4. 始まる
「……ん、んぅう。ふっくぅうぅー」
「お嬢様?……お嬢様!!誰か、旦那様と奥様にお伝えください!ルーナお嬢様が目を覚まされました!それから、治癒術士をお呼びください!」
目を開けると飛び込んできたのは、心配そうに覗き込む人影。侍女のマキナだ。
「お加減はどうですか、お嬢様?」
「は、い、大丈夫、です。この度は勝手な行動をして申し訳ありませんでした。それで、あれからどのくらいの時間が経ちましたか?」
「いえ、ご無事で何よりです。時間は……二時間といったところです」
「そう、良かったわ」
ふむ、よくある転生モノは記憶整理のために高熱を出し、何日も寝込むというのがテンプレだったが、どうやらそこはセオリー通りという訳ではないようだ。
同時に安堵する。
俺自身の自我が残された日は多ければ多い方がいいからだ。
生憎と俺は、ルーナのようなお嬢様ではない。自分のおかれた状況を客観視するには対照的な価値観が必要だと思うし、それは丁度いいと思うが、俺とルーナの自我が融合してしまったらどうなるか分からない。失敗したら支離滅裂なものになりそうだし、こればっかりは時間をかけてゆっくり混ざっていくものなのだろうが、不確定要素が多すぎる。
それに、どうせなら色々楽しみたい。頭の隅でルーナが、『あまり巫山戯た真似をしたら承知しませんわ』みたいなことを主張してるけど、残念でした。悪いけど俺は俺で好きにさせて貰うよ。
因みに、ルーナとの意思の疎通は、細かいニュアンスは分からない。概要的なものが伝わってくるだけだ。
しかし、あれだけたどたどしい言葉しか扱えなかったルーナが、なかなか流暢に言葉を使えるようになったじゃないか。俺もこの世界の言葉が完全に理解できるから、脳内補完ってことか。
実に便利である。
「ルーナ!」
「失礼します」
扉が開いて、人が入ってくる。母――レイア・アルテミシアと、恐らく治癒術士だろう。
この世界は当然のごとく医療技術も発展していないから、病気や怪我の治療は治癒魔法、及び治癒魔術に頼っており、それを専門的に行う魔術師を治癒魔術師と言う。しかし、治癒魔術を使える人間自体が珍しく、また風邪や腹痛など身体の内側の症状を治すことが出来る治癒魔術は、さらに使える人間が少ない。
そのため治癒魔法薬が存在する。治癒魔法薬は治癒魔術を使える人間にしか作れない。また、どこまで治せるものか、と言うのも作成者が使える治癒魔術によりけりだそうだ。だが、治癒魔法薬は治癒魔法を使える者であれば誰でも使うことが出来、治癒魔術と同じ効果を得ることが出来る。よって、治癒魔術師の作った治癒魔法薬を用いて治療を行う者を治癒術士と呼ぶのだ。
「気分はどうですか?」
真剣な眼差しのレイアさん。表情も硬く、声も平坦だ。
これは、怒っている。
それでも気遣ってくれるとは優しい人だと思う。
「何も、問題ありません」
俺も努めて冷静に。
いや、レイアさん美人さんだからさ。能面のように表情のない顔で鋭い目線を向けられたものだから、ちょっとびびってるって言うか。怯えてるって言うか。
でも、それを顔に出したら怒られる。
ルーナの受けてきた淑女教育はそう言うものだった。
ただでさえ怒られるのなら、怒られる項目は少なくしておかないとさ。
無表情の中頷くと、レイアさんは口を開いた。
「ルーナ、あれほど外に出てはいけないと言ったではないですか。こうして色々な方々に迷惑をかけて、恥ずかしくはないのですか」
レイアさんの詰問が始まった。
当たり前だ。
ルーナは一人で外に出ることを禁止されている。今回のようなことがないとも限らないからだ。
ここは屋敷だ。事情があるらしく、本来住むはずの城には住んでいないが、それにしてもこの家は、成人した人を対象に設計されている。どうしても小さな子供には危険な箇所が多いのだ。具体的に言えば、今回のバルコニーや、階段の段差、倉庫や窓の格子など。屋敷内と言えども、一人で歩かせたらどこで怪我をするか分からない。
断言するが、もし俺が弟や妹をここに連れてくることがあれば、決して眼を離さないし、それどころか手を繋いで離さない。絶対に。
今までのルーナを振り返っても、正直マキナをはじめとしていろいろな人に心配をかけてきすぎてなかなか辛いものがある。
親の心子知らず、の典型的パターンだ。親じゃないけど。
「……その通りです。申し訳ありません」
まあ、ルーナだってそのくらいのこと理解出来るし、やったのは俺じゃないんだけど。それでも俺はルーナだから、責任くらいは果たしてやるよ。
「私たちが貴女に辛い思いをさせようと言っていたわけではないと、分からなかったのですか?」
ええ、まあ、ルーナも分かってはいたんだよ、最も、それ以上に責められるポイントは理解できてないけど。
ん?ルーナ、それは何かって?
