落下の先は
瞼の外からは光の刺激があり俺を動かそうとしていた。ゆっくりと刺激に耐えながら開けると、目の前にはあの大木が存在していた。いったいどういうことだ。
俺は確かに喉元にナイフを突き立てたはず。慌てて、喉元に傷があるか確かる。しかし、確かに傷は存在するが塞がっており、くっきり動いている喉仏が感じられるだけだった。
体の他の所も見て回るが異常は特にはないようだった。服も生前?着ていたものと一寸変わらずにいた。
俺は恐る恐る自分の心臓に手をやった。心臓は俺の手に答えて生命の力強さを伝えた。俺は自分の今の状況がさっぱり分からなかった。誰かが俺を手当てしたのか?
この場所は人が入ってくるような場所ではないし、喉元の刺さったナイフを抜き取り、素早く治療をする人間が急に現れるなんてあるはずがない。それにその場合俺が意識を失ったのを速確認できるほど近くにいなければまず間に合わないはずだ。
誰かに付けられていた?あのバス停で降りたのは俺一人だった。俺の行き先を知り、先回りできる人間がいるだろうか?いや、俺自身どこのバス停で降りるべきか分かっていなかった。そんな人物は存在のしようがない。
とにかく、今自分がどこにいるか、もしくは自分がどうなっているのか。どちらかの情報が俺には必要だった。片方が分かればおのずともう一方も推測が立てられる。まず、当たりを確かめることから始めるか。
俺の目の前にある大木は死ぬ直前に見たものと同じに見える。ここだけぽっかりと周りに木々は生えていないようのも同じだ。しかし、奥に見える他の木々の様子は違った。木に詳しくはないが、周りに生えていた木は杉などの葉が細い木だった気がする。
落ちている葉は三日月型だった。俺は少し歩き一枚拾上げて裂いてみようとした。葉は容易に葉脈にそって砕けると思ったが余りの硬さで一行に砕ける気配はない。
空を見上げると、空はいつもと変わらず雲を青い運河に乗せ、汗水を貯え運んでいた。ただ、雲は白ではなく浅い水色だった。
少なくとも自分が知っている場所とは違うのは明らかだった。となると、ここはあの世という事でいいのだろうか?そういえば生きてあの世に行く昔話は定番だ。
そう考えれば、喉元の傷がないのを除けば大方の矛盾はなくなりそうだった。俺はこの場所をあの世と仮定して、動くことにした。まず、植物や果実などの類は口にしないほうがいいな。
そういえば、自分の鞄が見つからないことに気付いた。俺は元の場所に戻った。流石に鞄まで都合よくきていることはないだろうが。最初目覚めた場所を探し、木の周りを一周したが鞄は見つからなかった。
その代わり木の根元にナイフが刺さっているのに気づいた。俺はそれを抜き取り、一余持ち歩くことにした。刃をしまう鞘は鞄の中なので持ち歩くのには困るが、コートのフードを外し代わりにし、ポケットにしまった。
ナイフ以外に俺と一緒に来たものは他にはなさそうだった。俺は彼女を探し出すべく、この場所から離れることにした。しかし、どっちに行けばいいのか検討が付かない。自身が倒れていた場所が生きていた場所と同じとすると、その反対に向かえばそのまま道に出るはずだろう。
このまま、ここに留まり続けても目的を果たせぬままの垂れ死ぬのは明白だ。
一端倒れていた場所まで戻りそれから反対を向き歩き出した。森の中に入って見かける植林はやはり自分の生きていた世界とは別物だった。適当に目印として適当に生えてる木々にナイフで数字を刻んでいった。
数字の数が二桁に入り始めると流石に不安の思いがゆっくりだが確実に増大した。焦りが足を鈍らせ、遅い癖に探索を乱雑にさせる。森を歩けどあるけど何も見当たらなかった。そもそも、この世界には森以外は存在するのか?
