流浪の葉
風が強かった。流された一枚の枯葉は、くるりと渦を巻いている。しばらく流されていたが、やがてある男の右膝に当たると、地面に落ちた。三月のまだ少し寒さを感じる風を受けると、男はわずかに目を細めて風が収まるのを待った。背中には雇い主の男が震えながら自分の影に隠れている。周りを見渡すと、自分達がいる河川敷の周囲にぐるっと人だかりができている。皆、興味津々でこちらを見物している。
「大丈夫なのですか、十人はいますよ! だから私は人を増やそうと頼んだのです。任せろと言ったじゃないですか、他の人はどうしたんです? ・・・・・・まさか集めていないと」
極道である野村一家の男達に囲まれいる。
雇い主である、よろず屋の主人が絶句して用心棒の男を見た。
「そうは言ってもな。人を増やしたらその分貰える銭が減るじゃねえか。五十両だろ、こんなおいしい話を他の奴にできなくてな」
男はバツが悪そうな顔をすると、右手の人差し指で自分の鼻の頭を掻いた。
「そんな理由で人を集めなかったのですか! 信じられない、死んでしまったら銭どころじゃないでしょうが。あなた一人でどうやってこの人数相手に戦うのですか」
背中でわいわいと騒いでいる声を聞きながら、男はちらりと野村一家の男達を見た。皆それぞれ刀を持ち、多人数のせいか余裕の笑みを浮かべている。
そもそもこの話の発端は、このよろず屋の主人の女癖の悪さから始まったものであった。
身一つで始めた商売は、最初こそ苦労の連続であった。だが、本人の商売としての才覚と仕入れる商品の目利きが功を奏して、三年もする頃には各諸藩の出入りも許されて商売が出来るほどにまで成長させたのであった。藩邸や豪農、豪商の家々をわらじが擦りきれるほど歩き回り、欲している商品を調べ上げた上で、大名屋敷から不要になっている茶器や絵などの美術品を仕入れ右から左へ流しながら商売をしていたのが良かったのだ。何せ売れるかどうかも分からない商品を仕入れるよりは確実に利益になる方法である。
店で雇っている人間も多く、従業員からは鋭い目利きが出来ることもあって、尊敬の眼差しで見られていた。自分の懐具合も温かくなり、自由に使える銭が増えた。仕事しか知らなかった男が、余裕が出来て遊ぶことに興味を持つのも当然の流れであろう。ましてや、愛人の一人や二人囲った所でどう彼を責めることができようか。助平な男だったら、いや、健全な男子であれば当然考える事だろう。
一人目の女は現役の芸者で、よろず屋の主人が良く通っていたお座敷で知り合って愛人にした。本妻以外の女を知ったよろず屋は今までにない喜びを知る。
だが二人目の女が悪かった。店で雇ったその女は見た目はおとなしく、よろず屋が何か言わないと物を欲しがらない控え目な性格であった。見た目も自分の好みなのもあって、出会った瞬間惚れてしまったのであった。ところが、付き合いだして十日ほど経ったある日。本妻の目を盗んでいつもの様に女の家に入ると可愛いい愛人の姿は無く、左の頬に、大きな刃物で切った様な傷を持った男が、一人床に座って酒を飲んでいた。主人は私の家で何をしているんだとその男を問い詰めると、男はにやりと笑うとこう言った。
「俺の女に何しやがったんだ」と
そこから、よろず屋の主人は脅され続けることになった。女に子供ができたので、生むことにするから子供の養育費を払え、俺は野村一家の者だ。言う事を聞かなければ一家全員で店に入り、中を滅茶苦茶にする。そして、顧客を調べ上げて一軒一軒回り、商売が出来なくしてやるだの散々脅しを掛けられたのだった。そんな話を聞かされたよろず屋の主人は黙って聞かざる得なかった。
絶望の淵に落ちたよろず屋の主人は、野村一家の主である野村寛次郎にしゃぶりつかれることになる。
寛次郎はまず、顧客の中の比較的資金が少ない武家を探し出して、よろず屋が所場代を渡す代わりにその屋敷に武家専門の闇賭博場を開いた。換金方法であるが、銭は勿論のこと、よろず屋の商品を景品として出されており折角苦労して集めた商品を仕入れ以下で出さなければならず赤字の危機が迫っていた。幸い銭の管理は本人がしているために回りの者には悟られてはいないがそれも時間の問題であった。
