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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第十二章 王族
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 汪直の日常は、多忙だ。

 西廠責任者としての、毎日の業務を看なければならないし、紫禁城後宮を監督する宦官としての任務も繁多だ。さらに、成化帝直近の宦官として、城内に存在する無数の官衙との折衝にも忙殺されている。

 愛洲太郎左衛門を紫禁城に招き入れ、皇帝陛下の御前で剣技を披露する、という計画が加わり、汪直は身が二つ三つあっても、まだ足りない状態であった。

 紫禁城の官僚の中には、倭人を、それも皇帝陛下の御前に引き入れる計画に、あからさまに反対する者も多い。前例がない、という理由である。

 汪直はそれら忠義面した官僚たちを説得するため、履を何足も磨り減らすほど城内を駆け回った。

 皮肉なものだ……。敵と判っている相手を、城内に招き入れるため、このように大汗を掻くとは……。

 西廠代表としての、恐怖を背景にするわけにはいかない。そのような説得は、逆効果であろう。あくまで当日は、総ての行事が流れるように、遅滞なく進まなくてはならない。そのためには、各官衙の官僚たちに、自発的に動いてもらわねばならない。

 何か、効果的な手段が必要だ……。

 百官が、出席せざるを得ないようにするためには儀式が……!

 そこまで考えが至り、汪直は心中、快哉を叫んだ。

 そうだ! 儀式を開催するのだ。それならば成化帝の列席が必要であり、百官も出席に否やはいえぬはず。

 汪直は仕事が一段落した後、謁見の間に成化帝を訪ねた。

 成化帝は、いつものように、百官を引き連れ、大宴会の真っ最中であった。顔色を見ると、奇妙に黒ずみ、両目はどろりと濁って、背は丸く曲がって、手に取った箸を、力なく食卓に遊ばせている。

 食欲はあまりなさそうだ。近ごろ、成化帝の食は、めっきり減ったと、汪直は部下から報告を受けている。

 大宴会の開催に、百官は出された料理をガツガツと頬張り、間に酌をする女官たちに、下品な冗談を囁いている。

 百官は、総て科挙の上位合格者ばかりで占められている。十日間にも及ぶ科挙の問題は、難問中の難問で、合格するためには血の滲むような努力を必要とされている。従って、謁見の間で成化帝の御前に伺候している百官たちは、全員が優秀な学識者であるはずだった。

 しかし汪直の眼前で繰り広げられている百官たちの品のない振る舞いは、どう見ても学を修めた優秀な人材とは思えない。

 汪直はするすると人垣を掻き分け、成化帝の前に進み出ると、床に跪いた。

「陛下、汪直で御座います。申し上げたい儀これあり、御前に参りました」

「ん?」

 成化帝は汪直の声に、ひょいっと首を挙げ、キョトンとした表情で見詰め返した。成化帝が、こちらに意識を向けたと見た汪直は、声を励まし、帝に聞こえるよう声を高める。

「先日も御報告申し上げた、倭人の武技披露、御記憶で御座いましょうか?」

「ん──」

 成化帝は口篭り、虚ろな視線になった。明らかに失念している。が、成化帝に終始貼り付いている宦官が、ひそひそと耳打ちする。

 宦官の口添えに、成化帝の表情が俄かに豊かになる。思い出したようだ。

「そうじゃ、聞いておったぞ! 何やら、玄妙な技を披露いたす、倭人がおると……。その者、来ておるのか?」

 呟きながら、キョトキョトと周囲を見回す。なぜか、成化帝は、近ごろ幼児返りしたような態度を示す。

 汪直は謹直な口調で話し掛けた。

「今はまだ、で御座います。吉日を選び、紫禁城にて披露いたすでありましょう。今日こうして伺ったのは、倭人の披露とともに、主上に、ある提案を上程したく思います」

「ふむ。まだ、か?」

 成化帝は明らかに、興味を失った表情になった。再び、食卓に視線を戻そうとする。汪直は鋭く、声を上げ注意を引き戻した。

「主上におかれましては、封禅の儀式を御提案いたします!」

「封禅……?」

 聞き慣れぬ言葉に、成化帝は眉を寄せた。

 と、それまで騒がしかった大宴会の会場が、一気に静まり返る。

「今、封禅と聞いたぞ」

「うむ、確かにこの耳にそう、聞こえた」

「口にしたのは誰じゃ?」

「ほれ、陛下の御前に伺候しておる、汪直とか申す、宦官よ!」

 百官たちは、ざわざわと口々に言い合っている。古今の知識に接している百官たちなら当然、封禅の意味を承知しているはず。

 つかつかと、一人の高齢の官吏が汪直に近づいて早口に質問した。

「一つ、お主に質問いたしたい。たった今、お主は陛下に封禅を提案したのか?」

 汪直は丁寧に一礼して、答えた。

「はい、お言葉どおり、封禅を御提案いたしました」

 官吏は軽蔑の表情を浮かべた。

「どこやらで聞き囓ったようじゃが、封禅の儀式は、泰山で執り行うのが正式じゃ。陛下を泰山へ連れ出すつもりかの? それに、本来の封禅は、天下を平定した皇帝が、天に報告する儀式。今、そのような儀式を執り行う必要はあるまい」

「お言葉で御座いますが……」

 汪直は、話し掛けた官吏に向き直り、静かな口調で返答する。口調は静かで、態度も穏やかだったが、汪直の目に湛えられた光に、官吏はぎくりと、身を強張らせる。汪直は、諄々と説いた。

「確かに封禅は、天に世が平安であると寿ぐ儀式。同時に、皇帝陛下の力を示す儀式でもあります。場所についても、泰山でなければ、できぬと決まったものでも御座いませぬ。過去にも、城内に山を築き上げ、執り行った例が御座います。それならば、陛下を泰山へ旅立たせなくとも、ここ紫禁城内で充分に執り行えましょう。倭人が陛下の治世を慕い、武技を披露する目出度い吉日に、封禅を執り行えば、陛下の治世は益々、安泰となるでありましょう。それとも……」

 と、汪直は言葉を切り、皮肉な笑みを浮かべてみせる。

「陛下の治世が平安ではないと、仰せで?」

 官吏はぐっと詰まった。汪直の言葉に反論するのは、身の破滅と悟ったのだ。

 今、汪直は成化帝の権威を身に纏って質問を投げ掛けている。うっかり反問しようものなら、それは明帝国への反抗と取られかねない。

 官吏は顔を真っ赤に紅潮させ、必死に怒りを押し隠した。

「そ、そのような……わはははは! 汪直殿も人が悪い……」

 打って変わって、わざとらしく哄笑した。 汪直は成化帝に向き直った。

「いかがで御座いましょう。陛下、封禅の儀式、拙者にお任せ願いましょうか?」

 成化帝は面倒臭そうに答える。

「よきに計らえ!」

 汪直は深々と頭を垂れた。

 これで百官たちに口出しをさせずに、思い通りに事を謀れる……!

 まずは、小さな勝利であった。

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