自身の仮定の穴を突き付けられる。空を見上げても幽霊の一人も見つかりそうにない。耳からは生物の暮らしの音も聞こえず葉が風で擦り合わせ嘲笑っていた。
こんな事を何度も考え、数字の桁が50を超えようとした時、俺は走りだした。足に溜まった不安と焦りが混ざりあい、爆発的なエネルギーを生み出す。口の渇きと体力を気にせずに走り続けた。時間にしておよそ5分ほどだろうか。体力が切れ足の縺れと共に地面に倒れ伏した。
地面に倒れ伏したら恐怖が自分の体に一斉に流れ込んできた。自分は一体なんて愚かなことをしてしまった。走ってきた方を見るがどこから来たか分かりようがなかった。堪らず愚かな自分を笑ってやった。
あぁ、これからどうする?とにかく走り続けるしかない。戻ることが出来ない以上それしか道がなかった。喉の渇きが絶えない。せめてあの世なら三途の川に出てきて欲しいものだ。俺はしばらくの間喉の渇きを紛らわせるために横になった。心臓の音が鼓膜に響く。
生きていることが不安だ。ここで死んだらどうなるのだろう。あの世ならばここに留まり続けるのだろうか。しかし、ここがそうではないとしたら?次こそはあの世に行けるのだろうか。それともまた別の場所にいくのか?考えても仕方がない事だと思い振り払った。
鼓動の音が大きくなった気がした。いや、違う?音は地面から俺に伝わって来ていた。
足音だ!
俺は急いで体を起こし地面に耳を当てた。足音は徐々に近づいていた。このままでは接触してしまう。緊張の余り息が激しくなる。隠れるか、このまま接触するか。考える暇はない。耳をもう一度地面に当てた。
すると、足音は激しくなりこちらに向かってきていた。人間の物とは思えない力強く早い音だ。俺は体を捻り思いっきり茂みの中に飛び込んだ。
遅れるほど10秒。足音の主は俺のいた場所にたどり着いた。姿は見えないが、当たりをうろついている足音が聞こえる。呼吸と鼓動を止める。なぜ俺の場所が分からないが恐ろしく鋭い五感を持っているのは確かだった。もしこれが嗅覚ならば今俺がしていることは滑稽なのだが。とにかく今動いて物音を立てるのは危険だ。
せめてもう少し離れてから一方的に確認が出来る場所。例えば、木の上などに移動しなければならない。時間がゆっくりと進む。相手の足音が聞こえるたびに心臓が飛び上がりそうになる。そうなりそうになるたび必死に押さえつけた。
相手が見えないという事がさらに鼓動を加速させる。呼吸もそろそろ苦しい。時間が長引けばこちらが見つけられる。頼む早くどこかに行ってくれ!
足音がしなくなった。去ったのか?いや、足音がしなくなったという事は、今立ち止まっているのだ。なぜ立ち止まる必要がある?
次の瞬間俺は後ろの首を掴まれ押し倒された。打ち付けられた衝撃と共に押し込めていた空気が勢いよく口から吹き出す。体を起こそうと力を入れるがそれよりも早く体重を掛けられ、そのまま再度地面に倒れ伏した。
なおも必死に抵抗しようとするが、力強く首を抑え込まれて顔を振り替えることも出来ない。首に伝わるひんやりとした感触が俺を抑えて離さないでた。
「人間……?」
俺を押さえつけている人物?は艶はないが滑らかな声でそういった。相手の発言の意図は取れないが少なくとも友好的な発音ではなかった。
「へぇ、こんなとこに来る人間なんているんだ。死にたがり?」
死にたがり?確かにそうかも知れないが、生憎今死ぬつもりはない。その為にも、どうにかしてこの状況を逆転しなければならなかった。落ち着け、とにかく現状を把握しなければならない。恐らく、相手は人間だ。(先ほどの疑問には考えるところはあるが)そして声の高さからして女性であるのが想像できた。
体に掛かっている重さは平均的な女性よりは思いが屈強な男というほどの力強さもない。そして首筋に感じる冷たさは人間の物とは言えなかった。勿論ここが本当に死後の世界で相手が死者の可能性もあるが、俺には明らかにそうとは感じられなかった。人の掌というにはゴツゴツしすぎている。相手は何らかの道具を使って抑えている。
「うーん、どうしっよっかなー。ここで処分しちゃうのはまずいよなー。面倒くさいけど持って帰らないといけないよな」
相手は俺をどうするかで悩んでいるらしい。完全に拘束される前に抜け出せなければ、幸い相手は気が緩みかけている。攻めてもう少し体重を掛けている重心が左右どちらかにずれてくれれば脱出できそうだ。
「仕方がない。持って帰る。縄とか持ってたかなー?」
相手は何かを取り出そうと、体をずらしている。この瞬間しかない。俺は体を捻り思いきり横に回転した。俺の回転につられ、相手もそのまま俺の体から離れそうになる。しかし相手も抵抗し、更にもう一度抑えようとする。俺は体を仰向けにするところまでいったが、再度体を押さえつけられる。
俺の瞳には人ならざる腕と黄色に輝く瞳だけが入り込んでいた。