暗闇
死とは暗闇なのだろうか。瞼というものがまだあるのか分からないが俺に見えてるものはそれだけだった。死は希望から絶望にすり替わっていく。彼女を殺し、殺した人に会うため自分までも殺した俺。
地獄があるなら真っ先に落ちると思っていたがまさか地獄よりも苦しいものに行きついてしまった。俺にとってふさわしい地獄だった。このまま、自身の間違いを悔やみ続けるのだろうか。
ただ、ふと気づいた。自身が落下している。落下しているが人の体が落下しているようではなく、羽根のように空気に押し上げられるように落下していた。
これは俺にとって些細な光だった。死への希望といえる。死んでから希望を得るのは変な話かもしれない。
しかし、落下しているならばここは終着点ではない可能性が少なくともあるというわけだ。地獄でも天国でもいい。彼女に会う機会すら得られるのなら、どこにだって行ってみせる。
俺は落下する方向に意識を向けた。まだ暗闇しか見えないが下に向かう力徐々に勢いを増していた。体があるのか分からないが、右手を付きだす。すると途端に手の感覚が現れた。先程までは自身の体の感覚すら存在しないはずだったのに。
俺はそのまま左手、体、足と徐々に自身の体を胎児が動きだすように伸ばしていった。
体の感覚が徐々に出来上がっていく。不思議だがそのまま掻き分けるように下へ進んでいった。下へ、下へ。体を引っ張る力は強くなる。力強さは俺を徐々に安心させていった。心も落下を求めてた。
それと同時に頭がやけに痛み出した。痛みは安定した盆をひっくり返そうと頻りに、俺を揺らし始めた。頭の痛みが存在しない肉体に広がっていった。
広がった痛みは自分の外側へ出ようと俺を破裂させようとする。それと同時に自分の血液が外側へ溢れだした。
溢れ出した血液の一滴が俺を見つめている。お互いに眼球など存在しない。だが奴も俺と同じように目を作っていた。血液は俺が空っぽになるまで流れ続けていた。
もうそのころには頭の痛みは引いて、空虚な自分を怖がっていた。自分がなぜここにいるのか分からなくなっていた。痛みと理由はすでに奴の物だった。
奴はこちらを嘲笑うと先に進み始めた。俺は奴を見つめる事しかできなかった。
奴は落下し続ける自身を止めると渦を巻き始めた。その渦は徐々に大きくなり、人が入れるほどの渦の大きさを形成する。そのまま、渦の回転を上げ暗闇に道をこじ開け始める。こじ開けた先に見えたのは小さな光だった。
光は俺と奴を照らし、俺たちに形を与え出した。奴は光を受け止めている。光は俺をすり抜けて、奴の影を映していた。
空っぽの俺は体も空っぽのようだった。影は俺を通し、巨大に映していた。ただ一つ、中心にある俺の心臓だけが奴の影を遮っていた。
渦に灯る光へ渦自身が飲み込まれていく。
もし光を形成する渦がなくなればここは絶望と墜落が支配する世界へと戻るだろう。こぼれきった腕を伸ばし、渦に巻き込まれようとする。落ちる速度はお互いに同じになっていた。
俺は先ほどのように下に意識を向けようとするが、自身の体はすでに羽根よりも軽くなっていた。
いずれは墜落することも出来なくなり、暗闇が俺自身となるのを待つだけになる。空っぽの絶望が俺を見っともなく足掻くのを押し続けた。足掻く理由はもう分からなかった。
足をばたつかせ暗闇にぶつかることすらなく、手で光の糸を手繰り寄せようとするが掴めず、体で自分を落とそうとするが影は動かない。
ここまで滑稽に足掻く姿に奴は俺を嘲笑うように光を自身に取り込んでいく。
俺は後ろを振り返った。光が取り込まれていくほど奴の影も小さくなり、影は俺の足元を通り抜け、光に向かって歩いていた。奴の影が通りぬけると、体が寒くなっていく。希望を注ぎ込む光は失われつつあった。
最後に思いきりの力をもって自分の腕を伸ばす。だが進みようのない俺を置いて光は掌をよけることなくそのまますり抜けていった。光はそのまま淡々と渦に飲み込まれていく。
