あなたの運命、冷えてます
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
あ〜あ、ペース早いねえ、つぶらや。そろそろ落ち着きなって。
そりゃ、後輩相手に評価で負けるのは、屈辱だろう。でも、まだ一回こっきり。お前がそれまで積み重ねた力、作品が無に帰すわけじゃない。まぐれ勝ち、ということも考えられるだろう? 先輩として、花を持たせてやったと思ってさ……。
――1回だろうが、負けは負け?
や〜れやれ、こりゃ相当きちゃってるな。潔癖精神が、タチ悪く暴れちゃってるか。
分かったよ、飲め飲め。やなこと忘れるくらいにさ。
色々、吐き出して落ち着いたか? アーティストとして、負けず嫌いは大いに結構。だが、俺をはじめとする多くの読み手にとっちゃ、書き手の事情なんぞどうでもいい。作品が面白いか、面白くないかの二択だ。
負けるのが気に食わないってんなら、作品の質でもって、またケンカを売りなおせばいいだろ? 前に、後輩とも約束したんじゃねえのか?
内緒に、と言われたが、あいつ、お前に負けるたび、いつもひっそり泣いてたぜ。それでも目を腫らしながら、暇を見つけてキーボードを叩いていたなあ。
お前も、酒煽って、くだまいて、油売っている場合じゃないんじゃねーか? 言っちゃあ悪いが、今回はどこか浮ついていた足元を、すくわれるべくして、すくわれただけだろうよ。
『だったら、今すぐに使えるネタを提供してくれ』だろ? 何年付き合っていると思ってんだ。執筆モードのお前は、熱意も身勝手も、目に余るからな。
その熱さに免じて、「熱」に関する話をしてやろうか。
熱は、物を長く保存しておくために重要な要素だ。
物を腐敗させるのは、微生物の働き。微生物は熱や水があるところで数を増やし、その活動を盛んにする。きんきんに冷えたり、からからに干からびたりすれば、その活動は弱まり、質の低下も緩やかにというわけだ。
言葉にも「頭を冷やせ」とか「干される」とかあるだろう? ありゃあ結局のところ、根腐れをしないような戒めであるとともに、周囲に腐敗をまき散らすな、という警告でもあるのかもな。協調性を大事にすることならば、特に顕著な傾向だろう?
俺の知り合いのおじさんの家は、かつて造り酒屋を営んでいたらしい。家に併設された自前の蔵で、ひと昔前までは、利き酒の催しがあったり、酒まんじゅうを売ったりして繁盛していたけれど、数十年前に、誰かが納豆菌か何かを持ち込んだせいで、麹が台無しになり、経営に大打撃を被った時があったと聞く。
それが直接の原因になったのか、おじさんの家は酒を売るのをきっぱりとやめてしまい、今はサラリーマン仕事をして生活。酒蔵も、そのままの状態で残っいる。
酒の利益がないのなら、酒蔵を残しておくのはきついんじゃないか? と以前、俺がおじさんに尋ねたところ、「そんなことはないよ」と笑って返された。どうして、と更に突っ込む俺に、「じゃあ、『元』酒蔵を見てみるかい?」と声をかけてくるおじさん。
その笑顔に俺はすぐうなずいたんだが、今考えると、やめておいた方が良かったかもしれない。
観音開きの戸が待つ、蔵の入り口で、俺は黒くてフードがついている防寒着と手袋を渡された。酒蔵の中は冷えると聞いていたから、特に疑問に思うことなく、それらを着こんだ。
けれども蔵の中への戸は、一定間隔を置いて、3枚置かれていた。寒さをしっかり遮断できるように、さ。おじさんが先導して、扉を開けていくたび、水に沈むように冷えていく空気。一歩一歩踏み出すたび、俺はワクワクしながらも、ドキドキしていたよ。
『元』酒蔵は、すっかり冷凍庫に姿を変えていた。かつては開けていたと思しき、北側の窓も、何重にもガラスが貼られている上に、木の板で目張りされている。蔵の内側に張られた、もみの木のカベも、薄い氷の中に閉ざされてしまっている。
