1+1=2
600000 真偽の判定は [ 初項 , 任意の項 , 後続項 ] という関数で行う。
これは完全普遍命題である。
601000 この完全普遍命題は、ある命題から他の命題への移行の最も基本的な形式である。
602000 自然数はこのように定義する。
定義:最初の自然数は1である。
定義:自然数の後続数は自然数である。
この規則に従って次のように定義する。
定義:1
定義:1+1=2
定義:1+1+1=3
以下同様
603000 整数は [ 初項 , 任意の項 , 任意の項+1 ] で定義する。
603100 集合論は数学では余計な考えである。
数学において要求される考えが意図的なものだからである。
610000 論理学の命題はトートロジーである。
611000 よって論理学の命題は何も語らない。
それは分析命題である。
611100 論理学の命題に哲学的意味があると思わせるような理論はすべて誤りである。
たとえば「真」「偽」という語が他の性質と並ぶ二つの性質を
表していると考えるかもしれない。
そうすると、すべての命題が真・偽いずれかの性質をもつということが
奇妙な事実と思えるだろう。
こうなると、この理論においては、
例えば「すべてのバラは黄色か赤のいずれかである」という命題が、
仮に真であったとしても、簡単に証明できることではない。
それと同様に、命題が真・偽いずれかであることが
明らかなことではないと見えてしまう。
こうして、論理学の命題はいまや完全に自然科学の命題となってしまう。
これは論理学の命題が誤って理解されていることの証拠である。
611200 論理命題に対する正しい説明は、
すべての命題の中で論理命題に独自の位置を与えるものである。
611300 論理命題は命題が真であることをシンボルだけで見分けることが出来る。
そしてこの事実のうちに、論理の哲学のすべてが含まれている。
また、論理命題でない命題の真・偽は命題だけでは見分けることが出来ない。
612000 論理学の命題がトートロジーであることは、言語の、世界の特性を示している。
命題の構成要素がこの仕方で結合されるとトートロジーになるということ、
それがそれら構成要素の論理を特徴づける。
613000 論理学は理論ではなく、世界の鏡像である。
論理学は自然を超えた学問である。
620000 数学は論理的手法である。
数学の命題は等式であり、それゆえに擬似命題である。
621000 数学の命題は思考を表さない。
621100 実際、実生活において人間が必要とするのは決して数学の命題ではない。
人間は、数学でない命題から同じく数学でない命題を導くためにのみ、
数学の命題を使用するのである。
哲学において、「そもそも何のために、その語、その命題を使用するのか」
という問いは常に有益である。
622000 論理学の命題がトートロジーで示す世界の論理を、数学は等式で示す。
623000 二つの表現が等号で結ばれるとき、それらは互いに置換可能であることを意味している。
だが、実際に置換可能であるかは、
それら二つの表現それ自身において明らかにされねばならない。
互いに置換可能であることが、それら二つの表現の論理形式を特徴づけている。
623100 二重否定と解釈できること、これが肯定の性質である。
「( 1 + 1 ) + ( 1 + 1 )」と解釈できること、これが「1 + 1 + 1 + 1」の性質である。
623200 フレーゲはこのような二つの表現は同じ意味をもつが、その意義は異なると言う。
しかし、等号で結ばれた二つの表現が同じ意味をもつことは、
その二つの表現それ自身から見てとれるので、等式は必要ない。
ここに等式の本質がある。
623300 数学の問題を解決するのに直感は必要か。
この問いには、言葉こそがここで必要とされる直感を与えると答えよう。
623310 計算という行動がまさにこの直感をもたらす。
計算は実験ではない。
623400 数学は論理の方法である。
623410 数学的方法の本質は、等式を用いて行われる点にある。
すべての数学命題が明らかであるということは、この方法にもとづいている。
624000 等式にいたる数学の方法は、代入という方法である。
等式は二つの表現が置換できることを示している。
そして等式に従い、ある表現を別の表現へと置き換えることによって、
いくつかの等式から新たな等式へと進んで行くのである。
624100 2×2=4の証明は以下の通り。
定義:a×bはaをb回足したものである。
2×2=2+2
=2+1+1
=3+1
=4




