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光の剣、剣の影  作者: 万卜人
第七章 影の剣技
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「小七郎と、アニスが攫われた! すぐに後を追って、探さねばならぬ!」

 血相を変えて、舟に戻った久忠に対し、朧はほんの僅か、眉を上げただけだった。表情には、何の動きもなかった。

 久忠は朧の肩をぐわっと掴み、揺り動かして叫ぶ。

「聞こえておらぬのか? 小七郎と、アニスが何者かに誘拐されたのだぞ!」

「聞こえておるわ」

 煩そうに、朧は久忠の手を外した。乱れた衣紋をくつろげ、平然と答えた。

「それがどうした。我らは一刻も早く、北京へと到着せねばならぬ」

「なん……と、申した……?」

 朧の口にした内容が信じられず、久忠は一瞬、虚脱していた。

「小七郎とアニス。二人は我らの使命に、何の関わりもないのだ。太郎左衛門、お主の成すべき仕事は、北京へ参り、紫禁城から天叢雲剣あまのむらくものつるぎを取り戻す! それが宮中より命ぜられた任務ではないのか?」

 久忠は怒りに拳を固めた。朧の表情には、何の変化もない。久忠は、食い縛った口許から、切れ切れに言葉を押し出す。

「それなら……、拙者一人でも……、探し出す。朧! 良く聞くのだ。小七郎を取り戻すまで……、拙者は、どこへも行くつもりはないぞ!」

 朧は無表情で、突っ立ったままだった。

 両者の間に、触れれば、ぷっつんと切れそうな、緊張の糸が張り詰めている。

 不意に、朧の表情が緩んだ。いつもの、皮肉そうな笑顔が浮かぶ。

 肩を竦め、朧はわざとらしく帆柱に背中を押し付け、頭をゆるゆると左右に振った。

「やれやれ……。お主には敵わぬな。仕方がない、これも運命かもしれぬ……」

「儂と、行動を共にすると申すか?」

 突然の、朧の変化が、久忠には信じられなかった。朧は軽く頷いた。

「そうだ。お主の執着を無理に押し留めようとすれば、儂の任務に支障が出る。となれば、結論は一つ。まずは、お主の息子を探し出すほうが、得策となるな」

「有り難い。感謝するぞ!」

 久忠は本気で礼を口にした。

 朧は煩そうに、手を振った。

「礼など、必要ない。それでは、始めようか。さて、心当たりはあるかな?」

「さて?」

 言われて、久忠は戸惑った。

 宿で事件を耳にして、取るものもとりあえず、舟を目指したのだ。当てなど、皆目あるはずもない。

 二人に、一人の船客が声を掛けてきた。

 あの易者だった。

「失礼だが、何やらお困りの御様子。宜しければ、儂が占って進ぜようか?」

 久忠と朧は、顔を見合わせた。

 朧はニヤッと笑って答えた。

「藁にも縋るとは、今の我らを指す言葉じゃ。一つ、占ってもらおうではないか!」

「それでは……」

 朧の返答を聞いて、占い師は頷くと、船端に席を取り、商売道具を広げた。

 久忠は占い師に、息子が誘拐された詳細を説明した。久忠の説明を聞いて、占い師は筆を取った。

「御子息のお名前を……」

「愛洲小七郎と申す」

 占い師はさらさらと、小七郎の名前を書き取った。目を上げ、久忠に質問した。

「それでは、あなたのお名前を……」

「愛洲太郎左衛門」

 用紙に書き取った占い師の筆が、ちょっと止まった。

「〝郎〟が同じで御座いますか?」

 占い師の戸惑いを、久忠は『避諱ひき』に基づくものと察した。漢人の間では、父と子の間で、同じ字を使用する例は有り得ない。兄弟なら同じ字を使っても良いが、父と子では、避けるのが普通である。

 この『避諱』の礼は、当代皇帝にも適用される。皇帝のいみな、通称に用いられた字は、公式文書などで使用できない決まりで、それは、ありとあらゆる文書に適用される。

 後世、様々な石碑に刻まれた字を、当時の皇帝の名前と重複するという理由で、丹念に削られた跡が見受けられるほど、徹底している。

「我らは倭人で御座る」

 久忠の返答に、占い師は「ああ、そうですか」と無感動に頷いた。「倭人なら、礼を知らなくて当然」と思っているのだろうと、久忠は密かに自嘲した。

 名前の字画を数え、占い師は数盤を卓上に並べる。複雑な手付きで、数盤を動かし、最後に筮竹をばらりと広げた。

 重そうな書物を広げ、そこに書かれた文言を指先で押さえた。口の中で、何やらぶつぶつと呟いて、一人で頷いている。

 占い師の眉が、ぐいっと持ち上がる。ちょっと首を傾げ、奇妙な表情を浮かべた。

「不思議で御座いますな。このような占いの卦は、拙者、初めて目にいたします。御子息の行方は、あなた方が目指す場所にて見出す──と出ております」

 久忠はつい、問い掛けていた。

「それは、どのような意味で御座ろう?」

 占い師は髭をしごきながら、呟くように答えた。

「つまり、最初からの目的地へ、早く到達すればするほど、御子息の行方が判る……そのような卦になっておりますな!」

「太郎左衛門……」

 朧が、真剣な表情になって、囁いた。

「聞いたであろう。我らはこのまま、北京へ一刻も早く到着すれば、それがそのまま、小七郎を探す手懸りになると、この易者は申しておるのだぞ」

「もう一つ、肝心な卦が御座います」

 占い師は、久忠に真っ直ぐ視線を当て、宣告するような口調になった。

「御子息を見出す時、あなたは御子息を失うとあります」

「何だと! それは、小七郎が死ぬ、と申しておるのか?」

「いいえ、そうは申しておりません。ただ、御子息を失い、その後、新たに御子息を見出す……そのような卦になっております。これが何を表しておりますのか、私、修行が足らぬので、はっきりとは判り申し上げないのです。まことに、心苦しい次第……」

 朧が励ますように、久忠の肩を叩いた。

「太郎左衛門、この易者も申しておるだろう。我らは何が何でも、北京を目指すべきなのだ。それが、小七郎を探す、唯一つの希望でもある!」

 久忠は、朧の熱意に押し切られた格好になった。不承不承ながら頷き、北京を目指す舟旅を続ける決意を固める。

 北京、そこで久忠は小七郎を見出せるのであろうか?

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