闇の賭博場は幕府の命により御法度ではあるが、武家屋敷ならばその目を誤魔化すことが出来る。博打好きはどこにでもいるために賭博場は連日満員御礼である。このままでは、自分が苦労して築き上げてきた地位が崩れてしまう。よろず屋は頭を抱えていた。
ある日、よろず屋は同郷の友と酒を飲む機会があり、とある居酒屋で酒を飲んでいた。よろず屋の主人は浴びるほど酒を飲み、かなり酔っ払うと今の現状から逃げ出したいと事件のことを友人に話し涙を流した。だが、友人には話を聞く以外何も出来ない。ただでさえ、野村一家は評判の悪い極道一家で、賭博場で負け込んだ客で銭が払えないと知ると、とことん追い詰めるので有名だった。家財一式は勿論、その男が妻帯者ともなれば、女房や子供を売り飛ばし、本人も劣悪な環境の仕事場で死ぬまで働かされるという話なのだ。回りからは食いついたら離れない「スッポンの寛次郎」と呼ばれている。恐らく今回の愛人の件も野村一家が仕掛けた罠だろうとその友人は語り、二人でうなだれていた。
そんな時だった、後ろの床几に腰を下ろして酒を飲んでいた一人の老人が声を掛けてきた。 二人の会話を聞いていたその老人は、勝手に聞いていたことを謝罪すると、よろず屋に対して、自分の行いが招いた結果で、自業自得だとぶっきらぼうに言ってきた。そしてしばらく説教をよろず屋にしていたのだが、それが終わると一つの提案をしてきた。
何でも知り合いの武士がいて、用心棒を主に生業としている男がいるので頼んでみてはどうかと話してきた。腕のほどは見たことは無いが、本人曰く、剣の腕はかなりのものだと言っているらしい。ちょっとうさんくさい話だと友人と目配せをしていたのだが、藁にでもすがる思いで老人に頼んでみることにした。すると明日、この時間にこの店に来いと言われ、次の日に大きな期待を胸に行ってみると、老人の隣にその武士が酒を飲んで座っていた。
よろず屋の主人は少し落胆した。身なりは汚く、髷も結わず後ろに一本に縛り無精髭を生やしいる。言っては悪いが貧相でとても腕が良いとは言えなかった。だが本人曰く、普段からこう言ったやっかい事の仕事は慣れているから安心しろと、酒を口に放り込みつつ上機嫌に言っていた。それを聞いたよろず屋の主人は一人では不安なので仲間がいるなら人を呼んで欲しいと男に頼んだ。上手く解決した報酬として五十両出すと男に伝えると、金額の大きさに目を貧剥いて驚いていたが、やがて大きな声で笑うと任せろと胸を叩いた。これで一安心、解決すれば元の平和な生活に戻れると考えたよろず屋の主人は、翌日になって野村一家の者に手切れを伝え、文句があるなら正午にここに来いと逆らってみたのだが、来てみればこの間の侍ひとりだったのだ。
この侍は駄目だ。今更ながらそう感じたよろず屋の主人は、手に持っていた護身用の木刀を抱えながら膝からがくりと地面にへたり込んだ。楽しかった日々も終わり、家族とも愛人とも別れ自分の人生は終わるのだ。そう考えていた時、頼りない用心棒が野村一家の方へ体を向けた。
「おーい、親分さんはどこにいるんだい?」
何とも緊張感の無い、すっとぼけた声で用心棒の男が声を掛けた。その声を聞いて一人の男が一歩前に出て来た。
「俺がそうだが、何だお侍さんよ」
見た目、背が高く小太りで目つきは鋭く貫禄のある顔つきをしている。
「あ~、これは一つの提案なんだがな。ここでお互いに争ってもそっちが一方的に怪我人が出るだけで良い事なんて一つもねえ。どうだい、ここは手打ちってことにして話し合わねえか?」
用心棒の男は右手で顎の辺りを撫でて寛次郎を見た。
「ん? 何か聞き間違いをしたかな。こっちが一方的に怪我人が出るだと? なあ、お侍さんよ。こっちは十六人いて、そっちはあんた一人だ。人数的に見てどう考えたって不利なのはそっちだろう。あんた、ここが少しいかれているのか?」
