哲学と命題
400000 思考とは正しい意味のある命題である。
400100 全ての命題を集めると言葉になる。
400200 人間は言葉一つ一つが何をどのように意味しているのか気づいてなくても、
うまく組み合わせてどんな意味でも作ることが出来る。
人間の発する日常言語は、人体の構造に負けない複雑さを持つ。
日常言語からシングやネイムやシンボルを取り出すことは不可能である。
なぜなら言語は思考を正確に表現したものではなく、
表現の仕方の一つに過ぎないからである。
400300 哲学的だと言われていることの、ほとんどの命題や問いは、誤っているのではなく、
意味が無い。
だからこのような問いに答えることは不可能であり、人間はただ無意味であることを
確かめることしか出来ない。
哲学者たちの命題や問いのほとんどは言語の使い方を理解していないことから起きている。
こうして、もっとも深淵な問題が実は無意味であったとしても驚くことではない。
400310 すべての哲学は「言葉の使い方」である。
401000 命題は現実の見方の一つである。
命題は人間が思い描く現実の一部である。
401100 命題は一見、現実の見方のように見えない。
しかし、例えば楽譜は音楽の見方であるし、写真は三次元を二次元で見たものである。
これらも現実の見方の一つである。
401200 「a R b」という形式の命題の例を挙げる。
a= りんご R= ならば b= 赤い
a= 明日 R= は b= 休日
401300 現実の見方として規則の例外があっても構わない。
例えば楽譜における♯や♭のようにドレミファソラシドの例外があることは、
命題が真か偽かであることと直接関係あることではない。
401400 CD、音楽的思考、楽譜、音波、これらは全て世界の見方の一つであり、
同じビルド内で密接に関わっている。
窓の外で散る花と老人のように一心同体である。
401410 楽譜から音楽を読み取って演奏できるように、
またCDのデジタル配列から音楽を読み取ってスピーカーで鳴らせるように、
それぞれに正しい規則が存在する。
401500 人間の表現方法が正しいかどうかは、表現方法それぞれの規則によって決められる。
401600 命題の本質を理解するためには正しい文字を考えなければならない。
402000 命題文字を説明されなくても、その意義を理解できるのは、
命題文字が本質を捉えているからである。
402100 命題は現実の見方の一つである。
なぜならば命題を理解すれば、その命題が描写している状況を知ることが出来るのだから。
そして、その命題を理解するのに、その意義の説明を必要としないのだから。
402200 命題には意義がある。
命題が真であるならば、世界を正しく見ている。世界がこうであると語っている。
402300 命題は、現実を細かく見て、あとは真か偽かで決められなければならない。
逆に、命題を全て集めると現実とならなければならない。
つまり命題とはファクトの見方の一つである。
シングの作ったものの見方が、その使い方によって判明するように
命題は現実の在り方によって現実を見ている。
命題は論理的に正しく世界を語る。
それゆえ、正しい命題はそこから何が語れるのか全て見て取れる。
間違っている命題からも、推論を引き出すことが出来る。
402400 命題を理解するとは、世界に何が起こるのか知ることである。
実際に命題が正しいかどうかが分からなくても、命題を理解することが出来る。
命題を構成するシンボルが理解できれば、命題の意義も理解できる。
402500 ある言語から他の言語への翻訳は、命題から命題へ翻訳されるのではなく、
命題を構成するシンボルが翻訳される。
辞書は名詞だけでなく、動詞、形容詞、接続詞の翻訳も同等に扱う。
402600 文字の意味を理解するには説明してもらう必要がある。
しかし、命題によって、人々は互いに理解している。
402700 命題は誰かに新しい意義を伝えることが出来る。
これは命題の本質的な性質である。
403000 命題は古い表現で新しい意義を伝えなければならない。
命題はある状況を伝える。よって命題はその状況を本質的に分析している。
それは命題がファクトを正しく見ていることで保障される。
命題は、世界を見たもの以外の意義を持つと、何も語れなくなる。
403100 命題の中でファクトは実験のように扱われる。
「この命題はドラゴンの存在を表す」と言う代わりに
「この命題はドラゴンの存在をファクトが保障する」と言うことが出来る。
403110 ネイムAとネイムBは完全に別の意味を表す。
そしてAとBを組み合わせることで新しい意味を作ることが出来る。
そして、活人画のように組み合わせたもの全てを合わせると出来事となる。
403120 その命題をファクトが実行できるかどうかは、
ネイムがシングの作ったものの見方であることと同じであることから、判断できる。
ファクトの考えを人間が知ることは出来ないし、何かに置き換えることも出来ない。
403200 命題が論理的に正しく分けられていれば、正しいファクトの見方である。
404000 命題は意味の数だけ分解して考えることが出来る。
命題の意味の数と、出来事の意味の数は等しい。
(ヘルツの「力学」1889参照)
404100 命題の意味は、ビルドを超えて使用することは出来ない。
404110 数式でありとあらゆる状況を書き表すのは難しい。
404120 観念論(人間は空間の座標を「空間眼鏡」で見ている)は十分でない。
なぜなら、この説明では空間の関係の結びつきが説明できていない。
405000 現実は命題と比べられる。
406000 命題の真偽は、現実を写していることで初めて判断できる。
406100 命題の意義は、真偽と関係なく存在する。
406200 命題が真であるのは、事実がその命題の語る通りであるときである。
406210 「命題A」と「命題Aの否定」は同じことを語る。意義は反対ではあるが、
同じ一つの出来事が対応する。
406300 フレーゲ(1848~1925)は命題に対して「真である」「偽である」という動詞が
与えられると考えていたが、そうではなく、真である命題が存在する時点で
「真である」という意味が含まれている。
406400 全ての命題は、存在している時点で何らかの意義を持つ。
命題を肯定することで意義が与えられるのではない。
406410 否定命題は元の命題の逆側を表す。
否定命題の否定は元の命題となる。