19. 魔法制御
照り付ける夏の日差し。この世界にいるセミと(見た目が)よく似た昆虫が鳴いている。
そんな日差しや虫の鳴き声に相応しく、辺りは身を焦がすように暑い――訳ではなかった。紫外線と一緒にこっそりと暑さを遮断する効果のある魔道具を作ったのだ。それにこの世界のセミっぽい虫の鳴き声は、氷が解ける音に似ている。涼しくて有り難い。
さて、中身は兎も角として、俺はこれでも深窓の令嬢と遇されるべき公爵令嬢である。当然、夏の暑い日に城の外に出ることは言語道断であるはずだ(勿論アイテリアお祖母様謹製の日焼け止めを塗ってはいるが)。では何故外に出ているのかというと――。
「それではお嬢様。本日はいよいよ、氷の魔法の実技を行っていきたいと思います」
「はい」
家庭教師の先生による魔法の実技訓練だからだ。
「まず、私が一度手本をお見せいたしましょう」
そういうと水属性魔法の先生は俺から一歩距離を置き、一度目を閉じると右手に持った杖の先端を目線の高さまで掲げた。教師として見せていた愛想のよさから一転、深呼吸を一つすると目を開き、詠唱を始めた。
「 《 遍く万象の盟友よ。我、汝に求める。我が魔力を以て成せ。水、溢れ出でて水球を成し、凍てつきて氷塊と成れ――【氷球】 》 」
詠唱するに従い、辺りの光が先生の周りに集まっていく。杖先から魔力を吸い出しながら、淡い光は次第に大きくなっていき、やがて先生が最後に魔法名を唱えると光は一際大きく光り、実際に現象を起こした。杖先から水が現れるやいなや、渦を巻きながら球体を形成し、一瞬で凍り付いた。
……ちょっとチャチいと思ってしまったのは秘密だ。
「このようになります。これが慣れますと、詠唱を破棄し魔法名を唱えるだけで具象を成すことができますが、お嬢様は初めてこの魔法を使われますから順を追って具象を伝えていった方がよろしいかと思います。詠唱に関しては、今まで通り、お嬢様が最も制御しやすい形でかまいません」
「はい、分かりました」
「では早速、お試しください」
会釈して先ほどより更に距離を置く。
……本当はこんなことやりたくないんだよ。大体、詠唱とか厨二過ぎる。初心者用の詠唱は特に酷い。
何なんだ、『遍く万象の盟友』って。『汝に求める』とか、上から目線すぎるし盟友に対して呼びかけるのに『汝』って言い方は不適切だ。
だが、何事にも絶対に避けては通れないことってある。
今回もまた、避けると厄介なことで。正直、俺にとっては無駄なことだが……覚悟を決めるほかない。
杖先を目線の高さに掲げる。羞恥心で震えそうになる声を深呼吸して押し殺し、下位精霊たちに命じる。
「 《 遍く万象の欠片よ、汝、我が命に従いて具象を成せ。我が魔力を以て水球を生み、凍てつかせよ――【氷球】 》 」
現象はすぐに起こり、先生と全く同じ経過を経て、同じように杖の先十センチくらいのところに直径十二センチくらい球状の氷塊が現れた。成功である――俺には珍しく。
先生もさすがに一度で成功するとは思っていなかったのだろう、大層驚いた顔をしていた。しかしすぐに笑みを浮かべ、近づいてきた。
「お見事ですお嬢様。以前よりもコントロールの精度が上がりましたね。よく練習していらっしゃるようで何よりです」
「有難うございます。これもウェーバー女史のお力添えのお陰です」
「とんでもございません、これはお嬢様のお力ですよ。どうか自信をお持ちになってください。――さぁ、幾度か繰り返して次の魔法に移りましょう」
「はい――ところで、他の魔法と同様に基本詠唱で魔法を行使する練習をしてもいいでしょうか」
先生――ウェーバー女史は予想の範疇だったのか、顔色一つ変えずに問いに答えてくれた。
「一度使えばお嬢様はあの詠唱であれば制御できるのでしょう?でしたらそれもいいかもしれませんね」
「有難うございます」
お礼を言って距離を十分にとり再び詠唱の姿勢に入る。先程より繊細に、慎重に――。深呼吸をすると、覚悟を決め、耐え抜くために腹の底に力を籠める。
「 《 遍く万象の盟友よ。我、汝に求める。我が魔力を以て成せ。水、溢れ出でて水球を成し、凍てつきて氷塊と成れ――【氷球】 》 」
杖先に下位精霊が、これでもかというくらいに集まってくる。それこそ、魔力を見ることを意識すると眩しすぎて視界が真っ白になるくらいだ。
ああクソ、てめぇら街灯に群れる蛾かよ。しかも容赦なく魔力吸ってくんじゃねぇ。違う、俺の指定した威力で十分だから。もう十分な筈だろ、やめてくれ。