俺にとっては全く馴染みないもので、お前にとって当たり前に存在するものだよ。
特権階級の、いや、『人の上に立つ』者の責任だ。
「いいえ、そのようなことはありません。全ては私の慢心が引き起こしたことです。私にもしものことがあれば責任が降りかかる人がいることを忘れ、当主であるお父様に常日頃から市井の人々より楽な暮らしをおくる恩恵を与ってきた責任を忘れ、どうあがこうと未だ小さき子供であることを忘れた私の、愚かさが招いた事態です。どうか――」
「ど、どうしたというの!?ルーナ、やはり当たりどころが悪かったのでは!?」
「奥様、私が診察いたします故、お下がりください。お嬢様の異常は、この、大奥様特製の治癒魔法薬が必ずや治して下さるでしょう」
「ああ、どうかお願い、ルーナ、正気を取り戻して――!」
突然、俺の謝罪もとい反省を遮って取り乱したレイアさん。治癒術士共々大慌てである。どうやらバルコニーから落ちた衝撃で正気を失ったと勘違いしたようだ。
こんなチビッ子がいきなり正論を言い出したらビビっても仕方あるまい。
特に、ついさっきまで若干天狗になってた生意気なガキだからなあ。説得力も糞もない。ルーナがどれだけ主張しようと、俺はルーナについての認識を改めるつもりはないよ。
確かに少しばかり優秀なようだけど……それで全てが許される訳じゃないし。年相応に至らない点も多々あるように思えるよ。他人に対する感謝を忘れ、自分の思考を押しつけ、相手を理解しないような子が完璧だとは思えない。ははは、修行して出直してきなさい。
つかルーナお前あれだな、俺が現れなきゃ高慢ちきな我が儘勘違い令嬢一直線だっただろ。選民思想の塊……お前の場合は『身分』じゃなくて『優秀かどうか』でだけど、『使えない人間は必要ない』くらいのことは普通に言い出すような人間になってそう。……怖い怖い。
暫くそうして考え事をしていた。のだが。
それにしてもおい。いつまで騒いでいやがるんだ。
「私は至って正気です――聞きやしませんね……」
何を言っても聞き届けてはくれなそうな二人に、思わずため息が溢れた。
これでは先が思いやられる。馴染んだとしても元の四歳児に戻る訳じゃないし、その度にこうも騒がれたら鬱陶しくてたまらんぞ。
「あの、私は本当に大丈夫です。高価な治癒魔法薬の無駄遣いは控えてください。お祖母様が泣かれます」
鬱陶しいのはまだしも、薬の誤投与は本当に止めていただきたい。薬物乱用ダメゼッタイ。
ルーナのお祖母様――王家から降嫁した方、つまり父方の祖歩は、国内屈指の治癒魔術師だ。その魔法薬は繊細で、大きな誤作用の起こったことはないと評判である。降嫁してからも宮廷治癒魔術師として王家に仕えていたらしく、引退したいまでも、王族からの注文が届くほどに素晴らしいらしい。また、現在も公爵領内の別邸で新たな魔法薬の研究開発を推し進める女傑である。
ルーナとしても何度か仕事場を見せてもらっているし、とても可愛がってもらっている孫として、祖母の真摯な気持ちを汚すような真似はしたくないようだ。
と、言うか、治癒術士が持っている魔法薬がどう考えても祖母が開発した万能薬にしか見えないんだが。あれ、肩から切断されていても生えてくるって言う凄いやつだったと思うんだが。
救援を求めてマキナ(※侍女)に目線を合わせれば、
「お嬢様……。私がもっとしっかりしていれば。ああ、お嬢様……」
全く宛にならなかった。嫌に反応がないとは思っていたが、自分の世界に旅立っていたらしい。道理で影が薄いわけだよ、ド畜生。
まあ、あれか?転生そうそうだけど……。
なんか、いきなり受難ですか?
結果として、騒ぎは収まった。
――ボスクラスの登場によって
「……なんだい、この騒ぎは」
混乱渦巻く部屋に、静かな声が響く。
部屋に入ってきたのは、父――ヘルメス・アルテミシアだった。
俺は、そしてルーナは、救援部隊と死刑執行人が同時に現れたことを悟った。
怒られる!言いつけ破って外に出たことも、こんなに騒いでいたことも!絶対合わせて怒られる!!
