


「ありがとうございます。うちの連中にも話しておきます、皆喜びますよ」


 近藤は、深々と勝に頭を下げた。沖田も近藤の横に座りそれに倣った。


「さて、ここからが本題だ」


勝はそう言って膝をポンと叩いた。


「『虎尾の会』って知ってるかい、近藤さん?」


「いえ、存じませんね」


「神田にある、学問と剣術両方を教える清河塾ってのがあってね。そこの塾生が中心となり、作った会なんだ。実はこの会、尊皇攘夷派の集まりでね。分かっているとこで幕臣の者から薩摩藩の人間、そして数人の浪人が名を連ねているんだ。そして、そいつらを率いているのが、塾を開いた清川八郎って言うんだが。この男、各地を歩き回って、そこにいる尊攘派の連中と何やら色々と話し合っているらしんだよな」


「何を話し合っているのです?」


 勝は、周りを気にしながら首をキョロキョロとさせると、近藤の方に顔を突き出した。


「倒幕さ、近藤さん」


「何と、倒幕ですと!」


 近藤の上げた声に、勝は自分の人差し指を口に当てて、静かにするように促した。それを見て近藤は思わず右手の手のひらで口をおさえて激しく頷く。沖田もそれを聞いて驚いていた。


「幕府の力が強大であった以前なら、考えていたって実行に移そうなんて奴はいなかったが、大老、井伊直弼が暗殺されて以降、幕府内で発言力のある人物がいなくってしまった。その証拠に、薩摩の島津久光公が、天子様から下賜された勅書を持って幕府に改革を求めて来ただろ? 以前の幕府なら、下賜される前に止めさせることが出来たはずなんだよな。これはあきらかに、力が弱まったと言わざるを得ないってわけだ。そんな状況を知った清川八郎は、バラバラで行動している尊攘派の人間を一つにまとめようと画策しているようなんだ。この男なかなかに優秀な男だと、おいらは思うね」


「では、薩摩藩は近々幕府に反旗を翻し兵を挙げると言われるのですか?」


「うん、そこが問題でね。倒幕思想が、藩全体なのか、ごく一部なのか分かってねえんだよ。事実、久光公は公武合体を支持しているしな。その辺はもうちょっと探ってみないと何とも言えないわな」


「では、その清川八郎という男の動きは、無視できないということになりますな、勝様」


「そうなんだよ、近藤さん。ところがな、前日、清川八郎が政事総裁職、松平春嶽様に急務三策って言う幕政の政策を、虎尾の会に所属している幕臣を通して上書したんだよ。それに関しては詳しく話さねえが、それが承認されちまってな。それの第一弾として、今度、上様が京へ上洛されるんだ。そして、その前衛として、身分の関係なく、武士だろうが、農民であろうが、誰でもよい。腕に自信があれば兵として幕府が雇い、浪士隊として、そいつらが京まで行軍し、到着した後に京の治安を回復しようと話が決まってな。これをどう思うよ?」


「その、急務三策っていうのが承認されたとなると、良く出来たものなのでしょうが、倒幕思想の清川が、何故、幕府に上申書を提出したのか疑問が残りますな。それでは幕府を助ける形になるではないですか」


「その考えはもっともだ近藤さん。おいらも、そこが引っかかるのさ。どうもこの話は、きな臭くてな。そこで頼みなんだが、試衛館の方々もその浪士隊に参加して貰いたいんだよ」


「ほう、我々がですか」


 近藤は、興味を持ったのか鼻の穴を大きく膨らまして、腕を組んだ。


「ああ。そして、影から清川を監視してもらえないかね? もし、よからぬ行動に出た場合、切ってもらいてえんだよ。これは幕府からの依頼になるが、表向きの話じゃない。なので他言は無用でお願いしたい。引き受けてもらえれば、その謝礼として、京都守護職の松平容保公の下で武士として働けるように話を通しておくが、どうだい?」


