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訪問者

 居酒屋の軒先から、小さな鳥籠が吊されている。駕籠といっても、小鳥が一羽出入り出来る程度の穴が開けられているだけであり。春になると雀がそこに巣を作り、子を育てている。穴の先には掌ほどの大きさの板が置かれ、飛んできた小鳥はそこで着地して穴の中に入れるようにしてある。今は季節がら籠の中は空っぽである。だが、着地する板の上には、居酒屋の主人の計らいで店で残った粟が置いてあり、今は雀のつがいが、それをつまんでいた。


 昼の刻を告げる鐘が鳴り、驚いた雀が飛び立った。建物よりも高く飛び上がると、そのはるか先には、頭に雪を被った富士が見えた。


 店の中には、既に数人の客が酒を飲み顔を赤くさせている。その中に一人だけ顔色を変えずに淡々と飲んでいる男がいた。


「ほらよっ。飲んでばっかりいないで少しは腹に入れろ、朽葉」


 源之助がアンコウ汁とタコの煮物を持って来て、士光が座っている床几の上に置いた。士光はチラリとつまみを見ると、無言のまま箸を手に取り、口に運んだ。


「今年は用心棒の仕事が多かったな。なんだか、年々増えていねえか? まあ、こっちとしちゃ有難い話なんだが、物騒な世の中になってきやがった」


 尊皇攘夷の言葉を旗印に不逞浪士が現れて、佐幕派への辻切りや商家への銭の押し借りなど、江戸の町にも、不穏な空気がまとい始めているのだった。


「京都の方じゃ、もっと酷いらしい。井伊の大老様が行なった弾圧も一因らしくてな、直接手を下した奴らへの復讐も多いと聞いているよ」


「あれだけ派手にやりゃあな、恨み辛みもでるだろうよ。押さえつける力を持った直弼が殺されたんだ、後はやりたい放題さ」


 士光は、猪口に残っていた酒を一気に口に放り込むと、右手の甲で口を拭った。


「お前も、そろそろ、用心棒の仕事に復帰してくれねえかな、朽葉。人手が足りなくて大変なんだよ」


 江戸には、旗本直参とは言え少ない禄で暮らす武士が大勢いた。また、地方でも、貧乏な生活のために脱藩し、江戸の町に新たな生活を求めてやってくる浪人もいる。

 源之助は、そんな武士や浪人を集めて、用人や商家などの警護を請け負っている。士光もその組織の中で同じように用心棒の仕事をしていたのであった。

 だが、井伊直弼の暗殺事件以降、朽葉士光の鞘から、剣が抜かれることはなくなってしまった。士光は、昼前に店に現れると、夕刻まで酒を飲み、フラリと立ち上がると何処かへ消えて行く、そんな毎日を過ごしている。


「ああ、どうもやる気にならなくてな。すまねえな、源之助。それに俺がいなくたって、問題ないだろう。食い詰めてる侍なんざ、その辺に転がってるだろ?」


「武士であれば、誰でもいいと言うわけでもないさ。用心棒として派遣したら、素行の悪さが目立って奉行所に取り押さえられる者だっているんだ。この商売、信用が第一だからな。変な輩は雇えねえよ」


 源之助はそう言うと、調理場の方へ戻って行った。士光は再び徳利を手に取ると、猪口になみなみと酒を注いで口に運び始めた。そして、いつものように、開け放たれている戸の向こう側に流れる人々に目をやっている。


 すると、その視線の中から一人の男が目に入ってきた。その男の手には、紙に何か書き記しているらしく、辺りをキョロキョロと見回している。やがて、源之助の店を見つけると紙とてらしあわせて頷くと、勢いよくこちらに向かって歩いて来た。


「源之助さんと言う方はいらっしゃいますか?」


 店に入って来るなり、その男はそう言った。用心棒の仕事でも探しに来たのかと士光は思った。身なりはいかにも浪人という感じである。歳はまだ若く、言葉にもはつらつとしたものを感じる。


「へえ、私が源之助ですが。どういったご用で?」


 源之助が調理場から出てくると、頭に巻いた手拭いを外し、手を拭いながら男の側に行った。


「あなたが、そうですか。実は朽葉士光さんって方を探していましてね。あなたの店に行けば会えると聞いたもんで」


 一瞬、酒を飲んでいる士光の手が止まったが、すぐにまた飲み始めた。男の様子から、不穏なものは感じ無い。ただ、尋ねて来ただけのようだ。


「朽葉なら、そこで酒を飲んでいますがね」


 源之助も同じように、その男から感じたらしく後ろを振り返り、士光を見た。


「朽葉さんなら、ほら、ここにいるよ」


 士光はニヤリと笑いながら、右隣の床几に座っている、遊び人の貞吉を指さした。


「は? え? な、なに、なに?」


 突然、士光から指された貞吉は、驚いて、士光と源之助を方をキョロキョロ首を動かして見ている。士光は片目を瞑って、話を合わせるように貞吉に促した。


「あなたが朽葉さんですか! 探しましたよ、この辺は浅草寺が近くにあって、人や店が多いものだからここまで来るのに大変でしたよ。ここ、いいですかね?」


 男は士光の座っている床几に座っていいか断りをいれた。士光は、ニコニコと笑みを浮かべながら男が座れるように、置いてあった料理をどかしてやった。男は一礼すると座り、貞吉の方を向いた。


