三
久忠が宿屋に顔を出すと、役人が待っていた。宿屋の主人に確認して、ひょこひょことした動きで、近寄って来た。
「もし……。お主に確認したいのだが、もしや、お主は、倭人であるかな?」
役人は見るからに小役人といった風情で、身長は五尺にも足らず、華奢な身体つきをしていた。
吹けば飛ぶような体格を補うためか、口許には盛大な髭を蓄えている。艶々とした髭が自慢らしく、しきりと指先で撫でていた。
久忠は役人の質問に、軽く頷き返した。
「然り、拙者は日本より参った」
「日本……? ああ、そうか! 倭人は、自らの国を日本と呼ぶのだったな。まあ、良い。ともかく、お主が倭人なら、北京にどのくらい滞在するか、滞在の目的など詳しく聞きたい」
久忠が不審の表情を浮かべたので、役人は早口になって説明した。
「北京には、様々な地方から人が集まってくるのでな! 儂らは、逐一、それらの動静を把握する必要があるのよ。ま、一応、書類を整えるのが目的で、他意はない」
「左様か……。拙者の目的は──」
言い掛け、久忠は、はたと困惑した。
自分の目的を正直に白状するわけにはいかない。もし「紫禁城からお宝を盗み出す」と告げれば、この小役人は引っくり返って驚くであろう。
久忠は素早く言い訳を考えた。
「拙者は剣術詮議のため、北京へ参った! 大明国には、拙者を遥かに凌ぐ、剣術の達人がおるのではないかと、愚考いたす。できれば、そのような達人と、手合わせを是非とも願いたい!」
堂々と言い放つと、役人はぽかんと大口を上げ、久忠を見上げている。久忠は声を励まし、念を押した。
「いかがかな? そのような達人、お知り合いに御座らんか?」
小役人は、ぴょこりと首を前後に動かし、目をぱちくりとさせた。
「さ、左様か……。そ、それは、拙者のあずかり知らぬところ。と、ともかく、お主の存念はしかと、聞き届けたゆえ、なるべく騒ぎを起こさぬよう、願いたい」
役人は大慌てで久忠の姓名を、小さな忘備録に書き留めると、あたふたと宿屋から出て行った。久忠の説明に、自分の職掌ではないと判断したのだろう。
久忠は自分の部屋に引っ込むと、寝台にどたりと寝ころんだ。さすがに北京という大都会だけあって、客室は個室になっている。
疲れに、ついウトウトとなると、宿屋の主人が正体不明の顔つきをして、姿を現した。
「あのう……。お客様がいらしております」
久忠はむくりと起き上がり、主人の顔を見詰めた。
「客? 拙者にかな?」
無言で頷く主人に、久忠は首を傾げた。
朧とは、後でこの宿屋で落ち合う約束をしている。朧は、宿を予約する時同席していたから、わざわざ主人が「お客様が」と告げる必要はない。
久忠は立ち上がり、主人と共に、一階の広間に移動した。広間のすぐが、出入口になっている。
一階に下りると、すでに時刻は夕刻に近くなっていて、滲んだような橙色の光が、広間の床を染めていた。
出入口を背中に、久忠の見覚えのない人物が待っていた。
客は男で、年齢は久忠と同じくらい。いや、もう少し上だろう。
どっしりとした身体つきで、身につける服装から、武人らしき雰囲気を発散させていた。
何より、腰に差している刀が、武人の証拠だ。柄頭は使い込まれ、塗りがすっかり剥げていた。刀身は大きく反りが入っていて、久忠の見るところ、青竜刀と呼ばれる、漢人独特の武器らしい。
幅広い顔つきで、揉み上げから続く、濃い口髭を生やしている。眉は太々として、ぎょろりとした大目玉をしていた。色は黒く、日に焼けている。
久忠は、何となく、北京で近ごろ評判の芝居『三国志演義』に登場する豪傑、張飛益徳を思い返していた。
「やあ! お主が評判の、倭人の武芸者で御座るな!」
男は久忠を認め、大声を上げた。男の、辺りを憚らぬ天真爛漫な態度に、久忠は思わず笑みを浮かべていた。
「左様で御座る。評判とは、ついぞ拙者は知らぬところで御座るが」
「いやいや……」と男は手を振り、広間の席に久忠を誘う。向かう合う形で二人が腰を落ち着けると、男は口を開いた。
「拙者、魚林軍虎軍師範を務めまする、鄭絽と申す者。昼頃、お主が南門で酔漢二人をあしらった手並み、聞き及び申して、是非ともお会いしたく、馳せ参じた」
「愛洲太郎左衛門で御座る」
久忠は名乗ると、鄭絽と名乗る武人に質問した。
「魚林軍とは……?」
「皇帝陛下をお守り申し上げる、近衛兵で御座るよ! 一騎当千の、精兵で御座る」
鄭絽の答に、久忠は胸を躍らせた。
「それは……。そのようなお方とは知らず、御無礼を申し上げる」
頭を下げようとする久忠に、鄭絽は「お待ちあれ!」と手を挙げ、制止した。
「お互い、武芸を極めようとする者同士、御遠慮は無用に願いたい。拙者が参ったのは、愛洲殿に、倭人の武芸を披露してもらいたいとお願いに参ったからで御座る」
「拙者の……」
意外な成り行きに、久忠が言葉を途切れさせると、鄭絽は大きく頷いた。
「よろしければ、お手前の差料を拝見願いたいので御座るが」
久忠が立ち上がり、鞘から日本刀を抜き放つと、鄭絽の両目は好奇心に燃え上がった。
「なんと、美しい刀で御座ろう……。拙者、これほどの美しい刀を目にしたのは、初めてで御座る……」
日本刀そのものは、日明貿易で、大量に明に輸入されているはずだ。
が、明は日本刀を武器としてではなく、鉄の原材料として輸入している。従って、輸入された日本刀はすぐに熔かされ、原型は跡形もなくなってしまい、漢人の目にする機会はほとんどない。
稀に残っていたとしても、日本は最良の刀をそのような貿易に出さず、どちらかといえば粗製濫造に近い、低品質な日本刀ばかりを輸出している。久忠が腰に差している刀のような名刀は、鄭絽のような武人でも、目にする機会はないのだろう。
久忠が、ぱちりと自分の刀を鞘に納めると、鄭絽は自分の青竜刀を抜いて見せた。
「これが魚林軍正式の、刀で御座る。まことにお恥ずかしい次第……」
鄭絽の抜いた青竜刀は、久忠の日本刀に比べ、造りは確かに雑だ。刀身は分厚く、刃は鋭くはない。
反りは日本刀に比べ、かなり強い。形は、三日月を思わせる。先端は二つに別れ、突き刺す場合、一撃目が外れても、二撃目が敵を突き刺すようになっている。
「失礼……」
久忠は断って、鄭絽から青竜刀を受け取った。柄を握り締め、振り回してみる。
見た目どおり、酷く重い。概ね、明で見る刀や剣は、日本のものに比べ、重量が嵩むように造られている。
理由は、片手に盾を構えるためであろう。盾を構え、利き手で刀を振り回すのであるが、重量があれば、単に振り下ろすだけで打撃力が高まる。そのため、日本刀のような、精妙な造りは必要ないのだ。
久忠から刀を返してもらった鄭絽は、にこやかな温顔になって提案した。
「どうであろう。お手前の武芸、魚林軍の皆に御披露を願いまいか?」
答えようとした久忠を、新たな声が遮った。
「ちょっとお待ち! 鄭絽! ずるいじゃないか。抜け駆けは許さないよ!」