脳内にフラッシュバックするのは、ヘルメスさんに怒られている俺。
……冷や汗が垂れてきた。全身の毛が逆立つし、なんか生存本能が現実逃避を訴えているんだけど!?ルーナ!?何をしてそんなに恐怖を感じたんだよ、おい!!
「ノックをしても誰も気付かないとは、どう言うことだ?」
その言葉の裏に隠れる静かな怒気が部屋の隅々まで行き渡った時、ヘルメスさんがこの場の支配者として君臨した。
――さっきまでの迷走っぷりはどこへやら。
落ち着きを取り戻した治癒術士は万能薬をしまい、俺を診察して問題がないことを確認すると、一言詫びて帰っていった。
この家で使われていると言うことは、それ相応に優秀であるということ。かつてない醜態を晒したことに、真っ赤になって反省していた。
おう、今回の失礼な発言は水に流してやるから、これから先ああいう反応は止めてくれや。謎の上から目線だけど、そのくらい言わないとやってられない。
「さて、ルーナ、今回のことについて何か言いたいことはあるかな?」
先程より幾分かやわらかな表情で、ヘルメスさんは俺に訊ねた。
実は今、レイアさんは身重である。
しかも、臨月である。
ヘルメスさんは手慣れた様子でレイアさんを宥めると、通りがかった侍女にレイアさんを私室へ連れていくよう命じ、マキナに外へ出るよう言った。
うん、どうやら今生のマイマザーは生粋の箱入り貴族令嬢らしくて予想外の事態に弱いみたい。
案外可愛いところあるんだね。ルーナの記憶的にとても怖いお姉さんだとおもってたんだけど。レイアさん、まだ二十代だしそんな感じだった。
話がそれたけど、何が言いたかったかって言うと、俺、今おとんと二人っきりなんだ!……おかしいな、冷や汗が滝のように流れるよ。何だか、体が震えるよ。おかしいな、あはははは。
――当たりに満ちた怒気が全身を刺し貫き、恐怖に内心震え上がっても、一切の動きを封じられて体の揺れすら許されない。視線をそらせば部屋の温度はいっそう下がり、形式的には言葉を求められても、答えなど端から求められていなくて――。
「……そんなに緊張しなくてもいいんだけど?」
「はい」
苦笑混じりの言葉に、現実を思い出す。
……はっ!俺、今、完全にルーナに呑まれてた。何をやっているんだ。しっかりしろ。妹と幼女向けアニメ映画を見に行く前に、その全シリーズをレンタルDVDショップに借りに行ったときの、あの周囲から向けられる白い目に比べたら、こんなもの、こんなもの……!
うし、落ち着いた。だけど、何故だろう、なんだか泣きそうだ。まあ、これでルーナに引っ張られることはないだろう。
さて、いい子ちゃんらしくちゃんと言うことは言おう。
「今回のことは、私の未熟さが招いたこと。マキナや他の使用人の責任を問わないで頂けないでしょうか」
声色から感情を取り除き、表情もなくす。この人にも本心は見せてはいけないのだ、立場的に。
「どうしてそう思ったのかな?」
歪んだ口元からこの人なら暴走しないと言うことが分かって、心の底から安堵する。レイアさんや治癒術士、マキナのように、おかしくなったと思われたらどうしようと思っていた。
精神疾患を抱える人間に対して、こっちの社会は寛容ではない。場合によっちゃ分家筋まで嫁のもらい手が無くなるレベルらしい。……おいルーナ、こんな知識よりも必要なことがあるんじゃないか?
