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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第八章 光と影の相克
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 後宮には、皇帝以外、宦官しか入室を許されない。皇帝一人のために、少ない場合でも百人以上、最も強大な権力を握った皇帝が即位した時は、数百人、多い時には千人以上の女官が後宮に閉じ込められていた。

 皇帝の跡継ぎを確保するためであるから、男は一切、排除されている。が、宦官だけは例外だ。かつては男であったが、男の器官を切除した宦官は、皇帝の日々の暮らしを世話するためにも必要不可欠とされた。

 その後宮を、汪直は一人、黙々と歩いていた。後宮は、紫禁城の中で、最も広い区画を与えられ、幾つものあずまやが広い中庭に点在している。権勢を誇る夫人たちは、庭園の中に豪壮な屋敷を構えていた。皇帝は、紫禁城内に設けられた庭園を牛車で散策し、好みの夫人の屋敷に宿泊する。

 もっとも、現皇帝の成化帝は、体力の衰え甚だしく、夜の営みなど考えられない。

 庭園は、当代一流の職人により、池や森が巧みに組み合わされ、目を愉しませる。人工的に作られた自然であるが、配置の妙により、城内にあるとは、とうてい思えない。

 小さな橋を渡り、汪直は竹林に埋もれるようにしている、亭に近づいた。屋根はわざと茅葺にして、鄙びた風情を醸し出している。亭の外壁は、真っ白な漆喰。柱は歪んでいるが、そのような木材を意図的に組み合わせている。外見は田舎風だが、空恐ろしいほどの金額が注がれているのは、明白だった。

 亭の扉を開くと、十歳前後の少女たちが、土間に腰を下ろして裁縫だの、調理だのを思い思いに行っている。少女たちは、汪直の姿を認めると、一斉に立ち上がって礼をした。

「汪直様、ようこそ、いらっしゃいました!」

 黄色い声を揃えて張り上げる。汪直は鷹揚に手を振り、頷いて口を開いた。

「皆、不満はないか? 何か入用のものはないか?」

 全員、首を左右にしてニコニコしている。

 汪直は、奥を覗き込んだ。

「姫君に会いたい!」

「はい。案内いたします」

 年長の娘が立ち上がり、汪直の前に進み出た。娘に誘われ、汪直は内部へ進んだ。

 亭は土間に、一間だけの簡素な作りだ。それでも娘は律儀に、引き戸の前で立ち止まると、部屋の主に声を掛ける。

「汪直様がお出でになりました」

「入ってもらいなさい」

 部屋の中から、間髪を入れず返事があった。娘は一礼すると、引き戸を開けた。

 室内に踏み込んだ汪直の鼻腔を、爽やかな香りが擽った。香炉で、香が焚かれている。

 寝台、長椅子、卓が、室内には揃えられていた。どれもこれも、贅を凝らしたもので、趣味が良い。

 部屋の一方に丸窓があり、側にアニスが椅子に横座りになって、景色を眺めていた。

 汪直を案内した娘は、アニスに向かって一礼すると、そのまま土間へ戻って行った。

 ここはアニスのために用意された亭だった。アニスの世話をするため、特に十歳前後の娘たちが集められたのだ。手配をしたのは、汪直である。

「どうじゃな? 毎日、不足はないか?」

「別に……」

 景色を眺めているアニスは、気のない様子で答える。

 身に着けている衣服は、後宮の女官たちに支給される薄絹の、長い袖が特徴的なものだった。髪型も、後宮風に結い上げられ、唇には女官によって紅が差されている。

 身につけるものは、漢人風だが、生憎、アニスの金髪と、青い瞳が全体の印象を裏切っている。

「小七郎は、儂の弟子になった」

 汪直の口から、小七郎の名前が出ると、アニスの表情に僅かに変化が認められた。

「あやつめ、一心に儂の意に適うよう、礼儀の修行に励んでおる。いずれ儂が満足するようになったら、姫君に引き合わせよう」

 最初の頃の、アニスに対する慇懃な口調は、汪直からは消え去っていた。今は、地である、横柄なものに変化している。

「あの子に構わないで!」

 アニスはさっと汪直に向き直ると、怒りの色を顕わにした。

「時が来れば、私は満州族の花嫁として、北へ参ります。小七郎は、父親の元へ帰して上げて下さい」

「ほう父親とな……。アニス姫は、小七郎の父親と見知りなのか」

「寧波まで、船で一緒でした。立派な、倭人の武芸者です」

「ふむ。中々、面白い話であるな! 武芸者となれば、いずれ対決する時もあろう」

「何ですって!」

 アニスはきりっと、汪直を睨む。汪直は薄笑いを浮かべ、肩を竦めた。

「知っておるか? 小七郎は、父親を、母の仇と申しておる。部下の報告によれば、小七郎の父親は、北京を目指しているらしい。その目的が何か、未だ判然とはせぬが、何やら秘密の匂いを感じる。それとこれとを考え合わせれば、いずれ対決の場が生じるのは必定であろうよ」

 アニスは立ち上がった。

「汪直! あなたはいったい、何を企んでいるの? 初めから、私を西域から連れ出した時から、変だった。あなたの正体は、何?」

 汪直は真面目な顔つきを作った。

「知りたいかな。本当に、儂の正体を知りたいと申すか」

 汪直の言葉に含まれた不穏な雰囲気を感じ取り、アニスは青褪めていた。アニスに、汪直は一歩前へ進み出て、近づいた。

「アニス姫。そなたの属する部族が奉ずる神が問題なのだ。その神は、かつてはこの地でも奉じられておったが、今は跡形もなく消え去っておる。我ら、宦官のみが、細々と奉じるのみだがな」

 汪直の告白に、アニスは目を一杯に見開いていた。

「まさか……あなたが、私と同じ神を信じているなど……信じられないわ!」

 汪直は厳粛に頷く。

「そうなのだ。儂の奉じるのは、ザラシュトラ……。アニス姫も、同じであろう?」

 ゾロアスターは後世の発音で、ザラシュトラが、本来の発音に近い。ドイツ語では、ツァラトゥストラとなる。

 汪直は、アニスと自分が、同じ拝火教の教徒であると明かしたのだ。

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