光は美女のように渦の中で影と混ざりあう。奴は光を完全に支配していた。
だが光はそれに気付いていない。耄碌に拒むことを知らずに受け止めている。彼女自身それを望んでいるのか。もしくは、気付いていいないのか。俺には知りようがなかった。
光と奴は完全に交わると忽然とこの場所から消えていった。
ただ空っぽの俺だけが存在した。
茫然と考えることもなく、ただここに居続けた。何を考えたらいいのか分からなかった。もう一度自分の体を見つけた。だが透明な体を照らす光も覆いつくす影もない以上見つかりようがなかった。その瞬間また自分の愚かさと絶望が溢れてきた。
なぜこんなことになったのか。それが、思い出せないのが悔しい。理由は奴に吸い取られたのだろうか。悔しさのあまり腕を打ち付けようとする。
すると暗闇が俺を受け止めてくれた。暗闇は奴がいなくなると空っぽの俺を取り込もうと染み込んでいこうとする。しみこんだ腕は確かに存在していた。ほんの少し腕があることに安心している自分がいた。気付けば落下は暗闇が受け止めていてくれた。
暗闇は俺に安心と体を甘美な物として提出し、俺を誘い込んでいる。拒めばいいのか。きっと拒むのが正しいんだろう。でもここにいる理由が存在しないなら、受け入れてもいいのではないのだろうか。
ここに居れないならそのものになってしまえばいい。そうすれば、後悔の理由なんて必要ない。
俺は体を大きく広げた。すると一斉に俺の中に入り込んできた。入ってくれば来るほど俺は安心を手に入れることが出来た。同じ色。同じ匂い。同じ場所。このまま、この場所に居続けたいと願う。体の大部分が同じように溶け合った。
光の気持ちが少しだけ分かった気がする。暗闇は俺の心臓へと触れようとしていた。そういえばここだけはなぜか奴を遮っていた。
暗闇が切っ先に触れた。すると俺の体に激痛が走った。痛い。体から奴が出てきた時よりも痛みは鋭かった。ただ、今回は違った。痛みは外に逃げようとせず、俺の体にひたすらしがみ付いてくる。
痛みと暗闇がぶつかり合った。お互いが俺の体を奪い合い、支配権を得ようとしている。痛みが消えては、現れていく。なぜ痛みは消えないのか。体はすでに暗闇を受け入れていた。今更出てくるのは卑怯という奴ではないのだろうか。
俺は自分の心臓を見た。心臓は仄かに光を灯していた。先ほど俺を見なかった光と同じ光の色だった。あぁ、思い出した。俺は彼女を探しにここに来たんだ。俺の間違いで、俺の希望。
身勝手な理由だが、あの恐れを消し去るにはこれしかなかったから、来たんだ。恐れを消し去るためにここに来たのに、絶望なんかに支配されてしまっていいのか。自分の中の彼女を暗闇なんかで塗りつぶしていいわけがない。
動け、心臓。体を動かすのは暗闇の血液じゃない。希望の血液でなければならない。
俺は自分の胸に手を突っ込んだ。胸は存在しないように俺を受け止め、心臓に手をたどり着かせることができた。心臓をひたすら自分の腕でポンプのように動かす。
動かすたびに痛みは増えていった。決して安心なんて呼べるものじゃなかった。痛みに安心を感じることが出来るわけがなかった。でも俺を満たして、動かすことが出来た。
暗闇はなおも抵抗をつづけた。最初に受け入れた側の腕が俺の腕を止めに飛び掛かった。それでも手の先を動かし、自分の心臓を動かす。痛みを暗闇の腕の方へ向ける。
そこは、俺の腕だ。お前のためにある腕じゃない。自分の喉元を突き立てるためのだ。光は一気に勢いをつけ、腕から暗闇を追い出した。光が俺の中を支配した。
俺の掌の中にはナイフが一本握られていた。俺をここに誘ったナイフ。ナイフの柄を握り前方に突き立てた。ナイフから光が漏れ、人が一人ほど入れる穴を作った。俺はそのまま光の穴に飲み込まれていった。