この人がダメだと決めたら、俺の余生は幾ばくもないだろう。冗談じゃない、享年十七歳の次が享年五歳とか洒落にならない。慎重に、話の持って行き方を間違えないようにしなくては。
「私の私室での自由時間の間、安全責任が向かうのはマキナと、その他数名の使用人であったと思います。今回、マキナには書庫に絵本を取りに行ってもらっていましたし、私から目を離したことをお父様は責めることも出来るはずです。ですが、今回ばかりは私の慢心が起こしたことですので目をつぶって頂きたいのです。決して、二度と、同じ事はしないことを約束致します」
弟や妹の見本となるよう、鍛え上げた礼をする。ルーナの知識と合わせ、かなり完璧に近い、はず。もっとも、未だにベッドの上だから完璧も何もないのだが。いや、まだ寝てろって治癒術士が、ね。
「……それは本心?」
「はい」
スッと目を細めたヘルメスさん。無表情を貫きつつ、しっかりとした返事をする。
やばい、イケメンだ。若い(まだ二十代)のに、貫禄と渋みがあってかっこいいと思ってたけど、笑顔なんて今まで見たこと無かったし。あ、憧れる。俺、こんな風になりたかったんだけど。無駄にかっこいいわ、滅びろイケメンって感じだけど、羨望と尊敬の眼差しが抑えられん。俺のおとん(前世)とは格が違う。やべえ、貴族一位の血統やべえ。
「いいよ、許そう。それが分かったんだったら大丈夫だろう」
「ありがとうございます!」
もう一度丁寧にお辞儀をすると、優しく髪を撫でてもらえた。ああ、頭の片隅でルーナが小躍りしている。滅多に褒めてもらえなかったから嬉しいのね。納得。
「屋敷内だったら一人で行動していいと言えないのが悲しいところなんだけどね、寧ろ敷地内なら外の方が安全なくらいだ。だから、家の外に出たら一人で好きなことをしていてもいいよ。ただし、部屋から一人で出るのはダメだからね」
「ありがとうございます」
能面、無表情、ポーカーフェイス。歓びは全力で隠さないと、本当に、やばいから。礼儀作法の先生に扱かれるから。内心の狂喜乱舞の度合いがやばいけど。
マジか!!ルーナには色々やりたかったことがあるみたいだが、うん、それ俺もやりたい。
「ルーナは頑張ってるようだからね。家庭教師の先生方からも話は聞いているよ。これからも頑張るように」
「はい」
これはルーナが天狗になってた原因だ。
さすが高位貴族と言うべきか、ルーナの教育はもう始まっている。毎日毎日、一日の大半はその勉強で埋まっているのだ。
ルーナが習っているのは、王国基礎知識、礼儀作法、ダンス、ピアノ、バイオリン、ハープ、歴史学、算術、王国地政学、貴族の基礎知識、周辺友好国の言語。その全てで、先生に毎回褒められている。
俺的には最初おべっか使われてるんだろうと思ったんだけど、どうも違ったようだ。
こいつ、さりげなくチート……って言うか、鬼才とも言うべき天才だった。予習復習なんてほとんど必要なくて、簡単に覚えていってしまう。ありえない天才だった。近々王国基礎知識と貴族の基礎知識は先生必要なくなるみたいだし。礼儀作法も九十点はつけられてるから、だいぶ終わるわ、これ。
家庭教師っていえば、家庭教師の先生のうちの一人に、俺の抜け毛を欲しがっている人がいる、ってルーナが強行主張しているんだけど、なんで?クッソキモイんだけど。そんなに珍しいのか、王家の象徴。
「あの、お父様」
「どうした?」
相も変わらずベッドの横の椅子に腰掛けて俺の髪を撫でるヘルメスさんに呼びかけた。いい加減はずい。精神年齢十七歳にはちょっときついものがある。
丁度いい機会だ。こんな時でもなければこの忙しい人と話すことなんてそうそう叶わない。あの糞親父(家庭教師)は、教えてくれる内容も物足りないし、場合によってもよらなくても気持ち悪いし、可能ならば止めさせたい。思い切って聞いてみるか。
「私のこの髪と瞳は、そんなにも珍しいものなのでしょうか」
この程度のこと、簡単に答えてくれると思った。しかしそんな予想とは裏腹に、途端に眉を寄せ、難しい顔をしたヘルメスさんに嫌な予感が沸き上がる。
……余談ですがどうして眉を寄せて顔をしかめているのにそんなにかっこよさげなんですか。そのかっこよさの秘密を教えてください。顔だけじゃない風格のかっこよさのある貴方に心の底から憧れています。俺もそんな風になりたいです。……だめだ、俺今世女の子。
「……そろそろ話す頃合いだとは思っていた。ただ、もう少し待って欲しいんだ。」
口を挟もうとした俺を鋭い視線で制し、ヘルメスさんは更に続ける。
「確かめたいことがあってね。ルーナの弟か妹が生まれて落ち着いたら、レイアと一緒に話をする。約束しよう」
「……程度は分かりませんが、珍しいのですね。その反応を見ると」
思わず溜息が零れた。
神様、どうしてこうも厄介な設定を選んだんですか?これ、お詫びなんだよな?どう考えても苦難を押し与えているようにしか思えないんだが。
溜息をついた俺を見て、ヘルメスさんまで溜息をつく。
「ま、それ以上の詮索は許さないが……何があったのかな?」
「実は家庭教師の先生の一人がかなりしつこく私の神のことを聞いてくるんです……」
さすがに抜け毛云々は地雷踏みそうで怖いから黙っていたけど、それ以外のことを軽く話したら、今度から別の先生を探してもらえることになった。やったね!
それから少しして、仕事があるようで呼ばれたヘルメスさんは帰っていった。