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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第十五章 光の剣
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 久忠は、身を低くして、移動を開始した。身を低くしたのは、汪直の視線を避けるためだ。

 今、汪直に見咎められては、まずい! 久忠が無事に生きているからには、艮と巽、二人の部下を倒した結果だと、すぐに判明してしまう。

 儀式は粛々と進行している。儀式の中心である成化帝は、儀典係の操り人形といえた。表情は朦朧と見えるが、ある意味、神々しい表情にも思える。愚者と賢者は、見かけ上、区別できない。

 ずらりと勢揃いしている百官たちは、驚嘆すべき忍耐深さをもって、儀式が滞りなく進行する様子を、見守っていた。

 儀式中、百官たちには、一切の身動きはなかった。退屈さに耐えられなければ、紫禁城では暮らしていけないのかも、しれなかった。

 久忠は、太和殿の方向を注目した。演台にぽつんと、ただ一つ寝椅子があって、その上にどでんと、醜悪な肉塊が横たわっている。

 成化帝第一夫人、万貴妃の姿だ。もっとも、第二、第三以下、多くの夫人は、万貴妃の手により、次々と暗殺されている。

 万貴妃の嫉妬心は強烈だった。そのため、皇帝と遠戚関係を結びたいと、熱望している百官たちは、娘たちを成化帝の後宮へ送り込む決意を鈍らせている。

 肥満のあまり、万貴妃は自力ではほとんど、歩行不可能である。その万貴妃が、不自由を推して出席した理由が、久忠には判らない。もしかしたら、汪直の計画に、一枚噛んでいるのかもしれなかった。可能性は、大いにありそうだった。

 余計な方向に注意を向けていて、久忠は儀式の終わりを、見損なった。気がつくと、それまで大人しく椅子に腰掛けていた百官たちが、ぞろぞろと立ち上がり、続々と前庭から太和殿へ移動し始めるところだった。

 中心に成化帝が、輿に落ち着き、運ばれてゆく。周囲を警護するのは、魚林軍兵士たちだ。成化帝の近くに虎軍、その両脇に豹軍女兵士たちが従っていた。

 魚林軍師範の鄭絽の隣に、皇太子・朱祐堂の姿があった。

 皇太子の姿を認め、久忠は密かに鄭絽に感謝した。鄭絽には、朱祐堂についての事情を詳しく話している。

 久忠の頼みに、鄭絽は快諾してくれた。このまま何事もなければ、成化帝が謁見の間に帰着した頃合を見計らい、鄭絽が皇太子が生存していると、奏上してくれるはずだ。

 汪直もまた、六人の部下と共に、移動している。アニスと小七郎も、一緒だ。

 久忠は、見つからないように、一同の遙か背後から移動した。我ながら、こそこそした態度だと、自嘲してしまう。

 錚々たる王族の列は、厳粛な雰囲気を保ちつつ、城内に入った。最後に、万貴妃の肉体が横たえられたままの寝椅子が、数人の合力たちによって、運ばれてゆく。

 万貴妃の寝椅子の後を従いてゆく久忠は、床にぽろぽろと、残飯が散らばっている様子に、気付いた。

 万貴妃の旺盛な食欲は、一時も休息を許さないらしい。

 城内へと付き従った久忠は、暗い室内に入り込む前、片目を閉じた。暗さに、片目だけ慣らす武士の心得である。こうしておけば、暗い室内に入り込んだ刹那、切り掛かられても、片目が暗さに慣れているから、相手を視認できる。

 謁見の間に、全員が着席して、ようやく儀式の全体は終了する。

 後は、お決まりの宴会である。

 席に落ち着いた百官、そのお付きの者たちに、次々と山海の珍味、酒肴が用意された。一座は長い儀式から解放され、弛緩した空気になった。

 そういえば、自分も朝食を摂っていなかったと、今さらながら久忠は気付いた。どっさりと出された料理の匂いに、久忠の腹はぎゅうぎゅうと不平を訴えていた。

 鄭絽は何をしている! すでに成化帝は、玉座に着座している。皇太子の生存を奏上するのは、今ではないか?

