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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第八章 光と影の相克
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 がたごとと、車輪が石畳を噛んでいる。石畳には、車輪と同じ幅の溝が刻まれていて、馬車の車輪は溝にしっかりと、まっている。

 秦の始皇帝が整備した道路網は、明の時代になっても、問題なく機能していた。溝の幅を全国統一し、他国の馬車が走行できないように工夫して、防御としたのだ。秦が滅んだ後は、漢が受け継ぎ、隋、唐と道路網は伸ばされている。

 馬車は大きく、ほとんど家ほどもある。馬は六頭曳きで、周囲を騎馬の兵士がびっしりと取り巻き、物々しい。襲撃を警戒しているのではなく、馬車に乗り合わせている客の逃亡を防いでいる。

 客とはもちろん、小七郎とアニスの二人だ。二人は馬車の後部に押し込められ、万が一にも抜け出さないよう、部下のケンが、監視の目を光らせている。

 馬車の前半分には汪直が陣取り、傲然と構えていた。周囲には、泰然とした態度を保っていたが、膝をとんとんと、指先で叩いているのが、僅かに汪直の内心の焦りを表している。

 汪直は、考えていた。

 一心不乱に、考えていた。

 さっと立ち上がり、後部に移動する。馬車の後ろ半分は客室になっていて、普段は王侯貴族が利用するため、豪華な内装がしつらえていた。しかし、今は囚人を収監するための、牢獄となっていた。

 汪直が近づいたので、部下の乾は驚いて身じろぎした。何か言い掛けるのを、軽く手を挙げて制止する。

 扉に顔を押し当て、小さな覗き穴に目を押し当てた。

 暗い室内にぶらんと天井から紐で灯明皿が吊るされ、か細い光を投げかけている。灯明皿は、馬車が揺れるたびに、左右にふーらふらと揺れて、室内に奇妙な影を作っていた。

 窓は総て塞がれ、寝台に小七郎とアニスが寝そべっていた。

 アニスは眠っているようだ。目を閉じ、安らかな寝息を立てている。

 小七郎はアニスの上半身を抱えるようにして、目を光らせている。一見、だらりと弛緩しているかに見えるが、汪直は、小七郎の弛緩は偽装と看破していた。

 今、扉を開けば、小七郎は猛然と飛び出し、阿修羅のごとく暴れ回るだろう。

 小七郎の視線が動き、覗き穴から見ている汪直の目に気付いた。小七郎は唇を捲り上げ、微かに唸った。両目には捕えられた獣のような敵意が燃え盛っている。

 汪直は覗き穴に目を押し当てたまま、軽く笑った。

 まさに小七郎は、制御不可能な獣だ!

 狼のごとく誇り高く、虎のようにしぶとい。馴致するには、相当に苦労しそうだ。

 なぜ小七郎は大人しく、汪直の用意した馬車に唯々諾々と乗り込んだのか。理由はアニスにある。

 アニスが汪直と共に北京に向かうと同意したため、小七郎は同道を承知したのだ。

 汪直は乾に合図した。乾は頷き、扉を開く鍵を取り出す。

 鍵穴に鍵を差し込み、扉を開いた。

 瞬間、小七郎が飛び出して来た!

 待ち構えた汪直は、腕を伸ばし、小七郎の襟首を掴む。

「離せっ!」

 小七郎は喚くと、素早く身を捻り、汪直の手から逃れようとする。

 汪直は足を飛ばし、小七郎の脛を蹴り上げた。

 小七郎の身体が一回転し、馬車の床にしたたかに叩きつけられる。汪直は間髪を入れずに圧し掛かり、小七郎の背中を押さえつけた。

「良い加減、儂には敵わぬと悟らぬか! 其方は、儂には手も足も出ぬ!」

 押さえつけられた小七郎は、一声も発せず、身動きを止めた。

 諦めたわけではない。僅かの間隙を狙って、逆襲しようと身構えているのだ。

 気配に汪直が目を動かすと、アニスが心配そうな表情で扉に立っている。汪直と目が合うと、アニスは叫んだ。

「汪直! なぜ小七郎をそのように苛めるのです? 小七郎は、あたくしと北京へ向かうと承知したはずでしょう」

 アニスの口調は高々として、王族としての誇りに溢れている。

 汪直は軽く一礼して、答えた。

「苛めてはおりませぬ。いずれ紫禁城にアニス様をお迎えする時、この小僧が今のように礼儀知らずのままでは、何かと困りますからな。こうして、礼儀を叩き込みます」

「何を言いやがる……」

 小七郎が唸り声交じりで、割り込んだ。

 ぐいっと首を捻り、アニスに向かって問い掛けた。

「アニス、聞かせてくれ! どうして、こんな奴の言い成りになるんだ? そんなに、北京に行きたいのか?」

 小七郎の追及に、アニスは目を逸らした。

 汪直は小七郎を押さえつけたまま、高々と笑い声を上げた。

「ははははは……! 聞きたいか? アニス姫が、なぜ北京を目指すのが?」

 汪直の笑い声に、アニスは見る見る頬を染めた。両拳をぐっと握り締め、全身を震わせて叫ぶ。

「やめて! 言わないで!」

 汪直はアニスの言葉を聞き流し、ぐいっと小七郎に顔を近づけた。小七郎の耳に口を押し当て、ゆっくりと言葉を押し出す。

「良いか、聞くのだ! アニス姫は婚姻のために、儂が西方から招き入れた。途中、不測の事態があったが、このようにして無事に巡り会えたのも、天佑だろう」

 小七郎の全身から、力が抜ける。汪直を睨む目に、驚愕の感情が認められた。

「婚姻……?」

「そうだ」

 汪直は念押しした。

「アニス姫は、北京にて、花嫁となる。相手は北方の王族だ」

 小七郎はゆっくりと頭を左右に振る。

「判らねえ……。何で、今まで黙っていたんだ……。そんな大事な話」

 心中で、汪直は快哉を叫んでいた。

 アニスは確かに汪直の切り札だ。汪直の計画する、アニスと北方の蛮族王との婚姻が成立すれば、それは明帝国に突き刺さる楔の一つとなるだろう。

 他人目には、いかにも明に忠誠を尽くすように見えるに違いない。だが、この計画は明を滅ぼすための、汪直の深謀遠慮である。

 汪直には、アニスに対する小七郎の心が手に取るように判っていた。

 明らかに、この小僧は、アニスを恋している。まだ子供で、自分の恋心に気付いてはいないが。

 それが小七郎の弱点だ。

 汪直は、もう一つの楔として、小七郎を利用しようと狙っていた。そのため、アニスの婚姻の話をわざと漏らした。

 いずれ小僧は、自分の思うままの道具となる……。汪直は小七郎の心を捻じ曲げ、徹底的に痛めつけるつもりだ。

 待っておれ……。

 汪直は小七郎を捻じ伏せている腕に、さらに力を込めていた。

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