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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第九章 巫蠱の毒
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 ぎょっとして、声の方向を見ると、出入口に新たな人物が立っていた。

 ほっそりとした身体つき。色鮮やかな朱色の上着に、腰には豹柄の布を巻いている。腰に差しているのは、鄭絽と違い、細い長剣であった。

 髪の毛は青い布で覆い、後頭部から腰にかけて長い布を垂らしていた。新たな人物は、女であった。

 年齢は二十歳前後。きりっと吊り上がった目尻の、美人である。

「紅三女! 何でここにおる?」

 鄭絽が呆気に取られ、立ちはだかっている女に向かって叫んだ。どうやら、この女は、紅三女というらしい。

 紅三女は、久忠に向かって笑い掛けた。

「あたしは魚林軍豹軍の師範、紅三女。鄭絽があんたの評判を聞きつけ、こっちに向かったと聞いたんで、慌てて追いかけたんだ」

 確か、鄭絽は自分は、虎軍の師範と自己紹介した。紅三女は、豹軍と自称している。

 久忠の記憶に、孫子の兵法というものがあり、それには軍を虎軍、豹軍に分ける戦法があったはず。普通、虎軍は正規軍で、豹軍は遊撃部隊や、埋伏軍などの奇襲部隊を指す。

 紅三女は、久忠の疑問に答えた。

「魚林軍のうち、後宮を守る軍が、あたしたち豹軍なのよ!」

 ああ、と久忠は納得した。

 なるほど、後宮を守るのは、女でなくてはならぬ道理だ。

 後宮の入口は男でも警護できるが、内部は男子禁制の掟だ。その場合、女たちが武器を取るのは理に適っている。

 紅三女は、すらりと自分の武器を抜き放った。鄭絽の青竜刀とは違い、細く、刃も鋭くなっている。

「あたしの剣のほうが、そこにいる倭人の武人の持つ刀に近い。倭人の武芸を参考にするには、あたしら豹軍が相応しいと思わないかね?」

 鄭絽は、紅三女の自画自賛に憮然となった。

「女などが、剣を振り回して、いい気になるものではない。女は大人しく、舞でも踊っておれば良いのだ」

「あはははは! あんたったら、すぐそれだ! 何とかの一つ覚えだね!」

 紅三女は、赤い口を開けて高らかに笑った。

 鄭絽はさらに苦り切った。久忠の見るところ、鄭絽は口では紅三女に敵わないのだろう。

 紅三女は、久忠に向かい合い、拱手の礼を取った。

「愛洲太郎左衛門殿! 是非とも、我ら豹軍に、お手前の武芸お見せ下さい!」

 紅三女の懇願に、鄭絽が憤然となって叫んだ。

「待て待て! 俺が先口だぞ! まずは虎軍からだ!」

 紅三女は、鄭絽を睨んだ。

「あんたの言葉は、信用できないね。あんたらが愛洲様に武芸を習って、その後あたしら豹軍については、知らぬ振りを通すつもりだろう?」

 鄭絽は、ぐっと詰まった。紅三女の指摘は、図星だったのだろう。

 久忠は仲裁に入る決意をした。立ち上がって口を開いた。

「そのように相争うものでは御座らん。拙者の拙い武芸がどのように、お役に立つか判り申し上げぬが、どちらにも披露いたすつもりで御座る」

 久忠の仲裁に、鄭絽と紅三女は、はっと顔を見合わせた。お互いの醜態に、改めて恥じ入ったらしい。

 もじもじとなって、鄭絽は俯き加減になって謝罪した。

「これは……とんだ場面をお見せ致した。いずれ正式に、紫禁城よりお手前に使者が立ちますゆえ、その時に詳しいお話を、お願い申し上げます」

 紅三女も、頬を真っ赤に染めて謝る。

「あたしも、鄭絽と同じです」

 久忠は肩を竦めた。

「気になさらぬように……。それより、仲直りの印に、一献いかがで御座ろう?」

