3.近衛兵ディノ
王城にいる近衛兵たちが待機している詰所は賑やかだった。
厳しい訓練を終えたばかりの団員たちは休憩時間に入るなり各々自由な時間を過ごしている。俺も部屋の隅で仲間たちと共に談笑をしていると、中央付近のテーブルから上官二人の話し声が聞こえてきた。
「そういえば、マリエル・ウィズマロンの処分が決まったそうですよ」
「ついにか」
副団長の声に、団長が冷静に答えている。
最近の王城内はどこにいてもこの話題で持ちきりだった。社交界の花と謳われるウィズマロン公爵家のマリエル嬢が嫉妬心を爆発させ、婚約者であるハロルド殿下の幼馴染のアンジュ嬢の命を奪おうとした…。公にはされていないが、その噂は王城内にとどまらず街の中へも漏れ出している。この事件の顛末については誰もが気になっているところだ。
かく言う俺にとっても実はこの話題は他人事ではない。思わず上官二人の会話にじっと耳をすませる。
「それはさぞ重たい刑が執行されるんだろうなぁ。なんせマリエル嬢には今、味方と呼べる人が誰もいない。父親であるウィズマロン公爵は娘とはすでに縁を切ったと言い、あの事件から行方をくらましていると聞く。それに、実の娘を階段から突き落とされた宰相閣下も犯人であるマリエル嬢に厳しい刑を要求しているそうじゃないか。最悪の場合おそらく斬首か、まぁよくても一生を牢獄で過ごすことにはなりそうだな」
「いや、団長。それがどうもそうではないらしいです」
「というと?」
「明日、マリエル嬢が牢から解放されます」
「明日!?」
団長の驚いたような声がする。と、副団長が周りを気にして小声で話し出す。
小さい頃から地獄耳だと言われ続け、人並み外れた俺の聴覚はずば抜けている。他の団員たちの騒ぎ声の中でも団長と副団長の声だけをうまく聞き取る。
「なんでも、ハロルド殿下とアンジュ嬢がマリエル嬢の減刑を強く希望されたみたいです」
「なに!?殿下はともかくとして、あのようなひどい目にあったというのにアンジュ嬢もか」
「はい。お優しい方ですよねアンジュ嬢は。あのお方こそ国母にふさわしいと俺は思います。政治的な面はさっぱり分かりませんが、当初のまま殿下の婚約者をアンジュ嬢にしておけばよかったんですよ。それをあのたぬきじじい――――おっと失礼、ウィズマロン公爵がずかずかと踏み込んできて、自分の娘を殿下の婚約者にと押し迫った」
「あの計算高いことで有名なウィズマロン公爵がしそうなことだ。王家との密なつながりがほしかったのだろう。おそらく娘を殿下の妻にすることを条件に、王家に何か取引でも持ち掛けた。王家は今のウィズマロン家を敵には回したくない。だからそれを受け入れるしかなかった。ま、そんなとこだろうな」
団長は、ズズズズーと音をたててカップの中の飲み物を口に入れた。
ウィズマロン公爵家はこの国の誰もが知るほど有名な貴族家だ。表向きは政治や金銭的な面で国を支える善良な貴族家だが、最近では裏でよからぬ者たちと手を組み何やら不穏な動きをしているとの噂もある。良い意味でも悪い意味でも今のこの国にウィズマロン公爵家の影響力は大きい。
俺も近衛兵に入ってから何度か見かけたことがあるが、見た目は人の良さそうな普通のおっさんだった。
「……………で、そのマリエル嬢は牢を出た後はどうなるんだ?」
口の中の飲み物をゆっくりと飲み干したあと、団長が副団長にたずねる。
俺が知りたいのはそこだ。と、さりげなく視線を二人に向けて続きの会話に集中した。
「マリエル嬢はすでにウィズマロン家を追放されていますし、それに国外への追放も言い渡されています。もう二度とこの国の土は踏めないでしょうね」
「なるほど。ウィズマロン公爵は家の保持を優先させて早々と娘を捨てたというわけか。ま、言われてみれば納得できる話だ。なんせマリエル嬢はウィズマロン公爵の実の娘ではないと噂だしな」
「それなら俺も聞いたことがあります。保護施設で育ったマリエル嬢は10歳のときに、慈善活動の一環としてウィズマロン公爵家に引き取られたと。もっと言うと、そのときからウィズマロン公爵は養子で得た娘をゆくゆくは殿下の妻にさせようと目論んでいて、施設の中でもとびきりの可愛い子を選んだらしいですよ」
「血の繋がりがなければ愛情もない…か。ウィズマロン公爵にとってマリエル嬢は政治的な道具でしかなかった。必要がなくなれば容赦なく切り捨て―――――」
――――――ドンッ!!!