寛次郎は左手の人差し指を自分の頭にトントンと数回叩き、用心棒の男を馬鹿にした。それを聞いた回りにいる手下の男達は声を上げて笑い出した。よろず屋の主人もそれを聞いて更に愕然としてうなだれている。
「いや、人数の問題じゃあねえんだよ。そっちが百人、二百人居ようが問題ねえ。俺が言いたいのは、侍とヤクザじゃ、腕の差があって相手にならねえってことだ。確かにあんたらは商売上こう言ったいざこざは慣れているし、武器の扱いも素人よりは使えるだろう。だがな、それでもやっぱり武士にはかなわねえよ。こっちはそれで飯を食ってるしな、そもそも土台が違ってるんだ」
用心棒の男は、自分達の様子を遠巻きに見ている野次馬達を眺めながら寛次郎を説得している。 その声には、相変わらず緊張感が無くゆったりとしていて、とても争っている雰囲気ではなかった。
「随分自信満々じゃねえかお侍さんよ。確かに一対一じゃ侍とヤクザじゃ勝負にならねえがな、こっちは人数を揃えてるんだ。今、百や二百が問題無いって言ったが、いくらなんでも吹かしすぎだぜ。俺達が怖くて言っているんだったら後ろの男をとっとと渡して尻尾巻いて逃げな」
その言葉を聞いて、手下の男達はそれぞれに用心棒の男に対してヤジを飛ばして笑った。それでも用心棒の男は表情を崩さずに一つため息をすると、後ろにへたり込んでいるよろず屋の主人から右手で木刀を奪うと肩にかけて再びヤクザ達と対面した。
「仕方ねえな、ちょっと痛い目に合わせてやるから怪我をしたい奴からかかってきな」
左手でヤクザ達に、おいでおいでをするように何度か手首を曲げてこちらに誘った。
「おう、お前ら行ってこい。手加減しねえでめった斬りにしろ。よろず屋に二度と下らん事を考えられないようにしてやるんだ」
寛次郎は顎でしゃくって手下の男三人に合図をした。同時に三人は頷くと、へらへらと笑いながら前に出て、三人同時に走り出して用心棒の男に刀を向けてきた。
それを見た用心棒の男はゆらっと前に進み始める。相手の三人は左、真ん中、右と横並びで向かって来た。右と真ん中が上から刀を振り下ろしてくる。
その瞬間、僅かに用心棒の男の動きが速くなり、するーっと真ん中の男のすぐ側まで近づくと、振り下ろしてくるまえに左手で隙だらけの腹に拳をたたき込む。次に右手に持っていた木刀で右の男の腹を突いた。勢いよく突っ込んできた二人は、用心棒の男の攻撃で後ろに吹き飛ばされて地面に転がった。
左にいた男は一瞬呆気にとられた形になったが、すぐに左に向いて刀を振り下ろす。それを用心棒の男は体を反らして躱すと、右手の木刀を相手の頭に叩きつけた。「ゴン」と良い音が聞こえて、男は白目を剥いて地面に崩れた。
これを僅か数秒ほどでやってのけた。ほぼ一瞬のことで、寛次郎と手下の男達は何が起こったのか理解するのにしばらくぼーっとしてしまった。
「何をぼーっとしてやがる、一斉にかかれ!」
寛次郎が目を剥いて怒りをあらわに手下達を怒鳴った。残っていた手下の男達はそれぞれに声を上げて用心棒の男に向かって行く。
だが、刀を縦に振ろうが横に払おうが全く用心棒の男に当たらない。上手く避けられて木刀や拳、更に蹴りを繰り出して次々と倒されて行く。前と後ろから同時に攻撃をする者もいるが、何故か片方の方へ一瞬で距離を詰められて攻撃を受け、同時攻撃が無効になるために残りの一人もすぐに倒される。
あっという間に野村一家の男達は寛次郎を覗いて地面にひれ伏した。頭を打たれて気を失っている者もいれば、うめいているものもいるが死んでいる者はいない。
「お、おい。何やってやがる! お前ら早く立って殺せ!」
寛次郎が驚きながらも慌てて手下達を叱咤するが、誰一人立ち上がれない。
「本業の力が分かったかい? 親分さんよ、悪いけど、ちいっと痛い思いをするぜ」
用心棒の男は寛次郎に向かってゆっくりと近づくと、木刀を持っている右手を振り上げた。 寛次郎が『ひぃ』と小さな声を上げて目をぎゅっと瞑った。