防寒着をすすめられたのも、うなずけた。十分に着込んだはずの今でも、身震いせざるを得ないんだ。外と同じような格好では、指一本動かせる気がしなかった。
「ここには、長く取っておきたいものが眠っているんだ。おじさんがいいと言う時以外は、保存しているものに触らないようにしてくれ」
おじさんに連れられて、俺は蔵の中を歩きだす。
霜と冷気の、見えない圧力を肌で感じながら、俺は蔵の各所、地上3メートルほどに、物干しざおが何本も渡されていることに気づいた。竿には葉や茎を巻きつけた、カブやにんじん、玉ねぎなどがぶら下がっている。
「ぶつかって、落としたりしないように、注意をしてくれ」とおじさんに言われて、俺は距離を取りながら歩いていたけれど、よくよく見ると、小さい木の札が葉に結わえてあって、「上・中・下」と書かれている。
おじさんに尋ねてみると、竿にぶら下がっている茎の伸び具合だという。
「実はわが家が、ここを酒蔵にしていたずっとずっと前から、こいつらは育っていたんだ。どこかから買ってきたわけじゃない。キノコのように、生えてくるんだ。蔵のどこからかさ」
おじさんは語る。おじさんの家は代々、酒を造るかたわら、こいつらの面倒を見続けていたこと。そして分かったのが、これらの育ち具合が、様々なことの趨勢にかかわるらしい、ということ。
幸運、才能、成功……。
おじさんは、ひげ根を長く伸ばしている、一つの玉ねぎを指さした。木の札には「極上」と書かれている。
「こいつは、この寒さの中、何十年もかけて根っこを伸ばしたんだ。これよりも早く、長く根を伸ばしたものはあったが、いずれももう枯れ落ちてしまったよ。急いで成長するのも悪くないが、必ずしもいいとは限らない」
私はできる限り、長く育ってほしいんだよ、とおじさんは続ける。
俺は、もしここの野菜のいずれかを食べたらどうなるか、とおじさんに尋ねた。
「そりゃ、運命の賜物みたいなものだからね。しばらくは成功に恵まれるだろう。だが、それも束の間さ。一度熱すれば、後は腐るだけ。そのリカバリーには相当の労力が必要になる。構わないかい?」
おじさんの忠告に、俺はこくりとうなずいた。親も俺も、自分の力って奴に、何も自信が持てていない。ちょっとくらい、いい目を見られるなら、なんでもいい、という気持ちもあった。
するとおじさんは、ぶら下がっている野菜たちの中から、枝を巻きつけているプチトマトの実を一つだけもいでくれた。「これくらいなら、大事にはならないだろう」と。
こんな陽も当たらず、酷寒ともいえる室内環境で、いくつも実をつけること自体、トマトとしてはおかしいと思ったけど。
そして、俺たちが蔵を出ようとした時、背中の方で「ボトリ」と何かが落ちて、転がる音がした。振り返ると、あの長い根をつけた玉ねぎが、巻き付いた葉っぱの途中からちぎれて、地面に転がってしまったんだ。いつも食べている、鱗茎の部分は、無残にへこんでしまって、先ほどまでの美しい球形は、見る影もなかった。
「明日、誰か、どえらい人物が亡くなる」とおじさんはつぶやいて、転がった玉ねぎを拾い上げていたよ。
例のミニトマトは、蔵から出てもカチンコチンに固まっていて、何とか噛めたけど、トマトよりも、味のないアイスをかじっているような食感だったよ。
翌日。国民的マンガ家の一人が、急に亡くなられた、というニュースが報道された。現在進行形で、いくつもの雑誌に漫画を連載中だったから、その多くが未完となる。俺も追いかけているものがあっただけに残念だったよ。
そして、トマトを食べてから数日。ちょうど抜き打ちテストがあったんだが、何も勉強していないにも関わらず、答えがどんどん頭に浮かんで、満点を取ることができたよ。
ある程度の評価をもらえて、気分は良くなった。数週間後の定期テストはボロボロで、周りからは、やっぱりまぐれ当たりかと笑われたけど、ネタで済んでよかったぜ。
もし、あの時にがっつり食べていたとしたら、結果も落差も、こんなもんじゃなくて、腐っていたと思うぜ。