「これは、魅力的な報酬ですな。身の保障については、幕府が面倒見て下さるのなら心強い」


「あんたたちの保障については京に到着するまでだ。そこからの衣食住については保障できねえ。そこからは会津藩の管轄だからな、連中と上手く話し合ってもらいたい」


「分かりました。一応、お話は伺ったと言う事で。どうするかは皆と話し合ってから決めたいと思います」


「そうしてくれ。返事は早い方がいい、浪士隊の責任者である松平忠敏殿と話を通しておかなければならんのでな。さてと、話は以上だ、帰るとするか」


 勝が立ち上がるのと同時に士光もゆっくりと立ち上がる。


「すいません。少しよろしいですか?」


 沖田も近藤と一緒に立ち上がり、士光に目を向けた。


「ん、何だ少年?」


「お願いがあります。一度私と道場で立ち会っていただけないでしょうか?」


 士光は直ぐに返事をせず、勝に許可を得るように目線を送った。


「急いで帰る用事はないから、おいらは構わないぜ。相手をしてやれよ、朽葉」


「そうか。だったら、少し相手をしてやるかな。道場はどっちだ?」


 沖田は嬉しそうな顔をすると、一礼して士光を道場まで案内をした。二人の実力の差は分かっている。到底かなう相手ではないが、今自分がどれだけ士光に迫ることができるのか是非戦ってみたい。沖田は逸る気持ちを抑えながら道場まで歩いた。


 道場に着くと、そこには先程いた山南と土方、そして、今朝方共に戦っていた永倉や斎藤らが稽古を行なっていた。


「稽古中にすまん。ちょっと場所を貸してくれ」


 近藤が皆に声を掛けた。


「あれ? 朽葉さんじゃないか。話し合いは終わったのか近藤さん」


 木刀で鋭い音を出していた土方が、素振りを止めた。他の者も、おや、と言う感じで士光を見ている。


「ああ、今し方終わった所だ。沖田が朽葉さんと試合したいと言ってな、了解を得てここに来たのだよ」


「随分と面白そうな話になっているな。うちの塾頭が何処までやれるか楽しみだ、おい、みんな手を止めて場所をあけろ」


 土方は嬉しそうな顔をすると、山南らに稽古を止めるように、右手を振って促した。他の者達も、おお、と少し驚いた顔をすると手を止めて場所をあけた。


「良い度胸だ。流石は我が塾頭殿、骨は拾ってやるから死んでこい」


 土方がにやりと笑うと、茶化す様に沖田に近づいた。


「勝てないのは分かっていますけどね。でも、簡単にやられはしないつもりですよ、歳さん」


「今朝のやっこさんを見て、体が熱いのだろう? 分かるよ、みんな同じ気持ちだぜ、思いっきりやってこいよ」


 土方は、沖田の右肩をぽんと叩くと部屋の隅に行き腕を組んだ。


「何を使いますか朽葉さん。私は真剣でも構いませんけどね」


 沖田が挑発する。


「ん? 俺にとっては真剣でも木刀でも同じなんだがな。まあ、木刀でやるかな」


 沖田が、隅に掛けてある木刀を二本取り出し士光に一本を渡す。士光は重さを確認するために左手で軽く振った。その音は、日々その木刀を使っている試衛館の面々が、目を見開くに十分な音だった。


「恐ろしい音を発しますね。そこまで鋭い音は聞いたことないや」


 沖田はゾクリとするも、にやりと笑った。


「その割には嬉しそうじゃないか、少年」


「私は、まだ自分より強い男と立ち会った経験が無いのですよ。ですから、今回は思う存分戦えるので嬉しくて」


 沖田は、ゆっくりと士光と対峙すると、気を抑えることなく最大限発っして正眼に構えた。


「良い気を発しているな。なるほど、今朝見た動きは本気じゃ無かったと言う事か」


 士光は左手で木刀を持ったまま、だらんとぶら下げたままだった。


「一つ言っておきたい事があります。私のことを少年と言っていますが。これでも二十なんで、きちんと大人扱いしてほしいですね」


 沖田は言った刹那に踏み込んだ。2人の距離はおよそ二間ほどであったが、沖田は素早い動きで距離を縮める。木刀を上から士光の頭めがけて振り下ろす。士光は左手だけを動かしてそれを止める。がつん、と音がして沖田の剣が弾かれた。しかし、それは予測済みである。左に振られた剣をそのまま士光の右脇腹めがけて撃ち込む。しかし、これも士光が左だけで止める。