 久忠の提案に、二人は、明らかに、ほっとした表情になった。緊張が解れ、血色が戻る。喜色を表したのは、鄭絽だった。

「結構ですな! この近くに、拙者の馴染みの店が御座る。そちらへ参ろう!」

 鄭絽が口にすると、早速、紅三女が噛み付く。

「ちょいと! あんたの馴染みの店って、実は娼館じゃないの! そんな店に、愛洲様を連れ込むわけにはいかないわ! あたしだって、この近くに懇意の店があるんだから」

 鄭絽が逆襲する。

「お前の店は、甘味処ではないか! 甘ったるい砂糖を厭というほど使った、女子供のための店だ! 男のための店に、愛洲様を案内して、何が悪い?」

「何よ!」

「何おう?」

 口々に言い争う二人に、久忠はすっかりお手上げになった。

 結局、両者の中間をとって、宿屋に酒肴を運ばせ、酒盛りとなった。

 豪傑風の外見と裏腹に、鄭絽は酒盃を何度か重ねると、すぐに酔い潰れてしまう。口許へ持っていった盃をぽろりと取り落とし、鄭絽はどてっと卓に俯せ、ごおごおと鼾を掻き出した。

「やれやれ……。こいつは、いっつもこれだ。弱いくせに、酒豪を気取るんだから」

 紅三女のほうは、まるで顔色も変えず、ぐいぐいと盃を重ねている。こっちは、まるで底無しであった。

「紅三女殿は、鄭絽殿と長い付き合いの御様子で御座るな」

 久忠は用心深く、盃の縁を舐めながら紅三女に問い掛けた。紅三女は、久忠の問い掛けに、無意識にだろうが、頬を染めた。

「そんな……、付き合いだなんて、そんなのじゃ、ないよ……」

 どぎまぎした様子に、久忠はちょっとばかり面白くない気持ちになった。他人の痴話喧嘩くらい、興味の湧かないものはない。

 紅三女は、宿の者に頼んで、魚林軍の知り合いを呼び寄せ、酔い潰れた鄭絽を自宅へ送り届る手配を済ませた。

 鄭絽の部下が現われ、上官の両脇に手を入れ、連れ出すのを確認して、久忠に丁寧に礼を言った。

「御免なさい。愛洲様には、きちんとしたお話をできなくて……この埋め合わせは、きっと致します」

 ぺこりと頭を下げ、宿屋から出て行く紅三女を見送り、久忠は微かな不安を覚えた。

 時刻はすでに夜に近い。宿屋の出入口から空を見上げると、暗くなった空には、ぽつりぽつりと星が瞬いている。

 朧が二人組を尾行するため姿を消してから、かなりの時間が経っている。いくら北京城内が広いといっても、二人の隠れ家を突き止めるには、充分な時間だ。今までの経験からすると、朧はとっくに戻って、久忠に報告している頃だ。

 何かあったのだろうか……。

 不安を抱えながら、久忠は自分に宛がわれた客室へと戻った。

 すっかり闇に沈んだ自分の部屋へ足を踏み入れると、久忠は闇に潜む気配を感じ、ぎくりと全身を強張らせた。

「誰だ!」

 鋭く誰何すると、弱々しい声で答があった。

「太郎左衛門か……」

「朧! お主か?」

 声は明らかに朧だ。が、いつもの朧ではない。はあはあと、荒い喘ぎが混じっている。

「待て、今、明かりを点ける」

 急いで付け木を取り出し、火打石を擦り合わせる。慌てているので、中々明かりが点かない。

 やっと灯明に明かりが灯り、辺りがぼんやりと見分けられるようになった。

 明かりに浮かび上がった寝台に、朧が横たわっていた。長々と全身を横たえている朧は、明かりが眩しいのか、手を顔にやった。

「朧、いかが致した?」

 久忠は驚きに、声を高めた。

 朧は、全身びっしり傷だらけであった。腕、足、胴体、顔のどれにも、血が滲み、青黒く腫れていた。

「やられたよ……」

 朧は、弱々しく笑って答えた。

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