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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第十二章 王族
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 小七郎を伴って万貴妃の元を辞去した汪直は、屋敷から少し離れた場所で、急に周囲を素早く見回した。

 誰もいない。

 状況を確認した汪直は、近くの茂みに跪くと、突然、げえげえと胃液を吐き始めた。

 万貴妃と面会する時は、いつもこれだ。室内で万貴妃と対面している間、汪直は必死に吐き気を堪えていた。毎夜、万貴妃の寝所に招き入れられ、老女を満足させるための行為に及んだ後も、汪直は同じ反応を示す。

 糞……! あんな老婆のために、この自分が犬のように舌を使い、奉仕するとは、考えただけでも怒りに震える。

 いつか殺してやる!

 密かな決意だけが、汪直の心の支えだった。

 西廠を組織し、紫禁城で恐怖の象徴となったのは、万貴妃の後ろ盾があるからだ。今のところは、万貴妃は汪直にとって、必要不可欠な要素ではある。が、小七郎が皇太子の替え玉となり、いずれは皇帝の位に昇った暁には、万貴妃は用済みだ!

 汪直は万貴妃に「替え玉が皇太子に入れ替われば、後ろから操り政権を握る」と説明している。

 が、背後から政権を操るのは、万貴妃でなくとも良いのだ。

 実際、万貴妃を操っているのは、汪直である。したがって、万貴妃を消去すれば、政権を握るのは、汪直となる。

 ようやく、汪直の吐き気は治まった。

 蹌踉として、汪直は歩き出す。小七郎は平然と、汪直の突然の変化にも動揺の色を見せない。

 ふと汪直は、小七郎と共に、北京に入城してきた愛洲太郎左衛門の目的を思い出していた。笑止にも、愛洲太郎左衛門なる倭人の侍は、紫禁城から宝物を盗み出す計画を立てていたと小七郎から聞き出している。

 もちろん、太郎左衛門にも、汪直の監視の眼は貼り付いている。報告によれば、太郎左衛門は、市中に隠れ住んでいた皇太子と偶然ばったり出会い、皇帝御前の剣術披露を契機として、正式な立太子宣下を行おうとしているらしい。

 太郎左衛門の動きは、汪直の計画にぴったりと合うため、今は泳がせている。

 汪直の計画が煮詰まってくるに連れ、俄かに太郎左衛門の目的が気になってきた。

 歩きながら、汪直は小七郎に声を掛けた。

「小七郎……」

「はい、汪直様」

 小七郎は平板な声で、汪直に返事をする。口調にも、態度にも、以前に汪直に見せた反抗的な色は、一欠片も認められない。

「お前の父親、愛洲太郎左衛門は、紫禁城から何を盗み出そうとしていたのかな?」

 問われて、小七郎は小首を傾げた。詳しくは、聞いていないのだろう。

 のろのろとした口調で、汪直に答える。

「武器……とても特別な武器だそうです」

「ふむ」

 汪直は唇を歪めた。小七郎の答は、汪直の好奇心を満足させるには、程遠い。

「どのような武器じゃ? 紫禁城宝物殿には、古代からの様々な武器が収蔵されておるが、何か聞いてはおらぬか?」

 小七郎の顔が、苦しげに歪んだ。必死に記憶を蘇らせ、それでも汪直の問いに答を絞り出す。

「聖なる……武器……。とても大事なものだそうです……。御免なさい、それ以上は思い出せません!」

 汪直は、これ以上の詰問を諦めた。無理強いして、下手をすれば小七郎が薬の影響を脱してしまう危険がある。

 太郎左衛門が皇帝陛下の御前で剣術披露するまで、少し間がある。汪直は、一つ自分で調べてみようと思い立った。

 小七郎を西廠に戻し、汪直は紫禁城に引き返すと、文書収蔵庫へと向かった。

「これは……西廠の汪直殿ですな?」

 収蔵庫に足を踏み入れると、管理している文書頭もんじょのかみが平身低頭の体で出迎える。小柄で、貧相な身体つきの老人だった。

 汪直は文書収蔵庫に姿を現すのは初めてだったが、西廠の汪直という名前は、ここにも轟いているのだろう。収蔵庫を管理する老人は卑屈な物腰で、汪直を案内する。

「明帝室の武器について、質問したい!」

 汪直が高々と命令すると、老人は痩せた身体を折り曲げるようにして、頭を下げる。

「何なりと……。どのような武器について、お知りになりたいので御座いますかな?」

「聖なる武器だ! 特別な、神事に使うような、そうだな……皇帝陛下以外は手を触れるのは一切、許されていない……そのような武器について、心当たりはあるか?」

 汪直の質問に、老人は真剣な表情になって考え込んだ。

「さて……そのような問い掛けには、歴史を遡らなければなりませぬ。古い文書を調べてみなければ、お答えできませんが……」

 汪直は頷いた。

「さもあろう。儂も、すぐに答が得られるとは思ってはおらぬ。調べてくれるか?」

 汪直が口調を和らげ、頼み込む姿勢を見せると、老人は酷く恐縮した。

「必ず、お調べいたします!」

「頼む!」

 汪直は満足して、収蔵庫を出た。

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