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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第十六章 剣の影
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 疾走する汪直の耳に、次々と絶叫が聞こえてきた。

 絶叫しているのは、その場に居合わせた百官たちである。ど真ん中に巫士が毒猿とともに乱入し、誰彼の見境なく、毒の煙を振り撒いている。

 巫士が両手を振り回すと、ばっと黄色い粉が舞い上がり、煙となって散った。煙を一息吸い込むだけで、人々は一瞬に絶命してしまう。

 毒猿は、全身が毒の塊で、指先の爪、吐く息、唾液すらも、毒にまみれていた。猿が引っ掻き、あるいは息を吹きかけただけで、毒が相手の身体を侵す。

 うっかり猿を捕えようと毛皮に手を掛けただけでも、毛先から毒が、触れた手から沁み込んでしまう。

 百官、王族を守備する兵士たちも同様で、手にする武器を振り回す余裕すらなく、巫士と毒猿によって倒されていった。

 汪直は成化帝と、朱祐堂を目指している。こうなったら、皇帝親子を、汪直自身の手で殺してやりたいと思ったのだ。

「来いっ!」

 汪直が叫ぶと、巫士と毒猿が殺戮の輪から飛び出し、汪直と併走し始める。巫士と猿を両側に従え、汪直は皇帝親子に向かって突進していた。

 成化帝と朱祐堂親子は、茫然と汪直の姿を目にしていた。

「汪直っ! 何故の反乱じゃっ!」

 成化帝がぐっと立ちはだかり、手を挙げ、汪直を指差し、叫んだ。

「陛下、お覚悟を……!」

 汪直は成化帝に向かって、ニヤリと笑い掛けた。

 皇帝といえども、今の汪直にとっては、単なる獲物にすぎない。汪直は必殺の武器を手に構え、じりじりと詰め寄った。

「待てえ──っ!」

 駆け寄る足音が聞こえ、新たな敵が汪直の眼前に出現した。

「弑逆者め! 許さんっ!」

 汪直に向けて、刀を向けたのは、倭人の愛洲太郎左衛門であった。太郎左衛門の姿を目にした汪直は、即座に事情を悟っていた。

 太郎左衛門を監視するため、残した艮と、巽の二人は、殺されたのだ! あの時、太郎左衛門の手足は、厳重に縛りつけ、自由を奪ったはずだ。それなのに脱出できたわけは、手助けがあったのだろう。

 太郎左衛門には、同じ倭人の仲間がいた。ひょろ長い身体つきの、朧と名乗る男。多分、あいつが、この紫禁城内に潜んでいる……。

 皇帝親子は、倭人の背中に、慌てて隠れた。

 太郎左衛門は、刀を真正面に構え、じりっ、じりっと汪直に近づいた。しかし、無闇に切り掛かってはこない。

 汪直は両手に、細身の短刀を構えている。以前、手合わせしているから、汪直の間合いは、太郎左衛門に把握されているはずだ。同じ間違いを倭人が犯すとは、考えられない。今こうして構えている短刀では、勝負にならない……。

 すばやく決断を下し、汪直は手にした短刀を太郎左衛門に向かって、さっと投げつけた。

 太郎左衛門は、刀を旋回させ、難なく汪直の投げつけた短刀を、打ち払った。

 相手の動きを確認して、汪直は巫士に向けて命令した。

「あいつは手強いぞ! お前たち、両側から、あいつに近づくのだ」

 巫士は頷くと、太郎左衛門に近づいた。

 毒猿は、太郎左衛門に向かって「ぎーっ!」と歯を剥き出した。ずらりと並んだ黄色い歯先から、毒の唾液がたらたらと迸っている。

 猿を一目ちらっと見て、容易ならぬ相手と、太郎左衛門は理解したようだった。

「陛下、ここは拙者が防ぎます。お早く、お逃げ下さいっ!」

 太郎左衛門は早口で、成化帝に話し掛けた。

「恩に着るぞ!」

 成化帝は早くも皇太子を促し、逃走の姿勢になる。

「逃がすかっ!」

 汪直は成化帝の行く手を阻むため、移動した。巫士も、汪直と連携して、成化帝の背後に回り込む。

 成化帝は汪直と巫士に挟まれ、立ち竦んだ。

 二人を逃がすため、太郎左衛門が刀を振り上げ、切り掛かってきた。ひゅっ、と風を切り、太郎左衛門の刀は、弧を描いて振り下ろされた。

 この時を狙い、汪直はさらなる武器を、服の中から取り出していた。

 胸元に仕掛けられた武器を、一気に引っ張り出した。

 取り出したのは、鞭だった。太さは、普通の鞭より数倍も太い。汪直は手にした鞭を、ぶるんと音を立て、振るった。

 振るわれた鞭は、汪直の手元で、三本に別れた。三叉鞭である。その三叉鞭を、汪直は身体を一杯に伸ばし、太郎左衛門に向けて振り下ろした。

 太郎左衛門は、汪直の鞭を、手にした刀で防ぐ。が、太郎左衛門の顔に、驚愕の表情が浮かんだ。

 ただの鞭なら、刀で振り払った瞬間に、ぶっつりと真っ二つに切断できていたはずだ。しかし、汪直の鞭は、切断されず、太郎左衛門の刀に、きりきりと絡み付いていた。

 汪直の鞭は、革ではなく、鋼鞭であった。細い鋼線を結い合わせた、特性の鞭だった。ぎりぎりと絡みついた鉄鞭に、太郎左衛門の顔に焦りが浮かぶ。

「見たかっ!」

 汪直は、勝利の笑みを浮かべていた。見事に太郎左衛門の動きを止めた今、巫士と毒猿は、皇帝親子に向かって、楽々と攻撃できる。

「太郎左衛門様っ!」

 謁見の間に新たな声が響いた。

 聞き覚えのある声音に、汪直は首だけ廻して、声の主を探した。

 同じように、太郎左衛門も汪直と同じ方向を見ていた。

「アニス……!」

 太郎左衛門が叫んだ。

 入口近くで金髪の少女が、少年の手を取り、姿を現していた。

 アニスと、小七郎だ。

「糞、なぜ今頃になって顔を出す?」

 汪直は惑乱しそうになっていた。あらゆる出来事が汪直に対し、牙を剥いてくるようだった。

 太郎左衛門を相手するだけで、手一杯なのに、これ以上の問題を抱え込むのは、願い下げだ。

「ぎえ──っ!」

 なぜか、毒猿がアニスを見て、大きな口を広げ、牙を剥き出して唸り声を上げた。毒猿の反応に、巫士は慌てていた。

「よせ! やめろっ!」

「どうしたっ? 猿は、どうなっている?」

 汪直が問い掛けると、巫士は大きく首を左右に振った。

「判りません。あの娘の姿に、猿めが混乱しているようです!」

「何だと?」

 汪直はアニスを見た。

 逆立つ金髪に、真っ青な瞳。彫りの深い顔立ちは、怒りに燃えていた。娘の背後に汪直は、もう一つの姿を見て取っていた。

 それは、アフラ・マズダの姿であった。

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