 久忠が、じりじりと焦燥に焼かれていると、ようやく鄭絽が動きを見せた。

 奏上役の宦官に向かって近づき、ひそひそと何事か訴えている。鄭絽の囁きに、宦官は全身で驚きを表した。

 宦官は小走りになって、成化帝の前に進み出ると、拱手の礼をしてから、玉座近くに、駆け上がった。身を折り曲げ、成化帝の耳に、囁き掛けた。

 最初、成化帝はぼんやりとしていて、宦官の言葉に無反応だった。宦官は苛立ったように、もう一度、囁きかける。

 今度は、成化帝にも、伝わったようだ。今にも引っ付きそうな、分厚い上瞼が、ぐい、と持ち上がり、細い両目が、一杯に見開かれた。

 唇が微かに動き「太子が……」と、久忠には読めた。宦官は大いに頷き、鄭絽と、その隣の朱祐堂を指差した。

 茫然としている成化帝に代わり、宦官が狂おしいほど急いで、手招きを繰り返した。

 ずいっ、と鄭絽が謁見の間、中央に進み出る。

 宦官が場の静寂を求め、銅鑼を思い切り叩いた。

 じゃーん……、と銅鑼の音が、一同に響き渡る。食事を続けていた最中の百官たちは、何事かと、一斉に顔を上げた。

「この度、重要な報せが御座います。各々方、心して耳をお傾け頂きたい!」

 皇帝付き宦官が、大声を張り上げた。

 声に励まされるように、鄭絽が顔を真っ赤に染め、のしのしと大股で玉座に近づいた。鄭絽の後ろに、朱祐堂も、続いている。

 久忠が、ちらっと汪直を見やると、汪直は食いつきそうな表情で一場を見守っていた。

 気がつくと、アニスと小七郎の姿がなかった。一瞬、狼狽を覚えた久忠だったが、すぐに理由を悟った。

 外見がそっくりな、小七郎と朱祐堂の二人が、同一の場に姿を晒している状況は、どう見ても奇妙だ。この場面が無事に終えれば、汪直は機会を捉えて、祐堂と小七郎を入れ替わらせる肝だろう。

 鄭絽は朱祐堂の生存を、謁見の間の隅々まで聞こえるように、大声で奏上している。

 最初は鄭絽の話の内容が腑に落ちない様子の百官だったが、徐々に理解するようになり、全員が興奮を顕わにした。

「……陛下のお血を受けし、朱三平(祐堂は諱であり使用されない)君がこうして御無事な姿をお見せした今こそ、この魚林軍師範、鄭絽は、臥して陛下の御心におすがりするもので、御座います。どうか、三平君を正嫡として、お認めになられますよう……」

 一同から「おお!」と感嘆の声が、一斉に上がった。皇太子生存の報せは、それほどに重い。

 鄭絽の言葉は、最後は涙まじりとなった。

 謁見の間に、静寂が染み渡った。

 静寂の中、出し抜けに、成化帝がすっくと、玉座から立ち上がった。

「朱三平を、朕の後継として、正式に認める! 各々、心して拝せよ!」

 普段の成化帝からは、考えられない堂々とした態度だった。まるで別人で、成化帝の姿に、久忠も心底、驚きを覚えていた。

 成化帝が言葉を切り、一座を睥睨していると、いつしか百官たちが「万歳!」を叫んでいた。

「皇帝陛下、万歳──っ!」

「皇太子様、万歳──っ!」

 割れんばかりの斉唱だった。

 この光景に、久忠も胸に、熱いものが込み上げる。

 一座の興奮の中、成化帝は玉座から、静々と移動し始めた。

 久忠は、驚いていた。

 なぜなら、成化帝の足取りはしっかりとしていて、今まで見てきた病人のような不確かな足取りではなかったからだ。

 堂々とした歩みで、成化帝は頭を床に擦りつけている皇太子に近づいた。床に膝を突き、そっと朱祐堂の肩に手を置いた。

「陛下……?」

 祐堂が顔を上げると、成化帝は慈愛が溢れた様子で、鷹揚に頷いていた。

「我が息子よ……長らく苦労を掛けた。が、今こそ、朕の後継として正式に宣下いたす。もう、安心じゃぞ!」

 久忠は目まぐるしい変化に、圧倒されていた。

 では、今までの、成化帝の態度は、仮面だったのか? 本来の帝が、今、その姿を顕わにしたのだろうか?

 謁見の間、久忠は沸き上がった興奮とは違う、冷ややかな空気を感じていた。その冷気は、別の場所から発散されている。

 冷気を放っている箇所に久忠が目をやると、そこには汪直と、万貴妃がいた。万貴妃の顔には、正直な驚きが弾けていたが、側に立つ汪直の表情には、別の感情が認められた。

 それは、紛れもない、怒り、であった。

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