「いいのかよ、朽葉。誰かもわかんねえのに、そんなことして」


 源之助が士光の耳元でゴソゴソと話した。


「いいじゃねえか。面白そうだから貞吉にやらせて見ようぜ」


「しょうがねえな。俺は知らねえぞ」


 ニタニタと笑う士光につられて、源之助も苦笑しながら調理場へ向かった。


「お、おう。なんでえ兄ちゃん、おれっちに何かようかい?」


 この無理矢理な状況を何とかしようと、士光にふんしている貞吉が、少し背をそらせて男に話しかけた。


「何かじゃ、ないでしょう! 再三、うちの先生が屋敷に来るように言っているのに、何であなたは無視しているんですか。返事ぐらい出してもいいでしょう?」


 男は少し興奮気味に声をあげると、貞吉に詰め寄った。


「まあまあ、そう興奮するなって。何処から来たか知らねえけど、ここまで来て疲れたろう?ほれ、まずは駆けつけ一杯やりなよ」


 士光が嬉しそうに、椀に酒をなみなみと注いで男に手渡した。男は貞吉に顔を向けたまま、無言で椀を取ると一気にあおって酒を飲んだ。そして、そのまま士光に椀を渡した。


「いくら、うちの先生が温厚な人だからって、無視を決め込むなんて礼儀がなっていない。だいたい、あなたは――っ」


「いいねえ、いける口だね! ほら、もう一杯やんなよ!」


 男の話に被して、士光は再び椀の酒を男に手渡した。男はチラッと士光を見ると、少し頷いて椀の中の酒を一気に飲み干して、無言のまま、飲み干した椀を士光に返した。


「うちの先生はこれでも幕臣だ。この間アメリカまで船で行った偉い人なんだぜ。そんな人の―――っ」


「なに? 幕臣でアメリカに行った? そりゃ、すげえ人なんだな! そんな人からの要請を無視するなんたぁ、ひでえ奴だ朽葉士光は」


 再び男の話に被せて、士光が声を出すと、再びなみなみと注いだ椀を男に渡して飲むように促した。男は促されるまま、一気に酒を飲み干すと、「ふぅー」と大きな息を吐いた。


「さっきから、何なんだあんたは? わしの話を止めやがって」


 男の顔が赤くなっていき、言葉もろれつが回らなくなっていた。あまり酒が強くないようだった。士光はニタニタと笑うと、男をこちらに向かせて、つまみを出してやった。男は箸を手に取るとつまみを食べ始めた。


「俺は遊び人の貞吉って者だよ。兄ちゃんの先生ってのは、何て言う人なんだ?」


「か、勝海舟って人だよ」


「勝海舟だって? あんた随分有名な人の弟子になっているんだな」


 源之助が少し驚いた様子で顔を出してきた。



「そうや。先生は立派な人なんだぜや」


 だいぶ酔いが回ってきたのか、呂律が回っていない。


「この兄ちゃん、何者だ? 知っているか朽葉。」


「知らねえよ。いい女なら一生忘れねえが、男なんざいちいち覚えてねえ」


「んん? あんた、朽葉さんか? 遊び人の貞吉って言うちょったやないか!」


「何言ってやがんだよ。さっきから俺が朽葉だって言ってるじゃねえか。あんた、もう酔っ払ったのか。しょうがねえな~、ほら、もう一杯やんなよ」


「んんん? そうやっけ? あんたが朽葉さんで、こっちが貞なんとかさん? あれ?」

 

 士光と貞吉を指で差し回しながら、再び男は椀の酒を一気に飲み干すと、とうとう、そのまま後ろに倒れてしまった。


「あ~あ。倒れちまったよ。やり過ぎだろう、朽葉。それにしても、あの勝海舟から要請が来てたなんて初耳だぜ、いつから話が来てたんだよ」


「ああ、今年の三月過ぎた頃かな。何度か家の使用人が来てなあ、面倒くさいから無視してたんだよ」


「それにしたって、何で勝海舟から話が来るんだよ」


「俺はその勝って男と面識はねえし、分からん。まあ、そういう事で俺は帰るからよ、後はよろしくな」


 士光は立ち上がり、店を出て行こうとした。


「ちょ、ちょ、ちょ、何言ってるんだ! お前、この兄ちゃんどうするんだよ!」 


 源之助が慌てて、士光の腕を掴んだ。


「どうするって。そのまま寝かせておけば、その内に起きるだろう?」


「馬鹿野郎。これじゃ、店を開いたままに出来ねえだろうが。倒れるまで飲ましたのはお前なんだぞ、お前が何とかして送り届けろよ」


「・・・・・・しょうがねえなあ。面倒くせえけど、運んでやるか。おい、貞吉よ。運ぶから、おまえ、こいつをおぶってくれよ」


「ええ? 何言ってるんだよ朽葉さん。俺は関係ねえだろう!」


「お前も嬉しそうに、俺を演じてただろう。同罪だ、おぶれよ。後で吉原で遊ぶ銭をやるから手伝え」


「え? 吉原! それなら、話は別だ。喜んで運ばしてもらうぜ♡」


 貞吉は嬉しそうに土佐訛りの男を背負うと、士光と一緒に店を出て行った。



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