 沖田は、次から次へと剣を繰り出した。士光は表情を変えないまま、沖田の連撃を止める。常人ならばあまりにも速い沖田の連撃は目で追うことはできない。しかし、ここにいる試衛館の男達は見えているようだ。皆、真剣な表情で目だけを動かしてその様子を見ている。


「近藤さん。沖田の奴がここまで動けると想像したかい?」


 土方が近藤の横に来て、沖田の動きを見ている。


「稽古で、我々と対峙するときは本気では無いだろうと思ってはいたが、ここまで動けるとは思っていなかったよ、歳」


「そうだよな。正直『してやられた』という気持ちはあるが、あいつがガキンチョの頃から見ていた俺としては、これはこれで嬉しくもある。あいつの剣は間違い無く、国内でも指折りの剣士だろう」


「私も同じ気持ちだよ。何もかも小さかった、あの時の子供がここまで成長するとはなあ」


「だが」


「ああ、恐ろしいな、朽葉殿は」


 先程から攻撃しているのは沖田だけで、士光は一撃も打っていない。表情変えず涼しい顔で沖田の連撃を打ち返している。しばらくその状態は続いていたが、沖田が後へ素早く下がり、間髪入れずに得意の三連突きを士光の喉元を襲った。『いける!』そう沖田は思った。


 その時、士光の動きが変わった。高速で繰り出される沖田の三段付きを素早く体を右にひねり躱して、空をついた沖田の剣を上から撃ち込んだ。沖田の腕から離れた木刀は、音を立てて床に落ちた。皆、「おお」と声を上げる。


「いい動きだったぜ。真剣であっても、そこいらにある有名な道場の免許皆伝連中の相手ならば、引けを取らずに戦えるだろう。むしろ、お前が優位な展開で命を取ることができるかもな」


 士光は撃ち込んだ木刀を左肩に担ぐように置いた。


「一応、褒められているんですかね? 嬉しいですけど、私としては不満が残りますね。まだ今朝見た、本気の朽葉さんと立ち会っていませんので」


 沖田は挑発するような目つきで士光を見た。


「何? あんなので良いのか? それだったら見せてやるぞ、剣を取ってもう一度やろう」


 士光が不敵に笑うと、顎を動かして落ちている木刀を拾えと促した。沖田も同じような表情で剣を取ると士光と対峙する。先程と同じような距離が二人の間にできている。


 士光が真剣な表情に変わった。木刀を左腰にしまうように置き、抜刀の構えをした。そして、今朝見た、尋常では考えられない気を全身から発した。


 圧倒されるような気を感じたが、沖田は怯まなかった。今朝方見た士光の動きは覚えている。今の状態から、やっと目で追えるような高速の動きを見せてこちらにやってきて一太刀浴びせるのだ。


 張り詰めた空気が流れ、数秒流れた。そして、二人の間に何かが弾けた瞬間に同時に動き出した、沖田は剣を上に上げて、そのまま振り下ろす。すると少し遅れて士光が左から右に向けて剣を繰り出した。


 2人の木刀がぶつかる。そこで通常ならば「がつん」と激しい音がでるのだが、沖田には何の感触もなく、まるですり抜けたかのように錯覚した。そして、士光の剣がそのまま沖田の顔に向かってくる。やられる、そう思った時、顔の寸前でピタリと止まった。


「おい、おい。嘘だろう」


 その様子を見た土方は、目を見開いて驚いた。士光は、沖田の剣を切り抜き、そのまま顔に向かっていったのだから当然である。2人の手に持っていたのは真剣でなく木刀だ。どうやったらそんな芸当ができるというのか。