上官二人の会話を聞いていた俺は、気が付けば拳で思い切り机をたたいていた。何十年も使い古されている木製の机はその衝撃に耐えられなかったのか真っ二つに割れてしまった。
「おい、どうした?って、ディノ!お前なにやってんだ」
副団長の視線が俺に向けられる。団長の視線も、この場にいる団員たち全員の視線も。
「おいおいディノ。お前がバカ力なのは知っているが、とうとう机までも破壊したか!」
団長の陽気な声に部屋中からどっと笑いが起こった。俺は座っていたイスから勢いよく立ち上がり頭を下げる。
「すんません。ちょっと外、出てきます」
そのまま詰所の扉に向かって大股で歩く。その間も胸の騒ぎがおさまらない。何かを思い切り殴って発散させたかった。俺はバカだからそんなことしか自分の感情をコントロールできる術を知らない。
詰所を飛び出しそのまま歩き続けるとようやく人気のない場所まで辿り着いた。俺はとにかく思いきり叫んだ。
「くそっ。マリエルのばかやろうが。何やってんだよ」
近くにある木を力いっぱいに殴った。葉が揺れ、枝にとまっていた鳥たちがいっせいに空へ飛んでいく。何度も何度も太い木の幹を殴り続けても俺の中の怒りは収まらなかった。
どうしてこんなことになってんだよ。
お前、幸せになるはずだったんだろ。
それなのに。
「マリーのばかやろうがっ……!」
最後に放った俺の一撃でとうとう木がめりめりと音をたてて倒れた。
『わー!すごいすごい!ディノすごいよ!』
かつて一緒に暮らした少女の鈴のように美しい声が耳に響いたような気がした。
小さい頃から力だけなら誰にも負けなかった。教会の施設内にある身寄りのない子供たちが集められた施設で俺は1番の年上で、そして力持ちだった。
本当の妹や弟のように可愛がっていた年下の連中を両腕にぶらさげてよく遊んでいた。そうするとみんなが嬉しそうにはしゃいで喜んでくれたから。
『ねぇねぇディノにおねがーい!お姫様抱っこして!』
その中でも1人だけ、やたらと俺に懐いてくるガキがいた。
なんでお前みたいなやつがこんな施設にいるんだ?と疑問に思うほどキレイな顔をしたガキだった。
もちろん服装は施設で配給されたボロッちいものだ。風呂にだって毎日は入れない。髪の毛はボサボサ。条件は他のガキたちと同じはずなのにそのガキ――――マリーだけは宝石のように輝いて見えた。
風になびくブロンドの髪。形の良い赤い唇。透き通るような白い肌。まるで絵本から飛び出してきたお姫様のように可憐な少女だった。
それになによりマリーは不思議な色の瞳をしていた。他の誰とも違う色。たしかその色は琥珀色と呼ぶらしいが、そんな色の瞳を持つやつを俺は初めて見た。
『お姫様抱っこ?ふん。お子ちゃまなお前にはこれが合ってるよ』
『うわっ!』
俺は、マリーの後ろから両足の間に頭を入れるとグイッと持ち上げてそのまま勢いよく立ち上がった。
『わー!高いね!肩車だね!』
頭の上からマリーの楽しそうな声が聞こえる。
人並み外れた成長期をみせていた俺は13歳にも関わらず身長はすでに成人男性の平均をぐんと超えていたし、筋肉もかなりついていた。他の6歳児に比べてかなり小柄だったマリーを肩に担ぐことぐらい簡単なことだ。
『でも、お姫様抱っこがいい。今度はお姫様抱っこね』
『お姫様抱っこ?………って、そりゃお前、王子様がお姫様をピンチから救うときにするもんだろ?』
たしか少し前に施設の大人が読んでくれた絵本がそんな内容の話だった。マリーはその絵本を気に入ったらしく毎日毎日読んでいたから、きっとその影響でお姫様抱っこに憧れているのだろう。ったくガキだ。けれどまぁ可愛い妹分だ。
『いいかマリー。あの絵本のお姫様のようにお前がピンチになったら、俺が王子様みたいにかっこよく現れてお前をそこから救ってやるよ。お姫様抱っこはそのときまで大事に取っておけ』
『うーん?……わかった!約束だよ。今度はお姫様抱っこしてねディノ』
俺の言っている意味をきちんと理解したのかは分からないがマリーは楽しそうに笑った。
マリーと一緒に過ごしたのは4年間だけだった。
10歳になったマリーは国一番の貴族家の養子に迎え入れられた。
マリーはこんな場所にいるようなやつじゃないとずっと思っていたから、いつかはこんな日が必ずくると思っていた。