……数の暴力は卑怯だ。制御しようにも隙を突かれる。あっちを防げばこっちから吸われ、こっちを防げばそっちから吸われる。まさに鼬ごっこ。
魔力を見ることはやめたが、それでも周辺の魔力が異様に高まっていることは分かっている。こうとなったら……。多すぎる魔力を吸いとるしかない。疲れるから嫌なんだが
魔法名を唱えた瞬間に、集っていた魔力が具象を成そうとする。その吸い込む力が途絶えた一瞬で、逆に余剰な魔力を体の内側に引き入れた。幸い、俺の魔力を吸った精霊ばかりだったので体内に入れても大した反発もなかった。だが、発現された魔法は十分異常な威力だった。
出来上がった氷球は、『氷球』なんて可愛げがあるようなものじゃなく、凶器と言っても過言ではない代物だった。半径一メートル程度の球体の氷である。単純に余剰分をすべて吸い取ることができなかっただけだが。
しかしちゃんと距離を取っておいてよかった。ウェーバー女史にぶつけたら大惨事になるところだった。
そのウェーバー女史は驚きながらも笑顔を浮かべて氷塊を避けながらこちらに歩いてきた。
「お嬢様、やはり腕を上げられましたね。以前の十分の一程度の大きさに抑えられているではありませんか」
その一言に投げナイフが胸に刺さったような錯覚を覚えた。
……驚く意味が違ったようだ。確かに、確かにそうなのだが。
面と向かって言われたら、さすがの俺も傷つくのだが。
「……ということが今日はありまして。本当に、この魔力にも困ったものです」
零れそうになる溜息を飲み込み、話を続ける。
「そう、そんなことがあったのね。……というか、下位精霊を吸収してよく無事だったわね、貴女」
「まぁ、ルーナの魔力を考えればあり得ないとも言えないところが辛いな。魔力を吸ってたなら身体にも馴染みやすいだろう」
「んー、ルーなら当たり前」
「俺の魔力も取り込んでるからな。下位精霊くらいじゃどうってことなくて普通だよ、普通。つか、付け上がる下位精霊とか……折角独力で魔法を発動できる力があるってのに、厄介なもんだねー、人間も」
やいやいがやがや、好き勝手言っているのは、順番にルネ、シャディ―、メルト、そして俺の守護獣である黒龍である。軽めのにーちゃんみたいな言動に相応しく、龍種では十分若い百五十八歳である。因みに名前はアルバトロス。通称アル、またはアルト。……命名者は彼のお祖父さんの契約者(因みに建国王の妹殿下)だそうだ。彼女が何代分かの聖龍族の中でも特殊な個体の名前を考えておいたそうだ。断じて俺が命名したわけではない。
ここはルネの住処の近くで、今は夜十時ごろ。当然、城から勝手に抜け出した訳だ。四人(?)とも実体化したり、人に変化したりしている。
「まぁ……仕様がないことです。大多数の人間は力の弱い、淘汰されるものですもの。自分の共同体の中にある自分と異質な存在を排斥しようとすることは当たり前です。そうすることが自分の生存に繋がるのですから――たとえその存在が、害をなすものでなかったとしても」
心底面倒そうなアルの言葉に自分も面倒だと思っていることを滲ませつつ、当たり障りのない程度に、一応人間を肯定しておく。
思い出されるのは魔力検査が終わった後から今までの三年間だ。
まず始まったのは、より専門的な教育だった。
一旦終わったと思っていた礼儀作法が帰ってきた。それも、今まで以上に厳しくなって。今までは大丈夫と言われていたものが八十点と称されるようになったのだ。別に俺が手を抜いたわけではない。求められるレベルが高くなったのだ。それが落ち着けば、他国の礼儀作法も教えられた。言葉の節回しとか、独特なものがあるし、自分がするだけではなく他人にされることも考えると、これは順当だったと言える。
それから、自国史の授業が更に面倒くさいことになった。幅広い、それこそ大陸中の国から建国の動乱に関する史実書を取り寄せて扱った。当然、その国の言語だったりするし、酷いものでは古代語だったりする。
因みに王族は古代語――神統語と呼ばれる――が必須スキルらしい。勿論将来嫁に行く俺も絶対習得しないと困るそうだ。もっとも、普段式を描くのに使っているものとほとんど同じなので、寧ろすでに習得済みなことをごまかす方が大変だった。
他にもいろいろ、深く掘り下げて授業が始まったから、難易度はどこの高等教育機関かと聞きたくなるくらいに酷かった。正に王妃教育とは何たるかを思い知った日々だった。
そして苛酷になった授業にプラスして始まったのが魔法の授業だった。