「まいりました、私の完敗ですね」


 沖田は二つに分かれた自分の木刀を眺めて笑った。


「だから言ったろう。真剣だろうが木刀だろうが同じだってよ」


「凄い技だなあ、どうやっているんです?」


「まあ、理屈は分かっても、真似できる芸当じゃないな」


「ちょっと、卑怯な感じですね。これじゃ、あなたを倒せる者などいないではないですか」


「剣術だけでの話ならばな。今の時代なら銃や大砲もあるし、あんな物が大量に向かって来たら俺だって即死だろうよ」


「なるほど、いくら朽葉さんでも銃にはかなわないのか。少しだけ溜飲が下がる思いだな。何にせよ、立ち会っていただきありがとうございました。これからも日々精進してまいります」


 沖田は深々と士光に礼をした。士光は笑って片手を上げると、勝に声を掛け屋敷の玄関へ移動した。近藤が先程の士光の動きに感動した様子で、鼻を膨らませながら何やら質問している。その後ろを、自分の木刀が切られた感触を思い出すように左手の掌を眺めながら、沖田が続いて歩いていた。間違い無く、自分より強い男と立ち会えた喜びをかみしめ、もっと色々な手練れと立ち会いたいと沖田は思った。それは、竹刀や木刀なんかではなく、刃のついた真剣で。そして、ぎりぎりのところで命を拾う戦いを繰り返し、いつかは再び士光に挑戦しようと密かに思った。


 外は雨が止んでいて、綺麗な夕焼け空になっていた。勝と士光は、草履を履くと試衛館の面々に頭を下げて玄関を後にした。それを見た土方らも頭を下げて二人を見送っていると、士光が歩みを止めた。


「おっと、そうだ」


 沖田は声を掛けられて頭を上げる。すると、士光は先程返した刀を、鞘ごと抜いて沖田の目の前に差し出した。


「え?」


「お前、自分の刀は折れたままだろ? だったら使えよ、お前にやる」


「いや、でも、これでは朽葉さんが」


「俺のことなんか気にするな、その内適当に新しいのを探すさ。今朝見た様子じゃ、お前との相性も良さそうだしな、使ってみろ」


 士光が、受け取れと言う様に沖田の胸へ刀へ押しつけて離す。落ちそうになった刀を慌てて沖田が受け取った。


「いいじゃねえか、貰っておけよ。今朝方借りていた、なまくらだろ。銭が貯まるまで差しておけよ」


 土方は沖田の側に近づいて声を掛けた。


「そういうことだ。じゃあな、精進しろよ沖田総司」


 士光は、笑うと片手を上げて試衛館の門をくぐって出て行った。貰って良いのか躊躇していたが、やがて真顔になると、沖田は無言で士光の背に礼をして見送った。


「良かったな、総司。しばらくは、それで我慢して使っておけよ」


 沖田は土方の声に振り向いて、刀を持ち上げると、ゆっくりと鞘から抜いて見せた。刀身が夕焼けで赤く光る。その光はなまくらなどでは無く、名刀と呼ばれる類いの物であった。その光を見た土方は、ぎょっとした。


「これがなまくらに見えますか、歳さん。まあ、今朝方は薄暗かったからよく見えなかっただろうけど、これは相当な業物ですよ」


「おいおい。こりゃ、大名連中が持つような刀じゃねえか。何だって朽葉の旦那はそんな物を『ほい』って渡したんだ?」


「私だって分かりませんよ」


 沖田は困った顔をして土方を見返す。永倉らも沖田に近づいて刀を見て声を上げている。


「多分ですけど、認められたのじゃないかな、あの人に。ねえ、近藤先生」


 山南は、腕を組んで、歩いて行く士光の背を見ながら微笑んだ。


「案外そうかもしれんぞ、総司。先程の動きには、俺も驚いた。いつの間にあんな芸当を身につけたのだ」


「全くだよ。俺らと稽古する時には見せなかったじゃないか」


 土方が軽く沖田の肩を小突いた。


「仕方ないでしょ? 私が本気を出したら、皆怪我をするだけでは済みませんからね」


 沖田が、にやりと笑う。それを聞いた土方が嬉しそうに笑いながら再び沖田を小突いた。永倉らも沖田に近づいて同様に小突き始めた。沖田は痛がりながらも嬉しそうに笑った。 

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