華やかな王都で貴族の娘になり、煌びやかな服を着て、美味しいものを食べて、広い部屋で何不自由なく暮らす。マリーは、身寄りのない子が寄せ集められた施設なんかよりもそっちの生活の方がずっと似合っている。
だからいつかはこんな日がくるとは思っていたがそれはあんまりも突然だった。突然過ぎてさよならも言えなかった。
別れは寂しかった。自分に1番に懐いていたガキがいなくなる。けれどそれがマリーの幸せだと思った。
――――それなのに。
それから6年後。
施設を出た俺は、王都の近衛兵団に所属していた。初めて王城の門番を任されたとき、何年か振りにマリーをみかけたことがある。
馬車から降りたマリーは質の良さそうなドレスを身にまとい、太陽の光に当たるたびキラキラと輝く宝石を身に着けていた。だいぶ髪も伸び、うっすらと化粧をして、すっかり大人の女性に成長していた。
あれからずっとマリーのことが気がかりだった。が、美しく育ったその姿に彼女は今きっと幸せな毎日を送っているのだろうと想像できホッと胸をなでおろした。
しばらくマリーに見惚れていた。ドレスの裾を持ち上げ優雅に歩くマリーはどこからどう見ても貴族の令嬢だ。すれ違う人々と軽く会釈を交わし笑顔で会話を楽しんでいたのだが、その笑顔に俺は違和感を覚えた。
マリーは笑ってはいなかった。いや、笑ってはいた。でもそれはマリーの本当の笑顔ではなかった。マリーはもっと弾けるような笑顔を見せるはずだ。あんな風ににまるで誰かに見てもらうことだけを意識したような気取った作り物の笑顔をするやつじゃない。
マリーは今、幸せなのだろうか…………。
あらためて自分にそう問いかけたとき、その答えはすぐに出た。
人々に笑顔をふりまいて挨拶を交わしていたマリーがふと空を見上げたのだ。その横顔に俺は全てを悟ったような気がした。
マリーは今、幸せではない。
施設にいた頃マリーはとても良い子だった。大人たちの言うことを素直に聞いて、他の子どもたちとも仲良く過ごしていた。
けれど一つだけ。マリーには直らない悪いクセのようなものがあった。それは施設をたびたび抜け出すこと。
曇り空の日になるとマリーは決まって施設を飛び出し、とある場所に行っていた。俺は心配でいつもその後を追いかけて、そしていつからかマリーをそこから連れ戻すのが俺の役目のようなものになっていた。
噴水のある小さな広場。
マリーはそこのベンチに座りぼんやりと空を見上げていた。
施設の大人の話によればマリーはそこで実の母親に捨てられたらしい。
じっと空を見上げるマリーの横顔を俺はいつでも鮮明に思い出すことができる。
それを例えるなら『無』だった。表情を無くした人形のようにただひたすら空を見上げているマリー。やがて雨が降り出してもまるで何かに取り付かれているかのようにその場から動こうとはしなかった。
このままでは風邪を引いてしまう。帰ろう。そう告げてもマリーは動かない。そのたびに俺がマリーを肩車しながら、雨の中、施設へと連れて帰った―――――。
王都で久しぶりに見たマリーの横顔はあのときとまったく同じだった。何の表情もなくふと空を見上げるマリー。
違うのは、あのときのように俺がマリーを肩車してそこから連れて帰ってあげられないこと。マリーは公爵家の娘で、俺はただの近衛兵。あのときよりもだいぶ距離が離れてしまった。
でも、こんな事件が起きてしまうのなら…………。
ハロルド王子の婚約者であったはずのマリーがなぜアンジュ様を階段から突き落としたりしたのかは分からない。でも、理由もなくマリーがそんなことをするはずがない。いや、例えどんな理由があったとしてもマリーはそんなひどいことをしたりはしない。
それなのに―――――――――。
マリー、お前どうしちまったんだよ。このままだと家を追放されて、国からも追い出されちまうんだぞ。これからどうやって生きていくつもりなんだ。
今すぐにでも助けてあげたかった。王城の中にある独房へ飛び込んで鉄格子だろうが何だろうがぶっ壊して、そこからマリーを救ってあげたい。
でも、そんなこと簡単にできないことぐらいバカな俺でもよく分かっている。俺には何の力もない。それが悔しい。
今でもお前のことを大事に想っているのに。
ピンチになったら助けてやると約束したのに。
助けられなくてごめんな、マリー…………。
10/28誤字訂正。