……率直に言おう、ただでさえ勉強量が増えて辛くなっていたのに今更習得していることを新たに習うことに意味を見いだせなかった。大精霊たちや神獣にもお墨付きをもらう程度には魔力制御はできている。一般に感情が爆発したときに魔力も暴走しやすいらしいが、俺の場合はそれも心配はいらないと思う。逆に、俺自身に非はなかったのに女神に見殺しにされること以上に激昂することがあるのなら教えてほしいくらいだ。
でもまぁ、俺の魔力量や魔法を使っているところを誰にも見せたことがないことを踏まえれば、それも無理はないことだとも思う。
ただ、魔力制御の習得の過程で『意識して魔力を操る』ために本来なら学園に入学してから行うはずである魔法基礎の座学と実技(今日やっていたやつ)はいただけない。何がって、前提条件として俺の今まで使ってきた魔法と、普通の人間が使っている魔法では体系が全く違うのだ。精霊が使う魔法を今まで使ってきたということは、精霊と同じ程度の力はあるということだ。それなのに精霊の力を借りるのは、制御という側面からすると難易度が増してしまう。
「それにしても儂らと同等の力を持っているルーナが下位精霊の力を借りるのは無理があるということがよく分かった。強者が願うと弱者は怒りを買うことに恐れをなして全力で答えようとするからな。まぁ」
不足があると困るから、とシャディーは言う。
精霊とは自然界に溢れる魔力が集まったもので、始まりは下位精霊だったものが周囲の魔力を吸収して徐々に力をつけ、より上位へと至っていく。高位精霊と同程度の力を持っている俺は、下位精霊からすれば力の強い存在なので何もしなくても彼らは集まってくる。簡単にいえば『強い者が一番偉い』と言う訳で。
「んー、でも一度ルーの魔法を見てみたい」
若干場違いなのんびりとした声。メルトは三年間経ってもメルトである。端的に言えば、ガキっぽい。
まぁ、でもしょうがない。幻獣も神獣も、寿命が違うから子供でいられる期間が違ったってしょうがないのだ。人間が三千年もたっているのに、アルたちにとってみれば子を産み、その子が子を産んだ程度の時間なのである。……種族間の寿命差が怖い。
「あー、確かにな。なかなか見られないものだから、気になるっちゃ気になるわな」
軽い調子でサラリと同調するアル。おい、ちょっと待て。
「制御できるならいいのだがな」
「何が起こるかわからないところが何とも言えず怖いのよね」
さすがに精霊組はよく分かっていらっしゃる。制御しきれる自信がないということが一番問題なのだ。
「おっしゃる通りです。制御するのはなかなか難しくて。ルネ様の住処を荒らすのも気が引けますし、ちゃんと制御できるようになりましたらお見せします」
ニコッと笑ってやんわり拒絶。ここら辺、ルネがいるからか知らないが下位精霊が家の周りよりも余程たくさんいる。普通に使う分には問題ないが、習っている基本詠唱だとどうなるか自分でもわからない。
でも、そんなこと言っても、分からないものは分からないようで。
「今の制御できていないのを見たいの」
「そー、制御出来たら見る意味ねぇよ」
唇を尖らせ、ムスッとした表情を浮かべる神獣チーム。対する精霊陣と俺は苦笑を禁じ得ない。
ガキか、ガキなのか。特にアルはもう百歳を超えているのだから、落ち着きを持ってほしい。
結局、メルトが駄々っ子になり、アルが拗ねたので、実際に発動することになった。最悪、大精霊が二体と神獣が二頭いるから、後始末等は心配しなくていいと言うこともある。
「それでは、参ります」
コクリと周囲が頷いたのを確認して、俺は深呼吸をして構える。
練習時に使っていた杖は当然持ってきていない。だが、相変わらず持ってきていた採集箱の中から取り出した何時ぞやの邪竜の鱗と、引き抜いたメルトの尻尾の毛と、自分の生え変わった鱗とを合わせてアルが魔力を注いで杖型に整形してくれた。……突貫工事の杖だけど、どう考えても制作過程と素材的に相当な逸品である。ありわせの寄せ集め、と本人たちは言っていたが、頭が痛くなった。
別に、魔力の流れを一定方向に向かせて制御しやすくするためにあるだけだから、最悪木の棒でも良かったのに、こっちが頼んでいるんだから、と言って作ってくれた。……そこで気を使えるのならばそもそもやらせないで欲しかった。
目線の高さに掲げる杖先に魔力を流しつつ、周囲を睨み付ける。大きく息を吸って、絞り出すように慎重に詠唱する。
「 《 遍く万象の盟友よ。我、――」
