八
「あなた方は、ここに人が来ないよう、見張っていなさい。妾は、少しこの倭人とお話があります」
アニスは冷静な口調で、その場に畏まっている豹軍女兵士たちに命令する。女兵士たちは、アニスの命令を当然のごとく受け取り、黙々と散開して久忠の視界から消えた。
「アニス……そなた!」
「太郎左衛門様、お久し振りで御座います」
淑やかに礼を返すアニスは、久忠の目には別人に見えた。
たった数日、離れていただけなのに、アニスの顔には、久忠の初めて見る厳しい線が加わっている。きゅっと口許を引き締め、久忠を見詰めるアニスの瞳には、誇り高い王族の光が湛えられていた。
「紫禁城にいたのだな。何があった?」
久忠は気を取り直して、アニスに尋ねた。自然と、口調が詰問の響きになる。
アニスは微笑んだ。気のせいか、アニスの微笑みは、久忠の目には、哀しげに映った。
「汪直殿に招かれまして……。いずれ妾は、北方の一族に嫁すつもりです」
「汪直に招かれ……? 違う! 其方は誘拐されたのではないか! 小七郎はどこだ!」
徐々に怒りが込み上げ、久忠は厳しい口調になってしまった。
小七郎の名前が出て、アニスは俯いた。
「小七郎──は、紫禁城にいます」
久忠は安堵に、息を深く吐いた。
「やはりな……! それで、其方は小七郎と会ったのか? 紫禁城のどこにいるのだ? 汪直に閉じ込められておるのか?」
「違います」
アニスはゆっくりと、頭を振った。豊かな金髪が、柔らかく波打つ。
久忠は口調を改めた。今は詰問の時ではない。
「そなたの口から、嫁するとあったな? 良く事情が判らぬのだが、詳しく拙者に話してはくれぬか? そなたが嫁ぐのが、小七郎に何か関係があるのかな」
「いいえ。小七郎殿とは、何の関係も御座いません。嫁ぐのは、妾にとって義務でもあるのです」
アニスは視線を外し、久忠に顔を背けて答える。何か、内心の葛藤を堪えているようだった。
義務──? 久忠は戸惑った。
アニスはきりっとした表情になって、久忠に向き直った。
「もう、お話は何も御座いません! 妾については、総てお忘れなさるよう、お願い申し上げます。小七郎殿はいずれ、太郎左衛門殿のもとへ、お帰りなさりますでしょう」
言い捨てるようにして、アニスは背を向ける。久忠は叫んだ。
「待て、もそっと詳しく話せ! 拙者には、何が何やら、さっぱり……」
アニスは両腕を頭の上へ挙げ、ぱんぱんと、両手を打ち合わせた。
合図に応じて、すぐさま、周囲から豹軍女兵士たちが姿を現した。アニスは鋭く、兵士たちに向かって命令する。
「この倭人を、出口へ御案内申し上げるのです! 丁重に、お見送りなさい!」
兵士たちは、久忠に向かって案内する素振りになった。
久忠はアニスに声を掛けようとしたが、取り付く島もなく、ただ見送るだけだった。アニスは微かに頷くと、竹林へと歩いて行く。
毅然と背を伸ばし、大股で。全身で「話は終わり」と宣言している。竹林に消えるまで、遂にアニスは、久忠に顔を向けずじまいだった。
「御案内申し上げます」
兵士の一人が、恭しく久忠に話し掛ける。
久忠は唸り声で兵士の言葉に答える。今まで生きてきて、このように手酷く拒絶された経験はなかった。
むすっと唇を引き結び、久忠は女兵士たちに見送られ、後宮の出口へ向かった。冷静さを装っていたが、心中は嵐が荒れ狂う。
ただ、考えるのは、息子の小七郎の安否だけだった。




