論理の探求
630000 論理の探求とは、全ての法則の探索を意味する。
そして論理の外では、すべてが偶然である。
631000 帰納法は論理法則ではありえない。
なぜならばそれはあきらかに有意義な命題であるから。
よって自然な法則でもありえない。
632000 因果とは法則ではなく、法則の形である。
632100 「因果律」とは総称である。
例えば力学には「てこの原理」のようないくつもの最小法則が存在する。
物理学にはいくつもの因果律が存在する。
つまり因果律という法則が存在する。
632110 実際、何らかの「最小の法則」があるに違いないと、
それが精確にはどのようなものであるかを知る前から予感していたのである。
ここでも、いつものことながら、自然に真だと分かるものは純粋に論理的なものである。
633000 人間は保存則を自然に理解するのではない。
一つの論理形式の可能性を自然に理解するのである。
634000 因果律、時間の連続、自然の最小消費の原理、等々、これらすべての命題は、
科学の命題に与えることの可能な形を自然に洞察したものである。
634100 例えば、ニュートン力学は世界記述を統一的形式へと導く。
PCのペイントソフトで黒い模様を描く。
このとき画面上の升目が白いか黒いかの情報でどんな図形かを表せる。
どのような図形であろうと自分の好きな精度で平面の記述を統一的に導いたことに
なるだろう。
この導き方は人間が自由に決める。
なぜなら三角あるいは六角の升目でも同じ結果を得ることが出来るのだから。
三角の方がより単純な記述を与えるということも起こりうるだろう。
すなわち、粗い三角の目の方が、細かい正方形の目よりも、精密な記述が可能となる。
異なる升目に異なる世界記述の体系が対応している。
力学は、すべての世界記述命題が、一つの原理から導かれなければならないと主張する。
そう主張することによって、世界記述の形式を定めている。
このようにして、力学は科学という大建造物を構築するための資材を提供する。
そしてこう言うのである。
どのような建造物を建てるとしても、これらの材料で、しかもこれだけで、
なんとか建てなければならない。
数少ない原理によってどんな数も書き出すことができるように、
力学原理によって全ての物理学の命題が書き出せなければならない。
634200 こうして論理学と力学の関係が見えてくる。
先程使用したペイントソフトがどんな図形でも記述出来ること、
それは図形については何も語っていない。
しかし、特定の細かさをもった特定の升目によって完全に記述できるとすれば、
そのことはその図形を特徴の一つとなる。
同様に、ニュートン力学によって世界が記述できるということは、
世界について何事も語っていない。
しかし、ニュートン力学によって世界が事実そうある通りに記述できるということ、
このことは世界について何ごとかを語っている。
634300 力学とは、世界記述に必要な真である命題全てを、
一つの計画に従って構築しようとする試みである。
634310 物理法則もまた、その論理的な仕組み全体を通して、間接的に、
世界にあるものについて語っている。
634320 力学による世界記述は常に完全にどのようなときでも対応しているものであることを
忘れてはならない。
力学においては、例えば、特定の質点についてではなく、
常に全ての質点についてのみ論じられる。
635000 例え人間の描く図形が幾何学図形であるとしても、
幾何学はその図形が実際にどう言う形でどこに位置するかについて何も語らない。
しかし、升目は純粋に幾何学的であり、その性質は自然に与えられる。
理由律等の法則は升目に関するものであり、升目が記述するものには関わらない。
636000 仮に因果律が存在するとすれば、それは「自然法則が存在する」となる。
しかし、そう語ることは出来ない。それは自らを示すだけである。
636100 ヘルツに倣って「正しい関係のみが思考可能」であると語ることも出来る。
636200 記述できることは起こりうることでもある。
そして因果律に反するものは記述できない。
636300 帰納法の手順は、人間の経験と調和する最も単純な法則を法則と仮定する手順である。
しかしこの手順は論理的正当性をもたず、単に心理的に正当化されるに過ぎない。
明らかに、最も単純な出来事が実際にも成立するだろうという信念には、
まったく根拠がない。
637000 ある出来事が起こったために他の出来事が引き起こされるという必然性は存在しない。
存在するのはただ、論理的必然性のみである。
637100 現代の全ての世界観の根底に、
自然法則は自然現象の説明であるという幻想が横たわっている。
637200 こうして、古代の人々が神と運命の前でそうしたように、
人々は自然法則を何か侵すべからざるものとして、その地点で立ち止まる。
そして無論、両者とも正しく、また、両者とも間違っている。
しかし、現代の体系ではあたかもすべてが説明済であるかのように
思われているのに対し、古代の人々はそこにはっきりとした限界を認めていた。
その分、古代の人々の方がより明確であった。
637300 世界は私の意志から独立している。
637400 たとえ欲したことすべてが起こったとしても、単なる僥倖に過ぎない。
なぜならば、それを保証する論理的関係は、意志と世界の間には存在しないのだから。
そして意志と世界の間になんらかの物理的関係を想定したとしても、
その物理的関係それ自身を意思することはできないのだから。
637500 論理的必然性のみが存在するように、論理的不可能性のみが存在する。
637510 例えば二つの色が同時に視野の同じ場所に存在することは不可能、
それも論理的に不可能であるが、それは色の論理的構造によって
証明されているからである。
この両立不可能性が物理学でどう現れるか考えてみよう。
一つの粒子は同時に二つの速度を持つことは出来ない。
すなわち、一つの粒子は同時に二つの位置にはありえない。
すなわち、一つの時点に異なる位置にある粒子は同一ではありえない。
概ねこのように言えるだろう。
二つの最小命題の組み合わせは、トートロジーでも矛盾でもありえない。
一方、ある一点が同時に二つの異なる色をもつという命題は矛盾である。




