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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第一章 宦官
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 最初の二日間、少年を閉じ込めていた建物からは、苦痛に悶える呻き声が絶え間なく聞こえていた。

 辛いであろう……。

 かつて自求した経験を思い出し、陳九は密かに同情した。

 三日目に、少年の声は途切れた。

 陳九は助手たちを引き連れ、建物の扉を開いて、中へ踏み込んだ。

 踏み込んだ途端に、むっとくる腐臭が立ち込めているのに、気付いた。傷口が化膿している。

 助手たちは急いで、陰部を覆っている包帯を剥がし、替わりの布を巻きつけた。包帯を替えるとき、少年は再び、咆哮した。

 包帯に血液と膿がこびり付き、剥がす時に皮膚を持ち上げる。しかし、躊躇ってはならない。これを何度も繰り返す必要がある。

 明かりに照らされた少年の顔は、面変わりして、げっそりと痩せこけていた。一遍に、十も歳を重ねたような顔色だった。

 顔を覆った布を取り去り、口中の木片を取り出す。

 布を取り去ると、少年は瞬きをした。

 口からは、聞き慣れぬ音声が毀れ出る。恐らく、少年の出身地域の、言葉と思われた。

 両目の周りには、黒々と隈が浮き、少年は充血した両目で周囲を見回す。視線が何度か陳九の顔を通り過ぎたが、認識している様子はなかった。

「傷口が塞がっております」

 助手の一人が、陳九の耳に囁いた。陳九は頷き返した。助手は少年の身体に屈み込み、陰部に嵌め込まれた木栓を抜いてやる。

 どっとばかりに、木栓を外した場所から、小水が溢れ出る。

 手術の前は、三日間に亘って絶食させ、その間は水も飲ませない。膀胱をすっからかんにさせ、小便を洩らさない用心だ。

 それでも、手術の後は、膀胱が破裂せんばかりに、小便が溜まる。逆に、小便が溜まるのは、回復に向かう確実な証拠だ。

 陳九は少年が手術の賭けに勝ったのを、確信した。もう、安心であった。

 四日、五日と処置は繰り返され、次第に少年は正気を取り戻しつつあった。

 六日目からは、食事を摂らせる。

 胃が完全に収縮しているので、普通の食事は不可能だ。与えるのは、薬膳を配合した粥で、ほんの少し口に含ませる。

 一口呑み込んだだけで、少年は咽せ返り、吐いてしまった。

「食わねば、死ぬぞ! ここで死んで、何とする?」

 陳九が叱るように言い聞かせると、少年は目を据え、必死の思いで食事を続けた。

 十日が過ぎた。

 十日目に、少年は自力で立ち上がった。それでも、両脇を助手たちに介添えさせてはいたが、少年の体力は驚くべき速さで、身体を回復させていた。

 やがて月が替わる頃、少年は完全な体力を復調させた。

 顔色は血色を取り戻し、宦官に相応しい身支度を纏っている。装飾のない、簡素な上着に、床に届くほどの上掛けを羽織っている。頭には、ぴったりと被る小さな帽子を載せていた。身につける着物は、陳九が調えてやった。

 手術の際に取り除いた性器は乾燥させ、大事に保存する。いつか少年も年老い、棺に身を横たえる時が来る。その時、性器を棺に副葬品として入れるのが、宦官たちの習慣だ。

 もし性器を欠いたまま、葬送されると、死後、地獄に堕ちると信じられていた。

「まことに目出度い。お主の回復力は、驚くべき力強さだな」

 陳九が誉めると、少年は軽く頷いた。

「陳九殿には、お礼の言葉すら見つけられませぬ。このご恩は、一生、忘れませぬ」

「そうあって貰いたいものだ。さて、お主には名前を与えなければならぬ」

 陳九の言葉に、少年は床に膝をつき、両手を拱手の形にして、額を床に擦りつけた。

 少年が自求監に姿を現したその時以来、陳九は名前も、出身も質問していない。自求した瞬間、それまでの身の上は消滅し、宦官という新たな身分を獲得する。言わば、人のようで人でなく、男でもなく、女でもない宦官という新たな生き物に生まれ変わるからだ。

 陳九は、少年に名前を与える吉日を選んで、対面したのだ。

 自求監の一隅に、祭壇が設けられている。祭壇には、翡翠の器に、炎が燃え盛っていた。

 陳九は祭壇に向かい、膝を突いて拝礼を繰り返した。

 少年は、不審そうな声を上げた。

「陳九殿。その祭壇は見慣れぬ形をしておりますが、いかなる神を祀っておりますのでしょうか?」

 少年の質問に、陳九は上半身を捩じ向け、厳かな声調子で返答した。

「火の神を祀っておる。この世の中は、光の神(アフラ・マズダ)と、闇の神(アーリマン)のせめぎ合う場所で、我ら宦官たちは、二つの勢力の中道に位置する」

 陳九ら、宦官が信奉するのは、拝火教、即ちゾロアスター教である。

 この宗教は、唐代に長安に来貢した西域人からもたらされた。しかし武宗の頃に禁教とされ、衰退した。その後は、宦官たちの間に密かに伝えられてきたのだ。

 だが、陳九が得々と少年に説明した教義は、本来の教えからはかなり逸脱している。恐らく、長年の潜伏の間に、道教の教義が入り混じってしまったらしい。

「汪直、という名前を、お主に与えよう」

 陳九が告げると、少年は再び額を床に擦りつけた。

 名付けの儀式であった。陳九は、少年──いや、今後は汪直と呼ぼう──の名付け親になったのだ。

 陳九もまた、宦官になる時に、名付け親に今の名前を貰った。

 これは宦官同士の、儀礼的な親子縁組で、これより縁組した後は、お互いに面倒を見合う。

 生殖器を失い、通常の意味で一切の家族や縁戚を持たない宦官は、互助のために親子縁組、義兄弟の契りを交し合う。

 陳九が汪直を一目見て、胸を弾ませた理由は、将来もし汪直が宮中で立身出世すれば、名付け親の陳九もまた、汪直によって身分を引き上げられる可能性を感じたからだった。

 儀式が終わり、立ち上がった汪直の姿を、陳九は惚れ惚れと見詰めていた。

 しかし汪直の瞳は冷ややかで、名付けの儀式にあるべき、感激は微塵も感じられない。陳九の見るところ、汪直はこれから王宮での自分について、一心不乱に考えているように思えた。

 陳九の胸に、一抹の不安が湧いた。

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