「待て!」
振り下ろそうとした瞬間に寛次郎の後方から声が聞こえ、用心棒の男はぴたりと腕を止めると、目だけを動かしてそちらを見た。
「心配をして来てみれば、やはりこうなったか」
刀を腰に掛けている男達の先頭にいる一人が殺気を放ちながら寛次郎に声を掛けた。その後ろに四人の侍が控えている。
「こ、こりゃ、先生方!」
「だから侍をなめるなと言ったであろう、やくざと武士では戦闘では格が違うのだ!」
声を掛けてきた男がこちらへ来いと手招きすると、寛次郎は用心棒の男を見ながら五人の侍の方へ恐々下がった。手を振り上げていた用心棒の男は寛次郎を追わずにゆっくりと手を下げると何気ない表情で侍達を見つめた。
「す、すいません川本の先生。いくらなんでも、あんなに強いとは思いませんでして。言う通り最初からお願いすれば良かったですぜ」
「全くだ。それで相手は何人なのだ?」
「それが、奴一人でして、面目ねえです」
「何? 一人だと?」
「おい、川本。あの男木刀を持っているぞ」
川本の後ろにいる内の一人が驚いた声を出した。川本はそれを聞いて眉をひそめると、用心棒の男の方を見た。
確かに腰には刀を掛けているのに何故か抜かずに右手に木刀を持っている。それに、その後ろを見ると野村一家の男が残らず倒れていて、それ以外武士の姿が見当たらない。
「寛次郎、どういう事だ? 詳しく話せ」
「そ、それが変な奴でして。俺達を『少し痛い思いをさせてやる』と言って刀を抜かずに蹴ったり素手で殴ったり木刀を振ったりして全員倒されまして・・・・・・」
「奴一人でか?」
川本が少し信じられないと言った顔で聞くと、寛次郎は少し震えながら頷いた。川本は真剣な表情になると用心棒の男を睨んだ。背は高く体つきはひょろりとしていて、見たところ四十を越えているようだった。とても十六人を相手に戦い、無傷でいるような手練れには見えなかった。だが、見た目では判断できない、話を聞く限り腕はあるのだろうと判断した。
「お前達、一斉にいくぞ」
川本は後ろにいる四人に背中越しに声を掛けるとすぐに抜刀した。後ろの四人も緊張した川本の声を聞いて抜刀する。用心棒の男はそれを見ても微動だにせず、涼しい顔でこちらを見ている。
「一つ聞く、おぬし馬庭念流の使い手か?」
川本は正眼に構えると、すすっと前に出た。用心棒の男との距離は約二間(三メートル六十センチメートル)距離を置いた。後ろの四人は川本の両側に一人ずつ、後ろに二人が刀を構えていた。更にその後ろには寛次郎がいる。
「・・・・・・いや、違う。我流さ」
「名は?」
「朽葉士光だ。俺も一つ聞きたい事があるんだが、お前達その格好は侍だよな?」
朽葉は少し低い声で川本達に尋ねた。
「無論だ。何処の藩の人間かは言えぬが我らは武士だ」
川本は距離を測りつつ剣先に集中した。
「そうかい、それじゃあ遠慮はいらねえな。親分さんよ、悪いんだが、侍を出してきちゃ覚悟してくれよ」
朽葉はそう言うと、右手の木刀を天に放り投げ、ゆっくりと腰を下げた。放った木刀はくるくると回転をしながら宙に舞っている。
左足を左斜め後ろに下げ、右手は抜刀の構えをして頭を下げ、姿勢を低くしている。それを見て、朽葉は居合いを使うのだと川本は判断した。ならばむやみに前に出ると危険だと思った。
・・・・・・そう考えた瞬間だった・・・・・・
二間先にいた朽葉士光が急に視界から消えたと思ったら、突然目の前に現れて抜刀していたのだった。
その後ふわっと川本の顔に風が当たった。何が起こったのか理解が出来ずに川本は右横にいた仲間の顔を見た。ところが、右横を見ているはずが、何故かゆっくりと視界がくるっと回っている。
朽葉は姿勢を元に戻し、刀を鞘に戻して『ぱちん』と音が聞こえると、川本とその両翼二人、その後ろの二人と更に後ろの寛次郎、合計六人の胴が二つに分かれ血を噴き出しながら地面に崩れた。
先ほど天に放った木刀がくるくると回転しながら落ちてくると『ざくっ』と音を立てて地面に突き刺さった。