自分の手で倒して解体した素材と守護獣たる聖龍の素材、俺の魔力の性質が移った神獣の素材を用い、守護獣によって整えられた突貫杖は、当然ながら俺の手や魔力によく馴染む。練習用の杖は誰にでも使える汎用的なものだから、俺のために調整されたこれは使い心地が格段に良くて制御もしやすい。だが、あまりにも使いやすいため気を抜きそうになってしまう。
びくびくしながら詠唱していると、ぽつりとシャディ―が呟いた。
「ルーナ、今更だが。お前は堂々と構えていればいい」
……成程、と思った。こちらが弱気になると急に増長しだす奴は確かにいる。制御しようと躍起になっていたが、吸収できたことを考えても俺の方が余程強い。立場が上なのは本来俺の筈だ。勢いがあるだけで痛くも痒くもない筈なのだ。来るなら来いと仁王立ちでもしていればいい。勢いに気圧されることなく、慢心することなく。……まぁ、あれだ。最悪尻拭いはしてくれるらしいし。
「――【氷球】 》 」
言い切る瞬間に体内の制御していた魔力を解き放つ。
魔力とは即ち生命力のこと。こうすると生命の気配が飛躍的に強く感じられるようになる――魔力の量や質によって階級が決まる彼らにとっては、仮に自我があり身体があったとしたら、顔色を土気色にしているのではないだろうか。
いつも通りに群がっていた精霊たちが、途端に大人しくなった。杖先からやわやわと力を吸っていき……現れたのは、適切なサイズの氷塊だった。
……制御成功だ。
「シャディ―様、有難うございます。お陰様できちんと制御することができました」
会心の笑みを伴い振り返れば、ギャラリーは水を打ったように静まり返っていた。シャディ―とルネは両手両膝を地面につき、アルはポカリと口を開け、メルトはジワリと瞳を潤ませている。
「あら?どうかなさいましたか、皆さま?」
知らず知らずのうちにどうやら何かをやらかしたようで。けれども何がいけなかったのかわからないから、笑顔をキープしたまま余裕ぶって問いかけた。いかん、口の端がピクピクしてきた。つりそうだ。色んな意味で内心は冷や汗だらだらである。え、マジで何をしたんだ。
「あー……っと、ルーナ?お前、何したんだ?」
いち早く現実に戻ってきたアルが、全員を代表して問いかけてきた。他の面子も多少立ち直ってきたようだ。
「何、とおっしゃられても、私、堂々としているべきだと言うシャディー様の助言に基づき、所謂『格の違い』と言うものを下位精霊様にお見せしただけですよ?これといって大それたことはしておりません」
「儂は別に格の違いを見せつけろと言ったわけではない!」
「お前にとって堂々としているってことは威圧するってことなのか!?」
シャディ―の悲鳴のような叫びとアルの鋭い突込みが即座に返される。記憶と自分の行動を省みて、思わず手をポンと打った。
成程。正論である。
「確かにそうですわね。私が下手にみられているからあちらが暴走するのかと思ったので、威厳を出そうとしたのです。ですけれど、咄嗟のことでしたので威圧してしまったのです」
お恥ずかしいですわ、と言って口元を手で隠して楚々として笑えば、辺りに漂うはブリザード。すっかり二×四対の瞳に白い目で見られてしまった。
「……まぁいいわ。それよりも貴女、【威圧】を使い慣れているでしょう。かなり威力が高かったけれど、手加減はしていたでしょう?」
「「……えっ?」」
どうやらルネはあれ自体に興味を持っているようで。さすがに誤魔化せなかったか、と内心舌を巻くが、一方ではしっかり誤魔化せていたようで。完全に予想外だったらしいメルトとアルがキョトンとした声を出した。
「手加減とおっしゃられても、別に立場の上下を教えて差し上げたかっただけですから。普段は外に出さないように内で巡らせておく魔力を、自然に体の外に放っただけですよ?」
全部ではありませんが、という一言は口には出さない。そんな俺の様子にルネは力なく微笑んだだけだった。
「使い慣れている、というのは、貴族子女なら大体そうかと。立場が下の人間を動かす手助けになるので、実は重宝されているようですよ?」
たった一言、されど一言。みんなの目が、『貴族って嫌なもんだね』と言っている。
体内で循環させている魔力を全身から少しずつ体外に放つ、魔力を持つものなら等しく使える魔法――俗にいう【威圧】は、使用者の魔力量、魔力練度により威力が決まる。一介の魔術師が使うと気持ち引く程度の威力だが、俺レベルの魔力量・質だと緩く手加減してもガクブルものになる。本気を出すと中位くらいの魔獣・魔物だったら失神する。……そのうち手加減抜きで視線で人が殺せそうな予感。
その視線に居心地の悪いものを感じながら、俺は静かに生み出した氷塊を眺めた。